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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第五章 レベッカ
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第五章 第5話 当主夫人

 夫人の後ろには、レベッカが見たことのない大柄な男達が続いていた。


 女中越しに自分を睨む夫人を見た時、恐怖を感じた。




  まだそれ程に、自分のことが憎いのだろうか。


  暴力を振るわれるのだろうか?



 

 貴婦人が、男ばかりを何人も引き連れている様は異常だった。


 六年ぶりに見る夫人の顔は、けんも化粧も濃くなっていた。喪に服すための暗い色の服に、濃い化粧は異様な力を持って映えていた。


 六年前から髪は真っ白だったが、毛量は変わらず豊かで若々しく、その分だけ、恐ろしかった。




「子供はどこ?」



 それが夫人の第一声だった。




 まさかルイにまで暴力を振るう気なのか。


 返事も出来ずに、レベッカはただ、今ルイがどこにいるのかを考えた。


 立ち尽くすレベッカの前で、夫人は傲然ごうぜんと、扉の正面に置かれていた優美な食卓机に歩み寄ると、真ん中の椅子を供の男の一人に引かせて、そこに腰掛けた。


 女中はさすがに表情に恐怖を浮かべて、押し入って来た客人達を見つめていた。



 ルイは今、もう一人の女中と、邸の二階の子供部屋にいる筈だった。


  ルイを連れて、逃げてくれないだろうか。


 二人の女中が機転を利かせてくれないかとレベッカは願った。


 夫人が連れてきた七人の男達は、夫人を取り囲むようにその後ろに立ち、彼らの威圧感に、レベッカは身がすくんだ。



「話があるわ。」



  話――――――――――――――――――――――



 夫人は意外なことを言い、レベッカと視線を合わせた。


 その射る様な眼差しに引き摺られる様にして、レベッカはふらふらと夫人の向かいの椅子に腰を降ろした。


 蒼白な顔色で、力なく向かいの席に座った娘を数秒眺めてから、未亡人は用件を告げた。



「夫の子を、引き取らせて頂戴。」



 予想外の言葉に驚いて、レベッカは顔を上げた。



  あの家でルイを――――――――――――――――――――――



 あまりに意外な話で、その瞬間には、断ろうとも同意しようとも、頭に浮かばなかった。

 ただ、もしそうなれば、ルイにはいい暮らしといい教育が与えられるのだろうとだけ、ちらりと脳裏をよぎった。



 だが、「子供はどこなの。」と夫人がもう一度憎々し気に言った時、ほんのわずかの、そんな淡い空想すら消え去った。




 いい暮らしも、いい教育も、その先には待っていないのではないか。


 この人は、なんのためにルイを引き取ろうとしているのだろう。




「今すぐ子供をここに連れていらっしゃい。」




 男達を後ろに従えて、夫人はそう言った。

 レベッカは愕然として、相手を見つめ返した。


 まさかこの人は、今この場でルイを連れ去ろうとしているのだろうか。



 若い母親が返事も出来ずにいると夫人は表情に苛立ちを見せ、そして立ち上がった。


「連れて来ないのなら、こちらで子供を探します。」


「待って下さい!!」


 ほとんど反射的にレベッカは立ち上がり、叫んでいた。

 きびすを返そうとする夫人に、レベッカは追い縋った。


「待って下さい、ルイはわたしが育てます!」


 夫人は振り返り、憎悪をたぎらせたでレベッカを睨みつけた。


「この家はあなたの物じゃないのよ。女中もあなたのものじゃないわ。」

「分かってます!ここは出て行きます。」

「それでどうやって子供を育てるつもりなの?」

「実家に帰ります!今荷造りをしていますから、あと二日だけ猶予をください!」


 夫人はただ顔を歪め、立ち去ろうとした。



 夫人にとっては、レベッカがルイを育てていけるかどうかなど、本当はどうでもいいことなのだ。


 この人は、ルイの一生を潰すためにルイを連れて行こうとしているのだ。



「待って下さい!!待って下さい!!出て行きますから!」



 悲鳴の様な声で訴えるレベッカに、最早夫人は返事すらしなかった。

 レベッカを無視して夫人は部屋を出て行こうとしており、男達がルイを探そうとするように、邸内に散ろうとしていた。



「待って下さい!!お願いです!!お願い―――――――――――――――…!」



 机を廻り込み、レベッカは夫人に取り縋った。


 夫人は憤怒の形相でレベッカを振り返り、彼女を突き飛ばすと、なんと彼女を蹴り飛ばした。


 到底、身分の高い貴婦人がするような行動ではなかった。


 だが自分のしたことに、夫人は自分自身でショックを受けたらしい。


 その途端に彼女のから怒りの色が消え、表情が弱気になった。



 足元でうずくまるレベッカを見下ろし、夫人は狼狽うろたえていた。




「また迎えに来るわ。」


 しばらくの動揺のあと、夫人はそう言うと、逃げる様に邸を去って行った。







 体よりも心への衝撃が大き過ぎて、レベッカはそこからしばらく立ち上がれなかった。





  逃げなければ。


  今すぐに実家に発とう。




 最低限だけの物を持って、今すぐにここを出ようと思った。


 思い直した夫人が、今戻って来ないとも限らなかった。

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