第1話 アーマンディ(1)
煌めくシャンデリア。それに負けずと美しく着飾り、輝く高貴な人々。だがその多くの人々よりもアーマンディの目を引いたのは、真紅の騎士服に身を包んだ女性だった。
「一曲、踊って頂けますか?」
差し出されたその手は、指先まで美しかった。
◇◇◇◇◇◇
薄暗い部屋に響くのは、無慈悲な鞭の音。太めの皮の鞭を慣れた様子で、アーマンディの背中に打ちつけるのは、この国、スピカ公国の聖女アジタートの配下、金色の髪を持つガーネット。彼女は興奮した声で最後の鞭を強く打ち付けた。
「――10‼︎」
その言葉と同時に、打たれていたアーマンディは、床に崩れ落ちた。
狭い部屋には窓がない。ほのかな灯りを届けるランプに照らされた部屋には、粗末な木のテーブルと椅子の他に、不釣り合いな豪奢な椅子がある。
部屋にいるのは豪奢な椅子に腕を組み、深々と座る聖女アジタートと、一仕事を終え額に光る汗を拭いながら満足気に笑うガーネット、そして背中に鞭打ちで作られた痛々しいミミズ腫れの跡ができたアーマンディだけだ。
ここはスピカ公国の中央都市ミネラウパにある聖女の館。今、3人がいるのはその地下にある部屋。鞭を受けたアーマンディの作業部屋だ。アーマンディは命じられたノルマをこなせなかったため、指導と言う名の体罰を受けている。
アーマンディに鞭を打つ際には、必ず自らの意志で服を脱がせる。そして壁に立たせて、背中を向けさせる。それらを自らさせることにより、自主的に罰を受けているのだと認識させるのだ。強者はいつも弱者への扱いがうまい。そしてその流れを作ったもの……アジタートはため息と共に、アーマンディを見る。
可愛げのない子……最近は涙すら流さなくなった。つまらない様子でアジタートはアーマンディをじっと見る。
満月を溶かしたような艶めく銀色の髪、深い海のような群青色の瞳。美しい陶磁器のような肌。桜色をした柔らかそうな唇。大きな瞳に長いまつ毛。絵画でしか見られないような完璧な絶世の美女……。
その思いが強くなると、更にアーマンディに対する憎しみが増す。
床に痛々しく倒れる姿がなんと倒錯的なことか、さらに全てを諦めたような厭世的な目も気に入らない。自身の身体を支えるように床につく、すらりとした指先、華奢な肩、床に散らばる極上の絹糸のような髪。それら全てが目を離せなくなるほど美しいとは!
美しいものは壊してしまいたい……そう思うと、さらに鞭打たれるアーマンディを見たくなる。痛みに耐える姿をまた見たい。
「ガーネット……さらに5、追加よ」
「はい!」
ガーネットは愉悦に満ちた表情で舌なめずりをする。
アジタートの言葉にビクっと震えたアーマンディの背中を踏みつけた後に、脇腹を蹴り、横に転がったところで更に腹を蹴る。苦痛に耐える姿を見てから、ガーネットはアーマンディの頭を強く踏んだ。
「――――っ!」
痛みから顔を歪めるアーマンディは、それでも声を出さないように歯をくいしばる。ここで声をあげれば、さらに酷い目にあう。それが分かっているアーマンディは、ただただ我慢する。さらに髪を引っ張られ、強制的に壁に立たされ、背中に鞭打たれながら、「1、2」と数えるガーネットの声を聞こえないようにする。どうせ5回目は数えない。倍以上は打ち付けられるのだ。
「終わりました、アジタート様」
ガーネットが言い終わる前にアジタートはゆっくりと立ち上がった。ガーネットの前には、床に再び倒れ少しも動かないアーマンディがいる。背中の鞭打たれた傷は真っ赤に腫れ上がり、血も滴り落ちている。
いい気味だわ、男のくせに聖女の資格があるからこうなるのよ……アジタートは腕を組みながらアーマンディを見据える。その姿は聖女とは程遠い残忍な女帝のような佇まいだ。
「アーマンディ……なぜ鞭打たれたか、分かっているわね?」
「………じ、浄化石を5千個しか……浄化、できな……かった…からです」
答えるアーマンディは息も絶え絶えだ。だが答えなければ、更に鞭打ちがくると思うと、必死で声を絞り出す。
「浄化石がどういうものか、改めて答えなさい」
「浄化石は……魔物から出る……瘴気を人の代わりに吸い取…ってくれる…石です」
「そうね、浄化石を持っていないと人は魔物の瘴気の侵され、魔物になってしまう。浄化石はこの世に不可欠なものよ。聖女はそれを浄化することができる稀有な能力……聖属性の力を持つもの。わたくしは1日に一万個以上の浄化石を浄化しているのに、出来損ないのあなたは半分もできない。これでは鞭打たれても仕方がないのではなくて?」
「申し訳……ござ…いません……」
「謝る事は誰にでもできるわ。本当に情け無い、これだから男に聖女は務まらないのよ……スピカ様も男に聖女の資格を与えるなんて何を考えていらっしゃるのかしら」
グッと手を握るアーマンディに返す言葉はない。例え昨日まで浄化石のノルマは5千個だったとしても。アジタートは1日で5千個以上浄化できると、昨日まではそう言っていたとしても、それを言うと更に鞭が打たれるだけだと分かっている以上、沈黙するしかない
「もう良いわ……。今日はここまでで許してあげるわ。自分で回復しなさいね。あなたの取り柄なんてその位なんだから……」
わざとらしく大きなため息をついて、アジタートは踵を返す。ガーネットは当然のようにアジタートに付き従い、ふたりは振り返ることなく出て行く。
重く閉まる扉の音が部屋に響き渡ったと同時に、アーマンディは自身に回復魔法をかける。薄暗闇の部屋に柔らかく淡い光がすぅっと広がり、やがて消える。
「うぅ――――」
泣くのはいつもひとりになってからだ。背中の傷は消えたけれど、痛みは一切引かない。回復魔法は治すことしかできず、痛みは我慢するしかない……そう習った。
どうして自分だけがこんな目に遭うのか……そんな思考はとっくに消えた。アーマンディの中にあるのは、男なのに聖女の力を持ってしまった罪の意識だけだ。
この国は愛の女神スピカ神がおわし、神の力を授受できる力を持つ聖女がいる。聖女の条件は国により様々だが、この国、女神の名を頂いたスピカ公国では、公爵家より産まれる子女が聖女の資格を持つ。だが全ての公爵家子女が資格を持つわけではない。聖女になるには聖属性の力を持っていることが前提だ。
アーマンディは生まれた時に聖属性を持っていた。だが男であった為、両親はアーマンディを殺そうとした。それを助け、聖女として修行をつけているのが現聖女アジタートである。つまりアジタートはアーマンディにとって命の恩人であり、師でもある。
だが男の聖女はあり得ないとのことで、アーマンディは女装を強いられている。
その上、アーマンディの魔力は弱く、通常の聖女の半分以下と言われている。そうなるとさらに抑圧の対象となる。結果、物心ついた時には、指導という名の暴力を受けることになっていた。
「すべて悪いのは……僕……」
泣く事しかできない自分をアーマンディは更に憎く思う。
聖女としての教義で習った。人は生きる努力をしなければいけないと。自殺は大罪だと。
だけどこの生き地獄のような状況で、どうして生きていかなければいけないのか分からない。
親にも捨てられ、帰る家もない。助けを求めても頼れる人もいない。聖女としての力を持って産まれたのに女神スピカの声はおろか、気配すら感じたことがない。
更に日々続く暴力という名の指導、アーマンディの心が哀しみに蝕まれていっても仕方ないことではあった。
「でも……今の僕には守らなきゃいけない子がいる。生きなきゃ……」
口に出せば、なんとかなる気がしてくる。逆に言えば口に出さなければ負けてしまいそうだ。自身の運命に。
グッと膝に力を込めて立ち上がる。自分が守るべきもののために。
1月1日なので0時に投稿。
以降は12時に投稿します。長編になる予定ですので、じっくりと楽しんで頂けると嬉しいです。