逃亡(エスケープ)
「また、くだらない争いを始めたらしい」
「いつも覗き見しているのね」
「君が見せてくれるんだろう」
「私は、使われるだけ。覗き見に興味はない」
「なら、なんでそんな風なんだ」
「そういう風に作られたから。王が私をそう作ったから」
「そうだったね。仮にも遺物、道具というわけか」
「戦ったりはできないけど」
「そのことなら問題ない。君と今話していることがその証明だろう」
「そうね。今は、どこまで進んだの」
「少し、面白いことになりそうだ」
目を覚ました時、メノウは捕らえられていた。立ち上がり、辺りを見回す。先程まで横たわっていたベッドと便所、格子のはまった窓と鉄扉があるだけの殺風景な部屋だった。コンクリートの壁は、夜の冷たさを和らげることはない。なぜ自分が今ここにいるのか、思い出そうとしたところで扉が開く。
「よく眠れたか」
セブルが嫌味に微笑しながら、中に入ってきた。
「何のつもりだ」
未だ意識は朦朧としていたが、かろうじて思い出した。目の前のこの男が自分をここに連れてきたことを。
「交渉をしよう」
「何が交渉だよ、不意打ちして捕らえといて」
「お前にとっても悪い話じゃあないはずだ。結論から言おう、組まないか」
「こんなことする奴とは組めない」
「あまりつけあがらない方がいい」
そう言うとセブルは懐からナイフを取り出し、メノウの頰に突き立てた。刃先から数滴の血が流れる。
「本当は殺しても構わなかったんだが、上が許さなくてな。だから君を制御するために、首輪をつけさせてもらった」
メノウが自らの首を触ると、何やら機械が取り付けられている。セブルは口元を吊り上げスイッチを取り出す。
「こいつを押した瞬間その首輪は爆発する。どうだ、これでも逆らうか」
次の瞬間、セブルが膝をつき倒れる。その背後には筋肉質の男がいた。セブルが声を絞り出す。
「お前、裏切るのか」
「隊長、これはあまりに非人道的すぎます。彼は敵じゃない」
彼はかつての上司の手から落ちたスイッチを取る。
「逃げましょう、ここは危険だ」
彼に導かれ、メノウは逃亡する。門をくぐり抜け、大通りを逸れて路地裏に潜伏していると、向かってくる何者かに声をかけられた。
「相変わらず馬鹿だな。あいつらから逃げきれると思っているのか」
そこには眼鏡の男が立っていた。メノウを逃がした彼と同じ軍服を着ている。どうやら同僚らしい。
「俺がいれば、いくらか生存率も上がるだろ」
「お前まで裏切り者になるぞ」
「どうやら、俺も馬鹿だったらしい。お前に死なれては寝覚めが悪い、ただそれだけのことだ」
三人は向かう。土色の遺物のもとへと。この状況を打開するには、遺物の力を使うしかない。彼はそう考えたのだ。
「遺物を使って、遠くの国に逃げよう」
眼鏡が提案するが、メノウは首を横に振った。
「僕は、この街を守りたいんだ。それさえできれば、それ以上は望まない」
「視野が狭いな。ここに留まったところで、どのみち滅びゆく定めだというのに」
「それでも、手の届く日常を守る。それが、力を手にした僕の使命だ」
「そうつまらないことを言うなよ。俺は、この国を見限ることにした。俺はアトラデにつく。手土産を持ってな」
眼鏡を外す。いつの間にか彼の手には、スイッチが握られていた。
「まさか、お前、何を」
筋肉質の男が叫び飛びかかるが、いとも容易くかわされる。
「ほら、早く連れていってくれよ。ここで死ぬのも俺と心中するのも、得策ではないことくらいわかるよな」
彼は死を恐れていた。それゆえ、一度は従い反撃の機を伺うことにしたのだ。森の奥、遺物に乗り込む。ハッチが閉まり、ぬるい液体に満たされてゆく。輪郭が曖昧になり、消える。男を掌に乗せ、アトラデへと走った。海辺の町で彼は止めさせる。コクピットが開くと、何かが違っていた。無いのだ。首に巻きついていた機械が。遺物を降りハッチが閉まる瞬間、ハッチの向こうに爆発音を聞いた。
「だが、まだ手はある」
男が海に身を投げる。沈んでゆく彼に手を伸ばすが、空を切った。突然の事態に動揺する暇もなく、それは現れた。海が割れ、現れた遺物は水のように流線的で、捉えられない彼を表しているよう。