第一章 第5話 少年の話
少年の母親の名前はレベッカと言うらしい。
数日前に船に乗って、母とここに来たと言う。
それが一昨日のことなのか、それより前のことなのか、5歳だと言う少年は定かに話すことが出来なかった。
河川の多いガーランド国は、水上交通が発達した国だ。
多くの人と物が、船で都市間を行き交っている。
ここフロウラング市は港街であり、またガーランドの交通の大動脈である大河、ルデリー川の河口に位置する都市でもあった。
母子は別の都市から来た可能性が高いが、少年は、自宅の住所を話すことが出来なかった。
少年の名前は、ルイと言った。
マリアンとロウジーを更に悩ませたのは、少年が苗字を言えなかったことだった。
きょとんとした顔で、「みょうじってなに?」と言われて、二人は困惑した。
5歳は、苗字が分からない年齢だろうか…。
「お父さんは?」
マリアンが尋ねると、また驚きの言葉が返って来た。
父親は、「ちょっと前に」死んだと言う。
つまり父親の死という大きな転機の後に、ルイとルイの母は、何かの理由でこの都市にやって来たことになる。
その不幸が、ここに来た理由と関わりがあるのかもしれない。
この日、街を歩いていたルイと母親は、突然あの男達に追い掛けられ、一緒に走って逃げたのだと言う。
だが途中で母親が転んでしまった。
「逃げて」と母に叫ばれ、そこからルイは一人で走って逃げたらしい。
母とはぐれた場所から、どうやってマリアンとぶつかった場所まで辿り着いたのか、ルイは説明出来なかった。
「あのおじさん達は、知ってる人?」
マリアンの質問に、少年は首を横に振った。
やはり親戚などではないのだろう。
母親はどうなったのだろう。
男達に捕まったのか。
そうでないなら、今頃必死にルイを捜しているのではないだろうか。
それにしてもどうにも穏やかならぬ話だ。
マリアンは、子供にも分かり易い言葉を選んで、ルイの家族について尋ねてみた。
ルイは一人っ子の様で、親戚の名前は一つも挙げることが出来なかった。
ガーランドは、警察が当てに出来ない。
各地が都市国家によって治められていた時代が長いガーランドが、外敵に備える必要性に迫られて突貫工事的に国家統一を成し遂げたのは、およそ七十年前である。
その際、軍隊に対する程の熱意を持って取り組まれなかったために、統合にしくじった組織が幾つかあり、その多くが未だにガーランドの人々を悩ませている。
警察はそんな組織の一つで、市民に「役立たず」と陰口を叩かれて久しい。
殺人事件でもあれば別だが、ガーランドでは市井のささやかな事件は、ほぼ庶民が自己解決せざるを得ないのだ。
奇跡的に治安のいい国なのでそれでなんとかなっているが、迷子の親捜しなど警察はまずしてくれない。
困ったことになって来た。
やはり自分の手に余る話かもしれない。
栗色の髪に、青い瞳の、レベッカと言う女性。
それだけの手掛かりで、広い都市からその女性を捜し出せるだろうか。
そもそも怪しげな男達に追われているこの母子は何者なのだろう。
もしかしたら母親が、追われるような何かの罪を犯している可能性もある。
この先ずっと、ルイの行き先が宙に浮いてしまったら――――――――――――
どうすればいいのだろう?
マリアンが不安を感じ出した時、玄関の扉が叩かれた。