第2話「簀巻き男と空祝い」
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「京作さま、このお酒をどこで手に入れたかは知りませんが……巻き添えをくらって首をくくるのは御免ですよ」
「まるで僕が酒泥棒みたいに言うじゃないか」
「盗んでいないんですか?」
「紬の中で僕がどう映っているのか気になるけど、とりあえず盗んではいない」
何となく嫌な予感がした平間は、さっさと話しを先に進めることにした。
「さて、毒酒は手に入ったわけだけど……」
「出所が怪しすぎますね」
「怪しくないって。知り合いにもらったんだよ」
「ずいぶんとまあ、太っ腹な知り合いですこと。アタシにも紹介してくださいよ」
「そのうちね。でも問題は『どうやって毒酒を野盗に届けるか』だ」
「何を言っているんですか? そんなの簡単じゃないですか」
急に真顔になって言う紬を、平間は眉をひそめながら見やる。
「だったら、紬には名案があるのか?」
「名案というか……」
「というか?」
「相手は野盗なんで、こちらが嫌だと言っても勝手に持っていきますよ。多分」
目を細めた紬は、素っ気ない答えを返す。
しばしの沈黙。
それを挟んで、平間は「ああ、そりゃそうか」と手を打った。
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作戦決行の日、夕暮れ。
平間と紬は、部下の皇国兵数名を連れて「貧者の森」近くの街道を歩いていた。
彼らが身に着けているのは鎧と武器……ではなく、行商人のような恰好をしている。
木々の陰で輝く行灯が、平間には嫌に明るく感じられた。
街道をゆく人々は、平間たちを除いては一人もいない。
その理由としては「陽が落ちて暗くなりつつあるから」というより、「この近辺で野盗の襲撃が散発しているため」というのが大きいだろう。
そして言うまでもなく、平間たちはその野盗の討伐を目指している。
緊張のせいか、平間や皇国兵たちの表情は硬い。
ただ一人、副官の少女を除いては。
「アタシ、こんなに『野盗に会いたい!』と思ったのって初めてかも知れません」
「能天気だな……」
呆れた声を漏らす平間だったが、紬はハッとして、真剣な顔で唇に指を当てる。
緩やかな空気が突如として引き締まり、平間も硬い表情で周囲を見回す。
夜目の利く紬が、平坦に言った。
「左前方、草むらが動きました。野盗です」
「確かか?」
「はい。ですが予定通り、気付いていないフリをしましょう。あら、大歓迎ですね。右手にも気配がありますよ」
「分かった。首尾よく行こう」
平間はうなずいて、配下の兵らに目配せする。
それから五歩も進まないうちに、状況が動いた。
突如、平間たちの行く手をふさぐように、二十名あまりの男たちが現れたのだ。
「おい! 命が惜しくなかったら――」
彼ら野盗の一人が、ニヤケ顔で脅し文句の定型文を並べ始める。
その瞬間。
「うわあぁぁあああ!! お、おおお助けぇぇぇええええ!!!」
お返しの定型文的な悲鳴を上げて、平間たちは一斉に踵を返し、逃げ出した。
ここまでは順調だ。
もとより平間たちは、ふだん鎧を着て訓練をしている
そのおかげで、身軽な恰好である今はかなり機敏に動くことが出来た。
それは紬としても例外ではない……のだが。
「ま、まずいです京作さま」
「どうした?」
「非常事態です」
「何が!?」
「たった今、思いっきり足をくじきました」
「は!?」
平間が思わず振り返れば、後方を走る紬が苦しげな表情を浮かべていた。
彼女の左足を引きずるような走り方はぎこちなく、徐々に平間や皇国兵たちとの距離は開いていく。
そのさらに後ろには、平間たちを追ってくる野盗の一団が見えた。
皇都の関まで逃げ切れば安全だが、まだ遠い。
このままでは、ほぼ確実に紬は追い付かれる。
そして、相手はならず者の集団だ。
なまじ顔立ちの整った紬が捕らえられれば、どんな憂き目にあうか容易に想像がつく。
「……まあ、仕方ないか」
平間は自分にしか聞こえないくらいの、幽かな声で呟く。
「え、京作さま、まさか……」
いつも余裕たっぷりで楽し気な紬の声は、今はか細く震えていた。
しかし、仕方ないのだ。
平間たちは今、行商人に偽装している。
念のために武器も隠し持っているが、偽装がばれることを考えれば、大っぴらに応戦することは出来ない。
そして応戦したとしても、相手はこちらよりもずっと人数は多い。
勝てる見込みは薄いだろう。
「……一人の犠牲で何人も助かるなら、仕方ない」
「ちょちょちょ、京作さま!? まさか本当に、アタシを見捨てる気じゃ――」
何を言っているんだろう。
焦る紬の言葉に、平間は首を傾げる。
が、今はそんなことに構っていられない。
平間は紬に答えを返すことなく、自分の左足を、右足で“わざと”蹴り上げた。
「――ッ!」
それらしい悲鳴を上げながら、平間は盛大に転んでみせる。
予想外の展開に戸惑って、紬は目を丸くして足を止めた。
「な、何しているんですか!??」
「良いから、先に行け! 絶対に逃げ切るんだ!」
「あ、はい。分かりました!」
何の躊躇いも無く紬はうなずくと、紬はそそくさと逃げていく。
他の皇国兵たちも同様だ。
「……いや、もう少し何かあるだろ」
これで、自然な展開を装って紬たちを逃がすことが出来る……と考えて、平間はわざと転倒したのだ。
平間としては美しい自己犠牲だったのだが、あまりにアッサリとした反応に、平間は茫然とする。
手を突いた地面は、まだほんのり温かかった。
間もなく、平間は背後に複数の気配を感じた。
「あーあ、見捨てられちまったか。観念するんだな、兄ちゃんよ」
その声に平間が振り向けば、目に入ったのは自分をぐるりと取り囲む野盗たち。
仕方なく、平間は言う通りにすることにした。
「観念しました……でも、知り合いの貴族が僕の身代金を出してくれると思います」
「……あ?」
「きっと、高く付くんじゃないですかね……あはは」
あいまいな笑みを浮かべる平間に、野盗たちは互いに顔を見合わせた。
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かくして、平間は野盗たちに全裸でぐるぐる巻きにされる羽目になったのである。
その元凶である少女――紬を前に、平間は改めて不機嫌そうな顔を作った、
「もう、そんなに怖い顔しないでくださいよ」
ひらひらと手を振って、紬は笑う。
せめてもの救いは、その笑顔がどこかぎこちなく、多少の罪悪感を覚えているらしいことだった。
しかしそれでも気の収まらない平間は、じっとりとした視線を紬に向ける。
「……置いて行っただろ、迷いも無く」
「事態は一刻を争いましたし、こうして助けに来たじゃないですか」
「そうだけど、もう少しあっただろ」
「あんまり意地悪なことを言っていると、縄を解いてあげませんよ?」
片目を閉じて舌をのぞかせながら、紬は愛嬌たっぷりに言う。
その仕草に、平間はありったけの殺意を込めて睨んだ。
「分かりました分かりました! 冗談ですって!」
慌てて言って、紬は慣れた手つきで平間を縛っていた縄を切っていく。
「替えの服は新兵さんに見繕ってもらっていますから、すぐに来ますよ……もう、いい加減に機嫌を直してください!」
「……まあ、良いけどさ」
「さすが京作様はちょろ・・・じゃなくて、器が大きいですね!」
悪びれずに喜ぶ紬に、平間は溜息をつく。
すると紬は、手近な布きれを平間に手渡しながら、思い出したように言った。
「でもまあ、今回は計画の立案から兵の指揮まで、京作さまの功績ってことになっています。というかしておきました。ですので、きっと昇進も間違いないと思いますよ?」
「……本当か?」
「ええ、ええ! これで副官のアタシも生活が楽になりますね……一日に二回はご飯が食べられるようになったりして。えへへ」
「確かに、そうなると良いな」
「出陣の時、『アタシたちを逃がすために一人野盗に立ち向かい、非業の死を遂げた京作さまの仇を取る!』って鼓舞した甲斐があるってものです。思い出しますね~、『僕のことは良いから、先に行け!』って言い放った京作さまの雄姿を。アタシは『そんなことは出来ません!』って言ったんですが……」
「……勝手に殺すなよ。あと事実を改変するな」
「まあまあ、多少は良いじゃないですか。世の中、結果が全てですよ、結果が」
両手で握りこぶしを作って笑う紬に、平間は苦笑いを返した。
さんざんな目に遭ったが、確かにこれで出世の道が開けるのなら、悪くはない。
……と、平間は思っていたのだが。
――
「クビだ」
「……はい? いま何と?」
平間は耳を疑って、思わず不躾に聞き返した。
対する痩せぎすの中年男――田々等満秋は、あからさまに眉をひそめる。
「上官に向かって、何だその言い草は」
「……失礼しました」
平間は素直に頭を下げるが、その胸中は釈然としない。
目の前にいる田々等は右近衛府の北面軍を率いる役職(※)についていた。
ゆえにざっくりと言えば、田々等は平間の上官である。
(※:将監といい、右近衛府には四人の将監がいる。それなりに偉い人。)
そしてここは、右近衛府の訓練所内にある田々等の執務室だ。
部屋にいるのは彼ら二人だけ。
普段の田々等は良くも悪くも我を出さないが、今日は見るからに苛立っている。
何かやらかしてしまっただろうか、と平間は首を傾げるが、思い当たる節は無かった。
むしろ野盗を一つ壊滅させたのだから、称賛されてしかるべきだろうとすら思う。
戸惑う平間に、田々等は顔を上げて言う。
「理由は、分かっているな」
「いえ、さっぱり分かりません」
「だったら、自分の胸に手を当てて考えてみるんだな」
「野盗に毒入りの酒を飲ませて、多くを捕らえました。……まさか、毒を使うことが卑怯だとか、そういう話ですか?」
「それも一部あるが、違う。左の連中(※)ならそうかも知れないが……」
(※:左近衛府のこと。平間たちのいる右近衛府より人員も戦力も少ないが、左近衛府は貴族出身者が多く、庶民的な右近衛府に比べて格調高い傾向がある。)
言い淀んで、田々等は溜息をついてから続ける。
「私もこんなことを言いたくはないんだけどね。君は真面目だし、今まで問題も起こしていない。だが――」
「だが?」
「裸で縛られるのは、なぁ。それも一兵卒ではなく、一隊を率いる長がとなると……」
それか。
平間は一気に顔を引きつらせる。
「これが上の耳にも入ったらしい。野盗に捕まって生き恥をさらした者を置いてはおけないそうだ」
「生き恥……」
「一応は私も粘ったんだが、まあ仕方ない。クビだ」
そう言って田々等は肩をすくめ、「すまんね」とだけ言って書類を広げ始めた。
話は終わりだ、という意味らしい。
こうなってしまうと、平間が何と言おうと決定が覆ることは無い。
凝り固まった近衛府の組織体制から、平間はそのことを重々よく承知していた。
悪態をつく気力すら起きず、平間は黙って執務室を後にした。
部屋を出た平間を出迎えたのは、何も知らない副官の少女である。
「京作さま、お疲れ様です。お祝いに何か美味しい物でも食べに行きましょう! もちろん、京作さまのおごりで!」
曇りの無い笑顔で言う紬に、平間はただただ、引きつった笑みを返す事しかできなかった。
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