第1話「てるてる坊主と黒の蓮」
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「宴がな、あるらしいのじゃ」
壱子は平間を屋敷に呼びつけると、開口一番そう言った。
肘をつき、物憂げな表情を浮かべる彼女の様子から察するに、何か悩み事があるらしい。
壱子の傍らには、古株の侍女・紫の姿があった。
紫は壱子の艶やかな髪に、慣れた手つきで櫛を入れている。
一方の平間は、壱子の言葉に「あ、そうですか」以外の感想を持たなかった。
が、それではさすがに目の前の自由気ままで天衣無縫で傍若無人な箱入り娘がへそを曲げるに違いない、ということは平間には分かっているので、なるべく興味を持っているフリをして見せようと口を開く。
「宴!? 楽しそうだね、行ってきなよ!」
「……気色悪いな、何か変なものでも食べたか?」
「食べてない。僕の最大限の気遣いを返してくれ」
「中身のない気遣いなど、弦の無い琴のようなものでな。差し出されても空しいだけじゃ」
そっけなく言う壱子に、平間は返す言葉も無い。
仕方なく、首をすくめて壱子に尋ねた。
「で、どうしてその宴に行きたくないんだ?」
「良くぞ聞いてくれた!」
壱子は「待ってました」とばかりに身を乗り出そうとする。
しかし、髪に触れていた紫が眉をひそめると、壱子は小さく咳払いして元の場所に戻った。
「こほん、良くぞ聞いてくれた。実は、その宴の主催が水臥小路惟人……つまり依織の父親なのじゃ」
「というと……左大臣が主催の宴ってことか!? この国で二番目に偉い人じゃないか!」
「まさしく。なんでも、『依織の憂いを晴らしてくれた才媛に、ぜひ一度会いたい』ということらしい」
「名誉なことじゃないか。壱子が行きたがらない理由が見つからない」
「……まったく、お主はどこまでおめでたいのじゃ」
やれやれ、と肩をすくめる壱子に、平間は憮然として尋ねる。
「だったら、壱子が行きたくない理由を説明してくれよ」
「仕方ない。頭脳明晰で才気煥発、才色兼備にして臥龍鳳雛かくありきと名高いこの私が、愚昧なるお主に世の道理というものを教えてやろう」
「そこまで大した話ではないと思うけどね。あと、そういうのは自分で言うことじゃない」
呆れながら平間は言うが、壱子は無視して三本指を突き出した。
「私が行きたくない理由は三つ!」
「そう言うとすごく矮小に聞こえる」
「まず一つ目、知らない人がいっぱいいる」
「ただの人見知りじゃないか」
「知らない人と話すのはすごく疲れる。私は屋敷で菓子を食べていたい」
「怠惰を隠す気も無いのか」
「うるさい。菓子は私に『愛らしく聡明で完璧な姫』を演じさせることは無い。あと甘くて美味しい」
「まあ、言いたいことは分かるけどね」
平間が納得したそぶりを見せると、壱子は指を二本立ててみせる。
「二つ目、知らない人しかいない!」
「一つ目と同じだが」
「違う。いや違わないが、なんというか心持ちが違う」
「なに言ってんの?」
「まあ聞け。水臥小路の宴では、私の味方など数えるほどしかおらぬ。いるのは父上、姉上、あとはこの紫くらい。つまり周囲の全てが敵だと言っても過言ではない」
「過言だろ」
「そのような宴の場は、いわば針のむしろのようなもの。繊細な私の心は瞬く間にすり減ってしまい、明日には廃人のようになってしまうことは不可避じゃ」
「可避だと思うけどなあ」
「要するに、知らない人と話すのも疲れるし、話さないのもそれはそれで疲れる、ということじゃ」
「自分で言っていて情けなくならない?」
「そして第三の理由!」
「聞いてくれよ」
「すなわち、私が嫁に行ってしまう」
「……は?」
まるで予期していなかった壱子の言葉に、平間はぽかんと口あけて間抜けな声を出した。
「ごめん壱子、今なんて?」
「私が嫁に行ってしまう、と言った」
「……なるほど、ちょっと考えるね」
「よかろう、待とう」
「ありがとう」
壱子の許可が下りたので、平間は存分に思考をめぐらせる。
宴に行くと、壱子が結婚することになる……と、壱子は言った。
風が吹けば桶屋が儲かる的な論理があるのでは、と平間は考えてみた。
しかし。
「だめだ、分からない。一体なにを言っているんだ? 壱子」
「仕方ない。博覧強記の英才にして栴檀の双葉と名高いーー」
「ああ、そういうのはもう良いから」
「む、そうか。しかし簡単な話じゃ」
「というと?」
「平間、私の顔をよく見てみよ」
「顔……?」
壱子に言われるがまま、平間は彼女の顔をまじまじと見つめる。
しかしだからと言って、何か変わったことがあるわけでもない。
凛々しさと可愛らしさが絶妙に同居している、よく整った顔立ち。
つまりいつも通りの壱子がそこにいる。
しいて違和感があるとすれば……。
「夜更かしした? 少し疲れているような……」
「そうそう、昨日の夕べに面白い絵物語を蔵から見つけて……って、そんなことではない!」
「じゃあ何なのさ」
「私の顔をよく見ろ」
「見たけど」
「ならば気付くはずじゃ。かわいかろ? 絶世の美少女じゃろ?」
「僕以外の人間には、その高すぎる自尊心は隠しておいたほうが良いよ」
「何を言っておる? 求婚か?」
「そっちこそ何言ってんの?」
「よーし。紫、平間と逃避行するために牛車を用意してくれ。駆け落ちするぞ」
「かしこまりました」
「紫さんまで何を言っているんですか。堂々と牛車で駆け落ちするなんて話、聞いたこと無いでしょ」
うやうやしく頭を下げる紫に、平間は冷静に突っ込みを入れる。
「話が逸れすぎだ、壱子。そもそもは『どうして宴に行くと壱子が結婚することになるのか』って話だったでしょ」
「おお、そうであった!」
壱子はわざとらしく手を打つと、眉をひそめ、神妙な面持ちで口を開く。
「見てのとおり、私はかわいいじゃろ」
「自分で言うことではないと心の底から思うけど、まあそうだね」
「そんなかわいい私が、世に二人といないほどかわいいこの私が、大勢の人間の集まる宴に顔を出してみよ、どうなるか容易く想像がつくじゃろう」
「うーん、つかないから教えて?」
「私を見た貴族の子弟らは、こう思うはずじゃ。『なんということだ、皇都にこのような麗しい姫君がいたなんて! 今からでも遅くは無い、すぐに結婚を申し込もう!』と。そして我先に着物の袖を引きちぎり、そこに歌をしたためてーー」
「そこまでだ! 妄想力がたくましすぎて怖くなってくる!」
どこまでも続きそうな壱子の言葉を、平間は堪らず遮った。
すると、壱子はなぜか得意げに口角を上げる。
「ま、そういうわけで、私が宴に出ると求婚が絶えなくなるじゃろう。父上もこれ幸いと適当な相手を見繕って、私は断る機会すら与えれずに嫁に行くことになる。お主は私を失った悲しみに暮れて酒色に溺れ、ついには身を滅ぼすじゃろう」
「最後の方がまるで納得できないけど、言いたいことは分かった」
「それは良かった。では平間、お主も一緒に宴に出るぞ」
「……なんで?」
「なんでとは?」
聞き返す壱子は、「どうしてそんなことも分からないのか」とでも言いたげに首をかしげる。
平間は思わず自分が間違っているかのような錯覚に陥りかけるが、落ち着いて壱子に尋ねた。
「どうして、僕が壱子と一緒に宴に出ないといけないの?」
「言ったじゃろう、私は心細いのじゃ。一緒にいてくれ」
「嫌だといったら?」
「泣き喚く」
「見境無しか」
「なに、お主にとっても悪い話ではない。近衛府に戻って順調に位が上がっていけば、いずれ貴族のいる席にも顔を出さねばならぬ。その時に困らぬよう、今のうちに慣れておくべきじゃ」
「適当なことしか言わないと思ったらそれらしいことを……」
「というわけで、お主も付いて来い。私はすごく行きたくないが、お主にとっては良い経験になるじゃろう。私はすごく行きたくないが」
「どれだけ行きたくないんだ……」
かくして、平間は壱子とともに水臥小路家の宴に参加することになった。
……のだが。
後日、宴席に付いた二人が目にしたのは、薄汚れた大舞台と、十尺ほどの高さに渡された材木だった。
そしてそこから垂らされた五本の太い縄は、下端が輪になるように結ばれている。
「平間、私はまだ世に疎いのかもしれぬ」
それは見るからに。
「なぜ処刑台がここにある?」
声を強張らせながら尋ねる壱子に、平間はどう答えるべきか決めかねていた。




