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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第八章 吹き返す風の吹くまち
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第八章 第5話 誰もいない部屋

 互いの家族にいつ挨拶に行こうかと話していた日々のこと。


 突然に、全てが滅茶苦茶になったこと。


 突然に、レベッカが目の前からいなくなり、会えないままに過ぎて行った日のこと、主人がレベッカを連れ去っていたこと――――――――――――――


 そしてフロウラングにやって来て、月日を経て、レベッカが身籠っていると知ったこと。




 ジャンは、安らかな寝息を立てているルイを見つめた。




 もしかしたら、とずっと思い続けていた。



 一度だけ、邸の外で出来た友人に、手紙で、レベッカの様子を見て来て貰えないかと頼んだことがある。


 使用人仲間の手紙でレベッカの子供が生まれたらしいことは分かっていて、もしやという思いが、頭から離れなかった。



 自分の子供かもしれない、とその友人に告げることはしなかった。


 ただレベッカの様子を知らせて貰えないかと頼んだだけだが、それでもそれが聞ければ、何か分かるかもしれないと思った。



 友人はジャンの願いを聞いてくれて、レベッカを訪ねてくれた。


 返事は、それ程待たない内に来た。



 友人からの手紙には、「レベッカも赤ん坊も元気で、赤ん坊は男の子だ。」と書かれていた。


 そして終りの方に、「赤ん坊は三カ月らしい。」とだけ、記されていた。




 自分の子供かもしれない。





 可能性が残り、そして何も解決しなかった。





 答えは分からないままだった。






 ジャンの話が途切れ、マリアンは黙っていた。



 飴色の瞳は、最低限の、粗末で小さな家具しかない家の中をそっと見回した。


 ジャンは、一人暮らしに見えた。



 六年の間、彼はここで、何を思って過ごしていたのだろう。



 これからどうするつもりでいるのか、レベッカの意思を聴こうと思っている。



 でも二人のことは、本人達にしか分からないことがある。


 部外者が無責任に、何かを言うべきじゃない。


 そう思い、マリアンは、ジャンに何かを言うことは出来なかった。


 だがロウジーは異なる判断をした。




 ほとんど静かに、ロウジーは言った。






「なんでレベッカさん一人に、全部背負わせた。」






 それはロウジーらしからぬ、力ない表情と口調だった。




 その静かな言葉は、ジャンの胸を深くえぐった。




 向き合う二人を、マリアンは言葉もなく見つめた。


 ジャンのは宙を見つめていて、ロウジーはジャンを真っ直ぐに見ていた。




 同じ静かさのまま、ロウジーは続けた。

 

 だが続けられた言葉には今度はどこか、力が込められていた。




「ルイは、あんたの子供だろ。」




 言葉も表情も凍り付かせて、ジャンは動かなかった。




 その時、ふにゃふにゃとした声がした。


 ルイの体がもぞもぞと動き、少年の目がぼんやりといた。



 全員はっとして、小さな子供を見やった。



 ルイは目の前のロウジーには、すぐには気が付かなかった。

 寝ぼけまなこで体を起こすと、少年は眠たげな声で尋ねた。


「おかあさんは?」


 そう言ってから、少年はロウジーの姿に気が付き、にこりと笑った。


「ロウジーお兄ちゃん。」


 やや硬い表情だったが、ロウジーは少年に、にっと笑って見せた。





 ジャンは、寝室の扉を見やった。



  『お母さん』――――――――――――――――――――



 随分時間が経っていた。


 少年は、母に会いたがっていた。



 どこか吹っ切れた様に、ジャンは立ち上がった。





 ルイは、自分とレベッカの子だった。





 寝室に向かったジャンに飛び寄る様にして、ルイはついて行った。



 自然に自分の隣に立ったルイの姿にちょっと驚いてから、ジャンは扉に向き直った。





 許されるのなら、自分が背負うべきものだったものを背負いたい。




 扉を叩く時、その向こう側にレベッカがいるのだと思うと、気持ちが温かくなるのを感じた。




 数回扉を叩いた。


 返事がなくて、ジャンは取っ手に手を掛けた。




  まだ眠っているのだろうか。




 普通なら、女性が休む部屋の戸を開けるのは躊躇ためらったと思う。



 だがこの部屋の中にいるのは、自分の妻だとジャンは感じた。





 扉を開けると、夜風が体に当たった。




 部屋の中は真っ暗で、ベッドの横の小さな窓がいていた。



 小机の上に白い鞄が、ジャンが置いた時の姿のまま置かれていた。






「おかあさん、いないよ?」



 ルイが所在なげに大人達を振り返った。




 マリアンの顔から血の気が引き、顔色が蒼白になった。

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