第118話 理想(4)
手を温かく感じ、シェリルは目を覚ました。
「……ここは……」
自分の部屋だと天井を見て分かった。手が温かい理由は、アーマンディが自分の手を両手で包み込む様に握っているからだということも。
「シェリル……気が…付いた?」
声の主は大きな瞳いっぱいに涙を溜めている。最近の表情の豊かさには日々感謝している。
「アディ……私はいったい……」
なぜか疲れている身体に鞭打って起き上がると、部屋にいるのは自分とアーマンディだけだ。窓から見える景色は暗い。どうやら夜の様だ。
「確か……あなたと喧嘩をして……その後……」
必死に記憶を辿ろうとするシェリルは避難路のことを覚えていないらしい……アーマンディはシェリルを観察する。
避難路にジェシカが助けに来た時に、アーマンディは自分の罪を悔いた。このままではいけないと思い、ジェシカに今までのことを告白し、正直に懺悔した。ジェシカは同情と怒りの混ざった表情でアーマンディに助言をくれた。
シェリルに避難路での記憶がある場合と、ない場合で何を言うかアーマンディは決めている。そしてその結末は全て同じにする事も決めていたる。今はどうやって誘導するか、それだけだ。
「シェリルは疲れていたから、眠ったんじゃないのかな?僕が避難路から戻った時には、シェリルはベッドで眠っていたよ」
「私が……あなたの気配に気が付かないくらい寝ていたと?」
シェリルは眠りが浅いと前に言っていた。人の気配に敏感だとも……やはりこの言い訳は無理があるのかと思うが、それはアーマンディの中では想定内だ。
「でも本当だよ。お陰でシェリルの寝顔をじっと見ていられた。手もずっと握っていられた。これもスピカ様のご加護かな?僕はずっとこうしていたかったんだ」
「……ご加護……そうですか。やはりあなたは特別だということですね……と言うとでも?」
シェリルの視線が真っ直ぐにアーマンディを射抜く。視線を逸らしては負けだとアーマンディは受け止めるが、やはりそこは無理があったらしい。アーマンディは嘘に慣れていない。
「そういうことにして……くれないかな?」
「何か事情があるのですね?」
「……うん、聞かないで欲しいの。お願いだから」
「それが命令であれば従いましょう。私は聖女の騎士なのだから。ですが、私はあなたの恋人です。私を愛していると言うのならば真実を語ってください」
「それは――ずるいよ!そんな言い方をされたら、言うしかないじゃない!」
「では真実を」
真実…真実とはなんだろうと、アーマンディの心はざわめく。シェリルにも、ジェシカにも誰にも言っていないことがある。それはスピカ神の元に訪れた時のこと。スピカ神の姿。
「私はあなたが避難路に向かってすぐに追いかけようとしました。ですができなかった。私を呼ぶ声が聞こえ、そこで意識を失ってしまいました」
「……………………」
「あなたはスピカ神の元に行ってから、おかしくなりましたね。そこで何があったのか、あなたは話してくれませんでした。でもいつか言ってくれるのではないかと思っていたんですが、その様子だと話すつもりはないようですね」
ああ、初めからシェリルは自分を試していたのだと、アーマンディは悟る。駆け引きに慣れているシェリルは、アーマンディがどれだけ真実を話すか、それを知りたかったのだ。その真実が分かってしまうと、アーマンディは何も言えなくなってしまう。自分の浅はかな嘘など、シェリルは全てお見通しで、それでも口を噤んでくれていたのだろう。
アーマンディの想像は当たっていて、シェリルはずっとアーマンディが言い出すのを待っていた。シェリルにとって何よりも辛いことは、アーマンディが何も言わないこと。心のうちの悩みを教えてくれないこと。自分で抱え込もうとすること。
その気持ちを隠す事なく、シェリルはアーマンディをじっと見る。相変わらず潤んでいく瞳には自分が映っている。それだけで全てが分かった。
「私には言えないのですか?」
アーマンディは決意する。いま、ここで言うしかないと。
「スピカ神の元へ招かれたとき……スピカ様はなぜか、シェリルの姿をしていて……優しく抱きしめられました。そして――口付けを……」
アーマンディの震える口から嗚咽混じりに声が漏れた。それが全ての元凶かと、シェリルは眉を顰める。
「今回も私の身体を使って、あなたを誘惑しましたか?」
「……っう、はい、避難路で泣いていたら、シェリルの身体を使って、そして、永遠に一緒にいてくれると僕だけを見てくれると、他には何もいらないって、言ってくれて……」
「――ああ、思い出しました。あなたは嬉しいと言っていましてたね。とても幸せだと」
吐き捨てる様に笑うシェリルにアーマンディは、大粒の涙を流しながら声をだす。
「だって!シェリルはそう言ってくれないもの!僕はいつだってシェリルと一緒にいたいし、僕だけを見ていて欲しいもの、他の誰も見ないで欲しいし、他の人を触らないで欲しい、誰とも会話しないで欲しい、僕だけのシェリルでいて欲しいんだもの!」
「そんな事ができるわけがない!私たちは人である以上、世界と関わって生きていくしかない!周囲の人間と協調し、時に争い、時に譲歩しながら、そうやって生きていくしかない。ふたりだけの世界などありえない!そんな夢物語な様な世界があるわけがない!」
「分かってるよ!でも嫌なんだよ!シェリルと僕の間に人が入るなんて許せない!そんな人間は必要ないんだよ!」
アーマンディの言葉にシェリルは愕然とする。
「そんな……それが聖女の言う事ですか?それがあなたの本心ですか?そんな考え方の人とは私は付き合えそうにない」
「なんで?僕をこんな風にしたのはシェリルなのに、僕に愛を教えてくれて、愛してくれたのに、シェリルの理想と僕の現実が違うとそんな風に言うの?」
「それはあなただって同じだ。あなたは私ではなく私の身体を使った女性を選んだ。随分とひどい裏切りだ。見てくれだけしか興味がないなんて……」
「だってシェリルの身体だよ?それで僕の理想とすることを言ってくれるんだ。惹かれて何が悪いの?」
「最低ですね。幻滅しました……そんな人だなんて……」
「なんて言っても良いよ。でも僕から聖女の騎士は解任しないよ。シェリルは僕のものだ。他の誰にも渡さない!」
「私は私のものですよ。あなたの物ではありません」
シェリルとアーマンディは睨みあう。お互いに譲る気がないように。
そしてその沈黙を破ったのはシェリルだった。
「公国王選挙の際は、私が公国王の代理をします。その間は公国王城に入城することが可能です。つまり聖女の館を出ることができる……」
「……ここを出ていく気なの?そうしたら、僕はノヴァーリス様に票を入れないよ!」
「ご勝手にどうぞ。公国王選挙は1ヶ月かかりますから、それまでにお互いの気持ちを見直すのが良いでしょう」
「……出て行きたいなら出ていけば良いじゃない。でも最後には僕の元に戻るしかないでしょう?シェリルは僕に一目惚れして、僕以外に恋をすることができないんだから」
「恋は冷めるものです。そうなってしまえば、一目惚れなんて意味もありませんよ。さぁそこを退いてください」
「――っ……今すぐ出て行く気なの?」
アーマンディの言葉を肯定するようにシェリルはベッドから出ようとする。すると身体がスピカ神に使われていた疲労からふらついた。その隙を狙い、アーマンディがシェリルに覆い被さる。
シェリルの両腕は頭の両脇に、アーマンディにベッドに押さえつけれるように縫い付けられた。振り解こうと思えば簡単にできるが、敢えてシェリルはアーマンディを睨みつける。
「――離してください」
「いやだ!だってシェリルは出ていっちゃうでしょう?僕は……ぼくはずっとシェリルにこうしたかった。シェリルと結ばれたかった……」
皮肉を込めた笑みをシェリルは見せる。
「そうでしょうね。あなたは私の身体だけが欲しいのですから」
「そんな――違うよ!」
否定しつつも、そんな権利はないのではとアーマンディの心は迷う。なぜなら避難路で抱きしめてくれたシェリルはシェリルではなかった。なのに、受け入れてしまった。分かっていたのに!
そしてアーマンディの思いなど、シェリルは簡単に見抜いてしまう。自分でも嫌になるとシェリルは思う。恋愛に鈍感だと言われているのに、こういうことだけは分かってしまう。気が付かなければ、彼の想いを夢見心地で受け入れられるのに。
「お好きにどうぞ。私はあなたの騎士です。その契約にこういった事は含まれていませんが、命令であれば従いましょう」
シェリルは目を瞑る、もうどうでもう良いと言わんばかりに。
「――う……シェリル……」
アーマンディの涙がシェリルの頬にポタポタと落ちていく。だけどどんなに落ちてもシェリルは目を開けない。アーマンディを慰めることもしない。
ふたりの間に静寂が訪れる。そして敗者は最後の希望を口にする。
「…………戻ってきた時には、僕と結ばれてくれる?」
「そうですね。現状ではあり得ませんが……」
シェリルの言葉を聞いて、アーマンディは泣きながらシェリルに口付けをする。いつもとは違い応えてくれない唇を寂しく思いながら、シェリルの上から降り、部屋へと向かう。
「さようなら」
背中から聞こえた声に返事をせず、アーマンディは逃げるように部屋を出る。
シェリルも顔を膝に埋める。今までの日々を懐かしむように。
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