10 還元玉と虹色の愛
評価ページの下にコトブキ君の解いた詰将棋のリンクがあります。本章は「詰将棋10」です。ご参照ください。
僕が取り組んだことは単純なことだった。僕は駅の近くの図書館に歩いていき、そこで神職に関するありとあらゆる本を借りた。沢山の本が入った鞄は重たかったが、ナツミさんの暗い将来に比べたら、たいしたことは無い。僕はバスを降り、神社へと続く男道を登る。森と森の間を吹き抜ける夏疾風。傍で咲いていた、背の高い立葵が揺れている。
最初にこの道を通った時もそうだった。木々の騒めきを恐れながらも、耐え難い現実から逃れるために進んだ山道。あの時と違うのは、ナツミさんという味方がいる事だ。彼女を苦しませる敵を倒すためなら、僕はどんな労苦だって惜しまない。
大広間に戻り、僕は本を読みながら、大事な箇所を筆記帳に写していく。お昼になり、ナツミさんがおにぎりを持ってきたので、一旦、勉強をやめる。
おにぎりを二人で頬張りながら、ナツミさんがお淑やかな態度で聞いてくる。
「コトブキ君、突然どうしちゃったの。そんなに勉強して、何か理由でもあるの」
君の為だ、などと言うことは恥ずかしいし、気が引けた。
「僕も宮司になって、神社を守る神主になりたいと思ったのですよ」
「本当、それは素敵なことだけど、せっかくの休日だから休憩はちゃんと取ってね」
優しい言葉をかけてから、彼女は受付へと戻っていく。言葉とは裏腹にやる気が引き出される。
僕は神職の仕事についてしらべていくうちに、神職になるための資格が、講習会や大学でしか取得できないのが分かった。そこで僕は夜、ナツミさんに質問することにした。
その日の夕食で、いつも通りに食事をしていると、彼女のほうから話題を振ってきた。好都合だ。
「コトブキ君、一生懸命勉強しているけど、ちょっと勢いが怖いよ」
彼女が大広間を通るたびに勉強している姿を見ていたのだろう。日頃、のんびりしている僕とのあまりの変わりように、驚きを隠せないのは仕方がないだろう。しかし、僕は彼女の心配を軽視する。
「神主になるには、講習会に参加する必要があるのですよね」
「そうだけど、コトブキ君は本当に宮司になるつもりなの。私が言うのも変だけど、財政面ではすごく大変だよ。小さなところでは神社の掛け持ちは当たり前だし、そうでなければ、副業をする必要だってある」
「いいえ、構いません。僕は早く神職になって、いずれはこの神社を継ぎたいです」
「わ、私の神社は大丈夫だよ。だって、私の神社はコウジさんが継いでくれるから。コトブキ君は自分の好きなことに、将来を賭けるほうが良いよ」
彼女は惑わされている。神社を大切にするあまり、視野が狭くなっているように見えた。
「先輩は本当にあの男と結婚するつもりなのですか」
「そんなにあの人のこと、嫌い」
「いいえ、でも、やっぱりナツミさんとは合っていないと思いますよ。あの男はナツミさんを物ぐらいにしか思っていないでしょうから」
「そんなことないよ、コトブキ君。確かにあの人は少し高圧的な所があるし、君は苦手かもしれないけど、彼にも素敵なところはたくさんあるから」
彼と平気で呼んでくるナツミさんに腹が立った。僕は彼女のためを思って言っているのに、まるで僕が部外者であるような物言いをされる。
「それに彼はね、元々奥さんにも逃げられて、女性に対して嫌悪感を持っているから。だから、ちょっと強気な態度出てしまうだけで」
確かに、それはかわいそうかもしれない。けれども、その離婚は妻だけが悪いのだろうか。彼の態度にも問題があるのでは、と考える事は少々意地悪かもしれないが。
「とにかく、コトブキ君、無理して私の為に努力しようとするのは辞めてほしい。気持ちはありがたいけど。正直、その時の君は全然楽しそうじゃないから」
「分かりました。とにかく、明日から仕事なので、普段通りに寝ます」
心の内では徹夜で勉強しようと思っていたが、流石に彼女との亀裂を生むだけに思える。だが、僕は明日の仕事も隙を見ては、神主を目指す機会を得る努力をするつもりだった。
梅雨雲は空を覆いかぶさっており、雨がザーザーと降っている。そのせいなのだろうか、全くといっていいほど、やる気が湧き上がらない。昨日までの勇ましい態度は何だったのだろう。沸騰していた彼女に対する使命感は、とうに冷め切っていた。
僕はおもむろに眼鏡を掛け、時計を確認する。時計の針は、朝拝の時刻を指しているのに、まだ着替えすら済ましていない。ナツミさんが心配して、僕の部屋にやってきた。
「コトブキ君、大丈夫。体調悪いでしょう」
僕はしばらく無言でいた。最早、返答することすら、面倒くさい。
「やっぱり、昨日、無理するからだよ。今日は休んだほうがいいよ。給料は引いたりしないから安心してね」
僕は彼女の優しさに甘える事にした。
「お昼には戻ってくるから。でも、体調が苦しかったら遠慮なく連絡してね。私、直ぐに駆けつけるから」
そう言うと、彼女は普段通りに参道の掃除に向かっていった。
薄暗い天井をぼんやりと見ながら、僕は時間が過ぎるのを待った。ずっと寝ている事も退屈だ。ただ、今から着替えるのも気怠く感じる。
そもそも、僕は何のために働くのだろう。それはナツミさんの為だろうか。いや、違う。彼女にそんな義理は無い。なぜなら、彼女は今年の秋、村一番の優秀な神主と結婚し、二人でこの神社を守っていく。故にこの神社は安泰だ。
では何故、僕はこの神社で勤務する必要があるだろうか。毎朝、ほとんど、誰も来ない神社を一生懸命掃除する。そして、お守りの授与や参拝者が困った時の備えとして、受付をしている。
だが、参拝客が通り過ぎる事はよくあったし、受付を訪ねられる事のほうが珍しかった。はっきりと言えば、僕は居なくてもいいような存在ではないのか。
それでも働いていたのは、この場所の居心地がいいからだった。ナツミさんは僕に対して、出来ないことがあったとしても、怒らずに対処してくれた。そのうえ、彼女は他の人物に対してもそういう態度は示さなかった。今までで生きてきた世間の人々とは違う、優しさを持っていた。ナツミさんだけは違うと思っていた。
でも結局は彼女も、優しさより強さを選んだのだった。人に対する優しさなんて、強さの上では石ころぐらいの価値しかないのだろう。浅ましくも彼女は、人類は皆平等みたいな顔をして、下にいる人間を心の中で見下している。玄関から物音がした。どうやら、帰ってきたようだ。あの女が。
彼女は僕の部屋にすぐさま駆けつけ、腰を下ろし、僕の耳元で優しく囁く。
「コトブキ君、体調は今どんな感じ、苦しい」
彼女は何も答えない僕に対し、余計、心配してくる。
「お昼はお粥を作るし、それが嫌なら栄養のあるゼリーも買ってきたから」
きっと、彼女は僕の仮病に気づいているだろう。それでも、優しい人の振りをして、彼女の健気な人間性を保っていた。もし、本当に気づいていないのなら、純粋な馬鹿だ。
「本当に大丈夫なの。出来る事なら、私、コトブキ君の為にどんな事でも聞くから、要望は遠慮せずに行ってね」
演技をし続ける彼女にイライラした。ずっと僕を欺き続けるつもりだ。本当に腹の立つ女。
「あの、全然、体調悪くないので。気づけよ、バーカ」
怒って見ろよ、そう思っていた。しかし、彼女は困惑していた。うろたえていたと言ってもいい。どうすればいいか分からない、と言った表情で必死に言葉を探している。そして、自分に言い聞かせるように
「コトブキ君は、本当に疲れているだけだよ。ちょっと心が疲れているから、お休みにしよう。お昼はいつも通りでいいよね」
逃げるように台所に向かっていく。暫くして、おにぎりを三つ持ってきた。あくまでも平静を装う彼女が憎い。
「コトブキ君の好きな梅干しが入っているよ」
「要りません」
差し出した手を思いっきりはねのける。彼女がびくついていた。ただ、おにぎりを皿から落とさないよう腕を平行に保ち我慢していた。彼女は横向きに寝ていた僕の背中側にお皿を置く。
「お腹がすいちゃうから、ちゃんと食べてね。困った事があったら携帯で呼んでね」
そう言って、彼女は部屋から出ていく。僕らはその日初めて、同じ屋根の下に居ながら、別々の部屋で食事をした。
ああ、どうしてこんなことをしてしまったのだろう。おにぎりを食べながら、このうえない自己嫌悪の渦に、頭の中が支配されていく。これで、彼女とは見向きもされなくなるのが確実だ。具材として使用されている梅の味が、いつもより酸っぱく感じた。
僕は本当に何の取り柄も無い人間だった。体力も知識も、人と上手く立ち合わせる要領の良さも持ち合わせていない。おまけに手先も不器用かつ、神経質で眠れなくなったりする。だから、有名な国民的漫画の、無能とされる主人公の少年ですら、僕にとっては優秀な人間に見えた。
僕はもう、社会にとって明らかに不要な人。もっと厳しい言い方をすれば、有害な人材であることは間違いない。僕は生きていく資格すら、無いのかもしれない。
思えばナツミさんも可哀想な人間だ。こんな人か妖怪かも分からない僕に、恋心を抱かれてしまったのだから。そのせいで、僕と同じ空間に居続ける事に嫌気がさした。そして、あの血も涙もない、意地悪な中年の男と暮らす決断に至ってしまった。僕が存在する限り、周りの人間は不幸になり続けるのだろう。
例えば、集団競技や合唱コンクール等の組織としての活動において、自分の無能さが仲間の足を引っぱることは、今までの人生において何度もあった。そのたびに、怒ったりがっかりしたりする人が現れる。
もしも自分の性格が人の不幸を喜ぶ薄情なものなら、どれだけよかっただろうか。けれども、実際はこちらも悲しくなり、原因が僕だということに強烈な自責の念を感じるのだった。
雨は降り続いている。僕は絶え間ない日常で放置していた問題を思い返していた。それは、この神社を辞めた後、どうやって賃金を稼ぐかについてだ。僕はこちらに移り住んでから、全くもって、このことについて考えてこなかった。こうした呑気さも、間抜けと揶揄される理由だろうか。
この短い人生を、僕は一生懸命生きているのか不安になる。ナツミさんに見放された僕としては、ここを辞めた後の事をはっきりと意識しなければならない。けれど、人としての能力も無いうえに、性格も最低な僕と一緒に仕事をしたい人はいないだろう。そもそも、性格は良いと今まで評価されていたが、そんな普遍的で曖昧な長所が出る所からして、褒められるところが無い証拠だ。
むしろ、これでよかったのではないか。いっそ、仕事なんてしない方が良かった。向いている職種に出会えないのではなく、働く事、そのものが向いていない。だから、恋愛も仕事も傷つくくらいなら、しない方が良いに決まっている。
けれど、社会人になった今は、そういうわけにはいかない。今まで迷惑をかけ続けた両親にずっとお世話になろうと思っても、親は僕より先に老いる可能性が高い。そうなった場合、自立して働かなければならない。だが、社会は僕を異物として排除する。ならば、どうやって生きればいいのだろうか。
稼ぐ力が無いのなら、力ずくで物を奪うしかないだろう。そうしなければ生きていけないなら仕方がない。しかし、少し頭が働けば、それは帰って生きづらくすることは分かる。犯罪者という名詞が付いてしまえば、人はより近づかなくなるものだ。
ならば、もう死ぬ以外ないのかもしれない。人に迷惑をかけ、誰かに自分の存在を責められて傷つくのなら、いっそ死んだ方が楽なように感じる。本当は、周りと同じように、僕の能力で誰かに賞賛され、必要とされ頼られてみたかった。ところが、二十年以上生きてきた今なら分かる。そんな瞬間は僕には永遠に訪れないのだと。
小さい頃は、大人になれば、成長して頼れる存在になれるのだと信じていた。今はもう、その伸び幅は無い。この過酷な世界で、無能な人間は社会から見捨てられ、愛、平和、富、自由、名誉。何もかも手にできぬまま、一生を終えなければならない。
僕が死んだらナツミさんはきっと悲しむだろう。コトブキ君、どうしてどうして、と泣き続けるはずだ。自分を責めた日々が続いたのち、僕が大切でかけがえのない存在だって気づいてくれるに違いない。彼女は冷たい世間とは違い、温かい心を持った女の子だから。
だが、待てよ。本当に彼女は僕がこの世界から消える事を悲しむのだろうか。あの中年男と一緒になって、ほくそ笑んだりするのではないか。なぜなら、僕は知っている。
学生時代、早朝の駅で、自殺が原因の列車遅延が起きた時だった。群衆の中、労働者の男が、死ぬなら迷惑をかけずに死ねと吐き捨てたことを。また報道番組で、事件を起こした凶悪犯罪者が、死にたかったと白状したときだった。それに対して、女の評論家が、一人で死ねと罵倒したことを。
確かに、誰かに迷惑をかける事は擁護できる事ではないし、誰かの生命を奪ったのなら、尚更だ。けれど、死ぬことが肯定されるのもおかしい。あの大人どもは社会的な地位がある人間だった。世の中に少しでも乱れを生じさせる人間は、生きようが死のうがどうでもいいのだ。あいつらには、絶対に分かりやしない。落ちこぼれがどれだけ存在意義を求めて、もがき苦しんでいることか。
でも、真実は分からない。あいつらが正しいのかもしれない。学校の勉強は、学習能力の低い人間がいたところで、授業の進み方が変わることは無い。たとえ、教科書に書かれていることが、分かりそうになったとしても、教室は次の課題に進んでいたりする。待ってはくれない。弱者は子供のころから置き去りにされることを徹底的に身に染み込ませられる。
そして、僕の死体を見た聴衆は、こんな無様な生き方をするなよと、全ての人生を否定してくるだろう。その中に、ナツミさんもいて、表面上は悲しそうな顔をしている。しかし、頭の中ではこんな害虫の為に、葬式などの無駄な時間を消費しなければいけない不条理さを、自分の不幸を見つめている。
舐めるなよ。僕の中で復讐心がメラメラと燃え上がっている。本当に僕が悪いのか、本当に僕だけが悪いのか。お前らが排除してきた、放置してきたくせに。無傷でいられると思うなよ。皆で助け合って生きよう、そうやって偽善者の振りをして、善人になることで悪人を作り出した代償を、支払わずに済むと思いやがって。分からせてやりたい。僕がどんなに怒っているのかを。分かろうとすらしなかった世間に。あの女に。
その時、懐の携帯から通知音が鳴った。あの女か。
しかし、相手は意外な人物だった。僕は携帯を手に取り、文章を読んでみる。
『久しぶり~(*^^*) 今度、そっちの神社で例祭があるでしょ。私、見に行くから♡』
無駄に明るい文章と相手の状況はお構いなしに行動を決めてくる強引な報告。これは勿論、アリサからのものだった。この後、長い空欄があるのに気づいた。指をこすって、画像を下へとずらしていく。
『それと、ちゃんとフジサワさんに、コトブキ君のくっさぁい唾(>_<) 付けておいた?私、確認しに行くからね☆』
何てへんてこりんな文章なのだろう。ことわざには毒も練りこまれていたが、僕の思い詰めていた緊張感とはかけ離れた、馬鹿馬鹿しさを感じる。僕は呆れて物も言えない。毒を以て毒を制すとは違うが、何か毒気を抜かれてしまう、不思議さがある。
思えば、彼女も強烈な失恋を経験したはずだ。それでも、阿呆な文章を送る余裕はあるのだった。どうやら、僕は一人になれないらしい。
そうだ、僕はまだ、何も行動を起こしてはいない。僕の思いを正直に伝えたわけではない。人生を諦めるのは、その時からでもいいじゃないか。今、やるべき事は何だろう。そう考えると僕は自然とツメミクジの箱のある受付に向かい、お金を入れて一枚引く。
*詰将棋10*
狭い玉形。玉を前に進ませない強力な飛車の利き。遠くにある金になれそうな攻め方の歩。この歩を活用するにはどうすればいいだろう。幾多の詰将棋を解いてきた僕は瞬時にそう考える。退路封鎖、大駒の豪快な成り捨て、意味のある持ち駒、右往左往した玉は見事に初期位置に戻って詰んだ。
綱渡りのような手順の最後に見る事が出来る、奇麗な小駒の連携。不思議な縁で結ばれた僕とナツミさんの数々の奇跡。僕の脳裏に今までのささやかな幸せが蘇ってくる。
そうだ、目は二つある。どうして悪い所だけ見る必要があるのか。失いかけた正気と希望が心に戻ってきた。
雨は止んだ。濁った空から、不屈の光が僕を目覚めさせた。
その日の夕方、ナツミさんが帰ってきた。玄関の前で、僕は廊下の床に這いつくばった。そのまま、土下座の姿勢で彼女に謝る。
「今日は勝手な事ばかりして本当に申し訳ありませんでした。業務に支障をきたしただけでなく、ナツミさんの優しさを踏みにじり、僕は最低な人間です。それでも、それでも許してくるというのなら、僕は明日から精一杯働きますので。その、どうか、お願いします」
僕は切に願っていた。こんな懇願、受け入れてくれるはずがない。けれど、今は彼女に頼る以外、他にない。いや、そんな傲慢な考えではなく、ナツミさんに純粋に謝りたかった。それが過去に賜ってきた、彼女の優しさに対する、せめてもの報いだと信じて。
「コトブキ君、顔を上げて」
言葉に従い、彼女の顔を見上げる。ナツミさんはにっこりと笑いながら、言葉を続けた。
「ほら、そんな姿勢じゃなくて、立ち上がって」
僕は立ち上がり、ナツミさんと見つめ合う格好になった。彼女の瞳はうるうるとしていて、涙腺のダムは今にも決壊しそうだった。こらえきれなくなった彼女が、僕の体に抱きつく。
「本当に、本当に心配したんだから。私、コトブキ君が、コトブキ君が、どっかに行っちゃうんじゃないかって。私から離れちゃうんじゃないかって。私、また酷いことしたんじゃないかって」
「そんな、間違っていたのは僕ですから。ナツミさんは悪くないです」
稀に見せる彼女の激情が、僕の腕の中で溢れる。ナツミさんの目から涙が滴り落ちた。そして、それは僕も同じだった。二人は泣きながら、お互いの存在を何度も何度も確かめ合った。
何故、体から漏れ出る液体の中で、涙だけが美しいと感じるのだろう。泣きつかれた僕らは、再びお互いの顔を見つめ合う。ナツミさんの眼は少し充血していたが、長いまつげがキリっと立ち、瞳孔が光る。腕を外した彼女は、その瞳を閉じ、満開の笑顔で告げた。
「もう大丈夫だよ。コトブキ君、これからも、よろしくね」
許しを得た僕は、夕食後の入浴時、ナツミさんに対する気持ちについて考えを整理していた。二人の時間の残りは、少ないかもしれない。ならば、出来るだけ彼女を喜ばせてあげよう。そして、機会があるのなら、正直な思いを口にしよう。ナツミさんが困難に負けそうになった時、本気で片思いしていた男がいる実績が、彼女に自信と誇りを取り戻す。そうであるなら、僕は潔く玉砕したいと思う。
僕は右手を振り上げ、勢いのまま、お湯の水面に叩きつけた。強烈な水飛沫と共に、水中から泡が発生し、ブクブクと音を立てて消えていく。泡は数秒で消失し、衝撃で発生した波も収まる。僕はそれを見送ると、静かに浴槽を立ち、そのまま浴室を後にした。
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