もう一つの物語 第4話
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「主人を殺す」と言い出したジャンを、自分は必死で止めた気がする。
ジャンも自分も普通の状態ではなくて、その頃の記憶は混乱している。
ただそんな恐ろしいことだけは、させてはならないと思ったのは覚えている。
しがみつく自分をジャンが振り払おうとして、お互いに喚き合った。
それからジャンは、部屋に現れなくなった。
だからそれが、ジャンとの一番最後の記憶だ。
同室の女中が仕事をしている間、一人きりの部屋で、レベッカはただ壁際にうずくまっていた。
邸を追い出されたあの日、遠巻きに自分を見る使用人達の中に、ジャンがいない様に思った。
ジャンに何か言わなければ、と、その時のレベッカには思えなかった。
自分達の将来を、考えることが出来なくなっていた。
「ジャンは今どうしているだろう」とようやく思えたのは、見知らぬ邸に連れて来られて、数日経ってからだった。
だがその時も、ジャンと自分が結ばれる未来を、思い描くことは出来なかった。
自分が身籠っているかもしれないと気が付いた時、恐ろしかった。
それがどちらの子であるのか、レベッカ自身にも分からなかった。
郷里の両親を頼ろうとした時、男の囲い者として暮らしていくなど、それでも、考えられないことだった。
もう確かなものなど何もなくなってしまったと感じたが、心のどこかでジャンとの未来を、諦めきれていなかったのだと思う。
結局この邸に残されて、果てしのない恐怖の中。
――――――――――ジャンの子だったら。
――――――――――主人の子だったら。
――――――――――生涯どちらとも分からないままだったら。
何度か考えた。
どの場合を考えても、地獄だ、と思った。
――――――――――――もう考えまい。
考えると気が触れそうになるその問いを、レベッカは、心の奥に閉じ込めた。
その問いは、出産の日までに、それでも時折頭をよぎった。
何度が頭をよぎる内、せめてもジャンの子であってほしいと、レベッカは、微かに願う様になっていた。
もし生まれる前に、ジャンの子だと知る術があったなら、レベッカは、男にそう告げていただろう。
あの邸で子供を産むことは、きっとなかったと思う。
レベッカは、そこで出産の日を迎えた。
体を綺麗に拭かれたルイが自分の手許にやって来て、手に抱き締めた時。
一目でジャンの子だと分かった。
涙が溢れた。
生まれたばかりだと言うのに、ルイは目元も、鼻筋も、髪の色まで、ジャンにそっくりだった。
あの男が赤ん坊の誕生をひどく喜び、ルイを可愛がるのを見る時、怖かった。
自分は恐ろしいことをしている、と思った。
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そしてルイが生まれて数カ月経った頃。レベッカを訪ねて来た者がいた。




