第一章 第4話 青年の家
「ちょっと待ってな。」
そう言って少年を降ろすと、ロウジーは玄関を入ってすぐ左の長椅子に積まれていた雑多な物を、腕で払う様にして片側に寄せた。
人が座れる程の隙間は出来たが、木製の長椅子から細々とした物が床に落ちて、素材別に色んな音を立てた。
「ここ座ってくれ。」と、青年はマリアンを促した。
落とした物を拾う気はないらしい。
「坊主はこっちな。」
金髪の青年は部屋の真ん中の大きな机に歩み寄ると、机を囲む椅子の、手前側の一脚から、やはりそこに積まれている荷物を床に降ろして場所を空けた。
幼い少年がひどく困惑した顔をしている。
マリアンは止む無く家に足を踏み入れて、止む無く一人分の隙間が開けられた長椅子に腰を降ろしたが、尋ねずにはいられなかった。
「――――――――――ねえ、ロウジー。その箒と塵取り、なんで机の上にあるの?」
「うん?前回来た時使ったかな…………」
「――――――――――そのコップ、洗ってあるの?」
「えっ?…ああ、前回使ったままだな………」
「――――――――――奥に積んであるそれ、洗濯物なの?」
「………どうだったかな………」
「………」
足の踏み場もないとは、このことだった。
「――――――――――きたない。」
小さな子供が、実に真っ正直な感想を口にした。
ロウジーは食器が山積みにされた流しで布を濡らして絞ると、それをマリアンの患部に当ててくれた。
マリアンの左足の甲は、赤く腫れてきていた。
すっ飛んだ衝撃で、直後は上手く動けなかった少年は、実はマリアンよりも軽症だったらしい。
金髪の青年が少年のシャツとズボンを脱がせると、あちこちに小さな擦り傷を作っていたが、手足のどこにもぎこちない動きは見られなかった。
散らかり放題の家の主は、大きめの容器に―――どう見ても鍋だった―――水を汲んで来て、先ず少年の傷口を洗った。
「ちょっと冷たいぞ。」と予告はされたが、体のあちこちに水を掛けられた少年は、少し涙目になった。
それからロウジーは、部屋の左奥の棚から木製の薬箱を出して来た。
ちゃんと傷薬があるらしい。
ロウジーの指示に大人しく従って、少年は右腕を上げたり、左腕を上げたり、横を向いたりして、軟膏を塗って貰った。
玄関を入ってすぐのこの部屋は一家の居間兼台所の様で、部屋のほぼ真ん中に、今少年とロウジーがいる大きな食卓があり、壁沿いには棚や長椅子が置かれていた。
それにしてもどうやってここまで散らかしたのだろう。
とても少年の話を聴く様な雰囲気ではない。何か前途多難な気がしたが、感心半分、不安半分でマリアンはロウジーの世話ぶりを見守った。
やがて必要と思える傷に軟膏を塗り終えたロウジーは、一応少年の体の薬を塗った箇所に布を当て、それを包帯で縛ろうとし始めた。
だがそこまで小さな子供の世話を順調にこなしていたロウジーが、ここで躓きを見せた。
右斜めになり左斜めになりしては、弛んで崩れる包帯と格闘し始めたロウジーの姿を見るに見かねて、マリアンは立ち上がった。
結局マリアンが手際よく包帯を巻き、少年にもう一度服を着せた。
包帯の残りや軟膏を仕切りのある薬箱に戻してかぶせ蓋を閉め、マリアンは「はい」と言ってロウジーに箱を渡した。
だが、青年は一瞬戸惑った顔をした。
「―――――――――――――――――――」
どうも仕舞うという概念がない様で、マリアンが促さなければこの箱も卓上に置き晒しにされる運命だったのかもしれない。
一拍置いて青年は薬箱を受け取ると、ややおたおたとそれを元の棚まで仕舞いに行った。
先刻座っていた所からはよく見えなかったのだが、青年の背中越しに両開きの扉が付いた棚の中を見やったマリアンは、心の中で棚にお悔やみの言葉を唱えた。
部屋の縮図の様相を呈していた棚の中は、既に薬箱をどこから取り出したのか分からないくらい、物がごちゃごちゃになって、崩れていた。
管理責任があるのだろう本人は、棚の前で一瞬悩んでから、なんとか薬箱が入りそうな隙間を見つけるとそこに箱をねじ込み、扉を閉めた。
薬箱が発掘出来なくなる日も近そうだ。
何はともあれ、やっと本題に入れそうだった。
親切に世話を焼いたことが少年を少し安心させたのかもしれない。
幼い瞳の中に溢れていた不安が、ちょっとだけ和らいで見えた。
二人の大人が少年の前と横で椅子に腰を降ろして尋ねると、少年はようやく手掛かりとなりそうなことを話し出してくれた。




