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あるまちの事件  作者: 大久 永里子
第三章 嵐のつめあと
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第三章 第1話 嵐の朝

 嵐は一晩で過ぎた。


 まだ風は強かったが、よるが明けると、空は水気をたっぷり含んだ筆で塗った様な、青色だった。


 折れた枝が庭に転がったりはしていたが、大きな被害はなかった様で、遅番の自分が片付けに駆り出される様子はなさそうだった。



 ロウジーは朝食も採らずに、早朝に邸を出発した。



 路上にも、昨夜の風に吹き散らされた様々な物が転がっていた。


 だがどれもやはり木の枝や細々(こまごま)としたごみなどで、重大な被害を感じさせる様なものはなかった。



 それでも二人の様子をきちんと確認しておきたかった。



 馬車が走り出し、商店が開店の準備をしている。


 目覚めて行く街の音を聞きながら、ロウジーは帰路を急いだ。



 やがてあの日、マリアンとルイに出会った場所に近付いた。



 早朝の住宅街は、常ならぬ様子だった。


 歩道に人だかりがしていて、何ごとかと思い、ロウジーは人の輪の後ろから中を覗き込んだ。


 歩道にずぶ濡れの女性が座り込んでいて、周囲の人達が彼女を助け起こそうとしていた。



 栗色の髪の女性。


 瞳は青色だ。


 肩に斜めに掛けた生成りの布鞄が水を吸っていて、まるで重りの様に見えた。



 慌てて人並みに割って入り、ロウジーは女性の前に膝を着いた。



「レベッカさんか?」


 虚ろな表情だった女性は、目を見開き―――――――――――――――掠れた声で小さな悲鳴を上げて、後ろに逃げようとした。


「追っ手じゃない――――――――――――――――ルイを預かってる。」


 その言葉に、栗色の髪の女性はぴたりと動きを止めると、限界と思える程に目を大きく開けて、ロウジーを見つめ返した。



「あんたを捜してたんだ。」



 「知り合いか?」と尋ねる周囲の声にうなずきながら、ロウジーはレベッカに手を差し出した。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 朝食の片づけをしようとしていたマリアンは、突然()いた玄関を、驚いて振り返った。ロウジーが腕にずぶ濡れの女性を抱えて入って来るのを見て、更に驚いた。


 ロウジーに抱きかかえられたままこちらを見る女性の、栗色の髪と青い瞳を見て、マリアンははっとした。


「レベッカさん……?」



 栗色の髪の女性は壊れそうなで、机の前に立っている少年を見ていた。朝食の皿を片付けようとしていた少年は、皿を左手に持ったまま。立ち尽くしていた。



「ルイ………!」

 青い瞳から、溢れるほどに涙がこぼれた。


 少年の口から、嗚咽が漏れた。



 青年が、子供の前で母親を降ろした。


 そこに立ち尽くしたままぼろぼろと泣き出した少年の方へよろめく様にして、母は歩み寄った。膝を着き、自分の腕の中に抱き込む様にしてルイを抱き締め、ずぶ濡れの女性は声を絞り出した。

「ルイ………!」


 言葉もなく泣き続けている我が子を抱き締めたまま、レベッカは涙で一杯の顔を上げた。

「ありがとうございます…!」



 抱き合う母子おやこの姿を貰い泣きしながら見つめていたマリアンは、自分達を見上げて礼を告げた女性の顔に、少し驚いた。



 栗色の髪の女性は、かなり若かった。


 ルイを幾つで産んだのだろう。



「ルイを最初に見つけた場所の近くで、座り込んでた。」

 青年が状況を教えてくれた。

「ロウジー、仕事は?」

 マリアンは思わず尋ねた。


 驚くことが多過ぎて、何から驚いていいのか分からない。


「遅番だ。すぐに戻らなきゃならない。昨日きのうの嵐が気になって、様子を見に来た。」


 目をみはる様にして、マリアンはロウジーを見上げた。



 この時の気持ちは、一言では言い表せなかった。



 嬉しかったし、ほっとした。安心のあまり、張り詰めていた物が崩れそうになった。



 昼間は笑顔で遊んでいることもあるルイが、小さな心に一杯の不安を抱えているのを目の当たりにして、どうしてやればいいのか分からず、自分も不安だった。



 母子おやこは何かの事情を抱えている様だが、二人が再会出来たことは、兎に角よかったと思う。


 呟く様に「ありがとう」と言ってから、マリアンはもう一度母子(おやこ)を見やった。



 彼女はあの嵐の中、ルイを捜し続けていたのだろうか。


 母子おやこは抱き合ったまま、どちらも泣き続けていた。

 ずぶ濡れだが女性の着ている服も、ルイ同様、随分いいものだった。



 レベッカはだいぶ衰弱している様子で、着替えさせて体を温めなければと思う。

 肺炎にでもなっていたらと思うと、心臓をきゅっと摑まれる気がした。

 ようやく再会したのに、命を落とす様なことになってはいけなかった。

 自分の服くらいしかないけれど、いいだろうか。


「ロウジー、レベッカさんの服を――――――――――――――」


 言い掛けた時、再び玄関の扉がひらいた。



 四人の男達が押し入って来るのを見て、マリアンは声も出せなかった。

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