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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第五章 レベッカ
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第五章 第4話 母と子

 ルイが生まれると、老いた男はルイに夢中になった。


 レベッカの人生を滅茶苦茶にした男だが、「老いて出来た子供は可愛い」という、ごく平凡な気持ちも持ち合わせていたのだ。


 摑まり立ちする様になり、歩ける様になり、ルイに出来ることが一つ増えるごとに老いた男は喜び、高価な玩具おもちゃを幾つもルイに買い与えた。


 レベッカとルイの許を男は頻繁に訪れる様になったが、それでも、入り浸るという訳ではなかった。




 体の関係は多くはなく、六年の間に再び妊娠することがなかったのは、レベッカにとって心底救いだった。



 男は老いていたし、男の関心は、レベッカよりもルイに向いていた。



 レベッカは丁重に扱われ、度々高価な贈り物も貰ったが、それは「ルイの母親」という立場に対するものであった。


 警備の数は更に増やされ、レベッカとルイの外出は、いつも警護付きだった。



 二人の女中が衣食の世話はしてくれたので、レベッカはルイの世話に専念出来た。


 食事も排泄も、大人が手を貸さなければ出来ない小さな生命いのちに、レベッカはただひたすらに専念した。



 レベッカは、ルイを生かすためだけにそこにいた。





 いつしかルイも、手が掛かる赤ん坊ではなくなっていた。





 時折やって来る老いた男を「父親」と教えられたルイが、「自分の家庭が普通と違う」、と理解している様子はなかった。


 外出する時はいつも女中が警護の者が付いていて、ルイは近所の同じ年頃の子供と遊ぶこともままならず、ずっとレベッカにべったりだった。




 母子おやこ二人、世界から隔絶された様な五年を過ごした。




 幼いルイは、自分の環境になんの疑問も持っていなかった。








 レベッカの人生が再び激変したのは、男の邸から急使が飛んで来た、あの日だった。





 邸の階段から転げ落ちた男が死んだと聞いた時、レベッカは一粒の涙もこぼさなかった。




 微かな罪悪感と共に、レベッカはほっとしていた。



 これでようやく実家いえに帰れる、と思った。



 ルイももう手の掛かる年ではなく、実家の両親にも無理なく面倒を見て貰える。

 両親にルイを見て貰えれば自分は働きに出られるし、そうすればルイを育て上げながら、生きていける。




 妻として、そして母として、ルイに父親の死を伝えなければならないのは、苦しかった。


 例え形式的にであっても、妻としての役回りをこなすことが苦痛だった。


 だが伝えない訳にはいかない。



 邸の居間で、レベッカはゆっくりと、嚙み砕く様に、ルイに父親に起こったことを説明した。


 「数日おきに家にやって来る男の死」が、5歳のルイにはよく理解出来ない様で、あれ程可愛がって貰ったのに、ルイも、涙を流すことはなかった。





 警護の者達は、すぐにいなくなった。


 二人の女中達は困惑していたが、給金を支払う者がいなくなったのだから、彼女達も身の振り方を考えなければならなくなった。



 六年の間には女中も入れ替わり、その日までにレベッカとルイは、四人の女中に世話をして貰った。


 女中達は四人とも無礼ではなかったが、特にレベッカには、皆どこか冷淡だった。

 元は自分達と同じ一女中に過ぎないレベッカが、自分達に世話される身になっていることが、不愉快である様だった。


 お互いに親しみを抱くことがない関係だった。

 自分とルイの今後や行き先に、彼女達が口出しして来ることはないだろう。



 葬儀に参列することも求められなかったレベッカは、すぐに実家に宛てて手紙をしたためた。


 男が亡くなったことと、郷里に戻ることを、知らせるためだった。



 故郷に帰りたいと言えなかったあの時の自分を、六年を経て、若く、弱過ぎたと思う。


 どんな返事が来ようが、今度こそ故郷に帰ろう。


 そう思い、レベッカは両親の返事を待たずに、帰郷のための支度を始めた。




 レベッカは老齢の男に、「自分が死んだ時のために、こことは別に、小さな家と幾ばくかの財産を残す」と告げられていて、家の場所も教えられていた。つまりこの美しい邸は、レベッカとルイの物にはならないのだ。


 それでよかった。このままただここを出て行けばいいだろう。


 両親がまだ元気な今なら、故郷へ帰れる。


 男が自分の死後のために用意したその家に、住む気もなかった。



 二人の女中も行く当てが出来た様で、じき邸を出て行くと告げて来た。



 喪中の邸内は、全員の引っ越し準備でそれから奇妙に活気付き、レベッカは数日を慌ただしく過ごした。





 いよいよ明後日あさってには郷里へ発とうという日の夕方、居間の扉がいて、女中が動揺した表情で、客の訪れを告げた。


 その客は既にその後ろにいて、扉を入って来ていた。






 それは六年ぶりに見る、夫人だった。

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