第38話 飛行
「この子が……飛竜ですか?」
アーマンディの視線の先には青い痩躯の美しい飛竜がいる。瞳は輝く金色だ。その緑がかった艶めく蒼い身体は、美しい上に力強く、鋭く尖った爪はアーマンディなど簡単に切り裂いてしまいそうだ。翼の皮膜は体とは違い、紫がかった深い青色で、翼手と皮膜のコントラストはうっとりする程美しい。
飛竜のギネは、シェリルが呼ぶとベランダに飛んできた。シェリルの部屋には大きなベランダがある。シェリルは元々は5階の部屋だったが、ギネが寂しがり、部屋の周囲を飛ぶことが度々あったので、大きなベランダ付きの部屋に移動した。
だからギネは、寂しくなったらベランダへと飛んでくる。そしてシェリルが呼べば嬉しそうに飛んでくるのだ。
「シェリル様……触っても良いですか?」
「ああ、そうですね。今、ギネに聞いてみます」
シェリルがギネに近付く前に、ギネはアーマンディの近くに寄ってきた。そしてその長い首をアーマンディに近付け、顔を胸元に寄せる。
「……触っても……良いの?」
クルル――っと鳴くギネはアーマンディに甘えたい様だ。アーマンディが頭を撫でると、大きな金色の瞳を嬉しそうに細めた。
「ふむ――お前は面食いだったんだな?」
そう言いながらギネを撫でるシェリルをアーマンディはじっと見る。
確かにそうかも知れない……と思いながら見ていると、シェリルが手を差し伸べた。
「さぁ、乗りましょう」
確かにその姿は凛々しくも美しかった。
◇◇◇
想像と現実は違う。アーマンディは今まさにそれに直面している。
空を自由に飛ぶのはとても楽しい事だろうと思っていた。頬に当たる風は心地よく、どこまでも広がる空は夢心地のように自分を包んでくれるだろうと思っていた。
だが実際は違った。
自分の後ろにシェリルが飛び乗った時には、ドキリと心臓が大きく飛び跳ねた。更に背を自分に預けろ言われた時には、真っ赤になって抵抗したが、安全のためと言われたので観念した。腰に腕が回されて驚いたが、ギネの頭と顎から伸びる手綱を取るためだと心の中で言い訳し、早くなる鼓動を収めようと努力した。そこまでは良かった。飛竜に乗るのだからあり得る事だと想像できた。
だがギネが浮いた時にした、まるで内臓が浮き上がるような感覚に背中が凍りついた。羽ばたく音はとても大きく、シェリルが何か言ったが聞こえない。羽音のせいか、恐怖のせいか分からないまま、引きつく顔を自覚していると、一気にギネが加速した。
建物から斜めに飛び立ち、ヒュっと空へと向かう。あまりにものスピードに、自然と腰が引けてしまい、思わずシェリルの腕をギュッと掴むと腰を強く支えられた。照れることも安堵する事もできないまま、目を瞑ると、思ったより風がない事に気付いた。感じるのは重力から解き放たれていく不快感だ。それに気づいた時には上空で水平に飛ぶギネがいた。早鐘のように鳴り響く心臓がうるさくて、深く息を漏らした。
「大丈夫ですか?」
背中越しに聞こえるシェリルの声に、アーマンディは何とか答えようと声を張り上げる。
「だ――大丈夫です!少し驚いただけです‼︎」
「――私とアーマンディ様は同じ結界に包まれていますので、声を張り上げなくても聞こえますよ。それよりも、身体が強張ってますが、怖いですか?初めての人は飛竜のスピードに驚きますから」
「あ――驚きましたが……大丈夫です」
「そうですか。だったら良いのですが……ああ、下をご覧ください。ヴルカン公爵邸と直轄領が見れます」
「――え⁉︎」
こんな高い所から下を見ろとは怖い事を言う……とは思うが、快活そうに喋るシェリルにアーマンディがそんな事を言えるわけがない。
そっと視線を下に向けると、自分がかなりの上空にいる事を実感し、景色を愛でるよりも先に恐怖が身体を支配した。
「――つっ‼︎む……無理です‼︎僕には見られません‼︎」
怖くて上を見上げると自分のすぐ上に浮かぶ白い雲が空に透けて見えた。
「……そうですか。初めてですし仕方ありませんね。ゆっくり慣れていきましょう。慣れると街並みの美しさや、足元に広がる山脈の景色に癒されますよ」
「……そ……そうなんですね……」
今のところ慣れる感じがしないと思いながら、アーマンディは前を向く。前を見ていると安心する。目の前に広がるのは、どこまでも続く青い空だけだ。
「ヴルカン公爵家のみが入れる海岸へ向かいます。飛行時間は10分ほどですから――ああ、ギネ、それはダメだ」
「え?ギネが何か?」
飛竜とその主人は念話で会話ができると、アーマンディはシェリルに聞いた。だがアーマンディには聞こえない。
「ギネがアクトバット飛行をしたいと――アーマンディ様に宙返りして飛ぶ楽しさを知って欲しいと言ってます」
「ええ⁉︎む――無理です!今だって怖いのを我慢して乗っているのに、宙返りなんてされたら気絶しちゃいます。やめてとギネに言ってください」
「分かりました。ですがギネがそのように言うのは珍しいんですよ?ルーベンスを乗せるのだって、文句を言いながら仕方なく乗せているんですから」
「そうかも知れなくても無理です!人は飛べないんですよ?宙返りなんてされたら落ちゃいます!」
「ははは、落ちませんよ――しかし……そんな必死な表情をされる時もあるんですね。初めて見ました」
後ろで大笑いするシェリルに失礼だとアーマンディは前を向く。
自分も初めて見たと……アーマンディは思った。こんなに快活に笑う人だとは思わなかった。いつも自分を敬い、気遣う彼女しか見たことがない。ここ数日の口喧嘩もそうだ。シェリルは怒っているが、その言葉はいつも自分を気遣う事ばかりだった。自信のないアーマンディを元気付けようと常に声を出していた。アーマンディを否定ばかりしていたアジタートとは、違う言葉ばかりが彼女の口からは溢れてくる。
恐る恐る見た地上は建物すらも小さすぎて、人の姿を見つけることなどできそうにない。だがそこに息づく人々が確かにいるのだろう。自分が守るべき人々が。
「美しい景色ですね。空も青くて美しいです。これがあなたが守るスピカ公国です。この美しい景色を守るのに男だとか、女だとか関係ありますか?」
「そうかもしれません。でも皆は認めてくれないでしょう。男なのに聖女だなんて」
「それはどうでしょうか?男女で職業を分けるなんて、馬鹿馬鹿しくないですか?そもそもスピカ公国は他国と違って女性の貴賤がありません。例えば母は公爵婦人ですが、スピカ国ではアリアンナ・ヴルカン公爵夫人と名乗ります。ですが他国ではイリオス・ヴルカン公爵の妻アリアンナとなります。これでは夫のおまけみたいですよね?母は階位も父に続いて3位ですが、これは父がヴルカン公爵の血筋のものだからです。仮に入婿であれば、母が公爵を名乗り階位は2位になり、父は公爵夫となります。それだけ女性の進出は進んでいるのです」
「え?でも女性の公爵はいませんよね?」
「いますよ。公爵家は基本的に第一子が継ぐものです。血筋なのか公爵家直系は男性が多いですし、女性が産まれた場合は聖女になる事もあるので、どうしても少なくなるのですが、今回はグノーム公爵家の女性が小公爵として立つ予定です。大神官も女性がやっていたこともあります。なのに聖女だけ女性じゃなければいけないなんておかしくないですか?」
「……知らなかった……です」
「家にもよりますからね。シルヴェストル公爵家は男しか公爵を継がないはずです。あそこは男性優位ですから。そしてウンディーネ公爵邸は、女性の産まれる確率が極端に低いです。ヴルカンの女性の産まれる確率と同じくらいに低いと聞いています。そしてヴルカンの女性は、聖女の騎士になる慣習があるので、公爵教育より騎士の教育を優先します。やはり一番自由なのはグノームですね。あそこは女性が強いです。次代小公爵のデルフィとは交流がありますが、さっぱりしていて私は好きですね。あなたの事を言っても笑い飛ばすだけだと思いますよ」
「僕は……本当に何も知らないのですね」
「良いじゃないですか。これから知っていけば良いんです」
「……そうですね」
シェリルの言葉はルージュにも言われた言葉だとアーマンディは思った。
いつかルージュ達も分かってくれるのだろうか……その前に自分は男だけど聖女の仕事をすると皆に言えるのだろうか。言えるわけがない。やはりどうしても自信は持てない。
子供の頃からの洗脳を解く事は難しい。ましてや暴力と共に浴びせられた暴言を、記憶から消し去ることはできない。自分で乗り越えていくしかないのだ。周囲の愛情を受け入れながら。
「アーマンディ様――海です!」
シェリルが指差す先に見えたのは、太陽の光を反射させながら煌めく蒼い海だ。
「アーマンディ様の目の色に似ていますね」
「そうですか?」
「ええ、とても美しい」
赤くなる顔を自覚しながら、アーマンディは前を向く。
初めて見た海は想像以上に大きく、美しい。
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