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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第五章 レベッカ
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第五章 第3話 娘と両親

 レベッカの世話をしている二人の女中達も、レベッカに生理が来ていないことに気付いていた。


 やがて悪阻つわりが始まり、レベッカと女中達の疑念は、確信に変わった。




 未来のない、絶望の暗いあなに突き落とされた様に思えた。




 一人で、どうやって子供を育てて行けばいいのだろう。


 赤ん坊の世話をしながら、毎日火を起こして料理や風呂の支度をし、何枚もの衣類を洗って干す暮らしの困難は、容易に想像出来た。


 働きに出ようにも、赤ん坊の世話を任せられる人がいなければ、叶わない。



 実家の両親を頼る以外、道はなかった。




 レベッカはようやく、郷里の母と父に向けて手紙を書き出した。




 自分の身に起きた出来事を言葉につづる時、吐き気がした。




 崖のふちかじり付く様に、ぎりぎりの場所で精神こころを保って、18歳の娘は、たすけを求めた。





 報せを受け取った両親は、郷里の都市まちから、レベッカの許へ駆け付けた。


 警護の者や女中達はレベッカが自由に外出することは許さなかったが、来客は制限しなかった。


 やって来た両親を女中が邸の居間に通した。


 その前に姿を現す時、自分の身に起きたことが恥ずかしくて、レベッカは罪人の様な気持ちだった。




 当初両親は、特に父親は、邸の主人の乱行に激しく憤っていた。



 だがやって来て、娘が美しい邸で女中達にかしずかれているのを見ると、二人とも幾らか気持ちを収めた。



 象嵌ぞうがんの施された優美な机を挟んで、両親とレベッカは、向かい合わせに座った。



 その部屋には、緋色のカーテンが掛かけられた大きな窓が並んでいて、その窓越しに、よく手入れされた美しい庭が見えていてた。腰掛けた椅子は絹張りで、朱色の地に、華麗な刺繍が散らされていた。


 象牙色の服をまとったレベッカの顔色は青かったが、それは両親が見たことがない様な、美しい服だった。




 両親はず、娘の体調を尋ねた。


 悪阻つわりの状況を訊き、に体の不調がないかを尋ね、それから訊きにくそうにしながら事件が起きた日にちを尋ねた。

 子供がいつ頃生まれることになるのか、知っておかなければならなかった。


 子供が出来た喜びとは程遠い暗い空気の中、再会した親子はぼそぼそと言葉を交わし、ほとんど事務的とも言える確認を重ねて行った。




 やがて父が、「まあこの環境なら子供を育てられるだろう。」と言った時、予想もしなかったその言葉に、レベッカは言葉を失ってしまった。


 咄嗟に何も言えなかった。




 父は娘を身籠らせた当主が、娘と生まれて来る子供の世話をするのは、当然だと考えていた。




 その瞬間に、誰も助けてくれないのだと言う絶望感に心を覆われ、レベッカは声が出せなくなった。




 今にして思えば、ただ「家に帰りたいのだ」と言えればよかったのかもしれない。



 その時18歳の娘は、そのあとの母と父の話を、血の気の引いた顔で、ただ黙って聞いていた。




 父の頭の中に、レベッカが人並みの結婚をして生きる未来は、もうなかった。


 心のどこかでまだ微かに信じていた、あるかもしれない明るい未来を否定されるのを感じて、レベッカは口を開くことが出来なくなった。






「体に気を付けて、元気な子を産みなさい。」

 最後に母はそう言って、レベッカを抱き締めた。




 そして二人は郷里へ帰って行った。




 それから出産までの間に、両親は数回、レベッカに会いに来た。


 出産前の娘を励ますためだったが、二人がレベッカに、「実家いえに戻って来い」、と言うことはなかった。


 静かな絶望と諦めの中、レベッカも、「帰りたい」と訴えることはなかった。







 やがてレベッカは、出産の日を邸で迎えた。

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