第108話 キスマーク(3)
シェリルは書類を入念に確認し、サインをする。窓から見える空は暗く、月は一番高い位置にあるだろう。
サインを終えた所でため息をつき、今日の出来事を思い出す。
アーマンディは首元につけられたキスマークを、シェリルが自分が寝ている間につけたと勘違いしていた。それ故に午前中ずっとアーマンディに説教をされた。
濡れ衣だと思ったが、アーマンディを襲ったものの正体を明かすわけにはいかない。アーマンディ自身は襲われたことすら覚えていない。
無闇に伝えてしまうことで、怯えてしまうのは気の毒だと思ったので、シェリルはあえて罪をかぶることにした。
今まで培ってきた信用もなくなる上に、名誉も傷つくことだ。更に公爵令嬢としての立場などを考えると、大変遺憾だと思ったが、そこはアーマンディのため、大人になることにした。
幸いなことに説教を受けている途中でネリーが帰ってきたので、その場はお開きとなった。
アーマンディの説教を聞いていたジェシカは、「大人になったわね。えらいわ」とシェリルを褒めた。ノワールは「助けた相手に痴女扱いされるとは」と大笑いしていた。
その後はアーマンディに会うことはなく、溜まっていた仕事を進めた。食事はマーシーに部屋に運んでもらった。つまり部屋から一歩も出ていない。それでも終わらない仕事にはウンザリするしかない。
シェリルは兄であるレオニダスに何かあった際に、領地経営やその他の政務について学んでいる。そして聖女の騎士候補であった事から、より広く深い教育も受けた。
だが習った事と実践は違う。やはりうまくいかないことも多い。
就任したばかりの聖女の行事。引き継ぎなしの聖女の館の運営。更にここで公国王選挙もあるのだ。多すぎる業務にシェリルの精神は疲弊している。
もう少し人が増えればと思うが、それも難しい。なぜなら聖女であるアーマンディが男性である上に、聖女としての教育を受けていないからだ。
そう言った意味では普通の女性の聖女であったら、ここまで人材の確保が困難にならずに済むのにとすら思ってしまう。
それでもかなり仕事が進んだと思い、シェリルは背筋を伸ばす。
「そろそろ寝るか……昨日の夜も満足に寝ていないし」
アーマンディはネリーと一緒に寝ている時間だろう。これで安心だと思い、隣の部屋に意識を向けると、アーマンディの動く気配がした。
◇◇◇
アーマンディは寝ているネリーの頬をそっと撫でる。今は安らかに寝ているが、さっきまで寂しそうだった。
昨晩、突然乱入したきたシェリルはそのまま寝てしまい、アーマンディは眠れぬ夜を過ごした。
朝方、そろそろミルバが来る時間だと思い、シェリルを起こし、部屋に戻ってもらおうと思った。何もないのに一緒の部屋にいるなんておかしい事だし、何よりシェリルの名誉も傷つく。
優しく起こそうと思ったが、どうして自分がこんなに気を使わなければいけないのだろうかとも思った。そもそもシェリルは無防備だ。男性のベッドに無理矢理入ってくるなんて!
それだけ自分に対して警戒心がないのかと思うと、頭に血が昇り、怒りが増した。そもそも寝ていないのだ。感情を抑制することはできなかった。
だからシェリルは女性なんだから、男の寝室に来てはいけない、ましてや横で寝るなどあり得ないと懇切丁寧に話をした。だがシェリルに反省は見られない。むしろ怒っている様なふてぶてしい態度!
思うまま説教していると、ミルバが部屋をノックした。と同時にシェリルは怒って部屋を出て行ってしまった。なんてことだと呆れていたら、首筋のキスマークをミルバに遠回しに指摘された。
確かに昨夜は眠れなかったけれど、それでもウトウトしていた時もある。その時にやられたのかと思った。シェリルは女性なのに……更に公爵令嬢なのに、しかも恋人なのに、どうしてこんな真似をするのかと思ったら、頭に来たので、顔を見たと同時に思うままに説教をした。シェリルは申し訳ありませんと何度も謝っていた。
やめ時が分からず困っていたところでネリーが帰ってきた。やはり父親より自分の方が良かったのかと思い、アーマンディはシェリルの説教をやめ、ネリーを出迎えた。
ところがネリーに話を聞くと、聖女の館で用事があるから帰ってこいと言われたと言う。5歳のネリーに仕事はない。アーマンディも呼び戻していないし、シェリルは説教を受けていたからその暇はないはずだ。
不思議に思っているとネリーが泣き出した。お父さんに会いたい。まだプレゼントを半分も開けていないと言って、駄々をこね出した。こんなネリーは珍しい。よほど父親に会いたいのだろうと思うと一刻も早くヴルカン公爵邸に戻してあげたいと思ったが、肝心のシェリルは部屋から出てこない。ミルバに聞いたら、その権限がないと言う。ジェシカに聞いたら困った顔をされてしまった。アーマンディ自身はどう手配をして良いか分からない。
結果、アーマンディはネリーを慰めながら1日が終わった。
そして今、アーマンディはクローゼットの中にある隠し扉の前にいる。手をかざせば扉が開き、シェリルの部屋へと行ける。今朝、散々シェリルに男の部屋に夜中に来てはいけないと説教しておいて、自分が行くのは何事かと思うが、それでも話さなければいけないこともある。アーマンディは勇気を出して、壁に手を翳した。
◇◇◇
「何かありましたか?」
いつもと同じ表情で出迎えてくれたシェリルの服は昨日から変わっていない。ずっと同じ服だとアーマンディは観察する。シェリルの机の上にある書類は相変わらず山積みだ。それだけ仕事があると言うことだ。
「シェリルに……謝ろうと」
肩にかけたショールをギュッとつまみ、アーマンディは一歩前に出る。でもシェリルは後ろに下がらない。まだ拒絶されていないと思うと安心できて、アーマンディは更に言葉を紡ぐ。
「ネリーが聖女の館に呼ばれたから帰ってきたと言うんです。それで考えたんです。シェリルは昨夜、何か危険なことがあって僕の部屋に来たのではないかと……そう思えるくらい慌ててました。しかも来た際に僕の首元を気にしてましたよね?僕はこの痣はシェリルがつけたと思ったんですが、違いますよね?」
困ったように笑うシェリルを見ると、自分が間違っていないとアーマンディは確信を持つ。
「シェリル――僕は覚えてないけど、何かに襲われた?それでシェリルは助けようとして僕のところに来てくれたの?僕の横で寝たのも危険から僕を守ってくれるため?そうでしょう?」
ここまで核心をつかれては誤魔化しようがない。シェリルはアーマンディをソファへ案内し、昨晩の出来事を話すこととした。
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