第100話 ウンディーネの呪い(7)
「アディ!!」
「――っ、シェリル?」
目を瞬くと、それほど時間が経っていないことに気がついた。スピカ神の元にいたのは一瞬だったらしい。目の前には誰よりも愛おしい人。その人が自分を呼び戻してくれた。この人がいなかったらどうなっていたのか分からない。
「ああ、気が付かれて良かったです。アーマンディ様、スピカ神の元へ行かれたのですか?凄まじいお力を感じます」
「………………」
そうだと言いたいれど言えない。襲ってくるのは凄まじい罪悪感、そして騙されたという気持ち。でも力は託された。だけどこのままでは使えない。使いたくない。
「し……シェリル、キスして!」
「な、何を⁉︎もうメイリーンは限界です!そんな場合じゃない!」
「分かってる!分かってるけど、でも、お願い!お願いだからキスして‼︎」
突然のアーマンディの言葉にシェリルは戸惑うばかりだ。アーマンディの後ろにいるホムラも驚いている。だがアーマンディが必死な様子はふたりとも分かる。
メイリーンは死を懇願するように近付いてくる。テシオは瘴気に染まり真っ黒だ。そしてこの奥庭もメイリーンが発する瘴気が嵐のように渦巻いている。カイゼルが結界を張っているため、周囲への影響はない。だがそれだっていつまで持つか分からない。カイゼルの魔力と意識が途切れたと同時にこの瘴気は中央都市中にばら撒かれるだろう。そうなると待つのはスピカ公国の破滅だ。
「――――ああ!もう‼︎」
ヤケクソ気味に叫んで、シェリルはアーマンディの後頭部に手を回す。
そのまま口付けを交わすと、シェリルの中にもスピカ神の力が流れ込んできた。いつもより濃度の濃い力。凄まじい聖属性の力。これが神から直接与えられたお力かと思うと、なんでもできるような高揚感が溢れてくる。
「凄まじいお力――!このお力があれば、私でも契約書の魔法が施行できそうです!」
離れてしまった唇を寂しく思いながら、アーマンディは微笑む。そんなつもりではなかった。だけど、そうと取ってくれたなら、この罪悪感とも向き合える。
「シェリル、僕が回復させながら浄化するから、メイリーンとテシオの魔力の移譲を!お祖父様は父様を助けてください!今までよりも大きな術を行使します!おそらく結界がもたないです」
ふたりは一気に指示された通りに走る。
アーマンディは術を発動させる。体内に残ったスピカ神の力を解放する。それは一番初めにシェリルが自分を救ってくれた魔法だ。荒れ狂う暴風のような力を一箇所に留めて解放してくれた。暴風を優しい波の力に変えてくれた。スピカ公国民全てにそのお力を届けた魔法を、今は自分の弟妹を救う、そのためだけに使う。
魔法陣は覚えている。アーマンディは一度見たものは忘れない。ましてやそこから全てが始まった。幸せの序章。それをメイリーンにも届けたい!
足元に広がる魔法陣は十重に重なる美しい魔法陣。尊敬する師が作ってくれた優しい魔法陣を広げ、アーマンディはスピカ神の力をただ一点、メイリーンの元に落とした。
「あ――ああああ――――――――!」
メイリーンの慟哭にも似た悲鳴が結界内に広がる。痛みよりも悲しみが大きく感じる。なるたけ苦しまないようにと、アーマンディは魔力を調整する。
「ど――どうして!早く殺してって言ってるでしょう!!あたくしは、テシオと共に死ぬの!兄様と共に天に昇るの!」
「姉様!テシオを助けて!私はもう良いの、お願いだからテシオだけでも!」
「……え?」
アーマンディはメイリーンをじっと見る。
相反する言葉がメイリーンから聞こえる。テシオと共に死にたいという声。テシオを救って欲しいと言う声。スピカ神の聖属性の力が当たる中で瘴気を徐々に削れて現れたメイリーンは、ひとりなのに、ふたりいるように何かが重なって見える。
「誰も……気づいていないの?」
シェリルは祖父から契約書を預かっている。祖父のホムラはカイゼルの横だ。結界を更に強靭にしようと術を重ねている。
その時、テシオがメイリーンの額を鷲掴みにする。テシオは自身に群がる瘴気を一気に祓い、鋭い瞳でメイリーンを見ている。
「……ああ、兄さま」
テシオに右手を伸ばすメイリーンは恍惚とした表情を浮かべている。だが、左手はその行為を止めようと自身の右腕を掴んでいる。
「やっと出てきやがった、出ていけ!メイリーンから!」
テシオは一気にメイリーンに魔力を送りこむ。その輝きは横に広がり、一瞬周囲を明るく照らす。
「キャ――――――――!!」
再び上がるメイリーンの悲鳴。そして、メイリーンの体から、ぬるっと何かが現れる。黒々したその体は魔物のようであり、女性のようでもある。
「ねーさん!こいつを浄化して消せ!」
満身創痍な状態でテシオは叫んで地面に倒れる。その腕の中には気絶しているメイリーンがいる。
アーマンディは戸惑うばかりだ。黒々した生き物はゆらりゆらりと動き出し、テシオに近付いていく。
ふたりは動くことができないようだ。地面に倒れ込む形でメイリーンはテシオに抱き抱えられている
メイリーンにはもう瘴気はない。全てその黒い生き物が持っていったように。だけど、その黒い生き物は器を欲するようにメイリーンの体に触手を伸ばす。
「け……消し去る……」
あの黒い生き物だけを浄化して消し去ろうと思っていてもアーマンディは今の魔法を維持することで精一杯だ。アーマンディは生かしながら浄化する魔法を使っている。消し去るためには違う魔法陣を使うことが必要だ。つまり、過去のウンディーネ公爵直系の聖女が使っていた魔法陣。二つを同時に使うことはできない。その方法が分からない。
アーマンディが戸惑う中、頼もしい声が聞こえた。
「シェリル!魔力の移譲を急ぎなさい!
「ジェ……ジェシカ様――僕はどうすれば――」
「アーマンディ様はそのまま魔法を維持して!魔力の移譲が終われば、私がその黒いものを浄化するわ!」
無茶だと止めるノワールを振り払いジェシカは、立ち上がる。その姿はまさに聖女そのものだ。自分の力を全て使ってでもこの国を救おうする。
シェリルが移譲の契約書の魔法を発動させる。テシオとメイリーンの周辺に契約の魔法陣が広がっている。
「早い!」
テシオは歓喜の声を上げる。
早くして欲しいと心から願っている。メイリーンに巣食う瘴気を追い払うことに成功したが、自分の力だと追い払うだけで精一杯だった。それで魔力も尽きた。目の前で獲物を狙うようにゆらゆらと近付いてくる黒い生き物に立ち向かえるだけの力はもうない。
初めて見た黒い生き物は女のようだ。怨念だけで生きているようなその姿に、メイリーンを抱きかかえながら、思わず後退りしてしまう。兄が作り続けているスピカ神の力を利用した浄化の魔法は心地良いが、それは目の前の生き物も同じようだ。浄化され、その体にまとわりつく瘴気は削れていくが、同時に力を与えられているようにも見える。
横目でシェリルを見ると、凄まじい量の魔法陣が展開されている。先ほどマーロンが行使していた時には20個ほど浮かび上がっていた。それで最後、魔法陣は発動されなかった。つまりそれだけの数をシェリルが作れば、移乗できる。
15、16と焦る心を落ち着かせるように数を数えていく。
17、18……心が震える。
もう下がる力もない。恐怖から動けない。息がかかるほどに近付いてきた黒い生き物から、顔を背けることしかできない。目の端に見えるニヤリと三日月のように笑う口の中は、夜の闇より深い。その唇は沈む太陽の様に赤い。
これから来るのは、神の光さえ届かない夜の世界だ。闇の世界が広がると、子供の頃に教訓まじりに脅された御伽話のようにじわじわと心を縛る恐怖。
背中に走る悪寒を振り払うように、メイリーンを抱きしめる。他の誰でもなく、妹だけは守らなければいけない!
きっと睨むように黒い生き物に顔を向ける。と同時に声を上げる。
「20!」
シェリルの魔法が発動する。滑らかに発動した移譲の魔法は、テシオの中から何かをもぎ取っていく。
「――ぐっ!」
痛みから更にメイリーンを抱きしめる。するとメイリーンの体からも何かが抜けていくのが分かる。これが本来持つべきだった自分の力だと直感的に感じた。そして自分の中から出ていく力はメイリーンのものだと言うことも分かった。つまり抵抗してはいけない。あるべきものが元に戻る。それだけだ。
身を委ねると、するすると自然に抜けていく、そして代わりにあるべきものが入っていく。
「…………ああ、兄さま……」
黒い生き物がなぜか歓喜の声をあげている。その生き物になぜか憫笑を受かべる。どうしてそうするのか分からない。
「私が……お前のものになる日は来ないよ」
誰の言葉だろう……そう思いながら意識を閉じる。もう目を開けることができない。
テシオの言葉を聞き、嘆く生き物にジェシカが近づく。
「未来ある子供たちに手を出すことは許さないわ」
ジェシカはスピカ神の力を借りて、浄化の魔法を発動させる。
瘴気の塊のような黒い生き物はその力に悶え苦しむ。魔物を消し去る魔法陣。それがウンディーネ公爵家に伝わっていた、聖女が体内に巣食う瘴気を祓う魔法。ジェシカは知っていて言わなかった。それはジェシカだけが知っていればいいと思っていた。
「さようなら…………様」
煙のように消え去る黒い生き物にジェシカは声をかける。その声は誰にも聞こえることはなかった。
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