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第7話「無窮の心と無縫の姫」

「生きておるが。どういう事じゃ」

「知らないよ……足はあるみたいだけど」


 華美(かび)な装飾の数々が施された長い廊下で、平間と壱子は顔を近づけ、小声でささやき合う。

 壱子の服装は最大限の礼服で、屋敷にいた時よりもさらに多くの着物を重ね着している。

 そのせいで、背の低い壱子の外観はころころと丸くなり、容姿の可愛らしさも相まって、まるで人形のようだ。

 しかしやたらと背伸びをしたがる壱子からしてみれば、これはあまり嬉しくない評価だろう。


 いや、それだけならいいのだが、今は九月である。

 最盛期は過ぎたとは言え、まだまだ蒸し暑さの残る時期に、壱子のように何枚も重ね着をしたらどうなるか。

 酷く簡単な話だが、つまり、ものすごく暑いのだ。

 しかし、壱子が苛立っている理由はそれだけではない。


 “目の前で起きている不可解な出来事が、まるで理解できなかった”のだ。


「|佐田の二の姫さま、こちらへどうぞ」


 案内役の侍女に示されるまま、壱子は少女の奥に歩を進めていく。

 特に止められることは無かったので、平間と、こっそり同行していた紬も後に続いた。

 紬は貴族の屋敷が物珍しいのか、きょろきょろと(せわ)しなく視線を動かしていた。


「京作さま、あの壺っていくら(くらい)するんですかね? 趣味は悪いですけど、高そうですよ」


 滅茶苦茶を言う紬を無視して、平間は緊張した面持ちで部屋の端に腰を下ろす。

 

 すぐ目の前には壱子の背中が、その奥には平間が見知らぬ少女の姿があった。 

 彼女こそ、今回の毒殺事件の被害者――水臥小路(すがのこうじ)依織(いおり)である。


――


挿絵(By みてみん)


――


「毒殺された」とされた彼女が、なぜ元気に過ごしているのか。

 内容が内容だけに、壱子もその理由を尋ねることが出来ずにいた。

 そんなことに気付く素振りも無く、依織(いおり)は無邪気に白い歯をのぞかせる。


(こち)(やかた)へようこそ、いちこ。久しいのう」

「うむ、息災で何よりじゃ」


 のんびりとした口調の依織に、壱子は笑みを返す。

 が、その笑顔はどこかぎこちなく、壱子の人見知りな性格が出てしまっているのかも知れない。

 あるいは、彼女の小動物じみた鋭い警戒心が何かを察知している可能性もある。


 平間はあからさまになり過ぎないよう気を使いながら、依織を観察する。


 依織の年の頃は十六か十七か、おおよそ平間と同じか年下のように見える。

 細く引かれた眉に、小動物を思わせる丸っこく、垂れた大きな目。

 鼻筋は柔らかな曲線を描いていて、桜色の唇は表情豊かに良く動いていた。

 さすがに手入れもしっかりしているのだろう、長く伸ばした黒髪は、壱子と負けず劣らず艶やかで美しい。


――しかし、何か違和感があるような……。


 平間は首を傾げるが、すぐにその正体に気付いた。

 煎餅(せんべい)である。


 依織と壱子の前には、それぞれお茶請けとして煎餅の入った木皿が置かれていた。

 壱子はそれを指先で割って口に入れていたが、依織はと言うと、そのままかじり付いているのである。

 これが平民出身の子供であれば特に問題ないだろうが、貴族の娘ともなればそうはいかない。

 普通は手で折ってから、欠片を口に運ぶのだが……。


 しかもなお可笑しいのは、依織のすぐ近くには母親らしき中年の女性がいることだ。

 彼女は依織が“粗相(そそう)”ともいうべき行為をし続けているにもかかわらず、注意する素振りすら見せない。

 皇国屈指の名門である水臥小路(すがのこうじ)家の人間ともなれば、相応の教養は持っているはずだが……なにか事情があるのだろうか。

 

 平間が首を傾げていると、この屋敷の(あるじ)である依織(いおり)に壱子が切り出した。


「時に依織どの、私はお主が毒を盛られ、死んでしまったと聞いていたのじゃが……?」

「はて? いちこは頭が良いと聞いていたが、ほれ、(こち)はこの通り生きているぞ」

「……その理由を聞いておるのだけどな」


 全く話の噛みあわない依織に、壱子は困ったように言葉を詰まらせる。

 しかしすぐ、ため息と共に続ける。


「まあ良いか。つまり、依織どのが死んでしまったというのは誤報で、毒など存在しなかったのじゃな?……全く、とんだ無駄足じゃ」

「何を言っておる? 毒はあったぞ?」

「……は?」

「毒は盛られたが、死ななかった。しかし苦しかったから、もうイヤだな」

「一体、どういうことじゃ?」


 壱子は視線の先を依織から……その横に座る母親らしき女性に向ける。

 恐らく依織の口ぶりから、彼女相手では話にならないと壱子は判断したのだろう。


 平間も感じていたことだが、依織の受け答えは異様に“幼い”のだ。

 何不自由ない身分に生まれて甘やかされ続けたらこうなるのかも知れないが、だとしても一般的な範囲を超えているように思える。

 煎餅をかじる依織の口の端から、ぽろぽろと“かす”が落ちるのを見て、平間は思わず眉をひそめた。


 すると。


「依織に、毒を盛った者がいるのです。しかもこの屋敷の中に!!」


 部屋中に響く金切り声に、平間は思わず飛び上がった。

 声の主は、依織の母親だ。


「見たんです、私は……」


 骨ばった顔をわなわなと震わせる彼女は、神経質そうに眼を動かす。

 その姿は、明らかに普通の精神状態では無いように見えた。

 この時点で、平間はもう帰りたい気持ちでいっぱいだった。


 壱子はというと、「またか……」と言わんばかりにあきれ顔を浮かべていた。

 そしておずおずと、興奮で気絶しそうな母親に尋ねる。


「見たというのは、その……誰かが毒を盛るのをか?」

「そう、そうです」

「だったら、もう解決しているのではないのか?」

「いえ、解決しないんです。だって、後ろ姿しか見ていないのですから。でも、あの格好はこの屋敷の侍女のものでした。そうです、近衛府(このえふ)にも助けを求めましたが、全然役に立ちません」

「……ま、まあ、困っているようではあったな」

「無能! 無能です……あれは!!」

「そうか……しかし、ひとまず落ち着かれてはどうじゃ、のう?」

「落ち着いています!!!」


 叫ぶ母親は、どう見ても落ち着いていない。

 彼女は一息ついてから、壱子を睨みつけるようにして言う。 


「壱子さんと言いましたか? あなたはここに何をしに来たんですか?」

「まあ、毒のことを調べに来た……のじゃろうか。近衛府に助力を求められてな……しかしその必要も無いのであれば、そろそろ帰ろうか――」

「なりません!!」

「ええ……、なぜ?」

「佐田家と言えば、薬学の一族ではないですか。であれば、毒に苦しむ私たち母娘(ははこ)を助ける義務があるはずです!」

「いや、それは無いじゃろ」


 論と言うのもはばかられる暴論を、壱子は即座に否定した。

 同時に、平間の隣に座る紬が噴き出し、笑いをこらえ始める。

 緊張しきりの平間は頬を引きつらせるが、紬はさらにツボに入ったのか、肩を震わせ始めた。


 壱子はというと、完全に興味を失ったらしい。

 庭を舞う季節外れの蝶々を目で追いながら、どうやってこの場から離れようかと思案しているようだった。


 この「興味」というのは壱子と言う少女を語るうえで非常に重要なことで、退屈を嫌う彼女は常に興味のあるものを追い求めている。

 恐らくこの事件に首を突っ込んだのも、平間を復職させるという目的以外に、単に壱子の好奇心が刺激されたからだろう。


 さて、しかしこの事件では、犯人らしき人物を母親が確認している。

 つまり目星がついているわけだから、面白そうな展開はあまり期待できそうにない。

 壱子にとっては時間の無駄でしかないわけだ。


 壱子はうんざりしながら、母親に向けて(さと)すように言った。


「あのじゃな、お母上どの。私の考えを聞いてくれるか」

「良いでしょう」

「お母上どのの話では、犯人らしき侍女の後ろ姿を見ているのじゃろ?」

「ええ」

「だったら、すぐにでも犯人は見つかりそうなものじゃが。ちっぽけな私の助力など、必要あるまい?」


 壱子は首を傾げ、困り顔で母親を見た。

 視線を向けられた母親はしばらく考え込んでいたが、やがて首を横に振った。


「いえ、今回使われたのは普通の毒ではありません」

「……というと?」

「毒見が利かないのです」

「はて、それは面妖な」


 壱子はニヤリ、と笑うと、母親に向けて言った。


 毒見とは、貴人の食事に毒が入っていないか、下人があらかじめ舌で確かめることを言う。

 もちろんこの作業は命がけで、毒見役が「役目」を果たすときは死ぬときでもある。

 しかしそれゆえに毒見は有効で、用心深い権力者にとっては必須の行為だった。


 その毒見が利かない、毒。

 平間は嫌な予感に顔を引きつらせながら、壱子の反応を待った。


「その話、もう少し詳しくお聞かせ願えるかな?」


 そう言う壱子の瞳は、さきほどとは別人のように、ギラついた好奇心の光が宿っている。

 貴族の館に緊張しっぱなしでさっさと退散したかった平間は、当てが外れたと思って顔をしかめた。


――

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