第34話 聖女の館引き渡しの儀(5)
右足を伸ばすと何かが当たった感触がする。グッと足の裏で踏みつけるようにすると、それが細長い足場だと分かる。次に下に向かって長く伸び縄に添って右手をスッと下ろす。次は左足と左手だ。左足を右足と同じ位置に持っていきながら、元々足があった場所に左手を持っていく。
ゆっくりゆっくり慎重に、一段ずつネリーは降りていく。目の見えないネリーには分からないが、梯子の周囲はほのかに明るい。灯りは梯子の周囲の壁からもたらされている。
この梯子は遥か昔にスピカ神に選ばれた聖女を守るために作られたと言われている。そのため、梯子は小さい子供が使うには幅が広く、ネリーは苦戦していた。そもそも目が見えないのだ。足元の位置も分からなので、足の感触を確かめながら降りていくしかない。
「……待っていてください」
自分で自分を励ますためにネリーは声を出す。怖いし、辛い。だけど自分を助けてくれたアーマンディのために、勇気を振り絞り降りていく。シェリルを連れてくるために。
◇◇◇
降りても降りても地面に足はつかない。そもそもアーマンディ達がいた部屋は5階だ。そこからどこにあるか分からない公爵家につながる地下道まで降りるのだ。その距離は遠い。それは子供ではなくとも大変な労苦を強いられる。
敬愛するアーマンディのため、ネリーはゆっくり降りていく。たまに足を滑らせそうになるが、両手で梯子をしっかり持つことによって、落下だけは免れている。
だが掴んだ両手は豆ができてジンジンと痛み、足は痺れて感覚を失っていく。更にいつ辿り着くか分からない不安から心が悲鳴をあげる。
「こ……怖いよう、アーマンディ様……シェリル様……」
我慢できず、ネリーは弱音を吐きだした。
ネリーの閉ざされた目からは涙が出ない。だけどその悲しげな声から、どれだけ嘆いているか分かる。
「誰か……助けてください。だれか」
声を出しても聞こえるのはネリーの声の反響音だけだ。その反響すらもネリーには恐怖だ。
それでも降りるしかネリーには道がない。もう登る体力はない。だとしたら降りていくしかない。
そうやって自分を励ましながら、どれだけ経っただろう。ネリーが右足を下ろしたら、その足先には何も触れないことが分かった。
「え?なんで?なにもない。アーマンディ様……なにもないよ、シェリル様、ネリーはどうしたら……」
小さい体を精一杯伸ばすが、その足には何も触れない。
実はその先は石畳の地面があるのだが、見えないネリーには分からない。そしてその状況は、今まで頑張ったネリーの限界を招くのに十分だった。
「いや!アーマンディ様!シェリル様‼︎ 助けてください‼︎ 足がつかないよ!怖いよ‼︎ どうしたらいいの⁉︎ もうやだよ―。怖いよ、誰か助けてください!!!」
散々嘆くが誰の声も聞こえない。ただただ自分の声が反響音となって響き渡るだけだ。
そうやってネリーが嘆き始めてどれだけ経っただろう。やがてネリーは疲れすぎて声も出せなくなった。手足も限界だ。痺れて感覚もない。喉も乾いて、口を閉じることすらできない。
そんな体力の限界と、恐怖と絶望状態のネリーのもとにひとりの少女が現れる。少女はネリーの背後に足音のなく現れた。ネリーは気づいていない。
「大丈夫?」
「え⁉︎キャアアーー‼︎」
慌てたネリーは思わず手を離す。するとふわりとした感触が体を包み、お尻が石畳の上にゆっくりと降りた。ネリーは地面をペタペタと触る。
「地面⁉︎」
「そうよ?あら、あなたは目が……」
「……はい、見えません。だれですか?」
ネリーは声がする方を見る。その様子を見て少女は安心したように、微笑んだ。両手を差し伸べネリーを起き上がらせる。
「それよりもあなたはだあれ?ずっと悲しい声が聞こえるから、思わず来てしまったわ。こんなこと……お父様に知られると怒られてしまうわ」
「私は……ネリーです。あの――梯子はどこですか?」
ネリーは少女の温かい手に、優しい雰囲気を感じた。繋いだ手が温かく、手のひらが痛いことなど忘れてしまう。
「梯子?ああ、あなたの後ろよ。どこに行きたいの?」
「あの……」
優しいとは思っているが、ルージュのこともある。信用しても良いか分からないネリーは口を濁す。
「大丈夫よ。わたくしは誰にも言わないわ。代わりにわたくしの事も黙っていてくださる?さっきも言ったけどお父様に知られると、とても怒られてしまうの」
「…………シェリル様……ヴルカン公爵家に……」
「そう、アーマンディ様に何かあったのね?」
「…………はい、助けたいんです!だから‼︎」
「ええ、分かったわ。アーマンディ様はこの世界の希望。もちろん、お助けしないとね。ヴルカン公爵別邸はこちらよ。でもこのまま行くと梯子に手がつかないかもしれないわ。だからわたくしとご一緒しましょう?」
「はい!!」元気よく返事をしたネリーと手を繋ぎ、少女は歩き出した。南につながる通路へと。
◇◇◇◇◇◇
その頃、アーマンディは廊下の騒ぎに耳を閉ざし、机の上で手紙を書いていた。ネリー宛の手紙は終わった。感謝の言葉をいっぱい書いた。そしてシェリルへの手紙は今から封を閉じるところだ。謝罪と感謝の言葉と1ヶ月間楽しかったこと、ネリーのこと、そしてくれぐれも後を追わないで欲しいと書いた。
「あんなに美しい人なんだもの。僕がいなくなれば、きっと良い人と結婚して幸せな家庭を築けるだろうな」
生まれ変わることができるなら、シェリル様の子供に……アーマンディはそんなことを一瞬思ったが、首を振る。自分みたいな出来損ないがもう一度生まれ変わる必要はない。ましてや今から自分で自分の命を絶とうとしている人間が、生まれ変わるなどあり得ない。
幸いなことに今着ているドレスは自分で選んだドレスだ。産まれて初めて自分で選んだ、シェリル様とお揃い色。真紅のドレス。どうしてお揃いの色にしたかったのかは分からない。だけどお揃いの色でシェリル様と一緒に並んで歩いていると、くすぐったい何かが胸に湧き上がり嬉しかった。楽しかった思い出と、素敵なドレス。この状態で死ねる自分は幸せだと、心の底から思える。
スッと立ち上がり、いまだに物音とけたたましい声が響き渡る扉を見る。
自分が男に生まれたばかりに、彼女たちの人生を変えてしまったことに心から悲しみ、アーマンディは深く頭を下げた。自分が男ではなく女に生まれていれば、きっと彼女達はあんなに歪まなかったのだろう。そう思うと謝罪せずにはいられない。
「ごめんなさい。もう、2度と生まれてきませんから……」
死ぬことを決めてからは心が随分と落ちついてきたと、アーマンディは思う。どうしてもっと早くにこうしなかったのだろう。生きていてもあらゆる人に迷惑をかけるだけなのに。
「スピカ様……申し訳ありません。きっと僕はあなたが求めるような人間ではなかったのです」
あの時感じたスピカ神の力をアーマンディは思いだす。そして誰にも言っていない願い事も。
「願いは……叶えてもらえませんでしたね。その時間が僕にはもうないようです。こんなことになってしまい申し訳ございませんでした。どうか、次に生まれてくる聖女にも変わらず祝福をお与えてください」
手を合わせ最後にスピカ神に祈ると、心に何かが吹いたように感じた。それはきっと懺悔の気持ちだろうとアーマンディは目を瞑る。
「ありがとう、ネリー。そしてシェリル様……あなたに出逢えて良かった。どうか幸せに……」
目を開いてアーマンディは机にあるナイフを掴む。
ここで血を流すわけにはいかない。ここは次の、未来ある聖女が使うべき部屋。自分のような汚れた血を残すわけにはいかない。
そう思い、アーマンディはバスルームに向かう。
バスルームの水を流し、部屋を汚さないように注意しながら、心の赴くままに自分の体にナイフを入れる。そしてそのまま赤く染まる水を見る。
「シェリル様の……目の色みたいだ……」
最後に見られて良かった……そう思いながら目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、ネリーを抱き上げたシェリルの美しい姿。
その瞬間、空には一気に雨雲がふえ、落雷が大地に降り注いだ。
だが、アーマンディにその様子は見えなかった。
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