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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第七章 もう一つの物語
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もう一つの物語 第4話

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「主人を殺す」と言い出したジャンを、自分は必死で止めた気がする。



 ジャンも自分も普通の状態ではなくて、その頃の記憶は混乱している。


 ただそんな恐ろしいことだけは、させてはならないと思ったのは覚えている。



 しがみつく自分をジャンが振り払おうとして、お互いに喚き合った。




 それからジャンは、部屋に現れなくなった。


 だからそれが、ジャンとの一番最後の記憶だ。




 同室の女中が仕事をしている間、一人きりの部屋で、レベッカはただ壁際にうずくまっていた。





 邸を追い出されたあの日、遠巻きに自分を見る使用人達の中に、ジャンがいない様に思った。



 ジャンに何か言わなければ、と、その時のレベッカには思えなかった。



 自分達の将来を、考えることが出来なくなっていた。




 「ジャンは今どうしているだろう」とようやく思えたのは、見知らぬ邸に連れて来られて、数日経ってからだった。



 だがその時も、ジャンと自分が結ばれる未来を、思い描くことは出来なかった。




 自分が身籠っているかもしれないと気が付いた時、恐ろしかった。


 それがどちらの子であるのか、レベッカ自身にも分からなかった。



 郷里の両親を頼ろうとした時、男の囲い者として暮らしていくなど、それでも、考えられないことだった。


 もう確かなものなど何もなくなってしまったと感じたが、心のどこかでジャンとの未来を、諦めきれていなかったのだと思う。



 結局この邸に残されて、果てしのない恐怖の中。



 ――――――――――ジャンの子だったら。


 ――――――――――主人の子だったら。


 ――――――――――生涯どちらとも分からないままだったら。



 何度か考えた。



 どの場合を考えても、地獄だ、と思った。





  ――――――――――――もう考えまい。





 考えると気が触れそうになるその問いを、レベッカは、心の奥に閉じ込めた。



 その問いは、出産の日までに、それでも時折頭をよぎった。



 何度が頭をよぎる内、せめてもジャンの子であってほしいと、レベッカは、微かに願う様になっていた。




 もし生まれる前に、ジャンの子だと知る術があったなら、レベッカは、男にそう告げていただろう。

 あの邸で子供を産むことは、きっとなかったと思う。




 レベッカは、そこで出産の日を迎えた。

 



 体を綺麗に拭かれたルイが自分の手許にやって来て、手に抱き締めた時。



 一目でジャンの子だと分かった。



 涙が溢れた。



 生まれたばかりだと言うのに、ルイは目元も、鼻筋も、髪の色まで、ジャンにそっくりだった。








 あの男が赤ん坊の誕生をひどく喜び、ルイを可愛がるのを見る時、怖かった。


 自分は恐ろしいことをしている、と思った。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 そしてルイが生まれて数カ月経った頃。レベッカを訪ねて来た者がいた。


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