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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第七章 もう一つの物語
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もう一つの物語 第5話

 訪問者は、何度か顔を見たことのあるジャンの友人だった。



 ジャンはこの都市まちの出身ではなかったが、レベッカと出会った時には彼はあの家で働き出して二年が経っていて、邸の外にも何人か友人が出来ていた。


 レベッカにとっては名前と顔を知っている程度の相手だったが、ジャンから、彼とジャンが親しくしていることは聞いていた。




 居間の食卓机に迎えられた彼は、「どうしているのか、気になって。」と言いながら、レベッカの後ろの揺り籠であどけない声を立てるルイを、表情を失ったで、じっと見つめていた。





 この人は、気付いていると思った。





 ジャンの友人はレベッカとルイの体調を尋ねて、それからレベッカに、ジャンが今フロウラングにいることを告げた。



 ジャンが都市まちを出たことをその時に初めて知り、自分の理不尽を分かりながらも、レベッカはほのかに傷付く自分を感じた。



 手紙をやり取りすることは出来た。



 これまでに、ジャンと連絡を取ろうと思えば出来た。



 そうしなかったのは、自分だった。



 茫然として過ごした日々の中で、何もかも元には戻れないと感じていた。




 自分には、ジャンに何かを言う資格はない。




 分かっていたが、自分の一部が胸の奥底で微かに、「ジャンはこの苦しみの中に、自分一人を置いて逃げたのだ」と囁くのを感じた。





 自分に、何かを言う資格なんてないのに。







 ジャンの友人の滞在時間は、短かった。

 帰ろうとする友人を、レベッカは玄関まで見送った。



 玄関を出ようとした男は、そこで数秒立ち止まった。



 少しの沈黙のあと、男は上着の懐から何かを取り出した。

 そして振り向き、それをレベッカに差し出した。


 レベッカがぼんやりと受け取ると、男は何も言わずに扉の方へと向き直り、邸を去って行った。


 ジャンの友人が訪ねて来たのは、後にも先にもその一度きりだった。



 男の姿が見えなくなってから、レベッカは手許に視線を落とした。


 手に渡されたのは、宛先が男の名になっている、開封済みの封書だった。



 裏返して、差出人の名がジャンであるのを見た時、一瞬呼吸が出来なかった。






 それから、ルイの昼寝中に、レベッカは自室で、震える手でその封筒を開けた。



 便箋は二枚だった。



 友人に宛てて、自分が今フロウラングにいること。工事現場で作業員として働いていること。



 近況が綴られていて、最後にわずか四行だけ、


  「レベッカがどうしているか、分からないだろうか。


   彼女の住所を書くので、もし可能であれば、様子を見て来て貰え

 

   ないだろうか。


   彼女がどうしているか知らせてほしい。」


と、レベッカの様子を尋ねる言葉が書かれていた。



 そしてこの邸の住所と、フロウラングのジャンの住所が記されていた。






 今更ジャンに連絡を取る勇気も自信も、レベッカは持てなかった。





 だがそれから五年の間、レベッカはその手紙をずっと持っていた。




 フロウラングのジャンの住所は、目に焼き付いて離れなかった。






 男が急死して故郷へ帰る支度を整えた時も、その手紙は布鞄に入れた。

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