第8話「気ままな蝶々と子守り獅子」
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事件への興味を取り戻した壱子は、楚々としてたたずまいを正すと、再び依織とその母親に向き直る。
「改めて尋ねるが、毒見とは『他の者が先に料理を食べて、毒が入っていないか確かめること』という認識で正しいか?」
「その通りです」
壱子の問いかけに、依織――ではなく、その傍らに座す母親がうなずく。
依織の年の頃を考えれば、彼女が答えても良さそうなものだが……家によっても違うのかも知れないが、やはり依織の精神的な幼さを平間は感じずにはいられなかった。
壱子はあごに手を当てるという、物思いにふける時にお決まりの仕草をしながら、さらに尋ねる。
「では、毒見をするのは誰じゃ?」
「始めは侍女に任せていましたが、近頃は私が」
「侍女に任せぬのには、何か理由でも?」
「意味を為さないからです。それに……」
「それに?」
「……信用できません」
「侍女たちを」という言葉を省略して、母親が声をおとして答える。
対して壱子は小さく鼻を鳴らし、
「ま、そうなるか」
と平間にかろうじて聞こえるくらいの声でつぶやいた。
確かに、侍女の誰かが犯人だと考えている母親にしてみれば、その侍女に毒見を任せるのは抵抗があって当然だろう。
だからと言って、自分が毒見をするのも違う気がするが。
――それにしても、「毒見をしても見つからないのに、依織には効く毒」というのはどういう事だろう。
パッと平間が思いついたのは、毒見役があらかじめ解毒薬を飲んでおく、というものだ。
こうすれば、毒見の際に毒の効果が出なくてもおかしくはない。
しかし問題は、そうなると「毒見役」と「毒を盛る役」の二人が別個に必要なことだろう。
もちろん一人で両方をこなすのは不可能ではないだろうが、これだけ多くの侍女がいる中で、怪しまれる行動を単独で、それも二回もこなしてみせるのは難しい。
であれば、犯人は複数で……発想を飛躍させれば、侍女が全員共犯だということも考えられる。
そこでふと、平間は「近頃は母親が毒見している」ということを思い出した。
だとすれば、犯人は母親と侍女の誰か、ということになるのだろうか。
しかし平間の見た限り、母親は依織のことを必死で守ろうとしているように見える。
動機は見当たらない。
――さては、犯人の侍女が母親に解毒薬を盛っているのか? でも、そこまでする理由なんて……。
そんなことを考え始めた平間の目の前に、壱子の整った顔が現れる。
虚を衝かれた平間が慌てていると、壱子は紬にも目配せしながら言う。
「話は終わりじゃ。行くぞ、平間」
「……帰るのか?」
「いや、毒を盛った犯人を捕らえる」
ちょっと散歩に、といったくらいの気軽さで壱子は言う。
緊張感で居心地の悪さを感じていた平間は落胆するが、紬は楽しげにニコニコしている。
「良いですねえ壱子さま! 何から調べます? 厠ですか? 倉ですか? 池の水を全部抜いてみるのも良いかも知れませんね」
「まあ、その辺りも追々な」
「ですが壱子さま、これだけ大きいお屋敷ですと、くまなく調べるのは時間がかかりそうですね。ざっくり見積もって二週間、早くて五日ってところでしょうか」
「五日?」
「ええ……あれ、アタシ何か変なこと言いました?」
壱子の反応が予想外だったのだろう。
紬は不安げに壱子に聞き返す。
――確かに、壱子と会ったばかりならそう思うだろうな。
平間は紬と違って、佐田壱子という少女のことを良く知っていた。
おそらく紬とて、耳聡い彼女のことだから、壱子の聡明さは良く知っているだろう。
しかしそれは伝聞でしかなく、端的に言えば自らの常識の範囲内で考えられる聡明さでしかない。
そう、例えば「物覚えが良い」とか、「とんちが利く」とか、「粋な受け答えができる」とかいうような。
しかし、壱子は普通ではない。
凡人を自負する平間をはじめ、多くの人々が想定するよりも、壱子は二段階、三段階上の行動をやってのけるのだ。
「紬、私がこの事件を解くのに五日もかけると、そう言うのか?」
「その口ぶりだと、二日くらい……ですかね? まさか、ひと晩とか?」
そう言いつつ、紬は表情をこわばらせ始めていた。
が、壱子は平然と首を振る。
「四半刻じゃ。それだけあれば十分じゃろ」
そう言って部屋を後にする壱子の背中を、紬は「信じられない」と言いたげな表情で眺めていた。
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