第30話 聖女の館引き渡しの儀(1)
聖女の館引き渡しの儀の日の空は雲が多く、今にも雨が降りだしそうに暗い。
「嫌な空だな……」
シェリルが廊下から窓越しに空を仰ぎみていると、空が徐々に晴れていく。雲はすぅっと音を立てず流れ、その先にある太陽が燦々と大地に光を届けていく。太陽の光を受け止めた大地は、温かい光に満足するように照り返す。
「アーマンディ様の浄化が終わったようだな」
シェリルが守る扉の奥にはアーマンディがいる。真紅のドレスを纏った彼は、毎日の日課である護国水晶玉を浄化にきたのだ。
護国水晶玉は聖女の館の 3階の真ん中にある、祈りの間に鎮座されている。祈りの間は貴族の家であればどこにでもあり、建物の中心にあるのが一般的だ。そしてそこには領地を護る水晶玉があることが多い。
「シェリル様……お待たせしました」
扉を開けて出てくるアーマンディの髪型は、シェリルとお揃いのポニーテールだ。ドレスも同じ色で揃えた。全てアーマンディが望んだこと……それがシェリルには嬉しく思えた。
「段々と浄化の速度が速くなっていますね」
「ええ、シェリルさ、いえ、シェリルのおかげよ。ありがとう」
シェリルとアーマンディの今いる場所は廊下だ。誰が聞いているか分からない。アーマンディは言葉遣いを直す。
「アーマンディ様の研鑽の賜物です。ところで今日はこれからアジタートとその一派が来ます。アジタートの兄であるグレンプレスの話ですと、もう諦めているとの話ですが、あの女が何を考えているか、実際には分かりません。有事の際は私がもちろんお守りしますが、それが叶わなかった場合は、あの部屋に逃げて下さい」
「確かあの部屋の避難路は、ヴルカン公爵家のどこに出口があるか分からないんですよね?」
「ええ、そうです。そのうち確かめようと思っていますが、まだこの館にはアジタートの配下の者もいます。安全とは言い難いので先送りにしています」
アーマンディは頷くことで返事をする。シェリルは更に言葉を紡ぐ。
「あの避難路は中からは閉められない。つまり誰かがあの部屋に残り、扉を閉めなければいけません。おそらく、聖女を逃し、聖女の騎士が残ることを想定しているのでしょう。ですから、いざという時には私を置いて逃げてください」
「それは――無理です。僕にはできません!」
「もしもの場合です。私が負けるはずがありません、だから安心して下さい」
「分かり……分かりました。でも、シェリル様も死なないでください。約束ですよ?」
「……あなたにも同じ言葉を返します。絶対に命を絶たないと、約束してください」
「え……?」
「約束ですよ?」
返事をしないアーマンディに、シェリルは眉尻を上げる。
今までこの手の話はしていなかった。
この1カ月でアーマンディの環境は劇的に変化した。そのせいか表情は明るくなったし、肌艶も良くなった。声を上げて笑った事はまだないが、それでもクスクスと小さく笑うようにはなった。シェリルにも徐々に心を開いている。
だが、どこか危なげだ……シェリルはずっとそう思っている。
生きたいと言う意思が希薄だといっていい。幸運を諦めている節もある。幸せなうちに死にたいと思っているのではないかとすら、深読みまでしてしまう。
「約束できますよね?」
だからもう一度、シェリルは聞く。自分の不安を解消するために。
「……努力……します」
アーマンディにはこれ以上の言葉は言い辛い。
知らなければ良かった幸運は、アーマンディの心を弱くした。ネリーのことを思うと、今の環境は良かったと思える。美味しい食事に綺麗な洋服。勉強を教えてくれる講師。優しい人々。
それに自分に何かがあっても、きっとシェリルがネリーを引き取ってくれるだろうと思っている。自分よりもずっと、愛情深く育ててくれるだろう。
だけど自分は?自分は弱くなった。今、アジタートに捕まり、ガーネットに乱暴されたら耐えられる自信がない。それこそすぐに死を選んでしまうだろう。もう不幸には耐えられない。
「あなたが死んだら、私は後を追います」
「そんな――それは卑怯です!自分の命を僕に預けないでください‼︎」
「こうでも言わないとダメだと思いましたので……。ですが安心して下さい。あなたを守るのが聖女の騎士の《《役目》》ですから」
アーマンディの頭はガンっと何かを打ち付けられたように、暗くなる。暗くなる理由は分からない。だけど、何かが気に入らない。胸のうちがズキズキ痛んで、血を流しているようだ。
「……役目だから……守って下さるのですか?」
「え?」
アーマンディが小さく呟いた言葉は、シェリルには届かなかった。
なぜか声を大にして聞けなかった質問が、アーマンディの頭の中を巡る。
自分が聖女だから、シェリルはここにいてくれる。守ってくれる。側にいてくれる。そんなことは知っていたはずなのに……。
ぎゅっと手を握りしめると、シェリルとお揃いの後ろ髪が自分の手に当たった。
嬉しいのは自分だけ……なぜか出そうになった涙を我慢し前を向く。心のうちを隠すために。
◇◇◇
兄であるグレンプレスを先頭に、アジタートたちは聖女の館に向かって歩みを進める。アジタートは当然のように自分の前を歩くグレンプレスに歯噛みする。
横にはアジタートの夫がいる。
シルヴェストル公爵家特有の、秋の稲穂のような黄金色の髪、エメラルドのような深緑の瞳。
父親によって強制的に結びつけらた夫を、アジタートは愛した事がない。なぜなら夫はアジタートを嗜める事ばかり言うからだ。それは普通に考えれば世間の常識を教えていたに過ぎないが、アジタートにとっては堪え難い事だった。
結果、結婚生活2年にして、アジタートは夫と距離を置いた。父親が娘夫婦のために建てた邸宅は、夫のみが住み、アジタートはその後、帰る事はなかった。
「あなたの部屋は残してあります。儀式が終わったら帰りましょう」
柔らかく微笑む夫に、アジタートは視線を逸らし、無視を決め込む。
「アジタート!強情もいい加減にしろ!お前はもう聖女ではないんだ!」
兄からも言葉が飛ぶが無視を決め込む。
この人達は分かっていない。わたくしは死ぬまで聖女なのに‼︎
アジタートは心の中で反論する。
今更、夫となんか生活できない。いつも小言を言う煩い男。上から目線で聖女であるわたくしを嗜める男。そもそもこの男が不甲斐ないから、子供ができなかったのよ!わたくしの子供は優秀な聖女になったでしょうに‼︎あの出来損ないのアーマンディよりもずっと‼︎
アジタートの心の中は燃え盛る炎のようだ。苛烈な彼女は自身を顧みる事はない。
アジタートが後ろに付きそうガーネットを見ると、心得たように頷いた。ガーネットの更に後ろの女達を見ると、ついつい笑みが溢れてしまいそうになり、正面を向いて顔を引き締める。
すると正面には自分が住むべき城が見えた。
そして自分の座を奪った憎き男と女が、絵物語のような美しさで立つ姿も。
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