英雄になるな
わりとはじめから思っていたけれど、タイトルに合う話は書けないな。
まあ元ネタ(?)の方もあんまり合っていなかったからいいのか……?
「あ、」
思わず声が漏れた。聞かせるためではないその音は、口の中にくぐもって消える。
(人、だ……)
工藤の視線の先には、自分と唐来以外の生きている人がいた。
◆◆◆
「あー……、やっぱりないよな……」
工藤は台所の下の収納を覗き込みながら、肩を落とした。小麦粉がない。
先日のピザパーティー──ピザの形をしたものははじめのひとつだけで、それ以降はパン祭りと呼んだほうが正しいものだったが──の折にほとんど使い尽くしてしまったらしい。小麦粉はなんだかんだと多用するので常に常備しておいたのだが、予想外の使用でどうやら無くなってしまったようだ。
となると、補給に出なければならない。補給は今月で四度目。工藤は壁にかかっているカレンダーを見た。ばつ印が並ぶ中に、大きく丸が書かれている日付がある。そこが補給に出た日だ。平均は月に二回。今月はその倍になっている。
原因はなとなく分かっている。今まではなんやかんやと最低限の衣食住をどうにかするのでいっぱいだったが、それに慣れてそれ以上のものが欲しくなっているのだ。つまり余裕が出てきて、欲が出ている。
「どーしよっかなぁ……」
工藤はうむむと唸った。できるのならば補給に出たいが、こういう時は危ない。気を引き締めなければ怪我をする。
それはそれとして、他に足りないものがないかメモしていく。
砂糖が少なくなっているし、調味料──特にマヨネーズとケチャップが少なくなっている。どうせならば乾麺系も欲しい。ついでに追加の薪も確保しておきたい。
重要度は考えずに羅列していくと、結構な量になった。
「どーしたの?」
台所の入り口から唐来の顔が覗く。工藤を見つけると、ぴょんぴょんと跳ねるようにして近づいてきた。手元のメモを覗き込んで、「欲しい物リスト?」と聞く。唐来の長めの髪が垂れてきて、工藤は邪魔だと手でパシパシと払った。「ごっめーん」と大して悪いと思っていないような謝罪をして、唐来は髪を掻き上げる。そして「で? 欲しい物リスト?」と首を傾げた。工藤が頷くと、ぱっと顔を輝かせる。
「出かける?」
「うーん、でもなぁ……」
正直に言って、前回の補給から一週間も経たない内に出るというのはどうなのだろう。いや、いつかはやらなければならないのだが、それでも頻度は減らしたほうがいい。外には奴らの他にも危険は多くあるのだから。
唸る工藤に唐来は「でもさぁ」と声を上げた。
「そろそろ秋用の服も必要じゃない?」
「…………」
工藤は頭を押さえる。そういえば、それがあった。
この家にも前の住民の服は残っている。それを着れないことはないのだが、サイズが結構違う。またここに逃げてくる前の服もあるが、それは数が足りない。こんな世界だ、風邪を引くのは論外だ。体力育成の過程で他の家を覗いてみてもいいが、それよりも補給に出た方が確実性はある。
ちら、と工藤は唐来を見上げた。にっこりと綺麗な笑みを浮かべられる。その唇には色が乗っていた。色付きリップとかいうやつだ。
彼女は結構おしゃれなのだ。髪は諸事情によりプリンになっているとはいっても、終末世界にも関わらず、スキンケアなどはしっかりとやっている。そして工藤にもそれを半強制をしてくる程度には。「肌の手入れを怠ると、後々響くから」とは彼女の言だが、その「後々」が訪れる保証がないだろうと口を挟めないほどには唐来は身だしなみに気を使っていた。
ぱちぱちと瞬きをする。唐来からの無言の圧力に、工藤は仕方なく笑った。
「あー……、行くか……」
「よっしゃっ!」
翌日の早朝。工藤たちは服屋が隣に併設されているスーパーマーケットの近くに来ていた。店のそばまで車で入りたかったのだが、事故でも起きたのか塞ぐように車がぽつぽつと置かれているので近づけない。仕方なしになるべく近くに寄せて車を止めた。もう何度か来たことがある場所で、混乱はなかった。
耳を澄まして周囲に目を配る。こういった視界の悪い場所で不意をついて襲われたらたまらない。ナイフの柄を掴んだまま進む。しばらくすれば目的地に着いた。
広い駐車場に、まだらに車がある。アスファルトに引かれた白線は無視して、無秩序に。ここの腐った元人間たちは以前工藤たちが訪れた際に見える範囲では対処した。あれからしばらく経っているからまた別の奴が居着いている可能性もあるが、初見でないだけ心に余裕がある。
「待って」
店の敷地に向かって一歩踏み出すが、しかし唐来に止められた。鋭い目をたどった先に、それはいた。
「あ、」
工藤は思わずというように、と不格好な音を零した。視線の先で動くものを見て、意味もなく手に力を入れた。
(人、だ……)
工藤の視線の先には、自分と唐来以外の生きている人がいた。
フードを目深にかぶって、その上に白と紺のキャップを被っているその人物は、男か女かも分からない。背に大きなリュックを背負って、きょろきょろと警戒するように周囲を見回している。奴らにはない、意志のある動き。ただ唯一残った欲望──空腹を満たすために足を引きずりながら腐った腕を伸ばす彼らとは違う、生きているものの動きだった。
──カランッ。
動揺で落ちていた空き缶を蹴り飛ばした。さっと顔を青くする。唐来に二の腕を掴まれ、物陰に隠れるようにして身を引かれた。彼女は鋭い目で相手の様子を伺う。覗き見る先で、相手は耳を澄ませているようだった。奴らがやってくるのを警戒しているのだろう。しかし現れない。彼女、あるいは彼は息を吐くようにすると、早足に去っていった。工藤たちは息を潜めてそれを見送った。
視界から消えて、充分に時間が経ってから詰めていた息を吐く。
「……いこう」
「うん」
先程見た光景を互いに口に出すことはなかった。
店の中は以前訪れたときとほとんど変わらなかった。ただ、よく見てみると商品棚が移動されていたり、物が消えていたりするようだ。ため息をつく。今後はここに来るのを少し考えなければならないだろう。
いつかこうなることは予想できていた。以前も自分たち以外の生存者とすれ違ったことはある。一緒に行こうと誘われたこともあった。それでも工藤と唐来は今、ふたりでいる。
メモにある通りのものをなるべく音を立てないように集める。倒されてたいして時間の経っていない死体があった。周辺がずいぶんと荒れていた。不意を付かれたのか、あるいはそもそも慣れていないのか。推測するしかない。しかしいずれにせよ、工藤たちには関係のない話だ。
食材を集め終えて、隣の服屋に入る。スーパーマーケットと同じく中は荒らされていたが、無事なものも充分ある。
唐来のどこか凍ったようだった空気が、柔らかく溶け始める。どうやら服選びでテンションが上ってきたらしい。
「これどう?」
「似合ってる……けど、ビラビラしすぎじゃないか?」
声をひそめながら、唐来がほんのりと口元に笑みを浮かべて聞いてくる。綺麗な刺繍が入ったトップスだ。腹回りがひらひらとしている。体に沿わせている様子は似合っているが、奴らに握られやすい服装は推奨できない。
工藤の言葉に唐来は小さく唇を尖らせた。工藤は趣味と実用ならば間髪を入れずに実用を選ぶ人間なので、そういうこだわりはない。着れるのならばジャージでいい。むしろジャージが楽でいい。
「えぇ……、工藤、それはないよ」
「うるせぇ、ほっとけ」
サイズだけ調べてカゴに放り込んだ服を見て、唐来が非難の声を上げる。うるせぇ。一見、黒のジャージだが、よく見ると虎柄が入っているそれは、たしかに美的センスというものが死んでいるようなセレクトだが、着心地という点で見ればポイントは高そうだ。おしゃれよりは機能性。華やかさよりも着心地だ。
工藤があらかた必要そうなものを選び終えた後も唐来はしばらくきゃっきゃっと店の中を歩き回り、服を選んでいた。それを横目に見ながら、工藤は他に必要そうなものがないか目を巡らす。田舎の服屋だからなのか、服以外にもいろいろと置いてある。湯たんぽ、手芸用品やクッションはまだ分かるが、テレビでCMをしていたような玩具もある。そしてなぜか花火もあった。『処分品!』と銘打たれて端っこのカゴに詰められている。この店が生きていたのはおそらく年のはじめだろうから、季節外れにもほどがある。どういうつもりで出したんだろう。工藤はそれを手にとってぼんやりとした。
しばらくすると唐来が戻ってきた。カゴの中身が増えている。顔を見るに、どうやら満足したらしい。そろそろ出るか、と声を掛けようとして、入口近くを奴らが横切った。唐来も跳ねるようにしていた体を着地させて、目を鋭くする。周囲を見られる程度には冷静らしい。戦利品を持ち出しやすいようにまとめて、身をかがめる。幸い奴はこちらに気づかなかったようで、がくがくと体を揺らしながら通り過ぎていった。
足音を殺して入り口へ行く。外でふらふらと歩くのは先程の奴も含めて数体。これくらいならばいつもは倒してから去るのだが、今日は荷物が多い。両手で抱えて走らなければならない。
工藤は唐来と頷き合う。唐来がそこらに転がっていたハンガーを振りかぶって投げた。乾いた音を立てて地面に落ちる。ぴたりと奴らの足が止まった。どこから音がしたのかを確認するように緩慢に首を振る。次に唐来はダメ押しのように近くにあった金属のカゴを拾い上げ、くるくるとその場で周り遠心力をつけて投げる。たーまやー。口パクで言う。それはハンガーを越えて着地し、先程よりも大きな音を立てた。奴らはぴくりと震えると心持ち足早に、そこに向かって歩き出す。工藤たちの退路とは逆の方向だ。
その後姿を確認してから、抜き足差し足で店を出る。足音を立てないように、しかし戦利品も落とさぬようにできる限りの早足で立ち去る。工藤はあまり運動が得意ではない。かけっこではバタバタと見苦しい音を立てることが常であったが、世界がこうなってから静かに早足で進むのが上手くなった。焦って走り出すと未だ足音は立ててしまうけれど。
ぽつぽつと無秩序なドミノのように置かれる車の隙間を進む。あと少しで自分たちの車の置いてある場所に着く、というところで先行してた唐来が唐突に止まった。
「っな、」
「しっ!」
なに、と言おうとしたところで唐来は工藤を睨んだ。視線だけで「あれ」と場所を示す。彼女の目を追って、そしてそこに見えたものに工藤は小さく喉を引きつらせた。
──白と紺のキャップ。
それはつい先程見た、自分たち以外の人間が被っていたものだった。白い部分に赤が滲んでいる。よく見たわけではないから分からないけれど、元々の装飾と考えるとセンスがない位置にある。着いて日が経つにしては鮮やかなそれ。その赤がなんなのかはすぐに思い至った。だがそれはおおよそ考えうる単純な推測だ。真実とは限らない。そして、工藤たちは真実を確かめるつもりはない。
「……行こう」
「ん」
なんだか近くには行きたくなくて、迂回して進んだ。それが幸いしたのか、あるいは関係がなかったかは分からないが特に妨害は受けずに車までたどり着けた。
服屋でほんの少し浮き立っていた気持ちはいつしか落ち着いていた。荷物を詰め込んで車を出す。今回は唐来の運転だ。彼女はいつも言う決まりごと──「すたこらさっさだぜ」とかいう絶妙にマヌケなやつ──は今回は言わなかった。ただ無言で車を走らせた。
◆◆◆
持ち帰ってきた物を使ったいつもよりも少しだけ豪華な夕食を終えて、工藤は唐来を誘って外に出た。半袖に半ズボン。この頃、夜は涼しくなってきたから、もうしばらくもすれば少し肌寒くなるだろう。パーカーを腰に巻いておく。それはそれとして、衰えてきたとはいえ、いまだ蚊の猛威は続いているので、蚊よけのスプレーはしっかりとしている。蚊取り線香のホルダーも持って完璧な布陣だ。
もう太陽はずいぶんと前に沈んでいるが、煌々と光る満天の星空に暗さはあまり感じない。風が頬を撫でる。かさり、と手に下げているビニール袋が鳴った。
「で、なにやるの?」
「……これ」
工藤は持っていた袋からそれを取り出した。
「えっ、これっ! 花火じゃん!」
「ちょっと見つけたからな」
キラキラと目を輝かせながら、しかし珍しいという目を向けてくる唐来に工藤は少しだけ頬を染めて目をそらした。
いつもならばこういった娯楽だとか、バカなことを考えるのは唐来だ。たいがい工藤はそれに引きずられて渋々手を出す。だが今回は違った。己を真面目と称するのは少し違う気もするが、ともすればこの世界でただ『生きること』だけを追い求めそうになる工藤にとって、唐来は適度な『遊び』を教えてくれる存在だった。そんなことを面と向かって言うのは面映ゆくて、言わないが。それに調子に乗られても困る。唐来の『遊び』は工藤にとっての『破滅願望』と変わらない時が稀によくあるのだ。
にやにやとする唐来の視線を躱しながら、金属の板で囲いを作る。どれだけの意味があるのかは分からないが、これをすれば遠くから光を求めて奴らがやってくるのを防げるだろう。その上、周りは木で囲まれているからあまり心配しすぎる必要もないとは思うけれど。
「水の入ったバケツよーし! 蝋燭よーし! それではいざ!」
「いざ!」
色とりどりの光が弾ける。火花が顔を照らした。消えては新しいものを手に取り、ふたりでするには多い量のそれを、最後には数本束ねて火を付ける。夜空の下で明るい火が踊った。
締めに少しだけ太い糸のような花火──線香花火を手にする。ふたりで同時に火を付けて、どちらが遅くまで残るかを勝負する。はじめは真剣にやっていたそれも、後になると妨害ありの勝負になった。息を吹きかけて落とそうとしたり、負けが見えているからと相手の火玉に自分のそれを合体させて勝負を有耶無耶にしたり。きゃっきゃと笑い声を上げて工藤たちはふざける。
火薬の匂いが夏の終わりを感じさせた。
花火も終わって、けれどこのまま眠ってしまうのもなんだかもったいなくて、工藤たちは屋根に上がった。つい最近、屋根裏を発見して掃除をしたのだ。ごろりと横になってチカチカと星が輝く夜空を見上げる。懐中電灯の明かりは消している。目の前にあるのは星と、そして互いの息遣いだった。
「なあ、」
工藤は口を開いた。目を閉じる。瞼の裏に、あのキャップが蘇る。
「なあ、もしもの時は、私が奴らに変わる前に殺してくれよな」
隣の唐来の呼吸が乱れた。それに気付きながら、工藤は目を開けた。降るような星空をその目に映す。あのキャップを見るよりも前から、ずっと言いたかったことだ。けれど言えず、しかし今がちょうど良いと思った。
工藤と唐来は他人だ。こんな世界になってはじめて出会った程度の。
返事がない。名を呼ぶ。顔を見ようと、彼女の方を向いた。しかし星が明るいとはいえ、この暗がりでは表情は見えなかった。ただ共に過ごした時間が、きっと彼女は笑ってはいないだろうと教えていた。
「そういうの、良くない」
事実、唐来はむっとしたような声を出した。
「良くない?」
「……だってそれ、フラグじゃん」
「フラグ?」
「死亡フラグだって!」
あー、もうっ! と唐来は顔を覆って、足だけバタバタとさせる。
「それで?」
「えっ、まだこの話、続けるの?」
「……それで?」
長い沈黙の後、ため息まじりに唐来は答えた。そして「わたしも、」と言うのに、工藤も同じものを返した。
空を見上げる。視界いっぱいに砂金のような星がある。こんなにいっぱいの星を工藤ははじめて見た。東京では明るすぎて、こんな空は見られなかった。息を吸って、吐く。
工藤たちはまだ生きている。






