都合のいい友達(おんな)
出会いは、中学2年の4月。
たまたま席が前後になっただけの同級生、倉田拓真。
そんなあいつと、こんなにも長い付き合いになろうとは…。
こんなにも深い仲になろうとは…。
夏休みに入る頃には、俺と拓真はお互いの家を行き来する仲になっていた。
拓真の家は両親共働き、俺の家は母子家庭で、母親は昼間も夜も仕事に出ていて、お互いに親に会うことなく、お互いの家で遊べた。
自由だった。
それがいけなかったんだ。
「なぁ、たけ。お前さ、あれどうしてる?」
俺のベッドを占領しながら、スマホで漫画を見ていた拓真が言った。
「あれって?」
俺は床に座ってゲームをしながら、なんとなく聞き返した。
「処理だよ。」
「処理?」
俺がゲームに夢中なのが面白くなかったのか、拓真が俺のゲームの前に自分のスマホを重ねた。
そこには男女が裸で絡む描写の漫画。
中学2年には、刺激が強すぎる。
だが俺は、冷静に答えた。
「何?」
俺の反応がつまらなかったのか、拓真は俺を後ろから羽交い締めにした。
「何だよ!」
俺が拓真の腕を払い除けようとジタバタすると、拓真が俺の耳に唇を近づけてこう言った。
「なぁ。触りっこ、しようぜ。」
その言い方は、妙に色気があった。
男を感じた。
俺は、拓真の提案に頷いていまったんだ。
中学2年は、そう言うことに興味深々なんだな。
普通は…。
俺がそう思ったのは、あれから拓真が、部屋で遊ぶ度に、「触りっこ」を求めてくるからだ。
「ん…。」
「どう?気持ちいい?」
拓真はいつも俺に、自分の行為について確認してくる。
「ん。…いい…。」
恥ずかしいけど、俺は拓真に触られるのが、気持ちよかった。
拓真の日焼けした腕を見ながら、拓真の年齢には相応しくない、低音ボイスを聴きながら、絶頂を迎える。
「お前は…?」
「俺も…もうすぐ…。」
だんだんと高揚していく拓真の声が、俺の胸を熱くする。
俺の手で、俺は拓真を追い詰めている。
それが、堪らなかった。
何だろう?
この気持ちは…。
でも、その答えは、中2の俺には、なかなか出せなかった。
拓真は週3日、塾に通っていた。
勉強が苦手な拓真を心配して、両親が入れたらしい。
「めんどくせ。」
拓真は俺の家、マンションの下で、ぶつぶつと文句を言う。
「お母さん達の好意だろ。ちゃんと行かないと駄目だ。」
「お前は真面目だな。」
そりゃそうだ。
うちは母子家庭。
母親に心配をかけるなんて、親不孝なんだよ。
自分の為にお金を掛けて、塾に行かせてもらえるなんて、ありがたい話だ。
俺は拓真にそう言いたかったが、それは、拓真と対等になっていない意見に感じて、言わなかった。
でも俺は、拓真に親不孝をしてほしくなかった。
だから、塾の日は早めにうちから追い出すようにしている。
「ちゃんと行けよ。」
「分かってる。」
俺に背を向けながら、拓真は歩いて行く。
その後ろ姿をなんとなく見送っていると、拓真が突然立ち止まり、振り返ると、俺の元に走って戻ってきた。
「何だよ。忘れ物か?」
「うん。忘れ物。」
「何を?」
すると、拓真が俺の頬に軽くキスをした。
「なんだよ!」
俺はきっと顔を真っ赤にしたに違いない。
「ははっ。可愛いなお前。」
日焼けした拓真の笑顔が眩しかった。
そんな笑顔に俺は、動揺し、でも、嬉しかった。
「また明日、遊びに来てもいいか?」
「え?あぁ、良いけど。」
「良かった。俺の忘れ物、これ。明日の約束するの忘れてた。」
拓真は子供みたいに、歯を見せて、大きく笑った。
(可愛いのは、お前だろ。)
拓真の笑顔にそんな感想を抱いていると、俺の後ろから声がした。
「二人とも、仲良しね。」
その声に振り返ると、一つ下の俺の幼馴染み、智美が立っていた。
ボブカットがよく似合う、中学1年生だ。
手にはトートバッグを持っている。
時間的に、おばさんに買い物を頼まれ、それに向かう途中だろうと想像できた。
「智美ちゃん。どこまで行くの?」
拓真が智美に話し掛ける。
「えっと。ジョイントスーパー。」
智美は拓真に話し掛けられ、少しうつむき加減で答えた。
恥ずかしいのだろうか?
少し頬を赤らめている。
「じゃあ、途中まで一緒に行こうぜ。」
そう言って拓真は、智美と一緒に歩き出した。
(智美は年下だ。心配しているだけだ。)
二人の後ろ姿を見送りながら、俺は自分に言い聞かせていた。
次の日。
拓真はお昼過ぎから、うちに遊びに来た。
最初は一緒に宿題をした。
だが、拓真の集中力は、そんなに続かない。
途中でスマホを見始めた。
「またあれ、見てるのか?」
「えへへ。」
拓真が見ているものは、だいたい分かる。
あの刺激の強い漫画だ。
しばらくすると、拓真が俺の腕を引っ張って来た。
「なぁ。しようぜ。」
漫画で興奮した拓真が俺に求めてくるもの。
「触りっこ」だ。
俺はため息を付きながらも、拓真の要求に応じた。
お互いの息が荒くなっていく。
「はぁ…ん…。」
「た、…たけ…。」
拓真の声が上ずり始めた。
そして、俺も体がウズウズし始める。
バタンッ。
急に玄関のドアの開く音がした。
「待って。今、音がした。ヤバイって。」
俺が言っても拓真は今さら、止められなかった。
「何が?」
そもそも拓真の耳には、ドアの開く音など聞こえていない。
「拓真!駄目だって、ヤバイよ。」
俺が拓真を止めるのに必死になっていると、俺の部屋の向こうから声がした。
「健。入るわよ。」
母親が帰ってきたんだ。
いつも帰ってこない時間に、なんで?!
ガチャ。
俺の部屋のドアが開かれた。
二人ともズボンを下ろして、座り込んで向かい合い、赤い顔をしている。
母親には、何があったのか、すぐに察しがついたようだった。
母親の顔は、みるみるうちにと表情をなくしていった。
そして、静かに告げる。
「二人とも、リビングに来なさい。」
俺たちは覚悟を決めるしかなかった。
リビングのソファーで、母親が腕を組んでいた。
俺たちは、反対側のソファーに二人並んで座らされた。
「そう言う興味が湧く頃なのは分かるわ。」
母親の眉は怒りの形を描いている。
それでも、静かに、冷静に話をしてくれているのは、俺たちがまだ子供だからだ。
「今日が初めてなの?」
俺たちは下を向いて黙り込んだ。
すると、母親は大きなため息を付いた。
「君。名前は。」
母親は拓真を睨みながら、言った。
「倉田…拓真…です。」
「倉田?拓真?」
母親の反応は意外な物だった。
拓真の名前を聞き、少し驚き、そして、何かを考えていた。
しらばくして、母親が口を開いた。
「倉田君。こう言うことは、一人でしなさい。友達を巻き込むものではないわ。」
それは、拓真が俺を無理矢理に触っていると決め込んだ言い方だった。
それが俺には不服だった。
「母さん。俺も楽しんだ。俺も一緒に怒ってよ。」
拓真一人を悪者にはしたくなかった。
俺の言葉に母親は驚いた様に目を見開いた。
そして、俺の前に来て、手を大きく振りかぶった。
バシッ!
俺は初めて、母親に殴られた。
それから夏休みが終わるまで、俺は幼馴染みの智美の家に預けられた。
智美の家は、俺の家の下の階で、母親が仕事に出る前に一緒に連れていかれた。
「ねぇ、たけちゃん。これ、教えて。」
「いいよ。」
まだ中学1年の智美の宿題を見るのが、俺の日課になった。
「二人とも、お昼ごはんよ。」
そして、智美の家には常におばさんがいる。
母親は詳しいことは、話さなかったのだろう。
おばさんはいつもと変わらず、俺に接してくれて、何気ない会話をいつもしてくれた。
「もうすぐ、夏休みも終わりね。たけちゃんに宿題を見てもらえなくなると、困っちゃうわ。」
そう言っておばさんは、優しく笑う。
そう。
拓真に会わないまま、俺の夏休みは終わりを迎える。
そんな、夏休みも終わりに近づいたある夜。
俺は母親から、とんでもないことを告げられた。
「え?」
俺は、意味が分からなかった。
母親が何を言っているのか…。
「これを見なさい。」
そこに差し出されたのは、母子手帳。
開かれたページには、俺の名前。
「倉田?…」
俺は母親を見た。
「俺、山科だよね。山科健。」
「今はね。」
「どういうこと?」
「あんた、本当は双子だったの。二卵性だから、顔は瓜二つにはならなかったけど。」
何を言っているのだろう?
俺が双子?
じゃあ、もう一人俺の兄弟が居るってこと?
同じ中2の。
「母さんも驚いたわ。実はね、あんたのお父さんに何年ぶりかに連絡とったの。それで、はっきりしたわ。」
母親は俺をまっすぐ見て言った。
「倉田拓真は、あんたの双子のお兄さんよ。」
夏休みが終わるまで、俺はずっとボッーとしていたと思う。
「ねぇ、たけちゃん。ここ。」
智美が何かを言っているが、反応することが出来なかった。
そして、何度も母親の告白が頭の中で再生された。
「お父さんとは、あんた達を出産して、割りとすぐに離婚したの。その時に、お父さんが親権を欲しがってね。母さんも譲らなかったから、裁判した。そしたら、一人ずつお互いに引き取ることで合意したの。たまたまあんたは私に似ていたし、拓真はあっちに似てたから、それぞれが育てることになった。でも、母さんはお父さんに拓真を取られたのが許せなくて、二度と会わないと決めたの。その代わり、あんたを育てることに全てを掛けてきた。」
「拓真が良かったの?」
「二人とも、私が育てたかった。」
母親は強い人だ。
自分をしっかりと持った人だ。
だから俺もそんな母親を尊敬していた。
拓真への気持ちを振り払うことはきっと出来なかっただろう。
その代わり、俺の事を倍、愛してくれていたのだと思う。
それは、普段の生活で感じられていた。
俺の事をいつも一番に、大切に考えてくれていた。
「拓真は知ってるの?」
母親は首を横に振った。
「あっちにはもう家庭がある。こっちから、とやかく言うのは違うと思うの。決めるのは、あっちだから。それに、あんた達のあの事は、向こうには言ってないわよ。母さんの中で留めておく。」
「…ごめんね。」
「健。拓真にもう会うなとは言わない。今まで通り、友達で居なさい。普通のね。」
それは母親の優しさだと思った。
この世でたった一人の兄弟を、俺の近くに置いてもいいと言ってくれた。
「このまま、友達でいよう。」
「え?」
俺が心を決めた呟きを、横で智美が聞いていた。
「何でもないよ。」
俺は、気持ちを切り替えて智美の宿題を見てやることにした。
だが、俺の決意は、そのうち砕かれてしまう。
拓真によって…。
夏休み明けからは、拓真と普通にすごせた。
拓真もあの日以来、「触りっこ」について、何も言わなくなったし、うちの母親の事にも触れなかった。
拓真の親は、何も言っていなかったようで、拓真の様子に変わった所は何もなかった。
しかし、中3に上がった秋、俺たちの関係性は少しずつ変化し始めた。
学校帰りのある日、俺はクラスメイトの横川ひかりに呼び止められた。
横川は、たまに話す程度のクラスメイト。
そんなに接点はなかったが、「話がある。」とうつむき加減に言われて、なんとなく察した俺は、横川の話を聞くことにした。
「山科君、今、好きな人とかいるの?」
人があまり通らない、校舎裏で横川はもじもじしながら聞いてきた。
「好きな人…。」
呟いた俺の頭の中にはなぜが、拓真の顔がちらついた。
(違う。好きとは違う。あいつは兄弟だ。)
そして、母親の顔が浮かんだ。
俺を初めて殴った母親の顔は、辛そうだった。
あんな顔にさせてはいけない。
そんな思いが、込み上げてきた。
「いないよ。好きな人。」
俺がそう答えると、横川は少し安心したような表情を見せた。
しかしすぐに真剣な顔になって、決意したように俺に告白してきた。
「私と付き合ってくれませんか?」
横川は普通にかわいい。
大人しい方のグループに属している。
俺なんかに告白してくれるなんて、稀な子だとも思う。
だから、俺は断る理由なんてなかった。
「うん。いいよ。」
その日から俺は人生で初めて、彼女が出来た。
拓真にはすぐに、報告した。
すると、拓真は一瞬暗い顔をした。
でも、すぐにいつもの元気な顔になって、こう言った。
「良かったじゃん。」
その拓真の言葉はなぜが、俺の心を重くした。
横川とは順調に付き合えていた。
一緒に帰って、途中でマックで勉強したり、日曜日は映画を観に行ったり。
それなりに楽しく過ごしていた。
しかし、高校受験になると、少しずつ会う時間がなくなっていった。
せいぜい、お互いのスマホで電話をするくらい。
それさえも毎日とは行かなかった。
そんな俺の元に、よく連絡してきたのは、拓真だった。
「最近どう?」
「この前、面白いゲーム見つけた。受験が終わったら、一緒にやろうぜ。」
「俺もお前と同じ志望校、大丈夫そうだって、塾で言われた。」
拓真の連絡は、他愛のない内容が多かったが、俺を喜ばせたのは、「同じ志望校」と言う連絡だった。
(高校でも拓真と一緒にいられる。)
彼女よりも拓真との新しい生活に、心を踊らせてしまう俺は、どうかしている。
でも、本当にそうなんだから、仕方ないじゃないか…。
俺と拓真は無事に同じ高校に合格した。
入ってみると、同じ中学の奴が多く受かっていたが、そこに横川の姿はなかった。
横川は、第二希望の女子高に、入学していた。
別々の高校になったからか、横川とはあまり連絡を取らなくなった。
受験前以上に。
しかし、高校生になって、3ヶ月が過ぎた6月、
お互いに高校に慣れ、余裕が出てきたこともあって、横川と久しぶりに会うことになった。
「そっちの高校どう?」
横川はグラスに入った氷をストローでつつきながら、聞いて来た。
「あまり、変わらないかな。同じ中学の奴、多いし。」
「そう。」
話は途切れ途切れ。
中学の時の様に、同じ時間、同じ空間にいないことが、俺たちの間に、見えない壁を作り出していた。
それでも、横川は話掛けてくれる。
「ねぇ、私の事、好き?」
突然に、他の客もいるようなカフェでそんな事を聞かれて、俺は思わず周りを確認した。
良かった。
他の客には聞こえていない。
「ねぇ、なんで言ってくれないの?」
横川は眉間にシワを寄せている。
俺はどうしていいか分からずにいた。
「もう、いい。」
そう言って横川はカフェを出ていってしまった。
俺は急いで会計を済ませ、横川を追った。
外に出ると、横川が何となくブラつくように待っていた。
俺は安心して、横川の手を握った。
でも、横川はまだ不満そうだ。
時間はもう夕方。
家に送っていっても良いけど、このまま帰すと、しこりが残りそうで、俺は横川を公園に誘った。
公園では、小さな子供達が、帰る準備をして、お母さん達に急かされていた。
ベンチに座っている人も、まばらだ。
俺は、空いたベンチに横川と座った。
「さっきはごめんね。」
最初に口を開いたのは、横川だった。
「俺こそ、ごめん。」
俺の言葉に、横川は悲しそうに笑った。
「それでも、言ってくれないんだね。…好きだって。」
そう言われて、俺は初めて気が付いた。
俺が横川と付き合ってから、横川に「好きだ。」と言ったことが無いことに。
「ごめん。」
俺は謝ることしか、思い付かなかった。
「もう…良いって…。」
横川が、下を向きながら、泣いていた。
(こんな時、男はどうすれば良いんだろう?)
ふと、拓真の事が思い出された。
あいつは、誰が見ているか分からないような、マンションの下で、俺の頬にキスをした。
横川は、人の目を気にして、何も言わなかった俺に怒ったんだ。
(横川が安心してくれるなら。)
俺は俯いている横川の頬に手をやった。
すると、驚くように横川が顔を上げた。
俺は、無防備な横川の唇めがけて、自分の唇を押し当てた。
誰が見ているか分からない夕方の公園で。
それが横川が望んでいることならば、した方が良いんだ。
一瞬、横川が体をビクッとさせた。
しかし、数秒間唇を当てていると、横川は俺の手を握ってきた。
柔らかくて、薄い唇。
そして、女の子らしい匂いが俺の鼻をついた。
本当ならこれは、とても素晴らしいことであり、素敵な香りなのだ。
しかし、横川とキスをした俺は、なんだが罪悪感を感じた。
(なんか、母親とキスをしてるみたいだ。)
それが俺のファーストキスの感想だった。
次の日、学校に行くと、最初に拓真に会った。
拓真は下駄箱で、靴を履いていた。
俺も靴を引っかけ、拓真に挨拶をした。
「おはよ。」
「おぅ。」
拓真は俺の事を見ずに挨拶だけして、行ってしまった。
(なんだろう?機嫌が悪いのかな?)
しかし拓真の機嫌は次の日になっても直ってなかった。
そして、俺が何よりも引っ掛かったのは、拓真が俺以外の友達とは、仲良く話をしていることだ。
「お前ら、喧嘩でもしたのか?」
クラスメイトにそんな心配をされるくらい、拓真は俺と話そうとしなかった。
(なんだよ。俺が何かしたか?)
それが1週間も続くと、さすがに俺も腹が立ってきた。
だから、拓真にこう言った。
「ちょっと、話がある。」
すると、拓真も俺を見て言った。
「俺も、話がある。後でうちに来いよ。」
拓真の家に行くまでいろいろ考えた。
そのうち、一つの結論が出た。
(もしかして、あの事を聞いたのだろうか?)
俺と双子だって事を知ったのだろうか?
俺は少し緊張していた。
久しぶりの拓真の部屋。
中2の夏休み以降、お互いの部屋には行っていなかった。
拓真は自分の机の椅子に座り、俺は拓真のベッドに腰をおろした。
「話ってなんだよ。」
拓真が切り出す。
「なんで、そんなに機嫌が悪いんだよ。俺、何かしたか?」
俺のその質問を拓真は、鼻で笑った。
「お前は、あの時の事を忘れたのか?」
「あの時?」
「中2の夏休み、お前の母親に、怒られた事を。」
「…忘れてねぇよ。」
俺には拓真の言いたいことがよく分からなかった。
なぜ、あの時の事を引っ張り出して怒っているのか。
「お前、昨日公園で、横川とキスしたろ。」
そう言われて俺はどきっとした。
(見られてた!拓真に!)
俺は、驚きのあまり、声が出なかった。
「お前、俺との事であんだけ怒られて、俺と距離を作ったのに、女子とはあんな公衆の面前であんなことしやがって!」
拓真の言っている事は、嫉妬に感じた。
それを少しだけ嬉しいと感じる自分もいる。
ただ、横川とのキスを拓真に見られた。
俺から横川にキスをしたのを、拓真に見られていた。
その事がショックだった。
しかし、言われてばかりは俺だって嫌だった。
だから、何か反論してやりたかった。
「お前に関係ないだろ。」
俺のその言葉は、拓真から言葉を奪った。
拓真はいきなり、俺をベッドに、押し倒してきた。
手を拓真に捕まれ、体を乗せられ、動けない。
いつの間にか、拓真の力は、俺が振り払えないほど、強くなっていた。
そして、俺の首に噛みついてきた。
「痛っ。」
呻く俺の声を無視して、だんだんと拓真の顔が、唇が、下に下がっていく。
拓真は、俺の鎖骨に舌を這わせてきた。
「あっ。」
思わず、変な声が出る。
そして、少し体の奥が熱く感じた。
その瞬間、拓真の唇が、俺の唇に重なった。
「んっ。」
俺の驚きの声は、拓真の唇に飲み込まれ、俺の舌に拓真の舌が絡まる頃には、俺はもう抵抗できなくなっていた。
(気持ち…いい…。)
拓真とのキスが、とても、心地よかった。
俺がそう感じていると、拓真の手は、俺の手首から離れ、俺の制服のボタンを外していった。
そして、露になった俺の胸に、拓真が触れてくる。
「んっ!」
俺は拓真の唇に、自分の唇を塞がれたまま、くぐもった声を上げた。
すると、拓真が唇を離し、俺を見下ろして言った。
「俺の方が気持ち良いんだろう?横川じゃ、足りないよな?」
「え?」
俺はふわふわとした意識の中で、拓真をみていた。
「たけ、俺がお前を満たしてやるから、表は横川で良いから、裏で俺と気持ちいいことしよ。」
「な、…なんだよ。それ…。」
「女だったら、おばさんも文句言わないだろ?」
「そういう、問題じゃ。」
「たけ!」
俺の言葉を拓真が遮る。
「お互いに、都合よく行こうぜ。お前は女と付き合えばいいし、俺はお前と気持ち良くなりたい。中学の時みたいにさ。」
中学の時みたいに…。
拓真はそう言った。
中学の時は触り合うだけで、それ以上はしていない。
だが拓真はあの時の「触りっこ」が忘れられなかったんだろうか?
ふとそんな考えが浮かんだ。
しかしそんな自己都合の良い考え方はしてはいけないと、俺の中のわずかな理性がそう言っている。
「何言ってんだ。」
俺は、気持ちを持っていかれそうになりながらも、必死に耐え、拓真に強く言った。
しかし、拓真は引き下がらない。
「お前を満足させられるのは、俺だけだって。」
そう言われて、ふと思い出した。
横川とのキスを。
あの罪悪感のあるキスを。
そして、中2の頃の「触りっこ」の気持ちよさを。
そんな事を考えている間にも、拓真の唇は、下に下がっていく。
同時に、俺の中でも気持ちよさが占領していく。
(駄目だ。何も考えられない。)
その数分後、俺は拓真に貫かれ、声を上げていた。
俺達は、友達の壁を越えてしまったんだ。
そして、この時の俺には、拓真が兄であることなんて、忘れ去られていた。
それからと言うもの、拓真は頻繁に俺を部屋に呼ぶようになった。
そして、自分の部屋に鍵までつけていた。
「なぁたけ。気持ち良いんだろう?」
それは、中2の頃から変わらない、拓真の質問。
「ん。…う…ん。」
そして、いつの間にか俺は、拓真の下にいることに、慣れてしまった。
(横川と付き合っているのは変わらないし、拓真の部屋なら母さんにも分からないし、大丈夫だろ。)
気持ちよさと、満足感のある拓真との触れあい。
今の俺には、拓真と体を重ねることの方が重要だった。
全てが終わると、拓真は俺を優しく抱き締めてくれる。
拓真の温かい胸に頬をつけていると、なんだか、安心できた。
いろんな後ろめたさは、変わらない。
でも俺には、拓真が俺だけをみてくれている事への安心感でいっぱいだった。
しかし、そんな幸福も壊されてしまう。
拓真に…。
夏休みが近づいた、ある日。
俺と拓真は昼御飯を、屋上で食べていた。
そして、食べ終わると屋上に寝転がった。
屋上だからか、風が吹いて、暑さを回避してくれる心地よさと、拓真と二人になれるこの場所が、俺は好きだった。
そんな場所で拓真が言った。
「なぁ。たけ。」
それは、世間話でもするように、まるでフリスクを別けあうように、自然に言われた。
「俺、林と付き合うわ。」
「え?」
「だから、これからはあんまり一緒にいられないと思う。」
夏の風が俺達をかすめていった。
(熱い。)
俺は夏の暑さと、自分の内側から発せられた、嫉妬という熱によって、頭が上手く働かなかった。
拓真が言ったように、同じクラスの林恭子と付き合い出してから、俺達は別行動が増えた。
しかし、それは当たり前の事だ。
それぞれ彼女がいるんだ。
友達同士でベタベタしてる方がおかしい。
頭ではそう思ってる。
でも、俺の中では、拓真に触れてもらえない事が、淋しくてたまらなかった。
横川からは電話もLINEも来る。
でも、あまり嬉しくない。
というか、面倒に感じる。
横川と電話やLINEをしていても、拓真の事を思い出す。
時には、横川との電話を早めに終わらせて、一人で拓真を思い出し、自分を慰めている。
(虚しい。)
一人での行為は、そんな気持ちにさせた。
同時に拓真もこんな気持ちだったのかと思った。
俺が横川といる間、一人で…。
そう考えると、お互い様かとも思う。
「都合よく…かぁ。」
(俺が横川と別れたら、拓真はどうするだろう?)
夏休み明け、俺は横川と別れた。
意外に呆気なかった。
横川も「なかなか会えないしね。」と、納得していた。
俺は何年ぶりかに、フリーになった。
横川と別れても、拓真は変わらなかった。
彼女といつも一緒。
クラスでも、放課後も。
時には三人で遊ぶこともあった。
拓真は「フリーになったんだから。」と俺を誘ったが、林からしたら、邪魔な存在だと思う。
それでも拓真は、どこかで俺との繋がりを残しながら、林との交際を続けていた。
しかしそんな二人にも、別れが訪れた。
理由は分からない。
ただ拓真が振ったらしい。
そしてまた、俺と拓真の関係が始まった。
「たけ…どう?」
後ろから俺を抱きながら、拓真の口癖が始まった。
「ん。うん…いいよ…。」
「そっか。」
拓真は満足そうにそう言って、動きを早めていく。
「あっ、待って、拓真!…あっ!」
俺は意図も簡単に、絶頂を迎えてしまった。
ひとりでは味わえない、気持ちよさと幸福感。
それが、今の俺にはあった。
ベッドで疲れた体を休めていると、服を着ながら拓真が言った。
「俺達、体の相性、良いよな。」
「…そうかもな。」
(双子だからな。)
心の中で、そう呟く。
しかし拓真には言えない。
言ったら、何もかもが終わるだろう。
それだけは、嫌だった。
そして、数ヵ月後、また拓真に彼女が出来た。
林の時と同じ様に、彼女が出来ると、俺とは寝なくなった。
たまに三人で遊ぶこともある。
しかし、また数ヵ月後には、別れる。
別れるとまた、俺を抱きたがる。
そんなことが、高校生活の間、ずっと続いた。
大学に入っても、それは変わらなかった。
変わったのは、お互いに、独り暮らしになったこと。
そして、さすがに大学までは同じに出来なかった。
それぞれの大学に通いながらも、拓真はよく俺のアパートに来ていた。
「なんだよ。また振ったのか?」
俺は玄関に立つ拓真にそう言った。
「なんか、物足りなくて。」
そう言うと、拓真は俺を後ろから抱き締めた。
そして、耳元で、囁く。
「なぁ、良いだろ?」
俺はその囁きに、抵抗できなかった。
もう母親の目を気にしなくてよくなった独り暮らしの部屋で、俺は拓真に抱かれた。
拓真は彼女が出来ると、俺の部屋に来なくなる。
しかし、彼女と別れるとまた俺を抱く。
この繰り返しが、相変わらず続いていた。
「本当に都合の良い関係になっちゃったな。」
俺は、拓真との関係をそう思いながら、止められないでいた。
そんな俺達が大学2年生の時。
拓真が俺の部屋に来て言った。
「俺さぁ。智美と付き合うことになった。」
ビールを注いでいた俺の手が止まった。
「驚くよな?でも、智美から告白されてさ。」
智美は一つ下の俺の幼馴染みだ。
「付き合うって…大丈夫か?」
俺は心配だった。
「何が?」
拓真は何も考えていない。
拓真はいつも、付き合っても、数ヵ月後には別れてしまう。
今回も、そうなるのではないかと俺は心配だった。
俺と智美は、小さい頃からの付き合いだ。
俺からしたら、妹の様な存在でもあった。
そんな智美と、拓真はちゃんと付き合えるのか、数ヵ月後には、智美を振るのではないかと…。
しかし拓真は俺の予想を越えてきた。
大学生活が終わる頃、拓真はまだ智美と付き合っていた。
その間、俺は拓真に抱かれることもなく、大学生活を終えた。
そして、お互いが就職して、仕事になれた頃、再び拓真は俺のアパートを訪れた。
(結局、帰ってきたか。)
俺はそう思った。
そして、安心もした。
(これでまた、拓真と続けられる。)
しかし俺は、とどめを刺されたのだ。
拓真によって…。
そして、自分が今まで拓真にとって、「都合のいい友達」であったことを思い知らされる事となる。
「悪いな。こんな夜遅くに。」
拓真は珍しく、控えめだった。
いつもは我が物顔で俺の部屋に入って、どっちがこの部屋の住人なのか、分からないぐらい、くつろぐ癖に。
そんないつもの拓真と違う雰囲気に、俺の胸がざわつき始めた。
「何か、あったのか?」
「まぁな。」
そう言うと、拓真は俺が冷蔵庫から出したビールを一口飲んだ。
そして、旨そうに息を吐く。
俺は嫌な予感がして、それを急いでビールで流し込んだ。
その時だった。
拓真が照れくさそうに、でも嬉しそうに言った。
「俺、智美と結婚するよ。」
「ビールって、こんなに苦かったっけ?」
一人になった部屋で、俺はビールの味に疑問を抱いた。
こんなことは、初めてだ。
今まで、仕事終わりや風呂上がりなどにビールを飲んできたが、こんなにもビールを苦く、辛い物に感じたことはなかった。
しかし俺は懲りもせずに、もう一度ビールを一口飲んだ。
「やっぱり…苦いな。」
何度確かめても、味は変わらない。
苦い。
とても。
そして、俺の中でさっきまで一緒にビールを飲んでいた、拓真との会話が甦る。
「俺が結婚を決められたのも、お前のお陰だよ。」
「何だよ…。それ。」
「実は俺、女だと…出来なくて。ほら、お前とはできるだろう?だから、ずっと不思議だったんだけど、気付いたんだ。」
「何を?」
「俺。女の子だと緊張するんだなって。だから、お前との事を思い出して、どんな風にしたら気持ち良くなってくれてるのかとか、考えてたら、普通に出来るようになってさ。そしたら、男として自信が出てきたんだ。」
(なんだ…それ。)
俺が気持ち良くなっている間、お前は実験してたのか。
どこを触れば、どんな言葉を掛ければ相手が良くなるかを。
「初めて付き合った林。あいつがさ、何度も俺が断念するから、怒ってさ。あたしじゃ興奮しないの!って。それが嫌で別れたんだけど、その後に付き合った子達とはちゃんと出来たんだ。お前のお陰だよ。」
<なぁ。たけ。気持ちいい?>
繰り返し俺に聞いてきてたのは、確認したかったのか。
もし俺が女だったら、どう思うかを。
あの口癖の意味が分かった気がした。
拓真は俺を抱きながら、女を想像してたんだ。
きっと、中2の夏休みも。
「たけ。」
拓真が真剣な顔で俺を見つめる。
「本当にありがとな。俺の汚い部分も情けない部分も、お前が全部受け止めてくれたから、俺は結婚する決意を持てた。お前は本当に大切な親友だよ。」
「ふっ。」
いつになく真面目な顔の拓真に、なんだか笑いが込み上げてきた。
(親友…か…。)
その言葉が、さらに俺を笑わせた。
「たけ?」
面白すぎて、俺は拓真に言ってしまった。
「親友かぁ。そうかぁ。そうだな。普通あそこまでしないよな。友達にさ。」
俺は笑いながら続けた。
「自分の性癖さらけ出すなんて、親友でなきゃ、出来ないよな。」
本当はどこかで気付いていたんだ。
「お前の初めてを俺が全部、頂いてたんだな。」
初めてお前に会った時、男らしい奴だと、おかしな胸の高鳴りを覚えた。
「俺はてっきり、…。」
初めて体を重ねて、ほっとした自分がいた。
彼女が出来たって聞いても、お互い様だと自分に言い聞かせた。
「お前にとって俺は…。」
お前に誘われれば、何でも許してしまう自分に戸惑いながらも、満たされた。
「お前の欲望を発散させるための<都合のいい友達>だったんだな。」
俺はどこかで思い込んでいた。
お前はどこに行っても俺のところに帰ってくるって。
でも、もう、帰ってこないじゃないか。
「たけ…。」
「もう…帰れよ。もう…来るな。」
やっと確信したのに…。
俺はお前が好きで、好きで、仕方なくて…。
体を差し出しても、繋ぎ止めておきたい位、愛しい奴なんだと…。
俺は、ぬるくなってしまった不味いビールを、体に染み込ませるように飲んだ。
自分が周りとずれていると気付いたのは、拓真に出会った頃。
周りの男子は、女子の話題で盛り上がっていた。
でも俺は、そんな話には乗れなかった。
俺にとって、女の話をすることは、母親の事を軽視している事と同じだからだ。
母子家庭に育ち、母親に大切にされてきた俺は、女の子を見ると、母親を重ねてしまっていた。
横川とキスをした時の違和感も、そこからきているのだと思う。
だから、俺は普通の男子ではないと、なんとなく思っていた。
それが俺のコンプレックスになった。
だが、拓真は俺にはない、男らしい、男子らしい感覚を持っていた。
(これが男子だ。)
そう思うと、拓真の全てが羨ましくなり、憧れた。
それがいつの間にか、恋心に変わっていたんだと思う。
また拓真が双子の兄だと分かっても、どこか現実味がなかった。
今までずっと友達として接してきて、恋心まで抱いて、それが兄弟だったなんて、そんな漫画みたいな話、信じられなくて。
そして、拓真が俺に触れる度に、それを否定する気持ちは高まる一方で。
俺はビールを飲み干し、天を仰いだ。
(友達でいよう。そう決めてたのに。)
俺は、中学の頃の決心の弱さを、大人になって思い知らされた。
(もう、絶ちきらないと。)
そう思った俺の指は、スマホの中の拓真の名前を消そうと動く。
しかし、それでもまだ俺はそこまでの決心がつかないでいた。
迷った指は、仕方なく、LINEの拓真をブロックした。
それが俺の精一杯だったんだ。
数ヵ月後、拓真と智美の連名で、結婚式の招待状が届いた。
しかし俺は出席することなく、時が流れた。
拓真とも智美とも会わないまま、5年が過ぎようとしていたある日。
智美から、相談があると連絡を受けた。
もう、拓真に繋がる事には首を突っ込みたくなかったが、智美の沈んだ声が気になり、会うことにした。
「たけちゃん。」
5年ぶりに会った智美は、すっかり大人の女性になっていた。
薬指には、結婚指輪が光り、拓真とは上手く行っていることを物語っていた。
だから、まさか智美からそんな事を聞かされるとは思いもしなかった。
午後の日差しが窓に入るカフェで、智美が言った。
「私に、たけちゃんを分けて欲しいの。」
俺は意味が分からず、首を傾けた。
「実はね。拓真、子供が作れないの。」
それは、衝撃的な告白だった。
「なかなか子供が出来ないから、二人で病院に行ったの。お互いに検査を受けた。そこで、拓真に原因があると分かったの。」
智美は下を向いたまま、説明する。
「でも、その事を知ってるのは私だけで。拓真には言えなかった。だって、とても子供を楽しみにしてたから。」
「黙っていても、そのうち分かることだろ?」
「だから、たけちゃんにお願いしたいの。たけちゃんなら、拓真もきっと、気付かないわ。」
智美は知っているんだ。
「たけちゃんと拓真は双子の兄弟なんでしょ?」
「誰から…聞いたんだ。」
「拓真のお父さん。結婚する前に言われたの。家族になるのに、隠し事は良くないからって。」
智美は、テーブルに額が付く程、俺に頭を下げ、懇願する。
「お願い。たけちゃん。私と拓真を子供の親にして欲しいの。」
そんな智美の姿に、俺は怒りを感じた。
(お前たちは、俺を都合よく使うのか!)
拓真が自分を満足させるために俺を抱いたように、智美もまた、俺を道具として使おうとしている、そんな風に感じた。
(まったく、夫婦揃ってばかにしやがって!)
そう思うと同時に俺は、立ち上がり、智美の腕を掴んでいた。
「そんなに欲しけりゃくれてやるよ。いくらでも。」
真っ昼間のホテル街に入り、俺は智美を抱いた。
拓真に抱かれ慣れた俺は、女の抱き方を知らない。
それに、智美との行為は、罪悪感の塊だった。
だから、自分を奮い立たせるため、拓真を思い出しながら智美を追い詰めた。
拓真が俺にしていたように、抱いたのだ。
頭の中で、拓真との「触りっこ」や、触れあい方を思い出しながら。
そして、拓真を恋しく感じながら。
目が覚めると、サイドテーブルに智美の置き手紙と封筒が置いてあった。
「また来週、ここで待ってる。」
そして、封筒には5万円。
俺は、どこまでも拓真から離れられないのだ。
智美とのやり取りも、拓真には秘密のまま、半年が過ぎた。
智美は相変わらず、置き手紙と、封筒に5万円を置いて、姿を消す。
俺は智美のせめてもの償いなのであろう5万円をポケットに入れて、ホテルを後にする。
子供ができたら、この5万円を出産祝いにでもしてやろう。
きっと拓真はびっくりするだろう?
智美から支払われた5万円は、半年の間に膨れ上がっていた。
こんな金額を出産祝いに送る奴なんていないだろう。
その時初めて拓真は知るかもしれない。
俺と双子の兄弟だってことを。
そして、子供が俺の子供だって事を。
そんな事を考える俺は、本当に嫉妬深くて、未練たらしくて、最悪な人間なのだ。
ある日。
仕事をしていると、智美からLINEが入った。
「たけちゃん。子供が出来たよ。ありがとう。」
その短い文章に俺は、安堵のため息をついた。
やっと終わった。
これで、拓真から解放される。
そう思うと、胸の奥がチクチクと痛みだした。
それからの事は、何も知らない。
智美から時々LINEが入るが、開いていない。
そのうち、智美からLINEも来なくなった。
そのタイミングで俺は、北海道に転勤になった。
新しい土地は、俺をいろんなしがらみから解放してくれた。
新天地での仕事に慣れるため、夢中だった。
あいつらの事なんて、考える暇もなかった。
だから、良かったんだ。
なのに、神様は俺に、残酷な知らせをもたらした。
マンションに戻ると、固定電話のランプが点滅していた。
誰かが、メッセージを入れたのだ。
最近母親がスマホによく電話をしてきていたが、忙しく、出る暇がなく放置していた。
きっとその事だろう。
怒りのメッセージが入っているのだろうと思いながら、留守番電話のメッセージボタンを押した。
ピー。
「一件のメッセージがあります。」
機械的な音声ガイドの後流れたのは、予想通り、母親の声だった。
俺は上着をクローゼットにしまい、首もとを締め付けているネクタイを緩めながら、久しぶりに聞く、母親の声に耳を傾けていた。
「健。今週末、帰ってこれる?」
そう言った母親の声は、どこか弱々しく感じた。
(母さんも一人になって、寂しいのかな?)
そう思った矢先、母親から告げられた。
「拓真が、亡くなったの。」
俺の頭は思考が停止した。
「明後日、お葬式が行われるの。あんたも最後のお別れに来なさい。」
その後も母さんは何かを話していたが、俺には全く記憶にない。
次に気が付いた時俺は、拓真の亡骸の前に座っていた。
拓真の顔は、とても綺麗だった。
まるで眠っているようで、もう動かないなんて、思えなかった。
拓真の横で、新しい命が、眠っていた。
まだ生まれて間もない、拓真の子供だ。
小さな命は、拓真を起こしたいのか、時々元気よく泣いていた。
それがなんだか、かわいそうで俺は拓真に声を掛けた。
「おい。拓真。赤ちゃんが泣いてるぞ。」
「たけちゃん。」
智美の泣き声も、聞こえてくる。
「早く抱いてやれよ。お前にかまってほしいんだよ。きっと。…なぁ。」
拓真から、返事はない。
起き上がる事もない。
「本当にお前は、勝手なんだから。」
お前は昔からそうだった。
自分の気持ちに素直で、自由で。
そんなお前に俺は、いつも振り回されて。
「触りっこ」も、体を重ねることも、お前が強引だったから、俺は断れなくて。
「子供を置いて、どこに行くんだよ。」
置いてかれた俺は、いつもお前の帰りを待って。
「お前の子供だろ?責任取れよ。ちゃんと。」
最後にお前に会ったのは、俺が追い出したあの日。
「何とか言えよ!拓真!」
あんな別れ方、しなきゃ良かった。
こんな事になるなら、いつもみたいにお前を許してやれば良かった。
「拓真!」
ごめん。拓真。
俺は、やっぱりお前が好きなんだ。
こんなに苦しい。
こんなに悲しい。
お前がもういないなんて、信じられないよ。
お前と双子だって言われた事よりも、ずっと、ずっと、信じられない。
信じたくないよ。
拓真が安置された部屋に響くのは、俺の叫びと、赤ん坊の泣き声…。
そして俺は、初めて拓真の前で泣いた。
お前を追い出した、あの日でさえ、涙なんて出なかったのに。
俺はよっぽど、お前を想っていたんだ。
自分で思う以上に…。
全てが終わった後、俺は拓真の部屋にいた。
着ていた喪服からは、線香の香りがする。
「変わらないな。」
拓真の部屋は、俺が遊びに来ていた頃から、何も変わっていなかった。
俺は拓真と抱き合った、馴染みのベッドに腰をおろした。
すると、ふわっと拓真の香りがした。
日焼けした拓真の腕や、笑った時の子供みたいな顔が俺の中を通りすぎていく。
「たけちゃん。ありがとね。来てくれて。」
そう声を掛けて来たのは、赤ん坊を抱いた智美。
「無事に生まれたんだな。」
「うん。拓真、喜んでたよ。妊娠が分かった時も、この子が生まれた時も。」
「そうか。良かったな。」
「うん。だから、この子に早く会いたくて、急いだみたいで。病院に向かう途中、車にひかれちゃった。」
「そうか。」
「バカよね。そんなに慌てることなんて、ないのに。逃げたりしないのに。…結局この子を抱くことなく、逝っちゃった。」
拓真は急いでいただけではなかった。
詳しく語ってくれた智美の話から、拓真は急に道に飛び出した小さな子供を助けるために、車にはねられたのだと知った。
飛び出した子供が、自分の子供にでも見えたのかも知れない。
智美はそう言っていた。
そして、智美は俺にあるものを渡した。
「拓真のスマホ。たけちゃんに持ってて欲しいの。」
そう言って智美が差し出したのは、液晶画面が割れてしまった、拓真のスマホ。
子供を助けた時に持っていた物だ。
「なんで、俺に?」
智美は微笑みながら答えた。
「拓真の想いが、そこにたくさん詰まってるの。子供を作るためとは言え、私は拓真を裏切った。そんな私にできる拓真への償いだと思って、受け取って。」
智美は、平気ではなかったのだ。
俺に体を委ねることが。
それでも耐え、拓真の為に、我慢していたのだと、初めて知った。
それ程までに、拓真を愛していたのだと。
俺は、拓真の部屋で深呼吸をした。
深く…深く…深く…。
拓真の香りを、忘れることが出来ないように。
体の奥深くに染み込ませるように。
自分の部屋に帰ると、なんだか、力が抜けた。
俺は玄関にしゃがみこんだ。
すると、ポケットにしまっていた拓真のスマホが飛び出した。
「持ち主に似て、落ち着かない奴だな。」
俺はスマホを手に取った。
壊れた液晶が、拓真が受けた衝撃の強さを物語っていた。
「痛かったよな。きっと。」
そう思うと、スマホを抱き締めずにはいられなくて、俺は、自分の胸にスマホを抱え込んだ。
ふと、智美の言葉がよぎる。
<拓真の想いが詰まってるの>
大切な愛する人の遺品を、智美は俺に渡してくれた。
拓真の想い…それは…?
スマホの電源を入れてみた。
画面に文字が浮かぶ。
「ちゃんと、動くじゃないか。」
スマホは外見は壊れていたが、中身は生きていた。
しばらくすると、画面にアプリの表示がたくさん出てきた。
その中に、LINEがあった。
LINEには、拓真が見れていないメッセージがたくさん表示されている。
仕事先から、友達から、…そして、事故にあった直後なのか、智美からのLINEも未読のまま。
そして、俺はあることに気づいた。
やり取りのなかった、俺のアイコンがなぜが、真ん中にある。
もう何年もブロックしたままなのに、そんな場所に俺の名前があるなんて…。
不思議に思い、俺は自分の名前を押してみた。
すると、そこには、俺から既読のつかないままの拓真のメッセージが並んでいた。
「たけ。もうすぐ俺、父親になるんだ。」
「秋には男の子が生まれる。お前にも見せたいよ。」
「智美のお腹はだんだん大きくなってく。女の人ってすごいよな。」
メッセージはだんだん古くなっていく。
まるで拓真の記憶を遡っているようだ。
「生まれてくる子供は、俺と智美、そして、お前との子供だ。俺は嬉しいよ。」
そんな文章が出てきて、俺は急いで次のメッセージを見た。
「智美が教えてくれたよ。俺は子供を作れないって。だから、たけに、お願いしてるって。」
「知ってたのか…。」
きっと、智美は黙っていられなかったんだ。
拓真を裏切っていることを。
そして、それを知りながら拓真は俺の元へと向かう智美を送り出していた。
「たけ。既読つかないけど、俺の気持ちをここに書くよ。いつか、気が向いたら、読んでくれ。」
そこには俺に対しての拓真の想いが綴られていた。
「俺、中学に入る前、父さんから言われたんだ。中学校には、俺の双子の弟がいるって。だから俺、すごい楽しみで、どこにいるんだろう?俺の片割れって。そしたら、山科って名前が見えて、いたっ!見つけたって!会ってみて思ったけど、双子って、あんまり兄弟だって感覚ないよな?同い年の友達と変わらない。だから、お前のことを弟だって、ほとんど思えなくて。」
「知っていた。双子だってこと。俺よりも先に知ってて、あいつ…。」
それは、俺が想像もしていなかった事だった。
どんなに時が経っても、そんなこと微塵も感じさせなかった。
「お前は知っていたのかな?いや、知らないか。ごめん。こんな形で教えてしまって。またおばさんに怒られるな。」
「もう、知ってるよ。俺も。」
俺は、拓真のメッセージを読みながら、返事を返す。
まるで拓真と会話してるみたいに。
「中2の夏休み。おばさんを怒らせて、ごめんな。お前は親思いだから、辛かったよな。」
「大丈夫。母さんも許してくれたから。」
俺は震える指で、画面をスクロールしていく。
「お前に彼女が出来た時、ちょっと複雑だった。今までずっと俺と二人でいたのに、なんで急にって。寂しかったんだ。でも、そう思うのは俺のわがままだから、お前を見守ろうって思ってた。でも、公園でお前が横川にキスしたのをたまたま見掛けて、俺…悔しかった。嫉妬した。お前は俺のものだって気持ちが膨らんで…兄弟だって分かってたのに、手を出した。今思えば、焦ってたんだ。横川にお前を取られるって。だから、早くお前を繋ぎ止めておきたくて…ほんとにごめんな。お前は優しいから受け止めてくれて、嬉しかった。安心した。そして、優しいお前にどんどん甘えて…。そんな自分も嫌で、俺もたけから離れなきゃって…無理して女の子と付き合って…でも、いざとなるとダメで。なぁ、たけ。俺はさ。お前とじゃなきゃできなかったんだよ。お前との事を思い出して、女の子を抱いてたんだ。目の前の彼女をお前だと想像してたら、出来たんだ。」
それは、俺には伝えていなかった、拓真の真実。
拓真は、俺を実験台にしてたわけじゃなかった。
女を抱きながら、俺を思い出して、興奮して…。
それは、俺も同じ。
智美を抱いた時、ずっと頭にあったのは、拓真との触れ合い。
「バカだな。俺達兄弟は。二人とも、ダメダメじゃねぇか。」
拓真も俺と同じだと分かると、また泣けてきた。
「早くお前から離れなきゃ、お前を解放しなきゃって、頭では思うのに、どうしても気持ちが付いてこなくて。
結局長く続かなくて、すぐお前の元に戻っちゃって。
そんな事を繰り返すうちに、確信した。俺はお前を兄弟としてじゃなくて、愛する人として想っているんだってさ。」
初めて言ってくれた。
拓真から…。
「遅いよ。拓真。お前はもういないじゃないか…。」
「でもさ、お前にはやっぱり迷惑だったよな。そりゃ怒るよ。俺は身勝手だったんだから。ほんとにごめんな。」
「もっと早く、ちゃんと言ってくれれば、あんな追い出し方しなかったよ。だって、俺だって、お前が好きで、好きで、好きで。」
「智美は全てを知ってるよ。それでも俺が好きだと言ってくれた。だから、俺は智美を大切にしなきゃいけない。お前が妹の様に可愛がっていたあの娘を、幸せにすることで、お前にも恩返しができるかなって思ったんだ。」
全ては俺のため。
拓真はいつも俺の事を考えてくれてた。
結婚さえも、俺の為に…。
こんなに愛されていたなんて、知らなかった。
あんなに何度も何度も体を重ねてたのに。
あんなに、熱く抱いてくれてたのに…。
「拓真…拓真…たく…ま…。」
「もしお前が俺を許してくれたら、またお前と遊びたいよ。他愛のない会話して、ゲームしてさ。あっ、大人になったんだから、飲みに行こう。一緒に。」
最後に一言、拓真の希望がそこにあった。
「俺はお前の事、ずっと大好きだから。これだけは、許してくれ。じゃあ、またな。」
拓真のメッセージは、それで終わっていた。
俺は大きく息を吸った。
そして、拓真に向かって叫んだ。
「拓真!拓真!拓真!なんで死んだんだよ!俺を残していくなよ!拓真!置いていかないでよ!」
まるで、子供みたいだ。
俺は情けないくらい、大きな声で泣いた。
「大好きだよ…俺だって…。」
その声はもう、拓真には届かない。
でも、言わずにはいられなかった。
あんなに愛に溢れたメッセージを送ってくれた、愛しい人に…。
「幸哉!お父さんから手紙だよ。」
私はポストを覗き、愛する我が子を呼んだ。
「ほんと?!ヤッター!」
幸哉は嬉しそうに、にこにこしながら、走ってきた。
そんな姿は、拓真そっくり。
「あっ!プレゼントだ!」
幸哉は、遠くにいる、会うことのない父親からのプレゼントを見て、はしゃいでいる。
毎年、幸哉の誕生日に送られてくる、会えない父親からの手紙とプレゼントは、今年で5回目。
幸哉の父親、拓真は5年前に他界した。
でも、その拓真から毎年、誕生日には、こうやって祝ってもらえる。
だから、私も幸哉も寂しくはない。
手紙には、拓真にしては綺麗な文字で、幸哉へのメッセージが書いてある。
まだ字が読めない幸哉の代わりに私が代読している。
「愛しい幸哉へ。お誕生日、おめでとう。お父さんは幸哉が日に日に大きくなるのをお空から楽しみに見ているよ。来年も再来年もずっとずっと見守ってるからな。」
手紙を読み終わると、私は幸哉を見た。
すると、幸哉は満足そうに微笑みながら、空に向かって大きな声で、拓真に話し掛ける。
「おとうーさん!ありがとう!プレゼント、大切にするね!ずっとずっと、僕の事、見ててね!」
幸哉は年に一度だけ、天国の拓真と繋がることができるのだ。
それが叶うのも、もう一人の父親のお陰。
でもその人は絶対に姿を現さない。
毎年、拓真の代役として、手紙とプレゼントを送ってくれる。
ありがとう、たけちゃん。
あなたは、もう一人の幸哉の父親よ。
俺が拓真にしてやれることを、必死で考えた。
考えて、行き着いたのは、拓真が抱き締められない息子に、拓真の気持ちを届けること。
手紙を書くのは苦手だけど、幸哉に送る時だけ、まるで拓真が俺の中に入ってきたみたいに、すらすらと書ける。
幸哉へのプレゼントを選ぶときも、俺の中の拓真が、決めてくれる。
支払いももちろん拓真だ。
あの時、智美が渡した5万円は、拓真が働いて稼いだお金だ。
それを毎年、幸哉のプレゼントに変える。
だから全て、拓真の想いが詰まっている。
俺が生きている限り、拓真と幸哉は繋がれる。
拓真、俺を使って、幸哉を幸せにしてくれ。
幸哉を幸せにできるのは、父親であるお前だけ。
そのためなら俺は、都合のいい友達でいるよ。
これからも、ずっと。
お前を愛しながら、お前が残した全てに、愛情を注ぎながら…。
お前と一緒に…。
読んで頂き、ありがとうございました。