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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第八章 吹き返す風の吹くまち
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第八章 第8話 小さな光

 もう一度、両手に力を込めた。




 その時、誰かの手が彼女の右の手首を摑んだ。



 びっくりして隣を見ると、執事の制服をまとった青年が立っていた。




 息を飲んだ。


 言葉が出なかった。




 それから無言で、レベッカは青年の腕から逃れようとした。



 何かを言って、分かって貰えるとは思えなかった。



 だが彼女がどんなに暴れても青年は微動だにせず、彼女の右手は欄干の上に抑え込まれたままだった。



 レベッカは遂に声を上げた。




「離して………離して……!!」




 掠れた声で、泣き叫んだ。

 黒髪の青年は、なおも動かなかった。




 その時。






「……あなたは物凄く、頑張ったと思います。」






 静かな声がした。





 レベッカは目を見開いた。


 抵抗をやめた。


 涙が溢れた。




 想像もしなかった、自分を肯定する言葉。


 黒く塗り潰したいと思うあの日からの自分の中で、たった一つ、ささやかにまともだったと言える気持ち。




 ルイを育てたいと言う気持ち。




 その小さな光を、この人は見付け出して、肯定してくれたのだ。




 泣き声が、口を突いて出た。


 声を上げて、レベッカは泣いた。


 黒髪の青年に手首を握られたまま、レベッカはその場に膝を着いた。


 青年は静かに手を離すと、そのままレベッカの横に立っていた。





「おかあさん!」

「レベッカさん!」



 ファゼルが顔を上げると、マリアンとルイが、橋を駆けて来ていた。



「レベッカ!!」



 もう一つ別の声がして、髪色の濃い男性が、橋のたもとに駆け寄っていた。



 水路の脇のみちを上流から下流に向かって捜していたジャンと、下流から上流へ向かって進んでいたロウジー達は、その橋にほとんど同時に辿り着いていた。





 駆け寄って来る小さな少年を、地面に座り込んだまま、レベッカは茫然と見つめていた。




 母の前で止まると、両頬に涙が溢れている母の顔を見て、少年は尋ねた。


「おかあさん、ころんだの?」


 ロウジーとジャンが、少年の後ろでマリアンに並ぶ。

 レベッカがすぐには応えられずにいると、ルイは一所懸命に言った。




「おかあさん、泣いちゃだめ‼」



 そして彼は小さな胸を張った。



「ぼくがおかあさんをたすけるからね!」




 誇らしげに言う息子を、ジャンは目をみはって見つめた。



 レベッカは泣きながら微笑わらった。






  ルイはもう、5歳になったのだ。







  彼はもう、こんなことが言える様になったのだ。







 ファゼルは初めて会う男性の顔を見て、それからマリアンとロウジーを見やった。

 マリアンはうつむいて、声を殺して泣き続けていた。


 ロウジーと視線が合ったが、金髪の同僚は何も言わなかった。


 それを見て、ファゼルはそっとレベッカの横を離れ、その男性に場所を譲った。







◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ロウジーは何人かの通行人に尋ねて廻り、目撃者を辿って橋に着いていた。


 虚ろな表情でふらふらと歩いていたレベッカは、目立っていた。

 辺りは暗くなっていたが、彼女が裸足であることに気付いていた人もいて、彼女は通り過ぎた人達の印象に残っていた。




 家に戻ると、ジャンとレベッカは、二人で話し合いたいとマリアン達に告げた。




 そのよる、レベッカとルイをジャンの家に残して、グラナガン家の三人は自分達の職場に戻った。

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