第29話「逆立つ覚悟と死出の旅」
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前回のあらすじ。
壱子の父・玄風に会うために皇都を脱出した平間と壱子。
限られた情報をもとに玄風の行動を推測し、見事居場所である寺院を突き止めた。
しかし安堵するのも束の間、寺院は崖の崩落に巻き込まれて全壊する。
孤立無援となった二人を、次に待ち受けるものとは……。
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「なにが……、一体何が起こっておる?」
目の前の光景を呆然として眺めながら、壱子はへなへなと膝をついた。
普段から屋敷に引き篭もっている壱子のことだ、身体の疲労はとうに限界を迎えていたはずだ。
それを辛うじて気力で支えていたのが、ぽきりと折れてしまったのだ。
「あの炎は火薬の……? まさか泳がされて──」
「いたぞ! あの二人だ!」
突如、若い男の声が耳に入ってくる。
その主は、前方の下り坂を駆け上がってくる衛士だった。
「話に聞いていた通りだ。絶対に逃すな!」
口々に言う衛士たちの狙いは、間違いなく平間と壱子だった。
時間がない。
壱子も頼れない。
そう直感した平間は、判断を急ぐ。
衛士たちの初動の早さには、違和感を禁じ得ない。
となれば、壱子が口走ったように、平間たちは泳がされていたと考えるのが妥当だ。
なら、一体いつから泳がされていたのか?
皇都を出るときか、あるいは近衛府の牢を出た時か?
いや、今回の事件の首謀者は水臥小路だったはずだ。
ならば、狙われたのは平間ではなく、壱子だ。
そう言えば皇都を出る前、壱子はこんなことを言っていた。
『今朝起きたら、座敷牢の戸が開いていた。で、そのまま誰にも見つからずに逃げてきた』
そこからか。
恐らく壱子を逃したのは水臥小路だ。
そして、いま眼の前で火薬の爆発が起きたことを踏まえれば……。
一つの筋書きが出来上がる。
一、火薬を使って壱子が貴族・枕草氏の屋敷を爆破する。
二、さらに、壱子は従者の平間に目撃者を殺害させる。
三、水臥小路家が壱子を捕縛するが、壱子は自力で脱出して姿をくらませる。
四、逃げ出した壱子は鳴峰寺天覧堂を爆破し、玄風殺害、あるいは帝の殺害を企む。
五、壱子を水臥小路家が捕縛し、処断する。あわよくば佐田氏の失脚を狙う。
「まずい……最悪だ」
この筋書きなら、水臥小路が壱子を殺しても何の問題もない。
むしろ、口封じしてしまったほうが、今後の展開もしやすくなる”きらい”さえある。
壱子が火薬を扱っていた証拠はあるし、動機などいくらでも捏造できる。
天覧道の破壊も、折り合いの悪い父親を恨んだから、とでも言っておけばそれらしくなる。
衛士たちとの距離が縮む。
今回ばかりは、壱子の命が脅かされない保証はない。
すでに、衛士たちには壱子を殺すように命令を受けている可能性だってある。
迫る衛士は五人。
囲まれなければ相打ちを狙えるか、といった数だ。
しかし、その後は壱子を守る者がいなくなる。
また衛士を殺せば、壱子の立場が危うくなるかも知れない。
水臥小路に大義名分を与えてしまう。
逃げるか?
しかし、壱子の体力はもう限界だ。
ただの衛士が相手でも、逃げ切れる望みは薄い。
が、手遅れになる前に動き出すべきだ。
「壱子、立てるか!?」
「う、うむ……!」
「よし、なら走ろう」
そう言って壱子の手を取り、平間は衛士たちから逃げるように駆け出す。
さすがに全身が重いが、壱子のほうが辛いはずだ。
しかし、逃げるにしてもどこへ逃げる?
皇都は駄目だ。
とうの昔に水、臥小路家が手を回しているだろう。
佐田氏の領地ならどうだ。
いや、これは遠すぎる。
歩いて七日はかかってしまう。
ろくな旅装もなく、所持金も乏しいこの状況では、辿りつくことすら難しい。
それに玄風が生きているかも分からない以上、到着しても事態が好転するとは思えない。
佐田氏も一枚岩ではないし、危機的状況であれば壱子の安全も保証されない。
あまりに分の悪い賭けだ。
何か、何か手は無いか──。
「あった……!」
一瞬のひらめきが、平間の脳裏を駆け巡る。
あそこならば、安全かも知れない。
水臥小路とて、おそらく手を出せないはずだ。
「壱子、北だ」
「な、何がじゃ……!?」
「逃げるんだ、北に」
「なぜ北なのじゃ? 確かに、逃げるのは北だと相場は決まっておるが……」
特に決まっていない。
平間は呆れるが、冗談を言えるのならまだ大丈夫だろう。
しかし、追手は確実に距離を詰めてきていた。
間もなく隘路だ。
多対一の状況には陥りにくく、柄の長い槍は取り回しにくい地形だ。
あそこならば、最大限有利に立ち回れるか。
「壱子、先に行ってくれ」
「ひ、平間、お主まさか……!?」
「大丈夫だ。すぐに追いつくから」
「絶対に追いつかない者の台詞ではないか!」
涙目で喚く壱子。
しかし、今はそれに付き合っている暇はない。
「……自分の足の遅さを自覚しているなら、さっさと行ってくれ」
数瞬、壱子は首をひねる。
そして間もなく、納得したように言う。
「あー、うむ。なるほど。理解した。それでは一番太い道を進むから、必ず来い。来なければ泣くぞ。よいな」
「はいはい」
「迷うでないぞ!」
「こっちの台詞だ」
壱子がとたとたと危なっかしく走り去っていくのを見て、平間は急停止して踵を返す。
平間は苦虫を噛み潰すような顔をしたくなる。
が、それを必死に抑えて、完全に純粋な作り笑いを浮かべる。
「こんにちは皆さん! ご気分はどうですか?」
平間の問いかけに答える者はいない。
それどころか、黙って槍を平間に向けてきた。
まあ、当然の反応だろう。
追手の衛士は、七人に増えている。
ゆえに、時間をかけるのは上策ではない。
平間は努めてにこやかに、衛士たちに向けて言う。
「いやあ、突然火の手が上がったんで驚きました。警備のみなさんも、大変ですね」
「……」
無言でにじり寄ってくる衛士たち。
誤魔化そうと思ったが、無理か。
諦めかけた平間だったが、気を取り直して続ける。
「あの、皆さんは僕に何の用ですか? わけも分からず逃げていたんですが、まるで状況が呑み込めていなくて」
「とぼけるな! お前が帝を殺害した一味だということは分かっているんだ!」
「帝って、陛下が亡くなられたんですか?」
「まだ調査中だが、あの惨状では絶望的──」
「おい、余計なことを言うな!」
衛士の一人が口を滑らせようとするのを、隊長らしき男が制した。
なるほど、壱子の”罪状”は帝の殺害らしい。
納得しつつ、平間はなおもしらを切る。
「それは一大事ですね……ですが、僕は偶然ここを旅していただけで、何の関係もありません」
「旅だと? どこに行くつもりだったんだ」
「勝未村です」
「勝未……? 寂れた宿場町に、一体何をしに行くんだ」
「果物の収穫です。今の勝未は、梨や柿のような果物の生産が盛んなんですよ。ご存知ありませんでしたか?」
「ッ、知っているに決まっているだろう!」
隊長らしき男は、見栄を張って答える。
それを見て、平間の頭の片隅で「もしかしたらごまかし通せるかも知れない」という展望が芽生えた。
この機を逃すまいと、平間は一気に畳み掛ける。
「その勝未に、古い友人が暮らしていまして、育てている果物の収穫を手伝って欲しいと言われています。それで、妹と一緒に旅をすることにしました」
「……その妹はどうした?」
「先に逃しました」
「なぜ逃したのかと聞いているのだ! 帝を狙っていたのはお前くらいの男と、十三ほどの娘だというではないか!」
「逃した理由は、あなた方が信用できなかったからです」
「何? 貴様、我らを愚弄するのか!」
「最後まで聞いてください。先程あなた方の形相を見て、これは只事では無いと直感したのです」
「それがどうして娘を先に逃すことになるんだ?」
「もしかしたら、問答無用で殺されてしまうと思ったのです。ならばせめて、妹だけでも逃がしたかった……」
「ふむ、一応筋は通っているか」
衛士たちは納得しかけていた。
恐らく、平間や壱子の顔を直接知っている者がいないのだろう。
光明が見え始めた。
その、矢先だった。
新たに一人の衛士が、向こうから駆けてきたのである。
にわかに、平間の顔が引きつる。
その衛士が何かを囁くと、隊長らしき男は表情を固くした。
「間違いないのだな」
「はい、確かにあの男です」
頷く衛士に、平間は見覚えがあった。
たしか、近衛府にいたころ顔を見かけたような……。
「奴が平間京作だ! 捕らえろ、殺しても構わん!」
顔を知っている者まで配置されていたのか。
相手の周到さを思い知ると同時に、平間は刀を抜き放った。
「いかにも僕は平間だ! しかし、二つ言っておくことがある。来るならば聞いてから来い!」
「何だ、命乞いなら聞かぬぞ?」
「違う! まず一つ、これは冤罪だ! お前たちが僕を殺すのなら、無辜の者を殺すと知れ!」
「……」
「二つ、僕はかつて右近衛府で将曹の地位にあった。賊とも幾度となく戦った」
「ふん、過去を誇りたいだけか」
「それも違う」
「チッ、では何だ!」
「僕は強いぞ。容易に取れると思うな」
「何だ、虚勢ではないか」
「そう思うならそれで良い。しかしこれだけは言っておく」
平間は構えて、敵を見据える。
「最初に来た者は確実に殺す。二人目も殺す。文字通り、僕は力尽きるまでお前たちを殺す」
その言葉に、衛士たちは明確にたじろいだ。
当然だ、衛士たちに命を張る気概も動機もあるはずは無い。
しかし、これは平間には分の悪い賭けだった。
相手が日和って時間が経つほど、平間にとっては不利になる。
その前に、何としても相手の戦意を削りきってしまわなければならない。
「どうした、来ないのか? 口だけは立派な臆病者め」
言いつつ、平間は苦笑する。
まるで自分のことを言っているようだったからだ。
すると、衛士たちが動いた。
彼らの中でもっとも壮健そうな者が、槍を構えて突撃してくる。
しかし、後に続く者はいない。
臆したか。
「言ったからな、僕は」
そう呟いて、平間は腹を据えた。
相手の槍が届く直前、平間は地面を蹴る。
極端に姿勢を低くし、穂先をかわす。
そのまま一気に距離を詰め、斬り上げる。
相手の衛士は寸でのところで斬撃を避けた。
が、はずみで姿勢を崩す。
がら空きになった首をめがけて、平間は刀を一閃させた。
手応えがあった。
「がぼ、ふ」
声にならぬ声をあげ、衛士は喉から大量の血液をあふれさせる。
恐怖に染まった目が平間に向けられ、そして。
光を失った。
「き、貴様ぁぁあああッ!!!」
隊長格の衛士が襲い来る。
怒りで恐怖を抑えつけたらしい。
「……退いてくれないなら、仕方ないか」
平間は、頭が妙に冴えるのを自覚しながら、残る七人を見据えた。
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