第4話「野菜畑とコウノトリ」
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佐田壱子は、皇国で有数の大貴族「佐田氏」の娘である。
彼女の父は佐田氏の長である佐田玄風。
この男は中々のやり手なのだが、つまるところ壱子は、この国で最上級に貴い生まれだった。
一方の平間は、物心ついたときには既に皇都の孤児であった。
花街にほど近い通りで暮らしていた彼は、他の多くの孤児たちのように野垂れ死ぬはずだった。
が、運よく寺の童として引き取られ、一通りの教育を受けることが出来た。
では、そんなお世辞にも高貴な生まれとは言えない平間が、なぜ壱子と知り合うに至ったか。
その理由を端的に言うならば、平間という存在が「便利だったから」である。
孤児として生まれて寺院で育った平間は、当然、貴族社会に何の人脈も持たない。
となると、皇国の政治の世界で成り上がることは絶対にできない。
が、裏を返せば「いかなる貴族の息もかかっていない」とも言える。
そんな彼は、大貴族の佐田氏にとってはそばに置きやすい存在だった。
しっかり囲い込んでおけば秘密を洩らさないし、何か都合が悪くなった時には切り捨ててしまえばいい。
そういう意味で、平間は「便利」だったのだ。
この経緯で佐田氏と関わりを持つに至った平間は、半分ねじ込まれるようにして近衛府で武官として働くことになった。
およそ、八ヶ月ほど前のことである。
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平間の眼から見て、壱子は明らかに不機嫌そうだった。
おそらく佐田氏の力で手にした近衛府の職を解かれた平間が、のこのこと保護を求めて彼女の前に現れたからだろう。
それどころか、野盗を討伐する際に使った毒酒は、元はと言えば壱子に頼んで用意してもらったものだ。
壱子からしてみれば、自らの助力が無に帰す形となったのだ。
良い気分であるはずが無い。
「平間、お主に男でない友人がいるとは聞いたことが無かったが……」
壱子はそう言って、眉をひそめつつ平間に目を向ける。
彼女が言っているのはもちろん、平間の後ろにニコニコしながら座っている紬のことである。
平間は少し緊張しながら、しかし悪びれる必要も無いと、声に力を入れて答える。
「彼女は巻向紬、僕の副官……いや、“元”副官だ」
「ふむ。して、その“元”副官殿が、私のように年端もゆかぬ娘に何の用じゃ?」
「もちろん、お仕えしたいのです、壱子さま!」
平間を押しのけるようにして、紬は食い気味に答えた。
体勢を崩しかけた平間を横目に、壱子は興味深そうにすっと目を細める。
「ほう、面白い。しかし紬とやら、今日初めて会った者を“おいそれ”と近くに置くと思うか?」
「思います」
「なぜじゃ?」
「アタシは役に立ちますから」
その紬の言葉に、壱子は細めていた目を見開いた。
しかしすぐに微笑を作ると、芸術的な局面を描くあごを撫でて言った。
「では何ができる? 近衛府にいたということは、私の警護でもしてくれるのか?」
「それも出来ますが、武術はアタシの強みではありません」
「では、身の回りの世話でもするというのか? 副官とはそういう役目なのじゃろう、平間?」
壱子の問いかけに、平間はうなずく。
が、張本人である紬は首を振った。
「あいにくですが、アタシは貧しい生まれですので。貴族の作法というものを身に付けてはいないのです」
「つまり、身の回りのことを手伝うことは出来ないと?」
「はい。実際、壱子さまにはたくさんの優れた侍女の方々がいらっしゃるみたいですし」
部屋の外に控える侍女らに聞こえるような声で言ってから、紬は困ったように首を傾げた。
紬は、眼前に座す壱子だけでなく周囲にまで気を配っている。
そのソツの無さに、平間はむずがゆい心地を覚える。
壱子も同じ感想だったらしく、苦笑まじりに何かを考えこんでいる。
そんな彼女を見て、平間はふと、壱子がいつの間にか紬に対する警戒を解いていることに気付いた。
「私の世話でもない……となると、まさか平間の世話でもすると?」
「それはアタシも提案したんですが、断られてしまって」
「ふむ?? そうか。まあ良く分からぬが、つまるところ紬、お主は何ができるのじゃ?」
「よくぞ聞いてくれました!」
嬉しそうに言うと紬は立ち上がり、壱子の方へすたすたと歩み寄る。
戸惑いと緊張を隠さない壱子に、紬は「少しお耳を」とささやいて顔をよせる。
そして紬がごにょごにょと唇を動かすと、壱子は顔を真っ赤にした。
「な、ななな、お主、どうしてそれを!?」
「これからお仕えする方の情報は、ある程度掴んでおくものです」
得意げに微笑む紬に、壱子は頬をヒクつかせる。
紬は壱子に、いったい何を言ったのだろう。
平間が首を傾げていると、紬が再び口を開く。
「他にも色々ありますよ。壱子さまの好きなお菓子とか、昔のやらかしてしまった大失敗(※)とか、隠れて恋物語を読むのが趣味だとか……」
「もう良い! 分かった、何が望みじゃ!? 私に死ねと言うのか!?」
(※:壱子は前に、「ところで、どうやって子供は生まれてくるのじゃ?」と平間に訊いた事があります。)
いまにも湯気が出そうなほど顔を赤くする壱子に、紬は満面の笑みでたたずまいを直し、うやうやしく頭を下げた。
「アタシが住むための部屋を一つと、日々の食事をお与えください。あとついでに、無職になった京作さまの面倒をしばらく見ていただけると助かります」
「平間のことは、もとよりそのつもりじゃが……しかし、まことか? 本当にそれだけか?」
「はい。アタシの強みは人と仲良くなること。そして人は、意外に簡単に情報を漏らすものです。壱子さまも経験があるでしょう?」
「……まあ、そうじゃな」
「人との関係は糸です。アタシはこれを結い合わせて網としました」
「つまり、『情報網』ということか」
「理解が早くて助かります。そしてアタシの情報網は皇都中に広がっています。きっと壱子さまのお役に立つと思いますよ」
悪びれずに言う紬に、壱子は眉間にしわを作って考え込む。
その壱子の様子を、紬は社交的な笑みをたたえつつ見つめる。
壱子にしてみれば、紬は自分を脅してきた相手だ。
「はい分かりました」と、素直に首を縦に振るのには抵抗があるのだろう。
しかし。
「……分かった。仕方がない」
「ありがとうございます!」
「ここまで力を見せつけられては仕方ない。あとで侍女に部屋を案内させる。とはいえ、必要な物は自分で買いそろえて――」
「そういえば、たしか半年前でしたっけ。壱子さまが『子供はどこから――』」
「分かった分かった! 必要な物は私の財布から出す!!」
「いやあ、何から何まで申し訳ないです」
全く申し訳なさそうなそぶりを見せず、紬は悪戯っぽく笑う。
対する壱子はどっと疲れたようで、うんざりしながら「全く、油断も隙も無い……」とこぼした。
「平間、あの娘はたいそう“優秀な”副官だったようじゃな」
その恨み言を聞こえないふりをして、平間はわざとらしく庭を眺めた。
すると、障子越しに若い女の声が響く。
「壱子さま、お話が」
「今は気が乗らぬ。すまぬが後にしてくれるか」
部屋の外から聞こえた声に、壱子は疲労感たっぷりに返す。
声の主はおそらく、この屋敷に使える侍女の一人だろう。
しかし、そんな彼女の声はいつになく慌てていて、優雅な屋敷の空気に亀裂を入れつつあった。
「ですが壱子さま、一大事なのです!」
「私の恥ずかしい話が知られているより一大事か?」
「はい」
あっさりと肯定されて、壱子はうんざりしながら尋ねる。
「……何があった?」
「その、近衛府のお役人さんがこちらに見えていて――」
「ほほう、平間の解雇を撤回しに来たか」
「違います、用があるのは壱子さまの方です! その……『取り調べをさせろ』と」
「え……なんで?」
鬼気迫る侍女の台詞に、壱子は間抜けな声を返して、ぽかんと口を開けた。
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