火の用心
久しぶりに書いたので、小説の書き方を忘れました。
今回は特になにもない話。後で書き換えるかも。
「よいっせっ!」
唐来は包丁と棒を組み合わせて槍に加工した武器を“奴”の頭に突き刺した。手応えを感じて、バックステップで槍を抜く。ぐらりと“奴”が傾いで、糸の切れたように地面に崩れ落ちた。その奥からまた別の者が足を引きずって手を伸ばしてくるのを、唐来は鼻の上に皺を作って見つめた。
ほとんど毎日家の周辺の掃除をしているのにも関わらず、奴らは飽きることなく湧いてくる。それこそ最初の最初にはかつて生きていた彼らを倒すことに罪悪感ともつかない気持ちがあったが、今ではそれもおぼろげになっていた。工藤いわく「馴化」、というやつだ。繰り返される刺激に、いつしか徐々に反応が見られなくなっていく現象。人間が生き残るための心の動き。
かつて人間だったモノの頭に刃を差し込む。この作業の度にいちいち感傷を抱き続けることは難しい。というより、それを後生大事に抱くような人間はさっさとこいつらの仲間入りをしたのだろう。死んだはずの人間が歩き回るような狂った世界に慣れることができないやつは、死ぬ。
それこそ一番最初の最初は唐来だって躊躇していた気がするが、それも今はない。今では作業のようなものだ。こうして倒した後の片付けが大変だと思いさえする。放置していると変な匂いを発しながら腐っていく上に、工藤いわく衛生的にもよろしくないため土に埋める必要がある。正直に行って面倒なのだが、自分の住処の近くに死体を転がして置きたいとも思わない。
「うらぁっ!」
適当な掛け声でまた手製の槍を突き出す。過たずに濁った目にあたり、さらに奥に進む。ある一定まで差し込むと、緩慢な動きで伸ばされていた手ががくんと垂れ下がった。そのまま地面に傾いで落ちる。素早く周囲を見回すが、もうこれ以上は近くに居ないようだ。
「……終わり、か?」
少し離れた位置で同じように槍を構えていた工藤の言葉に「そうっぽいね」と頷く。少し涼しくなってきたとはいえ、まだまだ熱い。首筋を汗が伝って落ちた。投げてよこされたスポーツ飲料(調達した戦利品)を受け取って、喉を鳴らして飲む。葉擦れの音がして、風が髪を揺らした。周囲を囲むように木があるためか、都会のそれよりもずっと涼しい。ちょうどよく雲で太陽が隠れて、眩しかった風景が少しだけ和らぐ。見上げた空は呆れるほど青かった。
この空の先に、唐来たちが逃げ出してきた都市がある。ここは田舎だ。都会のそれと比べて、住んでいる──あるいは住んでいた住人は少ない。対して都会は、その反対。奴らが現れてからもう半年近く経つ。きっとあそこは奴らの巣窟になっているだろう。
唐来たちは早々にあそこから脱したから良いが、今はそれさえ難しくなっているのではないだろうか。生存者よりもずっと数が多いだろう死者。それはすなわち、戦うべき敵が多いということだ。
彼らは今頃どうしているだろうか、とぼんやりと思う。
今もなお生き延びているか、それとももう彼らの仲間入りを果たしたか。いずれにせよ、唐来がまた彼らに出会うことはないだろう。
「…………」
小さく唇の端を歪めた。工藤が死体を片付けようと声を掛けてくる。唐来は、はあ、と大きく息を吐いて、その声に答えた。
◆◆◆
「どう?」
「……まだじゃないか?」
「結構待ったよ?」
「でも、煤がなくなるまで待つらしいし」
工藤が手に持つのはDIYの本だ。開かれているのはピザ窯の項目。そう、唐来たちが図書館から借りてきた(今の所、返す予定はないが)一冊だった。元々、ガスが切れたために代わりになるようななにかの作り方用の本を探しに図書館へ行ったのだが、それはそれとして使えそうな本もそれなりの量を持って帰っていた。その中のひとつがこれというわけだ。
ガスコンロの代わりの竈はもう作って、その上何度も使用している。このピザ窯についてはただ単に、テンションが上って作られた産物のようなものだった。
この世界には娯楽が少ない。文字さえあればいいと気が狂ったようなことを言う本の虫の工藤はともかくとして、少なくとも文明の世界に生きている唐来にとってはそうだ。ネットの海に潜りたいし、ゲームをしたい。が、今や携帯端末やゲーム機は御臨終している。当たり前だが生きている人間よりも、死んだ目でそこらを徘徊して仲間を増やそうとする死者が多い世界だ。当然、電気はない。発電機はあるにはあるが、以前ゲーム機の充電のために動かしたたところ、工藤にこっぴどく叱られた。代わりに渡されたのは手回し発電機。しばらく仕方なしにそれを回していたのだが、さすがに涼しくなってきたとはいえ、いまだ蒸し暑いこの時期にそれをしたくない。だが、面白いことはしたい。唐来は我慢が得意な方ではなかった。
結果、溜まったフラストレーションがなぜだか変な方向に収束した。工藤が久しぶりの新しい活字にテンションが上っていたのも良かった。「ピザ食べてぇな!」「おっ、この本にあったぞ」「作ろう!」「そうだな!」そういうことになった。
材料集めから必要で、夏の日差しも残る中の作業となったが、それなりに楽しかった。完成した際にはふたりで飛び上がって喜んだものだ。弾ける笑顔、飛び散る汗、湧き上がる歓声、というやつである。
唐来はぽいぽいと薪を足す。足しすぎてもいけないような気がするが、まあどうにかなるだろう。
「おい、もう少し離しておかないと飛び火するぞ」
「え~、大丈夫じゃなーい?」
薪入れを火のそばに寄せると小言を言われた。ぐちぐちと言われるのも嫌なので、少しだけ離す。そして工藤の視線が離れた瞬間に、そっとそばに寄せた。薪入れはキャスターが付いているので、楽に動かせる。
「もういいんじゃない?」
「……そうだな」
しばらくすると天板についていた黒い煤がきれいに消えた。工藤のOKの合図と共に、わくわくとピザを窯の中に入れる。
ピザ──実際は、材料の関係から丸いパン生地にピザ用ソース&ありあわせの具材を乗せて粉チーズをふりかけたピザもどきと呼ぶのが正しい。なにしろ今は電気のない世界。冷蔵庫はただの箱と化し、冷蔵品・冷凍品はいずれも腐った。食べられるのは常温管理できるものだけ。つまりは缶詰やレトルトパック、その他常温で腐らない食材だけということだ。唐来だって完璧なピザ──玉ねぎにソーセージ、ピーマンを散らして、たっぷりのチーズを掛けたもの──を食べたかった。が、この終末世界には望めない。今の状況でできるものはこれだった。
ちなみに当然のことながら唐来はノータッチである。カップラーメンに湯を注ぐことを料理と呼ぶ人間にピザなぞ作れない。米を炊く際に氷を入れると美味しく炊けるとか、天ぷらの衣を作るのにビールを入れるとサクサクに作れるだとかは知っているが、その知識をいかしたことはない。だってしかたがなかろう、唐来が読んでいたのは料理本ではなく、食べさせた人を人外に変えるパン職人の話だとか、ファンタジー世界でファンタジー素材を使って料理をするバトルの話だとか、美味しいものを食べると服がはだける料理人たちの話なのだ。確かに細かな雑学はあったが、主人公たちのように料理を作れるわけもなし、脳の容量を圧迫しただけで活かすことはなかった。工藤にもちょこちょこと料理の豆知識を零すのだが、「作ったことないんだよな?」と訝しげに見られた。それで漫画の知識だと内容も合わせて説明すると「また回りくどい嘘を言って……」という目で見られた。誠に遺憾である。
工藤は文字のあるものは貴賎なく何でも読むが、ライトノベルや漫画には食指が動かなかったようだ。理由を聞くと「すぐに読み終わってしまうから」だとか。確かに活字中毒の気がある彼女にはそれは重大なものなのかもしれない。実に面白いのに残念だ。
と、つらつらとどうでもいいことを考えているうちに工藤が立ち上がった。
「……できたか?」
「だいじょうぶじゃない?」
三分。砂時計の砂がすべて落ちた。窯の中を覗き込むと、熱で肌がひりひりとした。夏にこの熱は辛いが、しかしこれもピザのためだと思えば耐えられる。
取り出したピザ(もどき)をピザカッターで切り分ける。ちなみにピザカッターはわざわざ探して調達したものだ。
唐来と工藤はそれぞれ切り分けたピザを手に取ると空に掲げた。
「いっただきま~す!」
「いただきます」
ぱくり。
はじめに感じたのはスパイスの混じったトマトの味だ。ピザ用ソースの味だろう。粉チーズは望んでいたとおりに伸びたりはせず、カリカリに焼けてしまったが、まあ悪くはない。缶詰の肉も意外と良い塩梅だった。そしてもっちりとした生地。ただ……。
「……うーん」
「…………」
想像していた味ではない。まあ終末世界的ピザなので、本場(?)のそれとは比べられないのは百も承知だったのだが、しかしそれはそれとしてコメントしづらい味だ。まずくはない。むしろ美味しい。ただピザと言われて食べると、なにかが違う。
唐来はそれほど舌が肥えている人間ではないが──なにしろ外食以外には料理がカップラーメンしか作れなかった──、なんでも美味しく食べられるほどには幸せな舌ではなかった。こうなる以前ならばもう少し違ったかもしれないが、今は工藤のご飯を食べてそれなりに舌が育ってきている。むしろ以前の世界よりも、今のほうが美味しいごはんを食べている可能性もあるほどだ。
「…………」
「…………」
せっかくピザ窯も作ったのに。テンションが上っていただけに、この仕打ちはつらい。唐来はちらりと横の工藤を見た。
「…………」
なんだか牛乳を飲んだと思ったら実は水だった、みたいな顔をしている。絶妙に納得がいかない、というか。それでも口はテンポ良く動いているので、まずいと思っているわけではないのだろうが。
そもそもにして、供給のほぼない世界でピザを作ろうというのが難しかった。ピザといえば伸びるチーズ。しかしそんなものはない。あったとしてもいずれも腐っている。ピザもどきとはいえ、ここまでできたのは称賛してしかるべきだろう。唐来も唐来で思うことがないわけではないが、作ってもらっていて文句は言えない(以前、文句を言った際に「じゃあ自分で作れ」と冷たく見捨てられた)。が、工藤は納得がいかないらしい。つんと唇を尖らせる。
「生地は結構おいしいけどさ」
「まあ、そうだね」
「でも、ピザかと言われると微妙」
「あー……。……それじゃあ、パン生地だけ焼いて、その上になにか乗っける?」
「……それじゃあ、ピザじゃないだろ」
「別にいいじゃん」
たとえば、レトルトカレーを包んでカレーパンとかさ、と笑って言うと、工藤は目を見開いた。唐来を見上げる瞳は輝いていた。
「……お前、天才か?」
もぐ、と最後の欠片を食べると、工藤はちゃっちゃと手を動かした。なにをやっているのか唐来にはよく分からなかったが、レトルトカレーに手を加えて器用に生地に包んでいく。
「投入!」
工藤の指示に従って、パンをふたつ窯の中に入れる。しばらくするといい感じの焼色がついた。
「よしっ! 取り出せ!」
「あいさー」
窯から出したパンをそれぞれ手に取る。ごくりと喉が鳴った。
「ん~~~! おいしいっ!」
「……っ」
もぐ、と口に入れて、唐来は頬を抑えた。もちもちの生地に意外なほどカレーが会っている。ジャンクな味だが、パン屋のそれに引けを取らないほど美味しいと感じる。下を見ると工藤も満足の出来らしい。無言でもくもくと食べていた。
それから、カレー以外にも美味しそうなものを詰めて焼いた。工藤は後になるほど手を加えて、最終的にはじゃがいもをまるごとパンで包んで焼いていた。罪の味がした。
お昼から食べ始めたのだが、いつの間にか三時になっていた。二時間ちかく食べていたらしい。それにはは、と笑いを零した。
ごろんと芝生に横になる。ちょうどよく木陰になっていて、日差しがないだけ涼しく感じた。風を感じたのでそちら見ると、そこには工藤が同じように横になっていた。いつも不機嫌そうに下がっている口角がほんのりと上がっている。
「あ~、お腹いっぱい!」
膨れた腹をぽんぽんと叩く。工藤はそんな唐来を子供かよ、というような目で見たが、小言を言われることはなかった。いつもならばチクチクと文句を言われるのだが、どうやら彼女の機嫌もいいらしい。
視線を空に向ける。ゆるくたなびく雲を見つめた。少しだけ弱まった太陽の光と、穏やかな風が眠気を誘う。
ここだけ切り取ると、まるで現実ではないようだった。朝の掃除も夢のようで、自分たちはただ夏休みに田舎に遊びに来た高校生のようだった。けれど、そんなことはないのだ。そんなことはない。
唐来と工藤は、この世界がこうならなければ出会わなかっただろう。唐来はそれなりに格式が高いいわゆる「お嬢様学校」に通っていたし、工藤は公立の高校に通っていた。唐来はどちらかというとクラスの中心にいるような人物だったが、工藤はスクールカーストという言葉さえ知ってはいても自分に当てはめて考えたことはないだろう。そして工藤はどう見ても人気になるような人柄ではない。唐来は嫌いではないが、一般受けはしないだろう。なにしろ彼女はめんどくさい(工藤に唐来をどう思うか聞けば同じく「あいつはめんどくさい」と言われるだろうが)。
けれど今、工藤は唐来と一緒にいる。それは偶然のめぐり合わせだが、意外と悪くはないと思える。少なくとも今、この世界にも関わらず、こんな気持ちでいられるのは彼女のおかげだった。
唐来は体を工藤の方に向けた。ほほ笑みを浮かべて、彼女を見る。
「工藤……いつも、」
しかしそこで唐来の言葉は途切れた。工藤が見開いた目で唐来を──いや、唐来のその向こうを見つめていた。
「え、なに……?」
工藤はバネじかけのように飛び上がると、駆け出した。慌てて振り向いて、言葉を失う。
「あ~……」
そこには炎上するピザ窯があった。どうやら火が、そばに置いていた薪に燃え移ったらしい。工藤の小言を無視して薪入れを火のそばに寄せすぎたらしい。
「唐来! お前! お前! お前ぇぇぇぇっ!!」
びきりと青筋を立てる工藤に唐来は乾いた笑いを浮かべた。先程までの柔らかな空気は完璧に消えている。今、彼女にあるのは灼熱の怒りだけだ。
「バカッ! ぼーっと見てないでささっと来いっ! 消せぇ!」
工藤の怒号が青空に吸い込まれた。