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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第八章 吹き返す風の吹くまち
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第八章 第2話 春風の吹くまち

 ヴァン=グレイド家は、レメンデルデ市の王族に連なる家だった。



 およそ七十年前に国家統一が為されるまで、ガーランドでは五十を超える都市国家の、それぞれに王が立っていた。

 そして現在でも、そのほとんどの都市で各王家の子孫が市長に就任しており、実質的な世襲政治が続いている。



 ファゼルの話によるとグレイド家は百五十年程前に、レメンデルデ国の当時の王弟が祖となり、興した家らしい。


 その、三代目の当主が自分のはとこに当たる王家の姫を妻に迎えるなど、王家との結び付きが強く、王制廃止後に没落していく王族・貴族も多い中、現在もレメンデルデでは権勢を誇る、名門の家だと言う。

 グレイド家はレメンデルデ市においては、どうやら絶大な力を持っているらしかった。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ジャンと名乗った男性は、食卓机の椅子に腰を降ろし、マリアンの後ろのルイを見つめ続けていた。

 紙と色鉛筆を与えられたルイは、木製の長椅子を机代わりにして、大人しく絵を描いていた。



 あれからレベッカは眠った様になった。


 レベッカが休んでいる寝室の扉は、ルイがお絵描きをしている長椅子の横にあり、中からはなんの音も聞こえてこないままだった。



 ようやくルイから視線を外すと、ジャンはマリアンに向き合った。


 ルイが大人の話をどこまで理解出来るかは分からなかったが、マリアンは一応声を落とした。それでもルイはすぐ真後ろにいたから、声が聞こえない筈はなかったが、止むを得なかった。



 衝撃的な出来事で、胸が激しく打っていた。

 だがマリアンは、努めて冷静に、静かに尋ねた。


「――――――グレイド家の当主が亡くなったのは、ご存知ですか。」



 ジャンは目を見開いてかぶりを振ると、寝室の扉を見やった。


  レベッカはそれで、自分を訪ねて来たのだろうか。



「わたしはルイが、街で追われている時に出会いました。」


 そう言われて、ジャンは話の内容と、もう一つ別のことにも驚いた。

 そしてもう一つの方から先に解決しようとした。



「その子は、ルイって言うんですか?」



 その言葉に、マリアンははっとして、一拍置いてうなずいた。


  この人はルイの名前も、おそらくは顔も、今日初めて知ったのだ。



 力なくジャンはうなずき、それから目で先を促した。


 一度息を吸い込んでから、マリアンは続けた。


 口が乾いた。


 だが彼らに関わるのなら、自分が誰なのか説明しなければならない。



「この子――――――――――――――ルイと、レベッカさんは、グレイド夫人に追われています。」

「夫人が?」


 想像もしなかった話に、ジャンは絶句した。


 感情の起伏と気性の激しい夫人の顔を、彼は思い出していた。

 六年前に、レベッカを邸から追い出したのも、夫人だった。



  まだレベッカのことを憎んでいるのだろうか。


 夫の死後に、レベッカを苦しめようとしているのだろうか。



 マリアンはしかしそこで口を閉ざした。


 あの場所で、レベッカは、ジャンを捜していたのだと思う。


 だがそれがなんのためだったのかは、彼女には分からなかった。


 自分とレベッカ達との関係は浅くないと納得して貰おうとしていたが、これ以上はどこまで二人のことを話していいものか、躊躇ためらった。



 マリアンを見つめていたジャンは彼女の言葉が続かないのを見ると、一度視線を伏せた。


 自分が話す番の様だった。



「俺とレベッカは、ヴァン=グレイド家の使用人でした。」


  グレイド家の使用人――――――――――――――――


 ジャンの言葉にうなずきながら、マリアンは、頭の中で情報を整理していた。


「…結婚する予定でした。」


 その言葉に、マリアンは胸が詰まった。



 レベッカの話がどこまで本当なのか、分からなくなったと思っていた。


 ジャンの存在を伏せていた以外は真実だったとして、レベッカとジャンに関わりがあったのはいつだったのかが疑問だった。


 ルイが5歳だから、大体六年前には知り合っていた筈なのは分かったが、その時レベッカが既に囲われ者であったのかどうかが分からなかった。


 二人に起きたことが、ぼんやりと分かりつつあった。




 二人は使用人同士として出会い、結婚を約束していた。



 18歳の女性は、突然に人生を狂わされたのだ。




 理不尽が、悔しかった。






 時報の鐘が鳴るのが聞こえた。



 待ち合わせの時間を、とうに過ぎている。

 ロウジーとファゼルが、きっと心配している。



 鐘の音を聞きながら、マリアンは立ち上がった。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 待ち合わせ場所に、急いで向かった。




 ロウジーの家で別れた時、レベッカは弱っていた。


 警察の聴取も受けることになっていたから、すぐには宿を動けなかったのだろう。


 でもそれだけではなくて、レベッカがフロウラング(ここ)に留まり続けていたのは、きっとあの男性ひとを捜していたからなのだ。


 だが本当は、彼女は同じ場所にいるべきではなかった。

 差し向けた追っ手が警察に突き出されたと知った夫人が、このまま引き下がってくれるかは、分からない。



 あの十字路が見えて来ていた。


 あの時のレベッカの表情が、胸に甦る。


 自分を見た時のレベッカのは、凍り付く様だった。




  ――――――――――――知られたくなかったのかもしれない。




 目の淵で、涙が溢れそうになった。



 一人の女性を襲った理不尽に、腹が立った。





 春風が優しく吹く中を、ロウジーとファゼルが歩いて来るのが見えた。


 随分時間を過ぎてしまったのに、二人とも自分を待ってくれていた。


 近くまで来ると、二人の青年は驚いた表情でマリアンを見つめた。




 躊躇ためらった。



  きっとレベッカは、知られたくなかったのだと思う。



 でもフロウラング(このまち)で、母子おやこを助けるのは、自分達だけだった。




「――――――――――――――レベッカさんと、ルイが。」



 そう言って二人を見上げた時、涙がこぼれない様にするのに、努力がいった。

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