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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第七章 もう一つの物語
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もう一つの物語 第7話

 街灯には、既に灯が灯されていた。


 ルイを日が暮れてから邸の外に連れ出したのは、初めてだったかもしれない。


 点灯夫達が街路を走り回っていて、それまで邸の窓越しにしか見たことのなかった点灯作業に向けるルイの眼差しは、好奇心で一杯だった。




「どこにいくの?」

と、手を繋ぐ幼い子に訊かれ、

「お船に乗るのよ。」

と答えると、小さなルイは、心底嬉しそうな表情かおをした。




 子供の足に合わせても、フロウラング行きの最終便に間に合う時間だったのが、まだしも幸運だったと思う。


 船着き場は男の邸とは方向違いだったから、もし今夫人が思い直して帰って来たとしても、鉢合わせる心配はなかった。


 夫人がそれから戻って来たのかどうかは分からないけれど、思った通り、レベッカとルイは無事に船着き場まで辿り着いた。



 岸辺には何艘もの船が停泊していて、夜の都市まちと船着き場は、穏やかな灯りに包まれていた。



  変わっていない。



 六年ぶりに見る光景だった。


 ここからジャンと、故郷の家族に挨拶に行く日を夢見ていた。


 どこか気持ちを騒がせる春の空気を吸い込むと、少しだけ胸が痛んだ。



 各都市を巡回する船は、まだ船着き場に到着していなかった。

 それから船に乗り込むまでは、レベッカは気が気でなかった。


 下りの定時船は、しばらくしてからやって来た。



 最終便は、乗船より下船の客が多かった。


 家族や友人の出迎えに来た人も大勢いて、すっかり日暮れたあとでも、船着き場は賑わっていた。



「おかあさん、すごいね!」



 無事に乗船してほっとしたのも束の間、初めて船に乗ったルイが興奮してはしゃぎ回り、少年が甲板から落ちるのではないかと、彼の母をひやひやさせた。




 遠くへ逃げるのであれば船は最善の手段ではあったが、そんなに遅い時間の船に、幼い子供を連れた女性が一人で乗船するのは珍しくて、目立った。


 レベッカとルイの行き先は、それからすぐに夫人に突き止められることになる。


 フロウラング到着からわずか三日で男達に追われることになろうとは、この時のレベッカは、まだ思っていなかった。




 やがてもやい綱が外された。




 出航の時、レベッカは、微かに震えた。



 ジャンを見つけられたとして、そのあとの行き先は、まだ何も思い浮かんでいなかった。



 七年を暮らした都市まちから行く当てもなく逃げる自分が、根を断たれた草の様に感じられて、その頼りのなさが、怖かった。



 ジャンと出会い、ルイが生まれ育った都市まちの灯が、ゆっくりと遠ざかって行った。

 

 川が静かな音を立てていた。




 最後にジャンの姿を見てから、六年が経っている。



 何も期待してはいけない。



 何度も自分に言い聞かせた。




 もしジャンの横に、別の女性や、子供の姿があったら、きっと辛い。




 だからルイに父親の顔を見せる以外のことは、欠片かけらも期待してはいけなかった。








 美しく、大きな港街に着いた時は、夜の十時を廻っていた。


 あれ程興奮していたルイは、その時にはすっかり眠ってしまっていた。

 ルイを抱えて動き回ることも出来なくて、船を降りたレベッカは、目に付いた一番近くの宿に入ってしまった。



 立派な宿の宿泊費はかなり高くて、宿泊の手続きをしてすぐに、失敗したと思った。


 だがこれ以上ルイを疲れさせては、5歳の子供はきっと体調を崩してしまう。

 日が暮れてからの突然の出発で、かなりの無理をさせていた。


 決して多くはない手持ちの現金が減って行くのは、精神こころが削られる思いがしたが、二、三日はここに留まろうと思った。


 生まれた家以外の場所に初めて泊まって、翌朝目が覚めると、ルイは部屋を走り回って再びはしゃいだ。

 彼には目にする物全てが、珍しかったのだ。



 レベッカはそれから二日、手紙の住所を訪ねることが出来なかった。



 ルイを休ませなければ、と思ったのもある。



 だがそれだけではなくて、ジャンを訪ねる勇気が、持てないせいもあった。



 そうして三日目に、レベッカはようやく決意した。





 フロウラングはどの道にもきちんと名前が付いている様だったから、住所が分かっていれば、場所は容易く分かるだろうとレベッカは思っていた。


 宿の一階の受付けで道順を尋ねると、受付けにいた男性は奥から冊子状の地図を取り出して来て、その場所を探してくれた。



 レベッカの当てはすぐに外れた。



 その地図には、都市まちの中心部である宿周辺の道や施設の名は詳細に書かれていたが、そこから離れる程、記載は簡略化されていた。


 目的の場所はここからだいぶ遠い様で、その近辺の細いみちの名前は、地図には書かれていなかった。


 宿の男性は、「この辺りではないか」と地図上を指し示してくれたが、そこは細いみちが何本も入り組んでいる様な場所で、幾つもの細いみちから、目的地を探し当てねばならない様だった。



  その近くまで行ってから、誰かに訊こう。



 そう思い、受付けの男性に礼を述べると、レベッカはルイの手を引いて、宿を出発した。



 歩き出して程なく、母子おやこを指差して、後をつけだした男達がいたが、レベッカはそれに気が付かなかった。




 彼らは、母子おやこがひと気のない場所に入り込むまで待っていた。




✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ ✣

第七章 終

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