第一章 第2話 金髪の青年
まさかこの子の母親だけ、あの男達に捕らわれているのだろうか。
「おかあさん」
路地に座り込んだままもう一度そう言って、少年は泣きじゃくり出した。
「ぼく、お母さんがどうしたの?」
ここでぼやぼやしていたら、あの男達が戻って来るかもしれない。
だが少年が泣いているだけでは状況が分からなくて、どうするべきか判断がつかない。
マリアンは、この都市に来てまだ二カ月だった。
街のこともよく分からないし、助けて貰える様な知り合いもいない。
自分の手に余る様な話だったらどうしよう。
動揺と焦燥に心臓を摑まれながら、マリアンは幼い少年を見つめた。
掛けるべき言葉に迷っていた。
5歳か、6歳くらいだろうか。
首周りに白い蔦の刺繍が施された、七分袖の藍色のシャツを着ていて、象牙色のズボンも、刺繍付きのサンダルも、皆高級そうだった。
他人の物をひったくたり、盗んだりする様な身分の子供には見えない。
「おかあさん」と繰り返して、ただ泣き続ける少年に困り果てたその時。
「マリアン?」
名前を呼ばれて、マリアンはびっくりして自分の左を振り向いた。
長身に、服の上からでも分かるがっしりとした胸板。
白っぽい短く刈り込んだ金髪が、印象的な青年が立っていた。
私服の水色のシャツに灰色のズボンを履いていて、見慣れない服装のせいで、普段と印象が違う。
同じ年頃の、若者らしい姿だった。
「ロウジー!」
「こんなとこでどうしたんだ?」
全く同じことをこちらも訊きたい。
広い都市の何がある訳でも無い住宅街で、使用人仲間に出会うとは思わなかった。
青年は困惑顔のマリアンの方に歩み寄ると、泣き声の聞こえる路地をひょいと覗き込んだ。
「どうしたんだ、その子?」
「どうもお母さんとはぐれたらしいんだけど………」
はぐれたらしいのだけれど。
マリアンは言葉を途切らせた。
そんな単純な話ではなさそうな雰囲気だ。
「迷子か?」
「それが…………」
言い淀むマリアンを、ロウジーはうん?という表情で見返した。
「柄の悪い男達が、この子を追い掛けていたのよね。」
そう応えると、背の高い青年は、少し厳しい顔をした。
ロウジーは改めて、こちらを見上げている少年に視線を向けたが、彼の目にも少年の身なりは随分よく見えた。この辺りに住んでいる様な子供には、見えなかった。
ロウジーはその場にしゃがみ込むと、路地の奥に向かって声を掛けた。
「坊主。お母さんはどうしたんだ?」
少年は泣きながら小さく首を横に振った。
「わからない。」
「どこではぐれたんだ?」
「わからない。」
やり取りを聞きながら、あの男達がここに戻って来たらどうしようと、マリアンはひやひやしだしていた。
マリアンはロウジーと並んでしゃがみ込むと、同僚と顔をくっつける様にして、細い隙間を覗き込んだ。
「ぼく、泣き止める?さっきの人達にみつかっちゃう。」
その言葉で、少年は必死に声を殺す様子を見せた。
「あのおじさん達、誰?」
「わかんない。おかあさんが逃げて、って。」
涙を堪えながら、幼い少年はそう応えた。
どうにも不穏な空気だ。
「おかあさんはどうしたの?」
マリアンは、ロウジーと同じ質問を繰り返した。
「わかんない。」
「――――――――――――――――――――――――――」
どこかに安全な場所はないものか。
幼い子供から話を聴き出すのに、だいぶ時間が掛かりそうだった。
ロウジーは確かフロウラング生まれと言っていた気がする。
マリアンは自分の右に座っているロウジーを見やった。
「ねえ、どこか見付からずに話が聴ける場所はないかしら?ここにいたら先刻の男達が戻って来ちゃうかも。」
「家来るか?」
「え?」
「俺の実家、この近くなんだ。」
言いながらロウジーは立ち上がった。
ああなる程。
彼は実家に戻って来た所らしい。
マリアンはしゃがんだまま、路地の方へ両手を差し伸ばした。
「ぼく、おいで。お姉ちゃん達がお母さん捜したげる。」
少年は数秒、全身固まった様にしてマリアンを見つめ返していたが、ややしてこっくりと頷くと、立ち上がり進み出て、マリアンの手を摑んだ。
少年は転んだ拍子に体をあちこち擦りむいた様で、ちょっと足を引き摺る様にして路地を出て来た。
「怪我してんのか。」
その様子を見て、ロウジーは左腕にひょいと少年を抱き上げた。
まるで重量を感じていないかの様に軽々としていて、マリアンは少し感心してしまった。
彼の大きな体で少年の姿が隠れるし、一石二鳥だと思えた。
と。
「お兄ちゃん。」
数歩歩いた所で、少年がロウジーのシャツの胸元辺りを引っ張った。
小さな指が路上を差していた。
「うん?」
指が差す方向を見て、ロウジーは少年を抱いたまま屈み、そこに落ちていた櫛を拾い上げた。
「あら、それわたしの。」
「うん?」
「先刻鞄の中の物、撒いたのよね………拾い切れてなかったのね。」
「あん?」
ロウジーは戸惑った顔で同僚を見やった。
自分が少年とぶつかったことを男達に教えるために、マリアンは自分でわざわざ鞄の中身を路上にぶちまけたのだった。
演出の小道具を、回収漏れしていたらしい。
「ありがと。」
見ると、櫛の持ち手に埋め込まれた、石の飾りが欠けていた。
傷が付かない様にもっと丁寧にやればよかったと今更思いつつ、マリアンはロウジーが拾ってくれたそれを受け取った。
詳しく話を聴こうと思いながら歩き出したロウジーは、すぐにまた立ち止まってマリアンを見やった。
「足どうした?」
「……ちょっと痛めたかも。」
マリアンも、左足を引き摺る様にしていた。
「―――――――――――――――二人担げなくはないぞ。」と言ったロウジーを、マリアンはびっくりした顔で見上げた。
「―――――――――――――――物凄く恥ずかしいからやめとくわ。………目立つし。」
と、少年が健気な申し出をしてきた。
「――――――――お兄ちゃん、ぼくおりる。お姉ちゃんだっこしてあげて。」
「やめて。」
ほとんど懇願口調で、間髪入れずに、マリアンはもう一度改めて、遠慮した。