第103話 それぞれの転機(2)
「嘘だ……」
ルーベンスが漏らした言葉に、兄であるレオニダスは申し訳なさそうに微笑んだ。その横にはふたりの母親であるアリアンナがいる。
ヴルカン公爵家の決定権は公爵である父のイリオスにある。だが、実質の支配者はアリアンナだ。あの怖くて、いかつくて、党首として相応しい人格を持った父も、母には逆らえない。それは、家族だけではなく誰もが知っている事実だ。
その母がルーベンスに告げたお願いという名の命令に、拒否する権利はない。だが、それでも、心は、感情は納得いかず、ルーベンスを掻き乱す。
ルーベンスには夢があった。騎士の資格をとった今、姉であるシェリルと同じく竜騎士の資格を得たい。その為の努力をしたい。そして竜騎士の資格をとったら、どこかに士官したい。それはヴルカンではなく、例えば公国王でも良いし、他の公爵領でも良いと思っていた。
自分はヴルカン公爵家の3番目の子供だ。長男のレオニダスは小公爵としての地位を確立し、長女のシェリルは聖女の騎士としての地位を確立した。レオニダスに何かあるとは思えないし、何かあったとしてもシェリルがヴルカン公爵家の小公爵として立てば良い。なぜならアーマンディが早ければ3年後には聖女の地位を降りて、ヴルカン公爵家の養子に入るのだから。
そう考えると自分は自由だ。ヴルカンに縛られることなく、叔父と同じに自由に職を選べる、そう思っていたのに‼︎
「一年後にはルーベンスが小公爵となることを正式に公表するから、それまでにレオニダスから学びなさい」
ルーベンスが納得していないことに気がついたのだろう、更に念押しする鋭い母に睨みを効かすと、更に睨み返された。これは言うことを聞かないと、父から怒りの鉄拳が飛んでくるパターンだ。でも言わなければ、聞かなければ気が済まない!
「どうして⁉︎どうして俺なんだよ、そんな話――今まで出なかったじゃないか!兄上も分かっていたなら早く言ってよ!それなら俺だって覚悟したのに……」
それでも母でなく兄しか責めることしかできない自分は弱虫だと、ルーベンスは思う。もうすぐ14歳。だけど、まだまだ未成年だ。親には逆らえない。
「言えなかったのはシェリルが聖女の騎士にならない確率が高かったからだ。ましてや……分かるだろう?」
優しい兄が諭すようにルーベンスに言った理由が分からないほど、馬鹿じゃない。
シェリルが愛したのはアーマンディだ。
スピカ公国が誇る聖女。
スピカ神の力を賜れるほどの存在。
女神に愛された存在。
女神と見まごうばかりの美貌。
女神の生まれ変わり、などなど様々な声が飛び交う存在。
仮に聖女の任を降りたとしても、周囲の好奇の視線に晒されるであろうアーマンディを、シェリルの夫とするには完全に姿を消し去るより方法がない。シェリルがヴルカン公爵になどなってしまったら、例え戸籍を偽ったとしても、アーマンディのことは徹底的に調べられ赤裸々に世間に晒されてしまうだろう。それこそ有る事無い事書きつられながら。
男性が聖女として立っても良いのではないかと世論は徐々に変わっているが、それもすぐには受け入れ難い。ましてやアーマンディを男性として発表するのはリスクが大きい。そう話し合っている中でのメイリーンの存在は、悩む両親や兄には絶好の機会だったのだろう。そして、なぜかその被害者として自分もいる。ルーベンスはぎゅっと手を握る。
「理由を……教えてよ。せめてなんでか、なんで俺が兄上に変わって小公爵にならなきゃいけないか、理由を教えてよ。それとも俺には言えないことなの?」
ルーベンスは兄の両腕を引っ張る。
頼り甲斐のある大好きな兄。その力になれるなら、それならなんとか自分の夢を諦められる。だけど、例えば兄に小公爵の資格を剥奪せざるおえないような理由があっては、堪らない。なぜなら尊敬する兄だ。
レオニダスは必死な様子のルーベンスに良心の呵責を感じ、母に視線を移す。
アリアンナもルーベンスには申し訳なく思っているようだ。ルーベンスの夢を子供の頃から聞いていた母なのだから。
「それは――」
兄から聞いた理由に、ルーベンスの視線は輝いた。
◇◇◇
「えっと……、そうね。わたくしにはどうしたら良いのか分からないわ。シェリルはどう思う?」
緑広がる庭園に佇んだアーマンディは、薄紫のスラリとしたドレスを緩やかな風に靡かせながら、首を傾げる。その姿を見た建築士はアーマンディのあまりにもの可愛らしさに頬を染める。
アーマンディから少し離れた所に立つシェリルは、微笑む事で曖昧に返事を返した。
今日、ふたりは聖騎士団の護衛の元、名目上ではアジタートから譲り受けたとされている家の下見に来た。せっかくだからアーマンディ好みに改築しようというのだ。
色々と好みが出てきたアーマンディだが、流石に家の改築となれば別だ。ましてやアジタートの親が愛娘の結婚祝いに贈ったもの。広大な敷地には、美しい庭園と5階建ての邸宅がある。
「アーマンディ様のお部屋はやはり5階でしょうか?ご結婚されることもあるでしょうから、日当たりの良いお部屋が宜しいでしょうね?」
何気になく建築士が言った言葉にアーマンディは頬を赤らめる。桜色に染まった頬をほっそりとした指で隠しながら、チラッとシェリルを見て、それから地面に視線を移す。
「そう……そうね。愛する人と一緒に寝たいから、寝室は広い方が……良いのかしら?」
「通常ですと、旦那様のお部屋と奥様のお部屋の間に寝室を作りますよ」
「ええ⁉︎それだと夫婦のお部屋が別々になってしまうわ。わたくしは愛する人とはずっと同じ部屋にいたいのよ!」
「おお、アーマンディ様は情熱的ですね。これは、これは、旦那様になる方が羨ましい」
建築士と盛り上がるアーマンディを余所目にシェリルは軽くため息をつく。ウンディーネ公爵家一族の粘着質な恋愛は聞いていた。だがまさかここまでとは思わなかった。
遠慮がなくなったアーマンディに、シェリルは多少、辟易していた。
聖女の館にいる時も、常に一緒にいようとする。常にシェリルの目の届く範囲に自分を置こうとしている姿は異様だ。だが、まだそれは許せる範囲だと、思わなくはない。周囲の知っている人間には、『愛が深すぎる』と揶揄されていてもだ。
問題はシェリルが外出した時だ。
シェリルは聖女の騎士として、アーマンディの代理で外出することが多々ある。ましてや今はジェシカと祖母が聖女の館にいるのだ。安心して外出できる環境だと、シェリルは度々打ち合せに出かける。
そして、帰宅したシェリルを待っているのはアーマンディの追求だ。誰と会っていたか、どんな話をしたか、更にその相手にどんな感情を抱いたのか、こと細かに聞かれるのは正直辛いし、面倒臭い。
まるでしていない浮気を責められているような気分になると、シェリルはため息をつく。
今回も改築する依頼をした建築士は男性だ。なるたけ2人きりで話さないようにしなくてはいけないと、気を使うのも正直疲れることだ。自身の父であるイリオスも嫉妬深いとは思っていたが、ここまでではない。これがウンディーネ一族の特徴だと思えば、仕方ないと思わなくはないが、それでもヴルカン一族である自分には辛いことだとシェリルは思ってしまう。
そもそも火属性を得意とするヴルカンと、水属性を得意とするウンディーネは合わないと言われているのに……。
夫婦の部屋をどうやって改築するかでアーマンディと建築士は盛り上がっている。そんなふたりを見守りながら、シェリルはその唇を開く。
「見つかったのか?」
「はい、中央都市にあるヴルカン公爵邸へお連れしました」
そこには気配もなくスッと現れたミルバがいる。誰にも気付かれることなく、姿を現すことができる技術を持つミルバからすれば、聖騎士たちが門扉を守っていたとしても意味のないことだ。
「そうか……ではこのまま帰りに寄ろう。確か今は、ルーベンスがいるんだったな。なぜルーベンスが中央都市に呼ばれたか、その理由をお前は知っているか?」
「それは発言を禁じられております。ですが、そのうち分かることかと……」
「……そうか」
つまり、ヴルカン党首である父の差金だとシェリルは納得する。何かがヴルカン公爵家で起ころうとしていることは、シェリルも気が付いている。それを探る意味でも実家に帰るのは、丁度良い。
「お前は聖女の館に戻って、ネリーと共にヴルカン公爵家に行くように」
「承知いたしました」
言葉と共にミルバは消える。
「さて、アーマンディ様をお連れしなければ……」
シェリルは一歩を踏み出した。
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