素早く振り向け
この作品のきっかけとなった個人作成のゾンビ物が商業で出ていたことに気づいたので驚きの投稿です。
更新されないのでいっちょ自分で書くか、となったのに、オマエ、そんなところにいたのか……!の気分。
うれしい。
延々と続く道。車がエンストして直らない。仕方なく次の街まで徒歩になった。
車から必要なものだけ取りだす。車があると、あった方いいけれど、なくてもどうにかなるものと一緒に移動するようになる。こういう事故さえなければその存在を忘れているのだが、自分の足で立って背負える分だけ、となると途端に思い出す。そして惜しい気持ちになる。だがどうしたってすべてを持っていくことはできないから、選別が必要になる。
工藤よりも唐来の方がそういうモノが多くて、彼女の用意を待つまで周囲の警戒のために歩き回っていた。
そんな時、なにかを踏んでつまづいた。工藤は転ばぬように地面を踏みしめてから、原因に目をやった。はじめはゴミに見えた。くしゃくしゃに丸められて捨てられたファーコートかなにかだと思ったのだ。しかしもぞりとそのコートが動いたのを見て、どうやら生き物らしいということに気づいた。
ぴるぴると小さく震えている。すこしばかりの好奇心が覗いて、相手が充分に弱っているらしいことを確認した上で靴のつま先でつついた。生き物はころりと転がって犬の形を取る。逃げようにも力が入らないのかただ震えるばかりだ。
「あー……」
自分が弱い者いじめをしているような微妙な心地になった。
おそらく、どこかの飼い犬だろう。飼い主とはぐれたか、あるいは死んだか。世話をする者がおらず、飼いならされたために餌もほとんど食べられず、といったところか。
生きて歩く人間よりも死んで歩く人間の方が多いこの世界で、野犬はかなりの脅威だ。元飼い犬が徒党を組んで襲ってくることもある。ちょっと歩けば見つけられる元人間がバイキング状態だとはいえ、犬たちも腐ったそれより新鮮なものの方がいいのだろう。獲物がなければ死肉を食らっているようだが、ゾンビどもと戦うよりも野犬と戦う方が多かった時もある。
だがこの目の前の犬は小さすぎてそういうものもできなかったのではないだろうか。工藤は犬種に詳しくないが、小さく震えるばかりの様子を見るに、愛玩用の室内犬ではないかと考えた。
犬を見下ろしていると、ぴゅーい、と甲高い口笛が聞こえた。唐来の合図だ。工藤は口笛が吹けないのでホイッスルを首に下げているが、唐来は口笛でクラシックを演奏できるほどうまい。というかうまくなった。……娯楽が少ないのだ、この文明の担い手が歩く死体となって、もうほとんど死んで締まった世界では。
しばし迷って、工藤はリュックの中から自分の食料を取り出した。犬のそばに置く。
「……わるかったな」
人間用のものだが、犬は雑食だ。まあ食べられないこともないだろう。犬の体にいいかどうかはこの際、気にしないことにする。今日明日で死にそうな病人がなにを食べても咎めないのと同じだ。
ほんの少しの慈悲と感傷。それだけのはずだった。
「ねえ、アイツ、ずっと付いてきてるよ」
「……わかってる」
唐来が嫌そうな顔でこちらを見る。言われずとも分かっている。野生の動物に餌をやってはいけません、というありがたい教えを切々と思い出しているところだ。
どんな凶暴な動物でも心を通わせることができる、と信じられるのはフワフワした空想の中だけの話で、現実では数十年飼育していた熊に喰われたとか、攻撃されたという悲劇はよくよく起こる。ヘンゼルとグレーテルのパンの道標は繰り返せば家に迷惑な動物たちが押しかけて荒らされる原因になるだろうし、ほんの思いつきで施した慈悲はやせ細って死ぬばかりだった犬に未来を見せたということだろう。つまり、カモとして認識された。
いくら追い払ってもあの灰色の薄汚れた犬が延々と後を付いてくる。勘弁してほしい。
工藤たちは自分たちの面倒をみるのに精一杯であるし、慈善団体でもない。そもそも完璧に躾けたわけではない犬をお供にするにはこの世界は厳しい。腐った鼓膜がどうゆれるのか知らないが、なぜか奴らは音に反応して襲ってくるがゆえに。
が、さすがに殺すのは抵抗がある。蹴り飛ばしたり、棒で殴るだけで死んでしまいそうだし……。
ちらちらと後ろを振り返りながらどうしようかと考えていると、目が合った。
つやつやとした真っ黒な目がこちらを見つめている。
「うっ」
捨て犬や捨て猫と目を合わせるな、と言う。情が移って無視できなくなるから、と。
前にも同じことがあったのに、その経験を生かせなかった。こうなると弱い。
「あの……しばらく面倒みられないかな……」
「自分の面倒を見るのもカツカツなのに、犬の世話なんてできないよ」
「その……そんなに吠えないヤツみたいだし……」
「……わたしがどうにかしてこようか?」
「ちょっ! あの、私が面倒みるから……」
〝どうにか〟しようと一歩踏み出した唐来の腕を取る。工藤はかつてないほど情けなく眉を下げた。普段なら唐来の暴走を止めるのが工藤の役目であるのに、今は逆だった。工藤が駄々をこねて、唐来が現実に即した行動を取ろうとしている。
しばし無言で見つめ合った。視界の端でそろそろと犬が近づいてくるのが見える。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………わかった」
面倒は工藤がみてね、と言って唐来はため息をひとつついた。冷たい目でちらりと犬を見ると、さっと視線を逸らして前を向く。
工藤はほっと息を吐いて、足元にやってきた犬の額を人差し指でつついた。
◆◆◆
はっ、はっ、はっ。地面を蹴るたびに熱い息が漏れる。
街についてすぐは良かった。閑散とした死んだ街。だがすぐに物陰から奴らが現れて、時間とともにだんだんとその数を増やしていった。はじめはいちいち相手にしていた工藤たちも終わりがないことを悟って逃げる方に思考を変えた。
奴らは特別足が早いという訳ではないが、充分に距離を開けて避ける必要がある。腕を伸ばして掴まれたら死体のくせに妙に強い力ですがりついてくるからだ。つまり、量がいると道を塞がれてしまう。
「ちっ」
今、進もうとした方向が塞がれた。ちらちらと周囲を見回して、逃げられる場所がないか探す。
広い道はやめたほうがいい。塞がれれば囲まれる。それより細い道の方がまだ相手にする数が限定できる分、勝機がある。
さて、どこへ行こう。
──わん!
「あっ、犬!」
ぴたりと工藤の後ろをついてきていた犬がぱっと走り出した。唐来が声を上げる。犬はちらりとこちらを見て、死体たちを避けて走る。まるで付いてこいというような目配せだった。犬の進行方向に細い路地があるのが見えた。
「行くぞ」
「工藤!?」
逡巡は一瞬だった。
取れる道はそう多くない。ならば犬のそれにしたがってみてもいいだろう。
唐来に一声かけて走りだす。近づきすぎるヤツらだけ頭を射抜いて逃げる。
入った路地には人の影はなかった。後ろから腐った奴らのうめき声が聞こえる。しかし人一人がどうにか進める程度の細さだから、後ろが詰まって速度が落ちた。唐来が逃げざまに立てかけられていた板や棒などを道を塞ぐようにして倒していく。しばらくすると死体たちの気配は遠くになった。
路地から出ると、犬は静かに止まって待っていた。そうして工藤たちに気づくとまた走り出す。
「……どこ行くんだろ」
「さあ」
「付いてくの?」
「ここにいても仕方がないからな」
「……はあ」
ため息を了承と捉えてふたりで走る。
たどり着いたのは大きな施設。
「…………ボウリング場」
ひょうたん型のピンが建物の上に鎮座して、ここがどんな場所であるかを主張している。色褪せた看板にもそう書かれていて、看板の真下の壁は雨に打たれたのか、黒ずんだ筋が刻まれていた。それなりに年季の入った建物のようだ。
犬は正面玄関をちらりとも見ずに建物の裏手に回った。そしてひとつの扉の前で止まる。
職員用の玄関だろう。『関係者以外開閉禁止』の文字が書かれた扉のドアノブをそっと掴む。
ぐるり、とあっけないほど簡単に扉は開いた。
「これで全部?」
「そのはず」
ボウリング場にいた死体たちは正しく死体に変わった。邪魔にならない隅の方に運んで一息つく。
「コイツらなに? こんなカッコでゾンビになるって……。のんきか?」
「あー、なんだろな。外出禁止令とか出されてただろうし。……自分がこうなるとは思ってなかったとか?」
死体たちはボウリング用のスポーツウェアとシューズを履いていた。死体の様子から死んだ時期を逆算するとおそらくかなり初期の方で変異したのではないかと思う。
その時期は政府から外出禁止令が出ていたはずだ。未知の感染症の疑いあり。可能な限り外出はしないこと。警察も出動して警戒に当たっていた。
でもまあ、外に出る者はいるわけで。初めの方は警察に見つかった者が留置所に入れられたり、それがニュースになったりなどしていた。海外では射殺されたりなどもあったようなので、日本はそこそこ平和な対応だったのだが。
しかしそれも長くは続かなかった。ギリギリで保っていたダムが決壊するようにして、街にゾンビが溢れた。被害が被害を呼び、そうしてたどり着いたのが現在というわけだ。
奴らの存在が周知の事実になってから、人々は政府のシェルターに避難するか、あるいは学校や自宅で籠城をした。彼らの選択が正しかったかどうか、工藤は知らない。ただ、政府からの救助はなく、自分たち以外の生き残りをあまり見ないというのがその答えだろうと思っている。
となると正しく危機感を覚えるような時期にこんなのんきな格好で遊んでいたとは考えにくい。つまり彼らは自分に災いは降りかからないと思い込んで──こうなったのだろう。
長く直視しておきたいものでもなくて、工藤はそこらに放り投げられていたタオルで彼らの顔を隠した。
窓が開いていてよかった。腐敗臭は生きている人間まで腐らせるような臭いだから。
ソファに座ってひと休憩入れてからは、内部の調査を行うことになった。車を捨てたから手持ちが少ないのだ。予備の食料の最後は昨日、腹に消えた。今は水程度しかない。
窓が開いていたとはいえ、室内は埃っぽい。しかもボウリング場であるここはレーンに油かなにかを塗っているらしく、なんだか空気がベトベトする。
床には工藤たちの足跡と、犬のそれが残る。油と埃と混じって床はねちょねちょと音を立てるし、犬の爪が当たる音もチャッチャッというかわいいものではなく、なんだかねちょついている。
「工藤ってさ……、ボウリングしたことある?」
「ない。唐来は?」
「わたしもない」
「へえ、意外。君はやってそうなのに」
金がなくて趣味は文字を追うことだった工藤と違って、唐来は金持ちだ。それに友人も多い。放課後にはきゃっきゃと友人たちと遊びに繰り出すタイプだろう。なんとなくゲームセンターとかカラオケとかボウリングとかが併設された施設で定期的に遊んでそうなイメージだった。
「どんなイメージよ。別にそれ以外に楽しいものいっぱいあったし……」
唐来の指がさみしそうに宙をさまよった。スマホを探したのだろう。唐来は自身のスマホを災害用の発電機に繋いでちまちま充電していたのだが、あの日の火事で失った。
きゅるる、と腹が鳴って唐来はため息を付いた。朝からなにも食べていないのだ。飴でしのいでいるが、腹の足しにはあまりならない。
「なんで人間って光合成できないんだろう」
「あー……、ね」
もう何万回も繰り返された愚痴に適当に声を返して受付の扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
中にはなにもいない。バックヤードへ続く扉があったが、そこは鍵がかかっていた。ふたりして部屋の中を探る。
鍵はキャビネットの中に束にしてあった。その他にも菓子と諸々の書類、日記を見つける。
きゅうきゅうと切なく鳴く腹のためにスティック菓子をひとつ開ける。ゆっくりと口に運びながら、工藤は日記を開いた。唐来は漫画を見つけたらしく、そちらをパラパラとめくっていた。
今どき珍しい手書きの日記。こんな世界じゃなければわざわざ手書きにする意味が分からないと思ったのだろうが、電気を得ることが難しいまではなにかがあった時に残るのは本の形をしたものなのだな、となんだか感慨深い。工藤は「本」という形を愛しているし、電子書籍よりも紙派だ。手書きのロマンも分かるが、学校のノートはともかくとして、利便性もあってメモなどはすべて電子でやっていた。
日記には仕事のことや日常の一場面の感想が簡単に綴られていた。時間もそうないので飛ばし飛ばしに読む。
日記の主は一人暮らしの独身女性で『しらたま』という名の真っ白な犬を飼っているらしい。日記の半分はそのしらたまのことで、そのまた半分は仕事の愚痴、最後は業務についてだった。
女性は飼い犬を溺愛していたらしい。仕事でつらいことがあっても『家に帰ればしらたまがいる』『しらたまのために稼いでいる』『しらたまにご褒美を買うことを考えて頑張る』などと奮起していたようだ。
しかし途中からウィルスの不安が綴られるようになった。まだ〝ゾンビ〟とも〝歩く死体〟とも呼ばれずただのウィルスのひとつだと思われていた時のものだろう。
政府の勧告にしたがって自宅待機をしていたのだが、ボウリングをしたいという利用者がいるということで仕事場に呼び出されたらしい。家から出ていいのか? と思ったものの、他のひともちらほらと外へ出ているという話を聞いて、ならばと出たらしい。特別手当も出るようだし、と書かれていた。
ただ、家に犬を置いていけないので一緒に連れてきたようだ。職員は自分一人しか出勤しないし、飼い犬はほとんど吠えないから問題ないとバレないと思ったらしい。
はじめの数日は問題なかった。だが三日ほど経つとポツポツと自分の周囲でもウィルスに感染した者が出てきて不安に苛まされたようだ。
やはり自宅に閉じこもっていた方がいいのではないか。しかし会社からは出勤してほしいと言われているし、金もほしいし……とつらつらと悩んだようだ。
そして結局女性がどうしたのかは分からない。日記にそれ以上は書かれていなかった。
しかし得がたい情報があった。どうやらバックヤードに災害用の保存食が置かれているらしい。小腹が減ったが食べてはダメだろうか……と愚痴が書かれていた。
日記のカバーの間に施設の地図などが押し込まれている。ぐい、と引っ張ると勢いあまって地面に落ちた。
「……写真?」
地図の他に、女性と犬の写真があった。
女性は三十代ほどに見える。満面の笑みで小さな白い犬を抱えている。犬は小綺麗な服を着せられて、真っ黒な濡れた目をキラキラとさせていた。
在りし日の幸福な肖像だ。この世界で彼女たちがどうしているか知らないが、きっと幸せであればいいと工藤は他人事のように思った。
写真やその他のものをカバーの隙間に押し戻して、施設の地図だけ残しておく。
「唐来」
「ん? なんかいいものあった?」
「保存食があるかも」
「へえ、いいじゃん!」
ふたりして地図を覗き込んで頭に叩き入れる。
建物内部がどのような構造をしているのか、知らないのと知っているのとではまったく動きが変わってくる。予習は大事だ。
バックヤードには職員用の休憩室と倉庫がいくつかあるようだ。日記の記述を見るに、保存食は休憩室に置いてあるようだ。
工藤たちは頷いて立ち上がった。
「おー、大量、大量」
「思ったより量があったね」
目的のものはすぐに見つかった。ダンボールに堂々と「災害用保存食」と書かれて置かれていたのだ。二箱あるのを工藤と唐来でひとつずつ抱える。できればすべて持っていきたい。これからどこで食料の調達ができるかは未知数なのだ。
受付に戻ってダンボールを置く。さすがにこのまま運べないので、なにかしら大きめのバッグがあればいいのだが。
きょろり、と周囲を見回して気づく。
「あれ、犬は?」
「知らない。……休憩室までは一緒にいたよね?」
「そのはずだけど……」
鳴き声も上げずに工藤たちの後ろに付いてきていたはずだ。しかしあの茶色い雑巾みたいな犬がいない。
工藤はひょい、とバックヤードをもう一度覗き込んだ。
かり、かり、と犬は休憩室とは別のドアを熱心に引っ掻いていた。たしか倉庫になっていたはずだ。
「なんだ? 開けたいのか?」
「やめた方がいいと思うけど。そういうのって、フラグでしょ」
唐来が言うのがどういうフラグかは知らないが、工藤だって閉じたドアは不必要に開けたくない。中になにがあるのか、なにがいるのか分からないからだ。
工藤は犬をむんずと掴んで抱き上げた。そして、さっさと受付に戻ろうとする。
──ぅわん!
ほとんど吠えない犬が、一声吠えた。
「おまっ」
叱りつけようと犬を見下ろした。その奥で、なにかの気配を感じた。素早く振り向く。その視線の先でくるり、とドアノブ──倉庫のドアノブが回るのが見えた。耐え難い腐臭が鼻を突く。
閉めなければ。……ダメだ、間に合わない!
ざっと血の気が引く。「唐来!」警告と共に工藤は踵を返した。
次の瞬間、扉の奥からおぞましい死体たちが姿を現した。
たとえ年1でも更新すればいい。書いていればいつかは終わるから。
……終わらせる気はあります!




