緑(ヒスイ)
昔、英雄の姿を思い描いた。それは金色に輝いていて、勇敢な騎士の姿だった。英雄には手足がなかった。それは英雄ではなく、英雄を讃える胸像だったのかもしれない。あるいは僕の無力さを映し出す鏡像だったのかもしれない。ただ一つ分かるのは、僕は英雄になり得ないということだ。
「マスター、起きてください」
タカノは緑色の肌をした少女に起こされ、目を覚ます。
「もう朝か」
「いいえ、今は夜です」
「じゃあ、なんで」
「この戦乱の世で、自由に出入国できると思いますか」
「その時は強行突破するよ」
「そのような非合理的なことをしてどうするのですか。明るくなる前なら、少しは見つかりにくいでしょう」
「もはや僕より賢いよな」
緑色の彼女は、彼が手にした遺物だった。遺物が皆そうなのか、彼女の特徴かはわからないが、非常に学習能力が高かった。喋りかけているうちに、勝手に喋れるようになった。図書館に一日放置したら、勝手に読み書きを習得した。少女の姿になったのは、図書館に行く折にタカノが警戒されないよう擬態しろと言ったため。蔓を編み造形する能力は、使い勝手がいいようだ。
歩き出す。夜の闇の奥に、光る建物があった。入国管理局というものらしい。
「あそこを越えれば、アトラデだ」
「しっかり掴まっててください」
アンテナに蔓を巻きつけ、巻き取って屋根の上に着地する。
「そういえば、どこに向かっているのですか」
「ユピケル」
「なぜ」
「機神を殺すため」
「でも、人殺しは重罪です」
「僕の恩人が、そいつに殺された」
「仇討ちというものですか」
「仇討ちに意味なんかない、なんて言う気か」
「いえ。人間の中にも仇討ちを許す者と許さない者がいるらしく、難しいのです」
「よく聞け、力は罪だ。あいつは誰より強い、だから誰より多く破壊する」
「では、私も罪人ですか」
「力を正しく使えば、罪は許される。力ある者の破壊を止めるのは善いことだ」
「そう、なのですか」
「奴は力の使い方を間違っている。殲滅しなきゃあならない。殲滅して、これ以上の破壊を止めなきゃあならないんだ」
彼女は道徳を知らない。知識として理解はしていても、心と結びつかないのだ。そんな彼女を騙すことに心が痛まないわけではないが、それ以上に彼の復讐心は固かった。
「そうそう、図書館でこの大陸の地図を見ました。ルジアルを経由した方が、近いのではないでしょうか」
「あそこには戻りたくない。きっと、泣いてしまう」
降り立つと、そこは砂漠。一本通った道路を都市部に向けて歩いていく。
「そういえば、何と呼べばいい」
「名前はまだありません」
彼女の方を見て、考える。
「じゃあ、ミドリとか」
「それなら、ヒスイがいいです」
「ヒスイって何だ」
「かつて存在した宝石です。綺麗ですよ」
「見たことあるのか」
「掘り出される前のことでしょうか。なぜか、覚えています」
「そんな綺麗な宝石を自分の名前にするなんて、自分に自信があるんだな」
「駄目でしたか」
「いや、羨ましいよ」
彼女を従わせるために、常に正しい人間だと印象づける必要がある。彼はそう考えていた。それゆえに、失言だったと彼自身思っていた。彼女がフォローを入れても、止まることはない。
「マスターは、凄いですよ」
「凄くなんかない。僕は無力で、誰一人守れなかった。もう僕に守るものは何もない。だから、せめて守れなかった過去を終わらせに行くんだ」
「決着をつけようとするだけ立派です。そうですね、では私を守ってください」
「まあ、出来るだけのことはするよ」
「約束ですよ」
街が近づいていた。地平の向こうから、朝日が顔を出している。
「今晩までには、都に着こう」
「はい」
二人は歩いてゆく。向かう先に光はないまま。