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聖女なのに、男です。  作者: 清水柚木
公国王選挙編
106/204

第106話 キスマーク(1)

足音ひとつ鳴らさず、ジェシカはふわりと石畳の床に足をつける。


ほのかに明るい避難路に降りたジェシカは、すっと顔を上げる。


「こんにちは、時間通りですね」

くすっと笑いながら、姿を現したのはメイリーンだ。彼女はまだ聖女の館に入館していない。そのため、ウンディーネ公爵家よりやって来た。


「お元気そうで何よりだわ。テシオは……いないのね」


「ええ、魔塔で調べものをしています。今回手に入った古文書になにかヒントがあるようです」


「そう、それは嬉しい偶然ね」


ジェシカはメイリーンを真っ直ぐに見る。


「あなたはアレの存在を分かっていたの?」


メイリーンは首を横に振る。


あの時、メイリーンの中の瘴気を祓おうとするまでメイリーンは自分の中にいるものに気が付かなかった。

だが、ずっと一緒にいたテシオは知っていた。ふとした拍子に現れて、テシオを誘うメイリーンではない女のことを。


「私の中にいた彼女は、テシオを執拗に求めていました。正確に言うとテシオではなく、兄を求めていました」


「兄……そう、兄をね」

ジェシカは足元を見る。


聖女の館の下、避難路は円形状になっている。中心から規則正しく並べられた石畳は、何かを守る魔法陣の様だ。


「……ジェシカ様の仰る通り、ここにいらっしゃるのはあの方で、アレは……」


「恐らくそうだわ。そして、こちらの方は、ここには体を、テシオの中に魂があったのね」


「ええ、あれ以来、テシオの中から消えたと言っていました」


「そう……あなたとテシオの力を入れ替えることによって、テシオの聖属性の力は弱まったわ。だから止まることができなくなったのかも知れないわ……」


ジェシカは腰を落として床を触る。すると床全体から淡い光が立ち上がる。ゆらゆらと立ち上がった光は、飛び交う蛍の様に避難路に灯りを灯す。


「…今の標的はアーマンディ姉様?」


「そうね、そしてその為に狙われるのはシェリルの身体のはずよ」


ジェシカが手を離すと光は消える。


どうしてスピカ神がこの知識を自分に与えたのか、ジェシカはその理由が分かる気がして眉をひそめた。





◇◇◇




息を軽く吐いて部屋を見回す。


「こんなに……広い部屋だったかな?」


聖女の館に帰ってきたアーマンディは、今更だと思いながらも、自分の部屋の感想を独りごちる。


今日はネリーが部屋にいない。ネリーは初めて会った父と一緒に寝たいと言って、ヴルカン公爵邸に残った。


嬉しい気持ちが半分、寂しい気持ちが半分、複雑な心境を抱きながらも、アーマンディは「いいよ」と言ってネリーと別れた。


もう17歳にもなった自分は両親と共に寝たいなんて思わない。でもネリーは5歳だ。まだ親の愛情が欲しいのだろう。


「優しい人……だった」

ネリーをどれだけ愛しているのか、目を見れば分かった。あの人ならばネリーを愛してくれるだろう。任せることができるだろう。


ベッドに座るとそこがとても広く感じる。もう寝る時間だ。ひとりで寝るのはいつ以来だろう。


「ネリーが来てから、ずっと一緒だったもんね」


狭くて固いベッドでふたりで抱き合って眠った日々。極寒の冬でも、ふたりで抱き合って寝れば耐えられた。ひとりの時は辛くていつも泣いていたのに。


聖女になり、シェリルが来て、そして大きな部屋とベッドが与えれた。それでもふたりでくっついて寝た。


「そういえば、ネリーの寝相が段々と悪くなっていったけ」

アーマンディはクスクス笑う。


ふたりで地下の部屋にいた時には萎縮していたのだろう。この部屋に移り、沢山の人に会って、ネリーに笑顔が増えた。そしてそれと共にベッドをゴロゴロと動く様になってきた。


アーマンディが自殺未遂をし、ヴルカン公爵邸で茫然自失になっていた際も、それでもネリーは一緒に寝てくれていた。あの時の自分には余裕がなかった。ネリーが泣いていても慰める事すらできなかった。それでもネリーは一緒にいてくれた。「アーマンディ様は素敵な人だよ」と言って慰めてくれた。返事を返すこともできなかった自分に、それでも「あったかいね」と言って小さな体で抱きついて寝てくれていた。


そのネリーがいない。


「もう……一緒に寝れなくなっちゃうな……」


いつかはそうなると思っていた。でも現実になるととても寂しい。ネリーが来るまでは、いつだってひとりだったはずなのに。


ため息をついて、ベッドに寝転ぶと、シェリルが部屋に入る前に言っていたことを思い出す。


『ひとりで寝るのが寂しければ、いつもで私の部屋へどうぞ。お待ちしていますよ』


ガバッと起き上がって真っ赤になった顔を両手で覆う。


あの人は公爵令嬢なのになんてことを言うんだろう!そもそも最初が悪かった。今だって自分からキスをすることは稀だ。袖を引っ張ったり、腕を引っ張ったり、この間は慌てて髪を引っ張ってしまった。


兄に言われたことを思い出す。

『男のくせに、キスをせがむな…… 』


「あの時は……だって、仕方ない……」

怖かったからだ。騙されてしまった罪悪感が押し寄せて、どうしようもなくキスして欲しかった。


「そうだ……今日も……」


うううと唸りながら、両手で手を隠して、再びベッドに倒れ込む。たまにどうしようもなく、あの時のことを思い出して怖くなる時がある。酷い罪悪感で、体がすくむ。震える体を止めることができない。その震えを止めてくれるのはいつだってシェリルだ。抱きしめてもらって、口付けを落とされると、大丈夫だと思えてくる。


男のくせに、男なのに、男だけど、どうしても性別で分けられしまう。それが社会だと理解できていても、うまく馴染めないこともある。幼い頃から植え付けられた習慣は変わらない。


「明日もネリーは帰って来ないかもしれないんだから、ひとりで寝ないと」


ひとりでいると思考がまとまらず、分からくなるのはいつものことだ。ベッドの中に入り、何も考えないでいると、自然と夢の中へ降りていく。



◇◇◇




夢の中では、アーマンディに向かって怒鳴る声が聞こえる。


「お前は鞭が好きなんだろう?痛いのが心地良いはずだ」


言葉と同時に背中に走る痛み。心地良いはずがない。慣れる事の無い痛みは心を緩慢に堕としていく。


「ごめんなさい!もっと頑張りますから、だからぶたないで!」


涙ながらに訴えても、許してはもらえない。楽しそうに笑いながら、更に痛みが加えられる。

泣いても、懇願しても、我慢しても、何をしても変わらない。全ては自分が悪いのだ。男なのに、聖女の力を持って生まれてしまった自分が……。


「ここでは男はお前だけ……だから、楽しみましょうよ」

そう言いながら吸い付くように抱きついてきた女は、蛇のような顔をしていた。ゾッとして声も出なかった。


「お前が男だから悪いのよ」

助けてくれたアジタートから言われた言葉。襲われたのも男だから悪いのだ。男だから襲われた。


冷たい目をしたネリーが吐き捨てるように言葉を吐く。

「アーマンディ様から拾われて不幸でした」


冷たい目をしたヴァネッサが軽蔑した視線を送る。

「本当は男の聖女なんて気持ち悪いと思っていたのよ」


冷たい目をしたシェリルが苦々しい表情で詰る。

「あなたの騎士になるなんて死んでもごめんだ!恋人になんてなりたくもない‼︎」


「……ごめん……なさい」

泣くことしかできない……僕を許して……。


《大丈夫よ……私が全てを許してあげるわ。あなたの憂いも哀しみも痛みも全てを包みこんであげるわ》


鈴の鳴るような声が聞こえる。全てを許してくれる方。全てを愛してくれる方。男であっても女でもあっても関係ない。きっとこの方は僕の全てを愛してくれる。


−それはどうだろうね?−




◇◇◇




「――――‼︎」


魂が引き裂かれるような痛みが身体を走り、アーマンディは目を覚ました。背中にはびっしょりとした汗を感じる。額を触ると、汗でぬるっとした。


ベッドから起き上がる。すると何かの気配を感じる。


「――――っつ!」


天井を見上げると、そこに醜悪な何かがいることが分かる。天井に四つ足をついてこちらを見ているそれは、全体が黒く、目だけが光っていて、女のような姿をしている。


「あ――し、シェリル……」

震える声で必死に助けを呼ぼうとするが、大きな声が出ない。


ズズズと不気味な音を立てて、それは徐々に近づいてくる。長い髪がゆらめき、手が天井から離れる。まるでアーマンディを抱きしめようとするように。


「い――いや、やだ。シェリル」

首を振り、震える体を自覚しながら、後ろに下がる。少しでも距離が離れるように。


「た……助けて……」

天井から体を伸ばし、徐々に徐々ににじり寄ってくるそれが、アーマンディの首に手をかける。


その時、クローゼットの扉が開いた。


「アディ!」


「――ん……し、シェリル?」


目をこすりながら、起き上がるアーマンディはシェリルを見て驚いた顔をする。


「な――なんでシェリルから入ってくるの⁉︎だ……だめだよ!」


シェリルは動揺するアーマンディを無視して部屋に入る。


シェリルはアーマンディの部屋から嫌な気配がして慌てて入ってきたのだ。しかもアーマンディが自分に助けを求める声が聞こえた。間違うはずがない!


「アディ……何があった?」


「な……何もないよ!それよりどうして入ってきたの?し……シェリルは分かっているの?僕は男でシェリルは女性なんだよ!節度をもって……ってシェリル?なあに?」


シェリルがアーマンディの額に手を当てる。眉を寄せた表情には動揺が見える。


「何もないなら、どうしてこんなに汗を?」


「……え?」

アーマンディが額を触るとぬるっとした。背中の寝汗もすごい。髪が顔と首に張り付いているのは汗のせいだろう。


「アディ……その首は?」

「首?」

頭を傾げるアーマンディには分かっていない様だ。


挑戦状か?シェリルは心の中で呟く。アーマンディの細い首には、くっきりと赤い痣(キスマーク)がある。まるで己の物だと誇示する様に。


「シェリル?」


「いや?なんでもないです。今晩は私が一緒に寝ましょう」


「ま――待って、シェリル!なんで?意味が分からないよ!」


強引にアーマンディを押しやって、シェリルはアーマンディの横に寝る。


「安心してください。襲わないですから」


「それは……僕のセリフ……」


動揺するアーマンディを他所に、シェリルはそのまま寝息を立てて寝てしまう。


「騎士服のままだよ……シェリル?」


そしてそのままアーマンディがどんなに話しかけても、シェリルが応えることはなかった。

毎日18時に投稿します。

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