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わがまま娘はやんごとない!~夢幻の暗殺者と虚空の双姫~  作者: 八山たかを
第2章「堕つ双月、啼くは絶花の狂い咲き」
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第34話「片割れの弦と徒桜」

──


 松月の死を聞いても、平間にはあまり現実味がなかった。

 壱子も同じ感想だったのか、いやに冷静に脛折に尋ねる。


「脛折殿、亡骸(なきがら)はどうした?」

「もちろん回収済みだ。見るか?」


 特に感慨なさそうに言う脛折に、壱子は黙ってうなずいた。


 脛折に案内された先は、かつて射月の腑分けを行った部屋だった。

 姉の射月と寸分違わぬ場所に、松月は横たえられていて、平間はにわかに湧き上がった既視感に、ひどく辟易した。


「まるで、生きているようじゃな」


 壱子の言うように、洞窟内の灯りに照らされた松月の顔色は、血色が良かった。

 まだ息があるのでは、と平間は期待したが、それを察したように壱子は続ける。


「例の瘴気(※)にさらされた者は、死んでも顔が青くならぬ」


(※瘴気:この場合は一酸化炭素のこと。また顔色が悪くならないのは、血液中のヘモグロビンが一酸化炭素と結合した場合、鮮やかな赤色を呈するためだと言われている。)


 そう言って、壱子は悲しげに目を伏せる。


「おそらく、水臥小路に囚われていた私を助けだしてくれたのは、松月だったのだろう。そして、その(とが)で水臥小路に命を狙われる事になってしまったのじゃ。悪いことをした……」


 肩を落として言う壱子に、脛折は無感情に言う。


「松月は抜け穴の中間地点に倒れていた。そして水臥小路家側の入り口に、木炭の入ったでかい火鉢が置かれていた。火は消えていたが、まだ暖かかったらしい」

「つまり、松月が抜け穴に入ったのを知って、何者かが火鉢を置いたと、そういうわけか?」

「みたいだな」

「火鉢の現物はあるか?」

「持ち帰っていない。こっちもギリギリだったんだ」

「そうか……」


 短く言って、壱子は何かを考えこむような仕草をする。

 そして少しの間を置いて、口を開いた。


「脛折殿、よく松月を回収することが出来たな?」

「何?」

「いや、単純な話なのじゃが、抜け穴は瘴気が満ち満ちておったのじゃろう? お主の部下も、中に入ってはただでは済むまい」

「あー、そのことは詳しく話せない。忌部省の機密なんだ」

「なぜ機密なのじゃ?」

「この通り、忌部省は洞窟を利用して作られている。当然瘴気はよく出るが、その祓い方は儀式的に秘密なんだ」

「……ふむ、そういうものか」


 一応はうなずいてみせる壱子だったが、どうも脛折の説明に納得していないらしい。

 実際、普段の軽妙なしゃべり方に比べて、今の脛折の口ぶりは何処かぎこちない。

 何か別の事情でもあるのだろうか。


 平間が訝しんでいると、ぽつりと壱子がつぶやく。


「私は戦っても……勝っても良いのじゃろうか」


 その言葉の真意が分からず、平間は壱子に視線を向けて、驚いた。

 なぜなら、平間が見たことが無いほどの険しい表情を、壱子が浮かべていたからだ。


 どう返すべきか迷う平間の目を見つめ、壱子は言う。


「元はといえば、すべては水臥小路の野心によって起こされた(いさか)いじゃ。政敵たる我が父を狙うのは、百歩譲って納得できる。しかし、無辜(むこ)の者たちを巻き込むのは、道理に外れる」

「それはその通りだけど……。だからと言って、もう僕達に残されている手はもう……」

「無いと言いたいのか? 確かに、状況はかなり悪い。しかし諦めてしまえば、その時点で勝ち目は無くなってしまう」


 そう言う壱子の目には、小さくも鋭い光が宿っていた。

 この状況でなお、彼女は希望を見失ってはいないらしい。

 壱子は言う。


「覚えておるか。射月を殺した犯人を、私は言わなかった。これはひとえに、伊織のためじゃ」

「じゃあ、まさか伊織さまが犯人──?」

「そうは言っておらぬ」

「だったら、どういう……?」

「簡単な話じゃ。射月の事件の真相が明るみに出れば、水臥小路家が滅びることになる」

「……本気で言っているのか?」

「私は嘘が苦手だということを、お主もよく知っておるじゃろう?」


 自嘲気味に笑う壱子に、平間は素直にうなずいた。


「分かれば良い。では、射月と松月の姉弟がなぜ死なねばならなかったのか、明らかにしよう。水臥小路家を、火薬で吹き飛ばしてしまうのじゃ」

「死なばもろとも、とでも言いたそうな顔だね」

「私は死ぬ気なぞ無いぞ。これが終わったら、そうじゃな、お主と一緒に薬の行商でもやろうか」

「悪くない考えだ」


 平間が笑うと、壱子もようやく顔をほころばせる。


「では行こう……と言いたいところじゃが、脛折殿、ひとつ頼まれてはくれぬか」

「あ、なんだ?」


 急に話をふられた脛折が、目を丸くする。

 その脛折に、壱子は意味深な表情で言った。


「私の記憶が正しければ、お主は罪を得て忌部省におるのではなかったか」

「その通りだ。だからどうした?」

「では、その罪が何だったのか、教えてくれ」

「それは出来ない。理由は、言いたくないからだ」

「無論、ただでとは言わぬ。条件をつけよう」

「ほう?」


 脛折が少し興味を示すと、壱子はわずかに口角を上げる。


「条件とは、私が脛折殿の罪を当てるということじゃ。もし当たったら、教えてくれ。もちろん、当たらなかったら何も言わなくても良いし、私の推測が曖昧すぎても答えなくて良い。どうじゃ?」

「その条件だと、当たっていても答えない可能性があるんじゃないか?」

「わざわざその可能性を指摘する時点で、そんな気はさらさら無いのじゃろう?」

「……なるほど、こりゃ鋭いな」


 無邪気に肩をすくめて、脛折はうなずいた。


「いいだろう。ただし回答は一回だけだ。それ以降は何を言っても認めない」

「構わぬ。むしろ十分過ぎるとさえ思える」


 本心からそう言って、壱子は軽い足取りで脛折に近づく。

 そして、脛折の耳元で何やら(ささや)いた。


「お主の罪は──」


 壱子の囁きは、やや長かった。

 が。


「参ったな、何処から漏れたんだ?」


 脛折は自分の負けを認め、苦々しく溜息をつく。

 対照的に、壱子は笑顔で言う。


「脛折殿、お主と友となれたのは、一連の事件で数少ない私の幸運じゃった」


 そして、壱子は平間に目を向ける。


「では、行こうか」

「行くって、どこへ?」

「虎子を得られる場所は一つしか無い。違うか?」


 そう言って不敵に笑う壱子に、平間は思った。

 やはり「死なばもろとも」ではないか、と。


──



 死体の顔色についての補足です。

 蛇足とも言います。


 一酸化炭素中毒で死亡した場合、血液は鮮紅色(せんこうしょく)を呈するとされます。

 ところが、鮮紅色を呈するのは一酸化炭素中毒だけではないため、壱子が「松月の顔色がいいから、きっと瘴気(一酸化炭素)で死んだのだろう」というのは、厳密には誤り……なのですが、きちんと検討すれば、結果的には特に矛盾がありません。


 というのも、一酸化炭素意外で鮮紅色の血液を作る物質というのは、青酸(せいさん)ガス(シアン化水素)だからです。

 当然、皇国の技術レベルでは青酸を合成することは出来ません。

 また青酸は、皇国で広く食べられている(あんず)の種や梅(青梅)にも含まれていますが、その量は決して多くはありません。

 そもそも、松月が生前に杏の種をボリボリ食べていたり、青梅をかじりまくっていたのだとしたら、脛折が調べればすぐに分かるでしょう。


 また平間が気絶した事実と照らしあわせた場合、松月の死因は青酸ではなく、一酸化炭素中毒であると考えるのが妥当になります。


 ちなみに、硫化ガスで死亡した場合は暗緑色(あんりょくしょく)の血液となるそうです。


──


 さらに、平間が気絶した件についても補足させていただきます。

 壱子は「瘴気(一酸化炭素)のせいで気絶した」と話していましたが、これは誤りです。

 正しくは「低酸素の空気を吸ったから気絶した」となります。


 実際、ある濃度以下(一説には6%以下)の酸素を含んだ空気は、一瞬で人間の意識を消失させます。

 この特徴により、例えばマンホールの中のように低酸素になりやすい環境では、作業員が降りた途端に昏倒する事故が起こり得ます。

 もし、運悪く誰にも発見されなければ、低酸素にさらされ続け、逃げることも出来ずに死亡してしまいます。


 同じようなことは洞窟などでも起こり、特に背の低い子供は影響を受けやすいです。

 これは、二酸化炭素が空気よりも比重が大きく、下の方にたまりやすいためです。

 ちなみに、この現象を経験した昔の人たちは「神様が子供の魂を攫った」と考えたようです。

 古い伝承に実は科学的側面があった、と思うと、なかなか面白い話だと思います。


 話を戻します。

 要するに、平間が気絶したのは一酸化炭素のせいではなく、低酸素の空気を吸ったからです。

 松月の亡骸から察するに、事件現場となった抜け穴の中には確かに一酸化炭素が蔓延していたと考えられます。

 が、一酸化炭素は燃焼によって生じるため、同時に酸素濃度も低くなっていたと思われます。


 そしてもうひとつ強調したいのが、壱子は「間違ったことを言っているが、記憶違いをしているわけではない」ということです。

 彼女は知識を正しく覚えてはいましたが、知識自体が正確でなかったのです。

 いくら聡明であっても、覚えることが間違っていたらどうしようもありません。

 知識を得ることは大切ですが、得るべき知識が正しいのか、キチンと検討するべきだと言えるかもしれません。

 あくまで、一般論として。



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