第13話「金と女と悪巧み」
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半世紀あまりの平和な時間が続いた皇国では、かつての戦乱を知る世代の人間は徐々に少なくなっていた。
その影響は皇都の町並みにも現れていて、政情が安定しており焼かれる心配がないことから、高価でも長持ちする頑丈な建物が好んで建てられるようになっている。
それは花街も例外ではなく、焼け焦げた建物跡を取り壊し、続々と遊郭が造られていた。
また、文化が発達するのは平和な時代の常である。
花街もその一端を担うとあって、ここ数年の発達・肥大は目を見張るものがあった。
とはいえ、性風俗の世界に荒くれ者がのさばるのもまた、世の常だ。
当初は左近衛府や衛士府が治安維持にあたってはいたが、現在、花街を実質的に支配しているのは「自警団」を自称する者たちだ。
自警団といえど、その実態は荒くれ者の集まりに近く、ある程度の武力と資金を持つ。
それだけでなく、彼らは時には、金や美女を権力者に贈るしたたかさも併せ持っていたことから、政治的に介入しようとする動きは非常に限定的だ。
ゆえに花街は、貴族といえど容易には手を出すことの出来ない、異様な街である。
そしてそういった意味では、この街は壱子にとって皇都で最も危険な場所だとも言えた。
平間と松月は、無事に花街に到着していた。
思いの外整備された町並みに、平間はひそかに安堵する。
「さて松月、何から手を付けようか」
「今回の目的は、姉が花街で『誰と』『何を』していたのかを調べることです。ここはやはり、片っ端から聴き込みをしていくのが定石では?」
「聴き込みか……」
「難しいですか」
「そうだね、今は人手が二人しかいない。片っ端からと言っても、調べて回ることの出来る範囲は限られているだろう。それに松月、君もここには馴染みが無いんじゃなかったか?」
「はい、初めて来ました」
「だったら、ふた手に別れるのもやめておいたほうが良い。人が死んでいるんだ、迂闊なことをしたら、命を狙われかねない」
「しかし平間さん、俺は姉の敵を取るためにここまで来たんです。今さら臆してなどいられません!」
急に語気を強めた松月に、平間は驚く。
たしかに、松月の気持ちからすれば、それは当然の考えなのだろう。
しかし平間としては、松月の言動をどうしても幼稚だと感じてしまう。
「松月、それは臆するとかそう言う話以前に、本末転倒ってやつだ。君自身が危険な目に遭ったら──」
「姉が悲しむと?」
「違う。仮に命を落としでもすれば、射月さんの敵を取れなくなる」
平間がぴしゃりと言うと、松月は俯いた。
どうも彼は、実直すぎて猪突猛進してしまう気があるらしい。
それだけなら結構だが、今のように慎重に動きたいときには扱いが難しい。
平間が頭を掻くと、松月は俯きつつ、絞りだすように言った。
「ですが、俺は命を捨てる覚悟でここに来ました」
「……気持ちは理解するよ」
平間は可能な限り同情的なそぶりを装って、神妙な顔をしてみせる。
そのついでに、「さて何から手を付けようか」と考えを巡らせ始めた。
松月に話したとおり、いまは迂闊な行動をとることは出来ない。
しかし一方で、圧倒的に情報が不足しているのも事実だ。
これでは慎重に動くどころの話ではない。
ひとまず、状況を整理してみよう。
まずは確実に分かっていることからだ。
射月の死体が見つかったのは中庭で、その時すでに関節の硬直が始まっていたことから、少なくとも死後二刻は経過していたことになる。
そして侍、女の一人が中庭を通ったのが死体発見から四半刻であったことから、射月は何処か別の場所で殺害され、中庭に運ばれて放置された可能性が高い。
関節の固まり具合から考えて、壱子は「とても正確な数字とは言えぬが」と前置きしながらも、発見時は死後半日程度だったろうと話していた。
また、射月の死因は溺死であった。
肺に水が入っていたことから、ほぼ確実にそう考えて良いらしい。
ゆえに射月の首に残されてた絞められたような痕は、犯人が射月の死を偽装するために行った工作だと考えられる。
ただ、何故そのような工作を行ったのかは不明だ。
そして忘れてはならないのが、射月の身体にある暴行の痕である。
火傷や打撲らしき傷跡からは、彼女が長期的に暴力にさらされ続けていたことが示唆された。
その苛烈さから、平間としては今回の彼女の死にこの暴行が関与していると考えざるをえない。
さらに、射月についての周辺情報をまとめてみる。
射月は二十歳前後の女性で、弟に松月がいる。
平間の感覚ではあるが、射月の体格は悪くなく、平均的な女性の身長と体重があるように見受けられた。
姉弟仲は良好だったという。
その証左に、松月は姉の死に怒り、また大いに狼狽えているようだった。
また正確な年月はわからないが、射月はかなり長い間、弟と共に詩織に仕えている。
その付き合いは「詩織が物心着いたころから」ということだから、おそらく十年程度は仕えていることになるのだろうか。
詩織もそんな射月を大切に思っていたようで、射月が死亡したと聞いて詩織は激怒し、「私の大切な侍女を殺すなんて」と伊織に詰め寄り、あげく手まで上げる始末だった。
この行為を好意的に捉えることは到底出来ないが、それだけ詩織と射月が親しくしていたと考えることも出来る。
また、射月は周囲から「真面目で人当たりの良い女性」という評価を一貫して受けていた。
しかしだからこそ、彼女が暴行を受けていたという事実がギラついてくる。
そういえば。
「松月、事件があった時、君はどこにいたんだ?」
「渋須木川で釣りをしていました。姉が倒れていると聞いて、飛んで戻ってきましたが……」
渋須木川は、皇国の中央部を流れる大河・遠津川の支流である。
そして、伊織・詩織の屋敷の傍を流れているのもこの川だ。
ただ、下流は糞便で汚染されているから、松月は少し離れた上流で釣りをしていたのだろう。
「そうか……。じゃああの日、射月さんが何をしていたのかは――」
「知らないです」
『射月さんなら、その日は朝から外出していたみたいですよ』
「うわぁ!」
突然耳元に響いた声に、平間はみっともない悲鳴を上げる。
飛び上がりつつ振り向けば、そこにはにんまりと目を細める紬の顔があった。
その手には何やら、風呂敷に包まれた大きな荷物がある。
細腕の紬が軽々と持っていることから、大した重さではないように見えるが……。
「紬、……何してるんだよ」
「こんにちは京作さま、そして松月くん。アタシは壱子さまにお仕えしている巻向紬です。先日はどうも」
「どうも……」
松月と軽く挨拶を交わすと、紬は改めて平間に向き直る。
「さて、アタシがここに来たのは他でもありません。京作さまをお助けしようかと思いまして」
「助ける? 何を助けるんだ」
「またまた〜。京作さまったら、今にもアタシに泣きつきたそうな顔をしていたくせに」
「してないな」
「ところで、どうして京作さまが松月くんと一緒に花街になんて来ているんですか? 女遊びですか? これはいけません、壱子様に密告ですね」
「違う! これには事情が……!」
「冗談ですよ。ちゃんと壱子様から事情を聞いています」
けろりと言ってのける紬に、平間はほんの少し苛立つ。
それをおそらく察していながら、紬は何事もなかったように続けた。
「実はアタシ、今日は昼まで寝ていたんですけど、暇だったので壱子様のところに行ったんです。そしたらお一人で暇そうに書物に当たってらしたんで、『愛しの京作さまはどちらに?』って尋ねたんです」
「愛しの、ではないだろ」
「すると京作さまは、事件の調査のために花街に出ているというじゃありませんか。女慣れしていない京作さまが花街なんて、これはおもしろ……もとい心配だと思いまして、大慌てで駆けつけたんですよ」
「面白そうって言おうとしただろ」
「何のことやら。しかし実際のところ、射月さんについて調べようとしても、手がかりが無くて困っていたのではないですか?」
「そ、それは……」
図星を突かれ、平間は口ごもる。
確かに紬の言うとおり、悪手を採るまいとは思っていたものの、そこから先は八方ふさがりで動けずにいた。
それに紬は、肌寒い空だというのに、額にうっすらと汗をにじませていた。
急いできてくれた、というのは本当らしい。
平間が返答に困っていると、紬は嬉しそうに腕を平間の腕に絡みつかせる。
この時、条件反射で心拍数が跳ね上がったのは、平間としては全くの不覚だった。
「な、何のつもりだ」
「いいですか京作さま、御存知の通り、男女の営みはもっとも重大な秘め事の一つです」
「分かるけど、とりあえず離れてくれ」
「その秘め事を、これから嗅ぎ回ろうというのです。馬に蹴られて死んでしまっても文句は言えません。ことは密かに、静かに、気取られぬように進めなくては」
「……それができたら苦労しないけどね。何か良い方法でもあるのか」
「ございますとも、ございますとも! むしろ何も用意していないのに、こんな気取った言い回しをすると思いますか?」
「いや……しないと思う」
「素直で結構。ただ、効果的な手法というのは、同時に痛みも伴います」
「何?」
「そしてこれは、京作さま一人では成しえません。松月くん、貴方の協力が必要なのです」
「俺ですか?」
唐突に話をふられた松月は、眉根を寄せて聞き返す。
それに対し、紬はパッと平間から離れ、大げさにうなずいて見せる。
「はい。アタシの考えは果てしなく名案なのですが、唯一、松月くんにつらい思いを強いることになってしまうのが欠点で……」
「つらい思い、ですか」
「ええ。幸いにして、アタシの見た限り、松月くんには素質があります。ですが……ああ、やはり止めましょう! 後戻りできなくなる危険性すらあります。ここは残念ですが、別の方法を──」
「やります! やらせてください!」
「良いんですか? これは本当に危険な方法なんですよ」
「構いません。もとより危険は承知の上……どんな方法か分かりませんが、聡明で名の知れた壱子さまの信頼した方の作戦であれば、腹を据えて身を委ねられます」
「そこまで言うのなら、分かりました。京作さま、少しお時間を頂いても?」
「あ、ああ、構わないけど……何をするんだ?」
「それは後でのお楽しみです。じゃあ、松月さんをお借りしますね。さ、行きましょう」
「はい!」
威勢よく返事した松月を連れ、紬は物陰に消えていく。
その後ろ姿に、平間は得も言われぬ感情を抱いていた。
すさまじく胡散臭い。
紬は往々にして胡散臭いが、今日は輪にかけて胡散臭い。
特にあの大きな風呂敷。
一体何を考えているのか見当がつかないが、どうもまともな方法とは思えなかった。
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結論から言えば、平間の予感は当たった。
しばらくして戻ってきた紬が連れていたのは松月ではなく、遭ったことのない美少女だった。
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