第37話「氷月の刃と鴛の鳥」
――
詩織の登場に、壱子は即座に表情を険しくする。
が、詩織はそれに取り合わず、冷たい笑みを貼り付けたまま妹に目を向けた。
「佐田は敵なのに、まんまと懐柔されるとは。やはり愚妹ですね。同じ血を分けた者とは思いたくもない」
「お姉ちゃん……」
「姉呼ばわりは勘弁して頂戴。まあ、もうどうでも良いんですけれど」
そっけなく言って、詩織は壱子に目を向ける。
「壱子さん、松月が死んだというのは本当?」
「盗み聞きとは、いい趣味とは言えぬな」
「だって、聞こえてきてしまったんですもの。で、本当なの?」
「……事実じゃ」
「あら、そう。残念ね」
淡白な反応のみを見せる詩織に、壱子は不快感をあらわにする。
「悲しまぬのか? お主の従者であろう?」
「確かによく仕えてくれましたけど、私、下人には興味がありませんの。ごめんなさいね」
「詩織殿は、随分と薄情なのじゃな」
「情念の多寡ではなく、関心の有無ですわ」
そう言って、詩織は片手を上げる。
すると、数十名の兵士が平間たちを取り囲んだ。
無機質な表情で武器を構える兵士たち。
壱子は冷汗を一筋垂らして、詩織に問う。
「何のつもりじゃ?」
「貴女こそ何のつもり? 敵地に二人で乗り込むなんて、気でも違えたのかしら」
「違う。友のため、真実を明らかにしに来た」
「ハッ。臭いですね。臭くてたまりません」
詩織はわざとらしく鼻の前で手を払って見せる。
そして、試すように言った。
「第一、射月を殺したのは貴女ではなくて? 母上が、『逃げ去る貴女を見た』と言っていたではありませんか。母上がそんなことを言う必要など、全くありませんし……」
「いいや、理由ならある。同じ屋敷に住んでいて、そんなことも気付かぬのか?」
そう言い放ち、壱子は挑戦的に笑う。
詩織のこめかみに青筋が浮かんだことに、平間は気付く。
詩織は言う。
「状況を分かっていないのかしら。私は父上ほど甘くはありません。私の命令一つで、この兵らは貴女たちを串刺しに出来るのですが」
「……」
「その生意気な目……煩わしい。殺してしまいなさい」
無感情に詩織が言うと、兵士たちは一斉に動き出した。
が。
「待て!!」
機先を制し、壱子が一括する。
小柄に似合わぬその異様な迫力に、兵士たちは足を止めた。
「聞け、各方。精強で聞こえる水臥小路の兵は、無抵抗な者や娘を殺して功とするのか!? 違うじゃろう?」
壱子の声に、兵士たちが怯む。
確かに、壱子を殺すことで水臥小路家の名声に傷を付けることになるかも知れない。
また、壱子は腐っても右大臣の娘だ。
気軽に手を出していい相手ではない。
無論、武器をもたない娘に刃を向けるという行為にも、抵抗があったはずだ。
壱子の命を奪うのには、兵士の数は十分すぎるほどに多い。
しかし様々な要因から、誰もがその”張本人”にはなりたがらなかったのである。
兵士たちが動きを止めたのを見て、壱子は詩織を睨みつける。
「私を殺すのならば、その罪を明らかにしてから殺すが良い!」
「面倒だ、と言ったら?」
「自信がないのか? 父親の権威を振りかざし、弱き者をいたぶることが精一杯のようじゃな」
「なんですって……?」
「違うのならば、私の挑戦を受けよ」
「挑戦? 何をするというのです?」
小馬鹿にした笑みを浮かべる詩織に、壱子は三本指を立ててみせる。
「今から私は、射月と松月の事件の真相を話す。お主は逆に、それが間違っていることを証明してみせよ」
「なぜ……私がそんなことをしなければならないのです?」
「すぐに分かる」
自信たっぷりに壱子は言うが、平間にはまだ話の先が見えない。
それは詩織も同じだったらしく、片方の眉をひそめながら尋ねた。
「仮にその挑戦を受けたとして……私に何の得があるのかしら」
「その疑問はもっともじゃ。であればこうしよう。私が敗れれば"父の本当の居場所”を教える」
壱子の言葉に、平間はギョッとする。
「壱子が父親の居場所を知っている」から驚いたのではない。
「父親の居場所を、さも知っているかのように話した」から驚いたのだ。
少なくとも平間の知る限り、壱子は彼女の父・玄風の居場所を知らない。
それどころか、生死さえ掴めていない。
つまり、”ハッタリ”と”カマかけ”を、壱子はしてみせたのである。
とは言え、これは非常に危うい賭けだった。
もし仮に、水臥小路家が玄風の身柄を確保していたら、壱子のハッタリは成立しなくなる。
壱子の考えにしては、希望的観測が過ぎやしないか。
と、平間は頬をひきつらせる。
しかし、それは取り越し苦労だったらしい。
「……良いでしょう。馬鹿正直な貴女が嘘をつくとは思えませんし。しかし、なぜ私たちが佐田玄風の居場所をつかめていないことを知っているのです?」
「密かに連絡を取っていた、としか言えぬな」
そう言う壱子の表情はまだ硬いままだった。
が、本当にわずかに、壱子の声色に安堵の色が混じっている。
おそらく、この場では平間にしか気付けない程度の変化だったろう。
「ですが、条件を追加させてください」
「ほう?」
「貴方が負けを認めれば、度重なる放火と大逆(※)の咎で、死んでいただきます。そのよく動くお口は封じておいたほうが良いでしょうし」
「涙が出るほど、嬉しい心遣いじゃな……。分かった、煮るなり焼くなり好きにせよ」
「物分かりが良くて助かりますわ。ですが、覚えておいてくださいましね」
「何じゃ?」
(※大逆:帝や皇子などに危害を加える罪。広告においては、罪人の三族まで死刑となり、九族まで流刑となる。)
聞き返す壱子に、詩織は目を細めて笑う。
その邪悪さに、平間は思わず総毛立った。
「楽には殺しません。伊織ほどではないですけど……私、貴女のことも大嫌いなので」
「寂しいことを言う。私はお主のことは嫌いではないのに」
「あら、貴方も嘘をつくのですね。驚きました」
嫌味たっぷりに応酬する二人に、平間は背筋が凍る思いがした。
その時、平間の手元で、何かがモゾモゾと動く。
間もなく、それが腕の縄を伊織が解いてくれているのだと平間は気付く。
伊織は平間に、ささやくように言った。
「この縄も、もう必要あるまい」
「ありがとうございます」
「大きな声では言えぬが、私は壱子の味方じゃ。数日の内に、友を二人も亡くすのは耐えられぬ」
「……心中お察しします」
「まだ、嘘であればと思っておるが……そうも行かぬのだろうな。平間、私は壱子のことを信じておる。しかし、もしもの時は力技でお主らを逃がす。私に近い侍女と兵らが、協力してくれるはずだ」
伏し目がちに言う伊織に、平間は驚いた。
ほんの一月ほど前、あれほど幼かった少女が、ここまで頼もしく見えるとは。
しかし、平間が首を縦に振ることはなかった。
「ありがとうございます。伊織さま」
「良い。せめてもの償いだ」
「ですが、その心配はありません」
「なぜそう言い切れる?」
眉を寄せて尋ねる伊織に、平間はほほえむ。
「僕も、壱子を信じているんですよ。壱子が自分の命をかけるなら、絶対に勝算があるはずだ。だから、僕も壱子に自分の命をかけます」
「……良き主従だな」
「そう言うと、壱子は怒りますけどね」
苦笑して、平間は壱子に視線を戻す。
すると、偶然にも壱子と目が合った。
壱子は黙って微笑み、顔をあげ、そして高らかに言う。
「では各方、謎解きの時間といこう。闇に紛れた真実を、朝日のもとにさらけ出すのじゃ」
その笑みの中に、ほんの少しだけ迷いの色があった。
しかしそれに気付けたのは、おそらく平間だけだった。
──




