第47話「糾える縄と雨煙」
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突然、水臥小路は近くの燭台を引き倒したのである。
空気が乾燥していたせいか、火は容易に畳に燃え移った。
その場にいた全員が火に気を取られていると、水臥小路はさらに次々と燭台を倒していく。
畳についた火は、一つ一つは大きくはない。
が、それが複数となると話は別だ。
無言で燭台を倒していく水臥小路に、平間は理解できないものを見るような恐怖感を抱いた。
脛折も、炎に照らされた顔を引きつらせる。
「野郎、気でも違えたのか……? おい、全員で火を消せ! 水を持ってくるんだ!」
冷静な脛折の声に、部屋に居合わせた面々はハッとする。
それは駆け込んで来た衛士たちだけでなく、水臥小路の警護をしていた兵士たちも同じで、みな慌てて動き出した。
兵士たちから開放されて自由を取り戻した平間は、消火をそっちのけで壱子のもとに駆け寄った。
「壱子、怪我は?」
「膝が痛い。倒れるときに勢いよく行き過ぎた」
「そんなのはどうでも良いだろ! 刀傷は──見せてみろ」
「お、おい! こんな場所で脱がそうとするな!」
「言ってる場合か! 命に関わるかも知れないんだぞ!」
平間は必死の形相で、壱子の襟元に手を掛ける。
嫌がる壱子だが、平間とて真剣だ。
すると次の瞬間、平間の後頭部に鈍い衝撃が走る。
「やめてくださいよ、公衆の面前で」
振り返れば、そこには短刀を手にした紬の姿があった。
平間はムッとして、紬に食って掛かる。
「紬、そもそもこれは、君が付けた傷だろ!? どうして平然としていられるんだ。まさか、急所は外したとでも言うのか?」
「傷なんか付けてませんって。そんなことをしたら、京作さまに殺されるでしょ? まあ、実際に殺されかけたんですけど」
「はあ? 何を言って……」
わけがわからない平間に、紬は短刀を抜いて見せた。
平間は反射的に身構えるが、紬はのんびりとした調子で、短刀を自分の掌に突き立てる。
赤黒い液体が吹き出し、平間は顔をこわばらせる。
が、間もなく、何かがおかしいことに平間は気付く。
「……貫通して、いない?」
「そうなんです。おもちゃですよ、これ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる紬。
そんな彼女の手から短刀をひったくり、平間はまじまじと見つめる。
短刀の刃は、潰されていた。
また先端を押すと刃が柄の中に押し込まれる仕組みになっており、そのたびに赤黒い液体がぶしゅりぶしゅりと漏れ出てくる。
そして平間が刃から手を話すと、短刀は元の形に戻っていた。
「柄の中に、細工がしてあるのじゃ」
「細工?」
平間が聞き返すと、壱子は襟元を直しながらうなずいた。
「そうじゃ。柄には、弾性のある金属と、薄い膜で出来た袋が仕込まれておる。また刃の根本には針が付いていて、刃を強く押しこむことで、袋に針が刺さる仕組みじゃ」
「……で?」
「で、袋には血液とよく似た液体が入っている。柄と刃の間には小さな穴があり、そこから疑似血液が出てくるようになっておるのじゃ。すると、まるで刺された場所から血が吹き出したように見える。しかし、一回使えばもう使えぬ。おもちゃにしては高価じゃな」
そう言う壱子は、何故か得意げだった。
平間は本当に理解できず、浮かんだ疑問を壱子にぶつけた。
「どうして、こんなものを作ったんだ?」
「面白そうだからに決まっておるじゃろ」
なるほど。
大いに不満だが、確かに壱子はそういう人間だった。
平間は自分の聞き方が悪かったと思い直し、改めて壱子に尋ねた。
「分かった、じゃあ壱子がこのおもちゃを作ったのは良い。どうしてそれを紬に渡した?」
「決まっておる。手紙代わりじゃ」
平然と答える壱子に、平間は首を傾げる。
すると、壱子は察して続けた。
「人が贈り物をする理由は、一つだけしかない。すなわち、自分の気持ちを伝えるためじゃ。それは感謝であったり労いであったり、時には威嚇であったりする」
「はあ」
「そして私がこのおもちゃを渡したのは、威嚇のためじゃ」
「……どういうこと?」
「私がもう一本、短刀を贈ったのを覚えておるか? あっちは本物なのじゃ」
壱子が言うと、紬は隠し持っていた別の短刀を取り出し、抜いてみせた。
刃は美しく、鋭い光を反射していた。
「見た目は同じだが、片や鋭い刃を持ち、片や偽りの刃を持っている。
これは、紬が私以外の人間にも仕えていることを暗喩しておる。
つまり、『お前が誰かの命令で動いていることはお見通しだぞ』という威嚇をしているわけじゃ。
言葉は悪いが、情報を集めるに置いては紬は便利な存在じゃ。
そんな紬が、行くアテが無くなって私のもとに転がり込むなど、現実的ではなかろう?」
「そう言われてみたら、そうだけど……でも、直感で威嚇するには、随分と手が込んでいるじゃないか」
「まさか、直感だけで動いているはずがあるまい。紬のことは、紫に簡単に調べてもらった。まあ、誰に使えているのかまでは分からなかったが……いずれにせよ、私の方からも釘を刺すつもりで、この二本の短刀を贈ったというわけじゃな」
ふふん、と壱子は鼻を鳴らし、ニセの血で汚れた胸を張った。
すると、紬は感心したように言う。
「へえ、そんな意図があったんですか」
「うん? ……まさか、気付いておらなかったのか?」
「はい。よくある壱子さまの悪ふざけかな〜、って思ってました」
とぼけた紬の言葉に、壱子はがっくりとずっこける。
それを無視して、紬は続ける。
「まあ、いずれにせよ好都合でした。アタシは壱子さまを殺すふりをしなければなりませんでしたし」
その台詞に、平間は違和感を抱いた。
「……どうして、本当に殺さないで、殺すふりをしなきゃいけなかったんだ?」
「はい? だって、殺してしまったら不味いじゃないですか」
「でも、水臥小路が紬を殺そうとしているとは知らなかったんだろ?」
「知りませんでしたよ」
「だったら、どうして? 水臥小路が紬を裏切る確証が無いのなら、壱子を生かしておく理由なんて……」
「だからって殺すわけ無いでしょう。だって、アタシ壱子さまのこと好きですもん」
あっけらかんと言う紬に、今度は平間がずっこけた。
あまりにも分かりにく過ぎるだろう。
平間が抗議しようとすると、壱子が口を開いた。
「いやはや、紬のことだから私を死に追いやるということは無いと思ったが、まさかあんなに突然刺されるとは思っていなかったぞ」
「ビックリしました?」
「した。あと、もし本物だったらどうしよう、とも思った」
「アタシも刺すときに、間違えて本物を握ってたらどうしようって、ちょっと怖くなりました」
そうして壱子と紬は向い合い、にんまりと笑う。
以前から「女は分からない」と思っていたが、平間は改めて、それをうんざりするほど痛感した。
「では平間、帰るか。火は衛士たちが消してくれたし、もう私たちがするべきことは無いじゃろう」
壱子の言うとおり、畳に燃え移っていた火は、すっかり消えていた。
屋敷を包囲していた衛士たちが多かったことと、彼らが普段、火を消す訓練をしていたことが功を奏したらしい。
皇都の治安を守る衛士たちは、火災への対策に当たることもあるのだ。
水臥小路家の屋敷は、すっかり落ち着きを取り戻していた。
脛折はいつの間にかいなくなっていたし、衛士を引き連れてきたらしい田々等が、部下に何か指示している姿も見える。
その光景に平間が安心すると、どっと疲れが押し寄せてきた。
明るくなり始めた空には朝日が昇っていた。
皇都の黎明である。
──
水臥小路惟人による謀反の報せは、またたく間に皇国全土を駆け巡った。
しかし謀反がごく初期の段階で制圧されたことや、帝が健在であったこともあり、多くの人々が日常を取り戻すのに、そう長い時間は必要なかった。
影響があったといえば、最初の事件で屋敷を燃やされた貴族が、しばらくの間、仮暮らしを余儀なくされたことくらいだ。
意図せず朝帰りとなった壱子と平間は、久しぶりに佐田氏の屋敷に足を踏み入れ、泥のように眠りについた。
二人が目覚めたのは、翌日の昼すぎだったという。
壱子の父・佐田玄風は、鳴峰寺崩落に巻き込まれていた。
が、異様な悪運の強さで命に別状はなく、左腕の骨折だけで済んだおかげで、公務に支障をきたすことは無かった。
左大臣の地位は今のところ空位だが、順当に行けば、玄風がその座に落ち着くことになるだろう。
また壱子の異母姉である梅乃は、侍女たちを取りまとめ、屋敷に誰一人として外敵を入れなかった。
壱子を溺愛する彼女は、もっぱら妹の安否を心配していたそうである。
こうして、水臥小路家による政変は、未然のまま幕を閉じた。
──
しかし、平間の頭には引っかかるものがあった。
何か、大切なことを忘れているような……?




