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【完結】詰将棋と緋色の恋  作者: フクダ アキヒロ
9/16

7 打ち歩詰めと群青色の海

評価ページの下にコトブキ君の解いた詰将棋のリンクがあります。本章は「詰将棋7」です。ご参照ください。

 僕は時々、自分の生まれた国の特徴について考える事がある。地理的に僻地にあり、文化もかなり個性的だからだ。いや、本当はもっと面倒くさい理由だ。

 僕は二十二年間生きてきた中で、周りの人々と摩擦を起こすが多々あった。一体、どうしてそんな事が起きるのだろう。僕はその理由が知りたかった。つまり、周りの大衆の深層心理が知りたかった。そして、人々の性格は環境によって、おおよそが決まると信じていた。だから、僕は自分の世界がどういった所なのか。そうしたことから考える。

 

 まず、この国の特色は、海と山に囲まれ、天然資源が豊富だ。ここで言う天然資源は食料の事だ。気候は温暖で、適度に雨が降り、山からはたくさんの川が流れる。故に、漁業に稲作にと、困ることは少ない。したがって、人々は、食料をめぐって争うことは少なく、持っている資源をお互い分け合うことで、さらに恵まれた生活をすることが出来た。意思伝達で重要な文字の識字率が昔から高いのも、おそらく、それが原因だろう。


 しかし、良いことばかりでもない。この国の恵まれた環境は、数多くの自然災害を発生してきた。もともと、ここは大陸の一部ではあったが、長年の活発な地殻変動によって、大陸から引き離されて島になった。けれども、その活動は終わったわけではなく、今も地震や火山の噴火を引き起こしている。

 また、遠く南東の海では、夏ごろに熱帯低気圧がしばしば発生する。それが風に乗って、暴風雨としてやってくる。山では土砂災害、川では洪水を起こす原因になる。雨が発生しやすいことも問題で、それが雷を落とし、一部地域では、豪雪となって、雪害を起こしてきた。


 この国に住む人々にとって、生命を身近に脅かすのは人々の戦争よりも、自然災害のほうが身近なのかもしれない。だから、人々は自然を驚異と捉え、神として崇めてきた。しかし、災害が起きた緊急時には、主導者の指示に従い、余計な荒波や問題を起こさないことが重要になる。

 皆、協調と秩序を寡黙に求めていく。戦争ではないから声をあげた所で、徒労でしかない。この一途に、連帯を求める精神は、ここで生活しないものには分からないだろう。


 だが、ときより、この国民の秩序を少しでも崩すような者に対する、軽蔑の目や排他的な態度には、僕もうんざりさせられることがあった。この国では、幼少期から緊急時に集団行動をとれるよう、学校で訓練させられる。行進などもその一つだった。同じ速度、同じ身振りを求められる。

 僕は正直言って苦手で、集団の規律をよく乱した。そうした失敗に対して、周囲は、上手くいくための助言や、やる気を失わないための励ましといった、目標を達成するための建設的な行動はほとんどなかった。代わりに、舌打ちや聞こえるような文句など、僕の自尊心を傷つける態度を取る、非常に無意味で浅はかな行動をとる人間が少なからず出る。


 人間、体も育った環境も異なっているから、多少の差異が出るのは当然だと思う。それを埋め合わせるための集団行動であって、少数派や周囲に適応するのに時間のかかる人間の、居場所を消すための訓練ではないはずだ。生命の危機にさらされてきた遺伝子の習性上、しかたのないことだろうか。

 実際、そうした排他的な態度を取る人間に対して、熱い正義感をもって、異を唱える人もいた。僕は口に出すことが出来なかったが、心の中で非常に感謝している。


 暦は春になって十日を過ぎたが、いまだに肌寒い。うららかな日差しに柔らかな風が、僕の頬を擦る。振り返ると、ナツミさんが車椅子を押して、こちらに向かってくる。椅子の上には、彼女の祖父が乗っていた。

 僕はナツミさんのお祖父さんと対面するのは、初めてだった。長年の介護生活から久しぶりに外に出たからだろうか。少し疲れているように見えた。堤防では、街の人々が集まって、知り合い同士がいくつかの輪になり、ささやかに話し合いをしている。そこから、少し離れたところに僕らはいた。そうした、距離からでも潮の塩っ辛い香りが、はっきりと鼻に伝わってきた。


「何でオラァ、こんなドゴさぁ連れでこられただが」

 車椅子に乗った祖父が静かに尋ねた。どうやら今日の趣旨を理解していないらしい。

「ほら、忘れちゃったの。今日でもう十四年も経っているよ。おじいちゃん」

 孫娘が彼の耳元で、はっきりと明るい声で喋りかける。

「あれ、おめさんよぐ見だら真由美(まゆみ)さに、すげー似でらぁねー。まさか、生ぎでらったのが」

「ううん、もうお母さんはいないよ。私はお母さんの娘の、な、つ、み」

「おがすねー、ナツミも流されだはずなんだどもね。わげがわがんねー」

 お祖父さんは、まるで独り言のようにしみじみと呟いていた。ナツミさんはこちらを見て、微笑したが、そこには哀愁と感傷が漂っているように思えてならなかった。

「ごめんね。数年前からおじいちゃん、こんな具合だからさ」

 なぜ、僕に謝る必要があるのだろうか。よく考えたら、彼女は普段から謝ってばかりだ。


 黙とうの時間まで、まだ三十分ほどある。向こうでは、公共放送の取材陣が機材を持ち、撮影を開始していた。

「そういえば、ナツミさんは当日、どのように避難していたのですか」

「えっ」

 驚きの声で返され、僕は自らの過ちに気づいた。彼女の悲しい記憶を呼び起こす発言だ。慌てて謝罪した。

「申し訳ありません。不用意な質問でしたね。答えなくていいです」

 僕の目の前にいる女性は、海の向こう側の虚空を見つめている。三秒ほどの間の後、静かにこちらを振り向いた。

「大丈夫だよ、コトブキ君。私は当日はね、緋の森神社にいて助かったよ。凄い揺れで、怖かったけどね」

 話している間、彼女は僕と目を合わすことは無かった。

「残された命だからね、大切に生きなきゃ」

 ナツミさんは自分に言い聞かせるように決意した。それから、お手洗いに行くと断りを入れて、海とは反対側のほうへ走っていく。彼女は見えなくなり、僕と彼女の祖父の二人だけが残された。


「おめぇさん、この土地のもんで()えがねぇ」

 一瞬、威圧されたのかと思ったが、どうやら、違うようだ。話が続く。

()みー思いしでねーが、風邪どが、引いでねぇが」

「いえ、おかげさまで元気に暮らしています」

 僕の事を心配してくれていた。やはり、ナツミさんのお祖父さんだ。彼は、しげしげと頷いて、空を仰いでいる。か細い体だったが、眼には無限の力が感じられる。それから、僕のほうを見てしっかりとした発音で述べた。

「ナツミど一緒に過ごしでぐれでー、おおきにぃ」

 僕は胸を熱くせずにはいられなかった。


 防潮堤の手すりから少年や少女、そしてお年寄りの方々が祈るように海を見つめる。街を飲み込む恐ろしいあの映像からは想像できないほど静かな海だった。鐘がカランコロンと鳴る。

 人々が目を瞑り、黙とうをする。取材陣のカメラが被災者を捉える。この瞬間、僕だけが部外者だった。なんとも歯痒い時間だった。

 

 黙とうが終わり、時間が経つにつれ、人々も散らばっていく。車椅子に乗ったお祖父さんを施設へと運ぶため荷台車の助手席に乗せ、車椅子を折り畳み、ナツミさんと二人で荷台部分に紐を掛ける。

「駅まで歩きますので、そこの北口で落ち合いましょう」

「分かりました。手伝ってくれてありがとう。コトブキ君」

 助手席に乗った静かな老人の顔の皺は、大樹が何年もの間、刻み付けた年輪のような美しい風格があった。きっと不幸も悲しみも、僕よりずっと多く見てきたのだろう。だからこそ、あの皺は偉大なものにしか見えなかった。


 僕は徒歩で駅に向かう。アスファルトの隙間の陽だまりには、黄色いタンポポの花が咲いている。僕は歩道を歩きながら考えていた。

 黙祷の時、僕も同じように目を閉じ、犠牲者の鎮魂を祈っていた。けれども、震災の痛みや壮絶な苦しみは、当事者にしか分からない。そうした心の壁のようなものを感じた。おそらく、人々は本当の意味で分かりあえることは出来ないのだろう。だからこそ、思いやりを持って接しなければならない。

 次の願いは、自分に対する無力感を払拭するための、多少の利己主義が混じったものかもしれない。それでも、震災で傷ついた人々にこの世界に生まれた幸せを感じられる瞬間が、少しでも多く訪れますように。僕はそう願わずには居られなかった。


 その日の就寝前、ナツミさんが僕の寝床へと、一枚のツメミクジを持って、やってきた。

「コトブキ君、まだ寝ない。折角だし、私が好きな問題を一問解いてみない」

「ええ、良いですよ」

「これ、私が一番気に入っている詰将棋」


*詰将棋7*


 早速、布団で寝そべりながら詰将棋を解き始めてしまう。もう、癖がついてしまったのだろう。この詰将棋はかなり簡素な形をしている。相手の桂馬は一般の将棋の初期位置と同じ場所に置かれ、その横からと金の補助により飛車が成れそうだ。ただ、注意しなければならないのは、持ち駒に歩があることだ。

 詰将棋は全ての持ち駒を使う必要があるため、歩の打ち場所を考える事は、手早い回答につながりやすい。玉の近くに馬がいるから玉の逃げ場所も限られている。初手で歩を使うのは銀の守りが利いていて駄目だ。と、すると。作品には将棋の特殊な規則を利用した策略があったが、無事正解にたどり着いた。


「正解。もっと苦戦してくれると思っていたのに」

 正座して解答を待っていたナツミさんが少し悔しそうに言った。

「美しい詰将棋ですね。特に最後詰めあがりの時の、攻め方の駒の繋がりがきれいだと思いました」

「そうでしょ、どちらかと言えば簡単な詰将棋だけど、詰将棋の様々な技術が詰められていて、私はそこが好きかな」

 確かに、ナツミさんが好きな詰将棋だと思う。ただ、理由は彼女自身が言った部分もあるけれど、収束に近づくにつれ、盤面を小さく使う質素さと、飛車の成り方が彼女らしさな気がした。その人自身のありのままを受け入れてくれるやさしさ。それが、僕の感じるナツミさんの、誉れ高い取り柄だった。

「さて、そろそろ寝ましょうか。コトブキ君、今日も一日ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 挨拶をすませ、部屋を暗くする。横向きになりながら、彼女の好きな詰将棋を知れて、幸運な一日だ。思えば、本当にナツミさんは詰将棋が好きだった。休みの日でも、僕が受付をしている横で詰将棋を熱心に解く、先輩の姿を想起しながらうとうとしていた時だった。

 

 熱を持った柔らかな肉体の感触が、僕の背中を後ろから包みこんだ。

「ごめんね。まだ、起きていたかな」

 僕は返答するのをためらって、寝たふりをしようかと考えていた。しかし、彼女からも言葉は発せられない。無視しているみたいで気まずい。仕方なく「はい、起きています」と応えた。

「そ、その、どうしても一人になれなくて」

 彼女の声は震えていた。こんなに弱っているナツミさんを僕は初めて見た。こんなにも辛そうな彼女なのに、僕の鼻孔はその体から発する、薄く甘い桃のような匂いにどうしても反応してしまう。


「ねえ、お願い。一人にしないで」

 母親に甘える少女のような声だった。

「大丈夫ですよ」

「ずっと、こうしていてもいい」

「大丈夫ですよ」

 寂しい弥生の夜。別れの季節に、なんて励ませばいいのか分からず、僕は同じ言葉ばかりを繰り返してしまう。密着した状態になり、彼女の体温が伝わるにつれ、ふと、子供の頃を思い出した。

 

 僕は祖父母の家で一つの布団で祖母と一緒に寝ていた事。彼らの家は遠く、頻繁に行くことが出来なかった。だから、長い休みが来れば、祖父母の家に泊まり込み思いっきり外で遊んだ。

 ある日、近くの田舎の小学校の校庭で遊んでいた時の事だった。僕は祖母と二人で虫取りなどを興じていると、地元の子供たちがサッカーをして遊んでいる。虫取りに飽きて退屈な顔をしているのに気づいたのか、お祖母ちゃんは「行っておいで」と呼び掛けてくれた。

 僕は勇気を出して、仲間に入れて、と少年たちに声をかけた。けれども、彼らは初めて見る子供に戸惑いを隠せなかったのか、サッカーを止めて、校門を抜けて何処かへと行ってしまった。

 取り残された幼き僕は、疎外感を隠せなかった。その時に祖母が言った言葉を、僕は今でも大事にしている。それは、この世界で幾度となく孤独に襲われた時、彼女の優し気な顔と共に、呼び起こされる言葉だった。


「ナツミさん。僕は昔、祖母からこういう言葉を掛けられたことがあります。この大地にはたくさんのご先祖様が眠っているのが分かりますか」

「うん」

「生きていくうえで孤独を感じた時は、土の上に立って、こう考えるのです。僕らの前に生きてきた先人たちが、今こうして、一生懸命生きている僕たちを支えていると」

「うん」

「だから、ナツミさん。君は絶対に一人じゃないはずです。たとえ、祖父の記憶から消えていても、肉親がこの世に居なくても、君は一人なんかじゃない。僕がそうであるように」

「ありがとう」

 いつも胡蝶蘭のように輝くナツミさん。どうして、彼女の陰にある深い孤独に気づけることが出来なかったのか。いつも一緒にいると言うのに。僕は自分の鈍感さを恥じていた。

 そして、誓った。ここから先、彼女を独りぼっちにさせないと。僕は死ぬまで君の隣に居よう。彼女が生きている間、もう寂しい思いはさせたくない。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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また、感想や誤字脱字など間違いの指摘も受け付けています。

宜しくお願い致します。



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