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【完結】詰将棋と緋色の恋  作者: フクダ アキヒロ
13/16

11 一種持ち駒と常盤色の舞

評価ページの下にコトブキ君の解いた詰将棋のリンクがあります。本章は「詰将棋11」です。ご参照ください。

 文月になっても梅雨は開けなかった。曇り空はいつまでも、空に居残り続けていた。そして、時折、山から吹く湿った風が人々の心をどんよりとさせた。灼熱の季節とは思えない冷涼な風が、文月に咲く紫陽花を揺らす。神社は例祭に向けて、準備していた。それと同時に僕はあることを同時進行で進めていた。


 それは詰将棋づくりだった。それも、ナツミさんの為に作る。僕は今月の最初の夜、勇気を出して彼女に伝えた。ナツミさんと思い出を作りたい。そのために、一日だけ、一緒に旅行してほしいと。

 彼女は馴染みの神主と取り合ってくれて、僕の誕生日の翌日に、一緒に旅をすることになった。本当は、彼女の誕生日を希望していたが、流石にそこまで都合良くはいかない。それでも、わざわざ調整してくれた神主さんには、感謝の気持ちでいっぱいだ。この、幸運を身に結ぶためにも、良い作品を作りたい。これは、彼女に対する挑戦でもあるのだから。恋人になるには、お互いが対等な関係でなければならない。これが僕の持論だった。


 詰将棋制作は、本当に苦戦した。まず、僕は前段階として、優しい五手詰みを作った。

 

挿絵(By みてみん)

 

 打ち歩詰めの趣向を伴ったものだが、初手は三つしかない。しかも、その後の王手も紛れがほとんど無く、秀逸な三手詰めよりも簡単というありさまだ。

 どうせなら、もっと難しいものが作りたい。幾多の詰将棋を解いてきたナツミさんの、悩んでいる姿が見てみたかった。そして、この考えが、僕を詰将棋制作の沼へと沈みこませていく。


 僕は置かれている駒をずらしたり、また持ち駒から盤面に増やしたり減らしたりした。だが、そうしたことを繰り返すうちに、本手順と別の、大したことない詰み筋が生まれるれば、逆に詰まなくなってしまうこともあった。

 それに、自分の描いていた構想は曲げたくなかった。僕は、この初形から詰むのなら面白い、と思う構図が浮かんでから考える、正算式の考え方をしていた。さらに、手順の間にも、詰将棋特有の手筋が重なった、芸術品を作りたかった。

 そのため、主題を出来るだけ壊さないように持ち駒を限定したり、細かい変化を消すための駒を追加する。見栄えと変化や紛れ筋。そして、その二つの均衡。夜眠る時でさえ、そのことを考える。何もないほうがかえって着想が次々と巡る。すぐに将棋盤を持ってきて、駒を並べ始める。写真に撮っては、頭の中で考えていた。

 そうこうしているうちに、一日一日は着々と過ぎていき、遂に例祭の日を迎えた。


 この日の朝もパラパラと小雨が降っていたが、天気予報の情報では昼には止むらしい。雨の対策をしながら例祭は決行することになる。

 僕とナツミさんは朝の清掃をした後、社務所の裏にある小さな置物小屋に行く。水色の大きな敷布を本殿の裏に敷き、その上に金属製の折り畳み椅子を並べていく。

 その作業中、神社の裏口から、地面を削るような物凄い音が響き渡る。細い道を大きなトラックが進んでいた。裏口の出入り口で泊まると、運転手は荷台を開け、中へと入る。僕とナツミさんは、猛々しい腕から降ろされた和太鼓を受け取り、決められた配置に運んでいった。

 表では正服を着た神主が集まっていて、徐々に例祭が始まるような雰囲気に身がしまる。最後に本殿から、勾玉、剣、鏡、そして、ご神体とされる駒を裏へ運ぶ。これを本殿の時と、同じような配置で並べ、準備は完了した。あとは時間を待つだけだ。


 待っている間、スーツを着た男性が僕の方に近づいてきた。誰だろうと思って見ると、去年の秋に出会った男性だ。

「お久しぶりですね。私の事、覚えていますか」

「ええ、以前、こちらの神社に来てくださいましたよね」

 突然の再開だ。彼は晴れた顔をしていて、周囲を見ると、彼の奥さんと娘らしき二人が手を繋いでいた。彼は殊勲の品とばかりに、右手をある物を掲げた。それはあの時のツメミクジだった。

「実はあれから、無事、就職が決まったよ。このツメミクジのおかげでね」

「それはおめでとうございます」


*詰将棋3*


 記念品を見せてもらう。図面に写る、海底洞窟みたいな駒の並び。僕が答えを見つけられなかった詰将棋だ。けれど、今の僕は昔の自分よりも、沢山の詰将棋を解いてきた。様々な手筋やあっと驚く仕掛けを、僕は沢山、学んでいた。暫く考えた後、見えてきた。沢山の駒を繋ぐ発想の裏をかく詰み筋だ。あの頃、見つけられなかった終盤数手の変化を、僕は半年以上を費やして、遂に発見した。

 最後のとどめは最初の形では見えづらい。様々な可能性を探す力、そして、絶対に諦めない不屈の精神が必要だった。彼はどんな時でも、希望を捨てなかった。

 彼は、話してくれた。妻が自分に影響を与えないように実家に帰っていた事。そして、新しい仕事が順調にいく中で、夫婦と子供が同じ屋根の下で生活することが戻ってきてくれた事を。

 こうして遠目から見る、三人の幸せそうな姿はなんて美しい光景なんだろう。諦めずに行動すれば何かが起きる事を、僕は彼から教わった。


 遂に例祭が始まった。神社では笛が吹かれ、鉦や小太鼓が打ち叩かれていた。葉っぱから大きな水滴が落ちる音も、この音楽によってかき消される。その三色の音だけが、境内に響き渡った。

 この世界で日々起きる、波や風や地殻変動。そして、心臓の脈。地球上、途絶える事の無い周期的な韻律に、この聖地の鼓動が重なっていく。

 そして、音楽は止み、烏帽子を被った神主が枕詞を読んでいく。皆、頭を下げ、不動の姿勢で突っ立っていた。二人目の神主が奉り終えたところで、再び、賑やかな音楽が再開された。それから、様々な恰好をした人々が、順番に舞を舞っていく。やがて、ナツミさんの番になる。彼女は巫女装束の衣装を着ていた。常盤色の榊を両手に閃かし、音楽に合わせてしなやかに踊る。


 くちなしの花のような、白い衣装に包まれた服から腕が伸びる。潮騒のたぎりに思いを寄せる瞳。微動だにしない上半身。すらすらと軽い足さばき。ちぎれてしまいそうな華奢な体を、思うように動かし、大地と呼吸する。生命の宿る木々の精霊となって、神にその身を捧げる。曇った空の下で吹いた風は、彼女の息遣いが共鳴して聞こえてくるようだった。

 この習わしは彼女にしかできない天命なのだろう。ナツミさんが聖女となって、神々の前で雅やかに舞う時、僕と彼女の距離は見えないほど、遥か遠くに感じてしまう。神との共生を定められた彼女と、ただ、ぼんやりとして過ごしてきた僕の明暗が、強烈に映し出されている。

 自分の役割を認め、覚悟を決めて全うするナツミさんの眼差し。出会ったときのあどけない雰囲気は、微塵も感じられない。彼女は立派な大人になっている。ああ、そうか。こうして少女は母になっていくのか。

 酒に酔い、お互いを求め合った夜。僕は彼女と同じ立ち位置に居るように感じた。でも、それはまやかしに過ぎなかった。彼女の成長速度は僕を凌駕していた。


 少女はいつからか、月経の痛みを機に、自らの性という宿命に気づかされる。葛藤を抱えた娘たちは、様々な男に翻弄され傷つき、やがて、女としての定めを受け入れる。一人の男と添い遂げ、愛情の種を植え付けられた女は、体内に子を宿し、出産して母になる。

 出産の痛みを乗り越え成長し続ける女。それは青年以降、肉体の変化も無く、衰えるしか先のない男にとって、絶対的な溝のように思えた。先を進み続ける女性を、男は指をくわえて見続けるしかない。丁度、彼女の舞を、僕が眺めているように。

 だが、時が経つにつれ、見ているだけでも幸せなのでは、と思うようになってきた。もともと、出会うことすら奇跡だ。ナツミさんは自分の宿命を認めた。であるならば、僕も潔く受け入れようじゃないか。力のある男に屈する。きっと彼女の子供は幸せだろう。そして、僕は君の穢れなき、その姿をただ眺める。これほど、幸せなことはない。


 全ての儀式が終わり、辺りに静寂が戻った。神主はそれぞれの持ち場に戻り、ナツミさんも別の神社で勤務にあたる。午後の一人きりの空間。嵐の後のような静けさだった。

 しかし、それを打ち破る女が現れた。露出の多い服を着て、艶めかしい巨乳をこれでもかと主張する、赤い眼鏡を掛けた若い女。アリサだ。彼女は参道を早足に進むと、参拝することなく、僕のいる受付の前へやってきた。それから、問い詰めるような勢いで質問が飛んでくる。

「例祭は、ナツミさんの舞いは、もう、終わっちゃったの、ねえ」

「残念ながら、午前中だったので、もう終わってしまいました」

 その答えに彼女は肩を落とし落胆した様子を見せる。

「ああ、やっぱりかぁ。せっかく来たのに面白くないな」

 彼女は家から神社まで鉄道を乗り継ぎ、三時間以上も掛かるらしい。途中で気づいたのかもしれないが引き返せなくなったのだろう。それでも、真実は自分の目で確かめなければ気が済まない。いかにも、彼女らしい行動だと思った。


 僕は落ち込む彼女に何かしてあげたいとも思うのだが、どうする事も出来ない。ただ、突っ立っているだけの僕に、アリサは不満げに口を開いた。

「ねえ、わざわざ来たのに何か振る舞ってくれないの、お酒とか」

 突飛な提案に仰天する。同じ女性なのにどうしてこうも違うのか。白百合のように嫋やかなナツミさんとは、対称的な存在だ。

「そんなもの出せるわけないじゃないか」

「けちだね。ナツミさんだったら、きっと出してくれるのに」

「まだ夕方なんだよ。たとえ成人になったからって分量をわきまえない奴は飲むべきではないね。お酒は大人の飲み物だから」

「お説教はいいから。早くそっちに上がらせて」

 このまま、開かずの門にしておくことも出来るが、アリサは受付の前で文句を言い続けるだろう。受付の仕事どころでなくなり、面倒だ。僕は仕方なく、玄関の鍵を開ける。すると、彼女は我が家であるかのように、大広間に向かい、日本酒を取りに行った。アリサを例えるのに相応しい花はなんだろう、と僕は考えていた。けれども、僕は行動的な彼女の後ろ姿を見ると、アリサは花ではなく、花と花を飛び回って蜜を集める蜜蜂、という例えがしっくりきた。


 アリサが僕の居る受付の部屋にやってくる。右腕には日本酒の瓶を抱え、左手にはお猪口を二つ持っていた。

「なんで、お猪口が二つあるの。僕は受付の業務中だから飲むわけにはいかないんだけど」

 彼女は僕の問いかけを無視して、二つのお猪口に日本酒を注ぐ。それから、僕の傍にあった折り畳み椅子を組み立て、そこに座る。

「どうせ誰も来ないじゃん。さあ、諦めて共犯者になりなさい」

「絶対怒られるよぉ。もう、どうなっても知らないぞ」

「普段、真面目にやっているから、一日くらい遊んだってナツミさんは許してくれるって」

 結局、例祭の終焉で物憂いを感じていた僕は、彼女の企みに与する事になった。二人で日本酒を一気に飲み干し、ほろ酔い気味になる。


 アリサは僕の机に置いてあるツメミクジに気づく。

「あっ、私が返したツメミクジだ。ちゃんと来た時に持ってくる約束。覚えててくれてたんだ」

「ええ、君が僕のご厚意を、お節介と感じたせいでね」

 少し語気を荒げた言い方だったが、彼女はそんなこと気にしない。自分が興味のあることを、直球で聞いてくる。

「そうだ、私まだ、あなたの恋愛について聞いてなかった。その後、ナツミさんと何かあったのかを。まあ、どうせカシワ君の事だから、何も発展してないだろうけど」

「ちょっと待って、そもそも、僕はナツミさんの事など」

「ふーん、下の名前で呼ぶようになったのかぁ」

 彼女は人の事情などお構いなしに強引に物事を進めるやり方につられた。油断していると、とんでもない事を喋らされるにちがいない。僕は少し警戒する。

「いいから、早く話して、まさか、本当に無いわけじゃないでしょ」


 押され気味になるのは少し悔しいので、僕は二月の温泉旅行の事を話した。きっと、アリサも二人きりで一日を過ごした、とは思わなかっただろう。僕は彼女が驚く様子を期待した。ところが、彼女は全てを聞き終えた後、こう返した。

「それだけ」

 僕は戸惑った。まさか、物足りないような感想が出るとは思わなかった。僕は慌てて、来月の旅行の事を思い出す。

「返信でも伝えたように今度、また日帰りで旅行する。しかも、僕がその旅行を考えて連れていくから、そのぉ」

「そんなのは友達とでも行けばいいじゃない。私が聞いているのはそういう事じゃない」

 僕は事実を伝えなければいけないのだろうか、彼女が近々、結婚の予定を立てる事を。でも、それはいまだに認めたくない出来事だった。口に出してしまえば認識していることになる。だから、黙っていたい。けれど、彼女は認めてくれない。


 迷った挙句、僕は全てを話した。彼女の婚約予定の事とその相手となる彼の人格の酷さ。それでも、彼女は村と神社の為に、その婚約を選んだという事。ナツミさんの責任感の強さを。けど、彼女は認めなかった。そして、その怒りの矛先は僕に向けられた。

「どうして、それを素直に受け入れられるの。あなたが愚図愚図していたせいだよ、これは」

「そ、そんなこと言われたって、どうせ僕が告白したってナツミさんを困らせるだけだ」

「困らせるって、どういう事」

「僕みたいな何も出来ないやつから告白されたって、断るしかないじゃないか。彼女は優しいから、とても気を使うと思うよ。それなら、何も言わない方がいい」

「嘘つき」

 恐ろしい剣幕だった。赤い眼鏡の奥の瞳は、怒りの炎を宿している。

「弱虫、意気地なし。そんなのは自分が傷つきたくないだけの言い訳だよ。そうやって、やり過ごしたって誰も相手にしてくれないよ」


 頭が真っ白になる。彼女が言う通りではないと思いたい。けれど、いくら探しても言い訳が出てこない。

「それとも、本気で弱者は恋愛する資格が無いと思っているわけ。それなら、あの男と同類だね」

「いや、そんなはずは」

「なんだ、じゃあやっぱり弱腰なだけだ。臆病童貞ってことか」

 年下の女の子に言いたい放題されるのは、流石に惨めだった。だが、彼女の勢いは止まらない。僕の膝の上に堂々と跨り、腕を伸ばして抱きしめる。そのまま、僕の耳元に顔を近づけ、色っぽい声で囁いた。

「ねえねえ、カシワ君、折角だし私の顔に噛みついてみてよ」

「噛みつくって」

 突然の提案に僕はキョトンとしていると、彼女は嘲笑うようにけしかけてきた。

「それぐらいしなきゃ、カシワ君は女の子と向き合えないと思ったけど、やっぱりあなたには出来ないね。とんだ腰抜けだね」


 彼女の官能的な雰囲気のせいだろうか。突如としてアリサを、自分のものにしたくなる欲望が湧き上がってきた。そう言われたので、僕は距離を詰め、彼女を抱き寄せる。アリサも僕の腰に腕を回した。お互いの眼鏡がぶつかり、鼻と鼻を密着させ擦りあう。彼女の体温の温かさが伝わってくる。ああ、ナツミさんという者が居ながらこんな事をしていいのだろうか。アリサがトロンとさせた目で僕を覗き込む。

「結局、カシワ君。あなたは女の子から逃げられない」

 僕は両手で彼女の顔を鷲掴みにしてから、舌なめずりをした。この年下の女の子に、僕という存在を植え付けたい。

「本当に良いの」

 アリサはうっとりとした表情で誘惑する。

「ええ、遠慮なく」

 アリサの艶っぽい唇から、蜂蜜のような甘い吐息が漏れた。ああ、もう堪えきれない。


 僕は意を決し、口を大きく開いて、アリサのふっくらとした左頬に歯を立てた。温かい感触。味は無いが、脂肪の弾力が唇を通じて伝わる。僕は噛む力を強めたため、アリサは唸りながら逃げようとした。

 まだだ。僕の変態的な欲望で、彼女をもっと支配したい。僕は唇を覆うように密着させ、さらに深く、アリサの頬に印をつける。彼女は獣のような咆哮を上げ、一匹の雌になる。しかし、本殿の奥の方から車の音がしたため、僕は慌てて止めた。アリサの顔に、僕の前歯の噛み跡と少しの唾液が、べっとりと残った。

「ごめんよ、痛かった」

「全く、性欲だけは一丁前だから。潔く玉砕されてよ、この変態」

 そう強気に言い返されたが、やはり、彼女も耳にしていたようだ。アリサはは慌てて帰り支度をし、僕に背を向ける。合意があったとはいえ、やりすぎたかもしれない。でも、アリサは自分を犠牲にしてまで、何かを訴えかけたかったはずだ。物分かりが悪い僕でも、そのことぐらいは気づいている。彼女が素直ならもっと気持ちに寄り添えただろうけど。


「待って」

「ナツミさんが帰ってきちゃった。もう行かなきゃ」

 振り返った彼女に僕は距離を詰め、両腕を彼女の腰に巻き付け、再び、抱き寄せた。

「ありがとう、可愛いアリサ」

 僕はアリサの顔にある丸い凸起に、自分の顔の凹みを覆いかぶせる。そして、すぐさま連結を外した。

 しっかりと受け止めた彼女は眉間に皺を寄せ、いかにも臭そうな顔をする。それから、笑顔になり、右手を水平に伸ばす。その意味を理解した僕は、右頬をそっと、彼女に差し出した。

「本っ当、変態」

 小気味良い音が部屋に響き渡った。気が付くと男から頬に刺青を施された乙女は去っており、入れ替わりでナツミさんがやってきた。当然、日本酒の瓶とお猪口に目が行く。

「鈴懸さんが突然やってきて、お酒をせがまれたせいで、僕も飲んでしまいました。すみません」

 僕はナツミさんから雷を落とされるのを覚悟した。だが、彼女は懐かしい名前を聞いて喜んだ。それから、少し残念そうに口を開く。

「そんなぁ、折角なら泊っていけばよかったのに」

 ナツミさんは悔しそうに落胆していた。結局、アリサの言うとおりになった。


 僕が二十三歳になった誕生日の夜。ナツミさんが寝静まったのを見計らって、僕は玄関から靴を脱いで外へと飛び出した。いつの日からか、詰将棋を考えるうえで、思い詰めて眠れなくなった時、僕は夜の神社の森を散歩するようになっていた。夏の夜空には無数の星々が、真っ暗な世界に光を当てる。

 鳥居の枠内では、半人半獣の賢者が赤い蠍に向けて、弓矢を引こうとしていた。そこを抜けると、杉の葉の面積が増えていき、真っ暗な森へと入る。

 風の無い静かな夜。僕はこの行く先を匂いで覚えている。西の方角から放たれる上品な甘い香り。さらに進むと、小川のせせらぎの音が聞こえてきた。そして、最後に視力を刺激したのは、若草色に点滅する蛍の大群だった。その光で照らされるのは、白く神々しい花を咲かせた月下美人だ。昨日も咲いていたので今日は拝めることは出来ないと思っていたが、枯れずに待ってくれていた。


 僕はここで詰将棋の構想を練っていた。だから、ナツミさんに教えてあげることは出来ない。携帯の画像を見て、最終確認をする。最終手が二つに分かれてしまうのは惜しいが、明日が当日なので割り切らなければならない。若干の失意を拭いながら、僕は社務所へと戻る。

 布団に入った後も、僕は明日の逢引について思いを巡らせていた。旅の舵取りは僕がする。上手くいくだろうか。流されずに進めるだろうか。頭が不安でいっぱいになる。そんな時、僕はツメミクジに頼るのだった。


*詰将棋11*


 それは持ち駒が金四枚の一種持ち駒だった。その金を全て捨ててしまう豪快な詰めあがり。玉を詰ますためには何一つ残さない。

 そうだ、今の僕に必要なのは、この思い切りの良さだ。彼女を捕まえることが出来るのなら、富も名誉も僕には必要ない。君に全てを捧げたい。明日の時間に持てる全てを、出し切って見せる。僕は横になりながら、そう誓った。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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また、感想や誤字脱字など間違いの指摘も受け付けています。

宜しくお願い致します。



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