第107話 キスマーク(2)
アーマンディを起こすのはミルバの仕事だ。
いつもの様に部屋をノックをしようとしたら、いつもとは違う気配を感じた。
「どうしようかしら?このまま知らぬ振りした方が良いのかしら?困ったわ〜」
ミルバがポツリと呟くと、扉が勢いよく開いて、シェリルが出てきた。
「何もない!わざとらしいことをするな!」
「何もないんですか?」
乱暴に舌打ちを落とし、シェリルは部屋を出ていく。どうやらジェシカの元に向かうらしい。
ふふっと軽く笑って部屋に入ると、キョトンとした目をしているアーマンディと目があった。彼の身体はベッドの上だ。いつもはミルバが訪れる前に起きているアーマンディが、今日は疲れた顔をしてベッドの上にいる。
果たして本当に何もなかったのかしら?などと下世話なことを考えながら、アーマンディの元へ近付くと、首筋の痣を見つける。
「……首元を隠せる服をお持ちします」
「え?」
ささっとクローゼットに向かうミルバを見送るアーマンディは、昨夜シェリルも首元のことを言っていたと思い出す。
そもそも昨夜はシェリルの乱入で、寝ることができなかった。なのにシェリルは横ですやすや寝ているから、アーマンディはずっともやもやしながら、一晩を過ごした。なのにシェリルはミルバがノックするや否や、部屋を出て行ってしまった。まるで怒っているかの様に。
怒り浸透なのは、どちらかと言えば、こちらの方なのに……。
ベッドから降りて姿見に近づき、首元を覗き込んだアーマンディは、悲鳴を呑みこむ様に手で口を塞ぐ。
「いつの間に……シェリルのバカ……」
真っ赤になった顔を隠しながら、アーマンディはその場にうずくまった。
◇◇◇
ノックをする前に扉が開いた。開いた先には、心配顔のジェシカがいる。その奥にあるゆったりとした椅子には、ノワールが腰掛けている。ふたりとも寝ていないらしい。
「シェリル、アーマンディ様はご無事よね?」
扉を閉めてすぐにジェシカはシェリルに縋りつく様に聞いてきた。安心させるためにもシェリルは微笑んで見せる。
「ええ、ご無事です。しかもまったく気がついていません」
「シェリル……お前、何を怒ってるんだ?お前の魅力が足りなくて、アディが襲ってくれないのは、お前のせいでアディのせいではないだろう」
せっかく冷静になろうとしてるのに!そう思いながらシェリルが祖母を睨みつけると、ニヤニヤと嫌な笑いをしている。
「お前の部屋は完全防音だが、アディの部屋は有事があったことが分かる様に、声が筒抜け状態になっている。昨日、あれだけ怯えた声をしていたアディが何も覚えてないのは、おかしいだろう?」
どうやら祖母はこんなでも気を使っているらしい。そう思うとシェリルもため息で答えるしかない。
「それならば分かっているでしょう。私が突然部屋に乱入したと思って、憤るだけでした。昨夜は一睡もしていない様ですが、それは私だって一緒ですよ!」
話している途中で怒りが戻って来た。
シェリルはそのままノワールの前にある椅子にかけ、怒りからテーブルに両肘をつき、そのまま頭をかきむしる。
「シェリル……行儀が悪いわよ」
ふぅっとため息をついて、ジェシカはふたりの間の椅子に座る。丸いテーブルには豪奢な椅子が3脚ある。大きめな椅子は小柄なジェシカには使い辛い。
「横に一緒に寝てて恋人に手を出されないなんて――そりゃ頭にくるだろう」
「そういう問題じゃあないですよ!あれだけ悪意ある力を受けておいて、更に首筋にしっかり跡をつけられてるくせに、私に向かって嗜みがないとか説教するなんて――もう、呆れてものが言えないですよ!」
ダンっと拳をテーブルにぶつけると、ジェシカがテーブルの無事を確認する。怒ってはいても、それでも手加減したらしい。テーブルは無事だ。
昨晩、シェリルはいつもの様に書類に目を通していた。アーマンディに部屋に来るように誘ったが、どうせ来るわけがないことは分かっている。それだけの度胸があれば良いのにと思いつつ、少し困る自分だっているのも確かだ。
「シルヴェストル家には来週に訪問か。予定が詰まってるな」
シェリルの机には書類の山ができている。それは聖女の公式行事の予定であったり、各公爵家の手紙であったり、役所関係の書類であったり、聖女の館の決済書だったりと多岐に渡る。
執事がいればと思うが、適任者がいない。
「ミルバはあくまでメイド頭にしておかないと、裏の仕事もあるしな……他に、アディの秘密も守れて、しっかり地位のある人……」
椅子の背もたれに身体を押し付け、背筋を伸ばしていると、隣にあるアーマンディの部屋に、気配を感じた。
突如現れた気配は魔物とは違うがどこか似ている。まるでメイリーンの中にいた様なモノの気配に、シェリルは細身の剣を持ち、隠し扉からアーマンディの部屋にあるクローゼットへと移動した。
するとジェシカからも緊急の念話が入る。更にアーマンディが自分を呼ぶ声が聞こえる。助けを求める怯えた様な声。
ジェシカには今から部屋に突入することを伝え、クローゼットの扉を開けて声をかけると、呑気に目を擦りながら、身体を起こすアーマンディと目があった。
そこでアーマンディに言われた自分を貶める様な発言!助けに行ったのに!
頭に来たが、またあの悪意のあるものが来られても困る。背中に隠した剣を胸に抱いて、結局その日はそのまま文句を言い続けるアーマンディの横で、寝たふりをして一晩過ごした。
「あれは……メイリーンの中にいたものと似ていました」
「おそらく同じでしょうね」
これ以上は話せないと、3人は口を閉じる。聞かれている恐れがあるからだ。
「せっかく親に会えたネリーには悪いが、すぐに戻ってもらいましょう。ひとりで寝させるわけにはいきません。」
「シェリルの言う通りね。おそらくアレはアーマンディ様がひとりの時を狙ってくる筈だもの。ネリーに帰ってもらう手配は私がするわ。それよりもシェリルは寝ていないんでしょう?仮眠した方が良いんじゃないの?」
「いえ、昨晩は仕事の途中で寝てしまったので、やらないと……」
シェリルはため息をつく。
「お祖母様、誰か執事を知りませんか?私もそろそろ限界です」
「そうだな……執事か。確かに今はシェリルが聖女に関わる全てを処理してるからな。だが中々難しいぞ。そもそも出来る執事というのが少ない。その中で聖女の館の執事となると更に厳選される。そしてアディの事を話しても平気なものとなると……」
「そうね。私がここにいた時の執事は、私が聖女の館に入館した時に一緒について来てくれて、前任者から引き継ぎをしていたわ。簡単にはいかないらしいわ」
「……お祖母様とジェシカ様が手伝う気がないことは分かりました」
「無理だ!」
「無理よ!」
一刀両断に切り捨てるふたりに、シェリルは半眼で答える。
そもそもシェリルはヴルカン公爵家の直系として、兄に何かあった際にと教育を受けていた。だから出来る。だができるのと、うまく回せるは違う。
「アディに手伝ってもらったらどうだ?頭はいいし、そもそも毎日料理作ったり、お菓子作ったりしてるんだ。暇だろう?」
「教える余裕がありません。その暇があったら処理をしないと……」
ため息をつくシェリルは、自分の限界が近いことは分かっている。そもそも日中は聖女の騎士としてアーマンディに付き従い、夜は聖女の館の運営に着手するなど無理があった。ここで更に夜もあの様なものが出てくるとなると、更に余裕がなくなる。
「今日はアーマンディ様に予定がないから、一日、机仕事ができます。ですが明日はグノーム公爵家に行きます。となると朝一からアーマンディ様の髪も編まないと……」
そしてグノーム公爵家に出向き歓談しランチを共にする。その後はアーマンディは暇になるが、シェリルは公国王との打ち合わせがある。3日後には公国王選挙が始まるのだ。
気が遠くなる思いでため息をつくと、さすがにジェシカもノワールも、シェリルが気の毒になってくる。
「ヴルカンと、ウンディーネに執事として適任者がいないか確認しておこう」
「ネリーをすぐに呼び戻すわね!」
これで今日は仕事が進むと思っていたシェリルだったが、部屋に戻ったところで鬼のような形相のアーマンディに説教をくらい、半日が終わってしまうのだった。
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