第102話 それぞれの転機(1)
テシオは膨大な量の書物がある書庫で、浮きながら本を読んでいる。魔塔には重力がない。魔塔にいるものは皆、ふわふわと浮きながら部屋を移動する。初めはびっくりしたが、今では慣れたとテシオは思う。
ここ、魔塔でテシオは魔法の研究をしている。ウンディーネ公爵の一員として戻ることはできたが、テシオは魔塔にいることの方が多い。魔塔はテシオにとって居心地が良い場所だ。
魔塔は公爵家以外の秀でた魔力を持つ人間が集まる、純粋に魔法を研究するための組織だ。初めは4大公爵のひとつであり、その直系の息子であるテシオを皆が煙たがったが、今では仲間として受けいれられている。なぜならテシオには誰よりも秀でた能力があった。
「テシオ!」
声をかけられてテシオは本を読む手を止める。高さとしては建物の3階建てに相当するほどの位置から、くるりと仰け反り、下を見ると、魔塔の仲間が手を振ってテシオを呼んでいる。なんだろうと思いながら、床を蹴るように宙を蹴って、テシオは下へ下へと降っていく。
ここでの俺は公爵家の人間ではない。それが気楽だと気がついた俺は貴族とは縁遠い人間なのだとテシオは思う。初めはできなかったが、今では得意となった空中浮遊をしながら、周囲を取り囲む本の数を数えるのはもうやめた。ここには書物が多すぎる。地上から5階建てを遥に超える高さまである書棚。広さとしては簡単な夜会が行われるほどの大きさに部屋に、ぎっしりある書棚には毎日のように本が増えている。魔塔の本を読み終わることはないという伝説もあながち嘘じゃない。
「はいよ〜、呼んだ?」
「何度も呼んだよ!早く降りて来いよな!」
テシオに声をかけた少年は11歳だ。薄い緑の髪色に、柔らかな茶色の瞳。ここでは年齢も出自も関係ない。皆が平等と言うのが、魔塔の基本だ。これに反する者は追い出される。
「ほら、これ!新しく発見されたから、解読よろしくってさ」
少年から本を受け取ったテシオは軽く捲る。
「うえー、また古語かよ。それも初めて見るやつじゃね?」
「長がテシオに持って行けって。解読よろしくな」
「はいはい、お任せくださいませ」
パタンと本をとじたテシオは指を鳴らす。すると指の先に蒼い扉が現れた。
「引きこもりは何日?」
「ああ、そうだな、これだと一週間かな?」
「じゃあ、3日だね、長に言っておくね!」
「はぁ?お前――っ」
テシオが怒りの声を発すると、少年はあかんべしながら逃げるように飛んでいく。
「くそ……3日ね、やれば良いんだろ?」
扉を開けると質素な机と椅子が見える。その横にあるベッドも、公爵令息が使うものとは思えないほど簡素だ。扉を閉めると空間が閉じる。
魔塔に住う住民は全て異空間に部屋を持っている。持ち主の死と同時に閉じられるその部屋は、何かのきっかけで現れることがある。その部屋から過去の遺物が発掘される。その中にごく稀に何百年前の書物が発掘されることがある。それは失われた魔法だったり、魔術だったり歴史書だったりする。
それを解読するのがテシオに与えられた仕事だ。発掘されても解読できずにいた書物を解読することで、テシオは魔塔での居場所を得た。
粗末な椅子を引き、どがっと座り机に本を置く。ランプはふわふわと宙に浮いている。その明かりを本の上に運び、テシオはページを捲る。
「なになに?『時はスピカ王国歴7年……』。へー、比較的古いね。しかも今欲しいところドンピシャじゃねーか。偶然か?」
テシオは言語に困ったことはない。古語であろうと、他国の言葉であろうと全て知っているかのように読める。それは習ったことがない言語でも、誰もが知らない言語でも同様に。
「3日が、妥当かな?もう少し苦労した振りをした方が良いのか……」
鼻歌まじりに本を読む。誰も知らないその唄を知っているのは、双子のメイリーンだけだ。
◇◇◇
その男はいつもと違う何をか感じ、振り返る。何もないわけではない。視線の先には行き交う人々がいる。だがそれだけだ。
普通の人たち。普通の街並み。そこには日常があるだけだ。強いて言えばいきなり立ち止まり、後ろを振り返った男を訝しむ人間が何人かいるだけだ。
男は目深に被ったマントから念の為にもう一度周囲を探る。周囲を探る魔法は得意な方だ。長年冒険者としてスピカ公国中を巡っているのだから、危険を察知する能力は誰よりもある。その危機感知能力で何か違和感を感じた。だが、何かが分からない。魔法で捜査しても何ひとつ返ってこない。
「気のせいか……」
地面を揺らすような低音の声で呟くと、再びマントを翻し歩き出す。
今日は砂漠にいた巨大な魔獣を倒した。報奨金は高額だったはずだ。その額を思い出すと髭だらけの口元が、かすかに笑みを漏らしてしまうくらいに。
うまい酒に、極上の女、いや、女はもういらない。欲した女から、拒絶されたその日から、体が女を拒絶するようになった。どれだけ魅惑的な女を前にしても、何の欲情も湧かない。彼女以外は求めない。求めたくない。
やっかいな血だ、そう思いため息を落とした瞬間に、背筋が凍りついた。
「――っう!」
「お静かに……騒いだら……分かっていますわね?」
「お前……確か、ミルバ!」
「あら?一介の侍女を覚えてくださっているなんて……光栄ですわ」
赤紫色の瞳が狂気の色を持って、男を見る。男の背には短刀が突きつけられている。その位置は腎臓付近。刺されたらヴルカン一族の人間でも死に至る。
「お前ほどの美人を忘れるわけがないだろう?俺を何度も袖に振りやがって」
「ただの遊びで寝るほど若くありませんでしたから、お断りしたまで。そうでしょう?確か冒険者でのお名前はサガ様……でしたわね?」
「いやいや、今だってお前は美しい。ぜひ今晩のお相手をしてもらいたいものだ」
「ふふ、果たして役に立つのかしら?あなた様のソレは……」
見透かされてカッとなった男は、振り払うように後ろを向く。するりと避けたミルバは目の高さにペンダントを持ち上げる。
「お前……それは――!」
ブワッと男のマントが上がる。それだけではない。周囲を吹き飛ばす勢いで熱風が噴き出す。
周囲に上がる悲鳴。恐れ慄き逃げ出す民の声も聞こえず、男はその手に炎を宿す。
ミルバは愉悦を込めた瞳で男を見たのちに、ペンダントを手の内にしまう。チャリっとなった音は男の怒号で掻き消される。
「その持ち主をどうした!事と次第によってはお前を殺すぞ‼︎」
その言葉は心の底からでた言葉だ。ミルバには良く知っている。昔見た瞳。圧倒的な力で捩じ伏せられたのは過去のことだ。ミルバが若い頃、ヴルカン小公爵の妻であったアリアンナの命を狙った際に、夫であったイリオスも同じ目をしてミルバに攻撃をした。その時は死を覚悟した。世の中には、手を出してはいけないものがあると悟った。
だが、今は違う。ミルバは敬愛する方達の命を受けてここにいる。かわいい弟子の為にここにいる。死ぬわけにはいかない。
「これの持ち主があなた様に会いたいと言っておりますわ。サガ……いいえ、ノヴァーリス・ヴルカン様」
ミルバを貫かんとする炎を纏ったその腕は、直前で止まった。
「だ……誰が会いたいと言うのだ。もう二度と会いたくないと……そう言っていたのに……」
「会いたい言っているのは、これを受け継いだもの。あなた様の娘ですわ」
ノヴァーリスの瞳が途端に輝いた。
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