第11話「夢幻の蟲毒と油紙(解決編・上)」
壱子は難しい顔を作ると、ぴん、と人差し指を立てた。
そして、ぐるぐると部屋の中を歩き回り始める。
「毒見が利かぬ、というのは際立てて異常な特徴じゃ。
毒はあらゆる人間に効かねば毒たりえぬ。
効かぬかも知れぬ毒に、一世一代の暗殺を託す者などいないからじゃ。
しかし!
異常な特徴というのは、裏を返せば真実をつき止める上で、この上なく重要な手がかりともなる」
興奮気味に壱子は言うと、部屋を歩き回る足をぴたりと止めた。
「では、ここで基本に立ち返ろう。
毒が効き目を及ぼすためには、毒を飲んで、毒が効果を発揮するという二つの段階を踏まねばならぬ。
言い換えれば、この二つの段階がキチンと踏まれてさえいれば、毒見をしたのに毒に被害を受けてしまう、なんてことは起こらない」
壱子はそこまで言うと、他の人たちの反応を見定めるように言葉を切った。
そして反論が起こらないことを見て、さらに続ける。
「では、第一段階『毒を飲む』について考えてみよう。この場合考えられる不備には、何があるか? 紬、申してみよ」
「アタシですか? そうですね……まあ、一番単純なのは『毒見役が実は毒を飲んでいなかった』ってことですかね」
「素晴らしい。さすが私の従者じゃ」
壱子は微笑むが、ぎょっとしたのは依織の母親と侍女たちだ。
とくに母親は剣幕凄まじく、壱子に食って掛かる。
「毒見をしていた私を疑っているのですか!?」
しかし、壱子は冷静に首を振る。
「いや、全く。露ほども疑っておらぬ」
「では何故――」
「あらゆる可能性を潰さなければ確信を得られぬじゃろ? 話を続けてもよろしいかな」
「……どうぞ」
「感謝する」
全く感謝している素振りを見せずに壱子は言うと、くるり、と身をひるがえした。
彼女の視線の先になるのは、部屋の端の方で集まっていた侍女たちだ。
その中には朝霧の姿も見える。
「さて、侍女の方々にお伺いしたい。毒見役はどのようにして決められていた?」
壱子の問いかけに、五人ほどいる侍女たちは互いに顔を見合わせるばかりで答えようとはしない。
しかし彼女たちの表情から察するに、答え「たくない」のではなく答え「られない」でいるように見える。
それも当然だろう、下手な受け答えをすれば「解毒薬を飲んで毒殺に加担していた」ということになりかねない。
膠着した場の空気を見かねて、壱子が侍女たちに向け口を開く。
「大丈夫じゃ、私はお母上殿を疑っていないのと同じように、そなたらも疑ってはおらぬ。ただ聞いたことに答えてくれればそれでよい……して、毒見役の選定法は?」
最後だけ語気を強め、壱子は再び尋ねる。
すると、侍女の中で一番の年長者らしい朝霧が一歩前に進み出た。
「朝霧と申します。私がお答えします」
「ありがとう、朝霧」
「いえ……。毒見役は、くじ引きで決められていました」
「それは、毎回くじを引いていたというのか?」
「毎回と言うよりも、日ごとに当番を定めていたのです」
「その選定は完全に無作為か? 例えば、イカサマをして特定の者にのみ毒見役を押し付けていた、なんてことは?」
「ありません。誓って」
「そうか」
短く言ってうなずく壱子は、朝霧の確固たる口調を信頼したらしい。
実際、朝霧は頬こそこけて弱々しいが、その目に光る眼差しの強さは確かなものだった。
「となると、毒見役が何か細工をしていたという線も無さそうじゃ。では話を戻し、毒が効果を及ぼすための第二段階、これが原因であった可能性について考えるとするかの」
第二段階とは、つまり「毒が効果を発揮する」ということだ。
「言い回しがまどろっこしいな。
分かりやすくいいかえれば、『毒見役には効かないのに依織殿には効果がある毒だった』ということじゃ。
具体的には、依織殿が極端に毒に対する耐性が低い場合。
つまり、毒が効きやすい体質だということじゃな」
壱子が言うと、依織がいぶかしんで口を開く。
「しかしいちこ、私は自分の身体が弱いと思ったことは無いぞ? 風邪だって、ほとんど罹ったことは無い」
「残念ながら、病気の罹りやすさと毒への抵抗力はまた別の話じゃ。例えば、身体が小さい人間は、大きい人間よりも毒の影響を受けやすい。ゆえに、大人より子供の方が、男より女の方が、死に至らしめるための毒は少なくて良い」
「つまり私は大黒丸よりもフグの肝を多く食べられると、そういうわけか」
「間違ってはいないが……基本的にはどちらも死んでしまうし、今回のように呼吸苦を引き起こすから推奨しかねるぞ」
「む、そうなのか……? いちこの話は難しいな」
きょとんと首をかしげる依織。
そんな彼女の無邪気な仕草に、部屋の空気がにわかに柔らかくなった。
調子を崩された壱子は気を取り直し、さらに続ける。
「いずれにせよ、毒に弱い体質なのではないかというのは仮説に過ぎぬ。しかも本人すら知らぬ体質を利用し、毒見をすり抜けたとなると……やはり非現実的だと言わざるを得ないじゃろう」
「では、こういうのはどうだ、いちこ。毒に詳しい者ならば、毒が効きやすいかそうでないか、見ただけで分かったりはしないのか?」
「鋭い質問じゃな、依織殿。しかし答えは『否』じゃ」
「分からないのか?」
「ああ、こればかりはの」
残念そうにする依織に、壱子は首を振って難しい顔をして答える。
「確かに、肝や腎などの臓腑が悪ければ毒が効きやすいなど、一定の法則はある。あるが、服の上から眺めただけでは、そのような差異はまず分からぬと言って良い。せいぜいが身体の大小から推測するくらいじゃが、それは素人でもできるじゃろう」
「では、どうすれば分かる?」
「そうじゃな、服を脱がして直接触れば、あるいは……。もしや依織殿、もしやそのような者に心当たりがあるのか?」
「いや、無いが」
「……あー、そうか」
依織の言葉に、壱子はあからさまに拍子抜けして、小さくため息をついた。
しかし。
「――そんなことを日頃からしているのは母上くらいだ。のう、母上?」
「え? ええ、まあ……」
急に一同の視線を集めることになった母親は、しどろもどろになりながら頷く。
――母親が娘の身体を触る、なんてことは普通なんだろうか?
平間は強い違和感を覚えて、隣にいる紬に尋ねる。
「紬、一つ聞きたいんだけど」
「なんです?」
「依織さまの言っていることはつまり、娘の身体を母親がまさぐるってことだろ。それは普通のことなのか?」
「さー、どうなんでしょうね。アタシの母親はロクデナシでしたから、何とも分からないです。少なくとも、アタシはされていません。母親はアタシに興味ありませんでしたし」
「あ、ああ、そうか……」
予想外の答えに、平間はどう返したらいいのか分からずに言いよどむ。
すると、そっけない口調で紬が言う。
「というか、そもそも庶民と貴族さま方とでは、習慣が全然違うでしょう。アタシよりも、壱子さまに聞いた方が良いんじゃないですか?」
「ああ、確かに」
それもそうか、と平間は壱子に視線を戻す。
すると壱子は、明らかに顔を引きつらせていた。
「壱子さま、引いてますね」
「引いてるな」
となると、母が娘の身体を日常的に触るのは、貴族の間でも普通ではないようだ。
「すまぬがお母上殿、なぜ日頃から依織殿の身体を触っているのか、教えてもらえるか」
「そ、それは……依織の健康のためです」
「というと?」
「大切な依織の身体に何かあってはいけません。嫁入り前の娘ですし、何か傷一つ付いていては困るのです」
「ふむ……ま、そういう事にしておこうか」
壱子は含みを持たせてうなずくと、興味を失くしたのか、素直にうなずく。
どうやらこの話は、今回の事件とは関係ないと、壱子は考えているらしい。
「というわけで、『依織殿には毒が効きやすかった』というのもおそらく否じゃ。
極端に痩せているわけでもなかったし、むしろ……いや、止そう」
壱子は肩を落とし小さくため息をついた。
そしてわざとらしく困り顔を作り、部屋にいる人々の顔を見回した。
「しかし皆の衆、困ったな。
毒見役はきちんと仕事をしていたし、依織殿にだけ効くという毒を犯人が知っていた可能性はなさそうじゃ。
そして、誰かが嘘をついている様子も無い。
これでは八方ふさがり……と、思いきや」
言いかけて、壱子はくいっ、と口角を上げる。
「実はこの問題を一気に解決する方法が一つだけ存在――」
「しません、壱子さま」
壱子の言葉を、何者かが遮った。
その声の主が誰なのか最も早く気付いたのは、最も近くにいた平間だった。
「最初から破綻していたんです。恥をかかせてしまう事になると思って言い出せなかったのですが……」
紬はバツが悪そうに、真っ直ぐに壱子を見つめていた。
視線を受ける壱子はしかし、先ほどからの笑みを崩さずにいる。
「なぜ、破綻していると思うのじゃ?」
「それは……これを見たからです」
そう言って、紬は例の紙束を取り出した。
ところどころシミで汚れていて、見たところ二百枚以上はあるその紙束は、平間が使用人舎を出た後、鉢合わせた紬が手にしていたものだ。
「壱子さまに言われた通り、持ってきましたよ。――――を」
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