俺の笑顔は
「……はぁ」
放課後のトイレの鏡に向かって、気持ち悪い笑みを浮かべる人物がいた。
自分で見ても気持ち悪い。分かっている。ニコッと笑ったつもりで笑ってみると、ヌヒッと擬音が付いてしまう様な笑い顔。これが原因なのだ。他にも原因がない、とは言えないが、主にこれが問題な気がする。この気持ち悪い笑顔が、である。
俺は町原征。高校二年生だ。と言っても、一般的な高校生の様な人間ではない。この気持ち悪い笑顔が原因で、最初の印象は最悪。しかも、とある理由で入学式から二週間経った時期に学校に初登校することに。普通の者なら、ここから一度は落ち込んでも「頑張って話しかけてみよう」となるのかもしれない。
だが、俺はそうはならなかった。
何故なら、中学時代、それが原因で手痛い失敗をしてしまったのだ。トラウマになり、高校生活では自然と無表情となり、それが拍車をかけた。結果、近寄りがたく、笑顔の気持ち悪いやつ。それが、クラスメイトの俺、町原 征に対する評価であった。
そう、征は所謂、ボッチと言う人種なのであった。
「はぁぁ……」
嫌なことを思い出し、再度溜息をつく。
「一向に良くなんねえな、この笑顔は。世の中のやつはどうやって笑ってるんだろうか」
俺自身、流石に、2年になるときに笑顔では不味いと思い、練習し始めたのであるが、2年の春になっても希望の兆しはなかった。そして、二年次でも俺はやらかした。
それは一人一人が教団に上がり、自己紹介をしているHRの時間。俺の番がきた。自然にだ、俺っと思いながら。
『よろしくお願いします。町原 征です。趣味は家事ですかね。あとは、裁縫とか、細かい作業が好きです』
クラスメイトから声が上がる。
『家事って、一人暮らしでもしてるのー?それとも手伝いでー?』
『えっと親が忙しいので、手伝いというよりは、ほとんど俺がやってます、かね』
『すごいね!』『家事できる男子って珍しいな』『俺にはできないや』
クラスメイトがざわつき、そんな評価を受けて、俺はやってしまった。嬉しくなってしまったのだ。褒められたらどうしても、口角が上がる。それはボッチで特に褒められることのない俺には、褒め耐性を持ち合わせる術など、あるはずもなかったのである。
結果。
ニタァ〜〜〜〜。
俺氏必殺の笑顔炸裂!効果は抜群だ!(←自分で言ってて悲しくなってくる)
『ヒッ!』
数人が声ともつかない悲鳴をあげ、クラスの空気は一変した。俺の気色の悪い、笑顔を見たからだ。
これが俺の失敗談。またまたクラス内では無表情になってしまって、一年の頃から全く成長していない。
「……はあ」
短時間に三度目の溜息を履いた俺は、寂しげな様相を背中に宿しながら、制服のポケットから取り出したハンカチで手を拭ってトイレを後にする。
トイレから出た俺は、帰宅するため、教室のバッグを取りに行く。俺の所属する二年B組。俺は左端の一番後ろの席、席は最高の位置を貰っている。だが、これにはある経緯がある。本当は一つ前の席だったのであるが、最高の位置の人が俺を挟んで、俺の一人前の人と会話をするのだ。
その頃から俺はいたたまれなくなり、トイレへと逃げることが多くなった。するとある日、俺の机と椅子が、後ろと勝手に交換されていて、そのクラスメイトから一言。「先生に言ったら交換していいって言ってたから」と言われ、この席に落ち着いたのだ。先生にもクラスメイトにも見放され、なんとも複雑な気持ちだった。だが、いたたまれない気持ちになることもなく、何よりクラスメイトから一言もらえたことが嬉しいような、そんな気持ちも混在していた。自分でもこれで嬉しいのかと少し大丈夫か俺と自身に問いかけた。この出来事があったのは、つい数日前のことであった。
手を拭ったハンカチをポケットに突っ込み、教室についた俺は、教室開きっぱなしのドアを越え教室に足を踏み入れると、俺の席をガサゴソと漁っている女の子を見つけた。確か、クラスメイトの葉月さんだ。フルネームは葉月 三森。腰のあたりまで伸ばした栗色の髪と、小柄な体躯、少し大きめの目が特徴の、綺麗とは違う、可愛い、という言葉が似合う小動物の様な女子。それが俺が葉月さんに抱くイメージだ。
ーーそれにしても、なぜそんな葉月さんが俺の机を漁っているのだろうか。
立ち尽くしてしまった俺は、はっと意識を取り戻したかのように意識が鮮明になる。とにかくこれは俺が見ているのを、気づかれるわけにはいかないだろう。咄嗟に教室を出ようとしたが、落ちていたプリントを、クシャッと大きめの音を鳴らしながら盛大に踏み潰した。当然葉月 三森は音に気付き、肩をビクッと震わせた。
机の中を漁る動きが静止した少女、葉月 三森は恐る恐る後ろを振り向き、俺と目が合った。合ってしまった。咄嗟に顔を背け、何もなかったかのように振る舞い、教室から出ようとする。
……が、スルーしてくれるわけもなく、葉月はキョドりながら言葉を俺に放ってきた。
「みみみ、みた!?見たのね!?」
「さ、さあ、何のことかな?」
……声が上ずってしまった。……我ながらなんて酷いごまかし方だ。でも仕方ないだろう。俺はまともに会話する相手など、妹と、父親と、母親の三人しかいないのだ。当然、他人と会話する能力など持ち合わせてはおらぬ。
「しらばっくれているんだ!そうだ!そうに決まっている!」
おいおい、いくら下手くそだったからって決めつきがすぎやしないか?この子。
「ああ、まあ見たよ。みたといえば見たが俺の机を漁ってなんか用でもあるのか?」
まあ、こういうのは正直が一番だ。嘘は良くない、嘘は。
「そう、しらばっくれるのね。しらばっくれるんだ」
俺は正直に見たと言ったはずだぞ?聞いていなかったのかこの子は。葉月はそんな俺の心境も全く意に返さず俺を疑いかかり、顔を真っ赤にしながら憤慨している。
「待て待て、おれはそれ以上のことは見てもいないし知らねえよ。それに興味もねえ」
「嘘だ!嘘だ!絶対見たもん知ってるもん!これは違うんだ!前の席の楠田君に渡すものなんだ!それに、嘘みたいな顔してる!嘘ついてるような顔してるし!」
「だだだ、誰が嘘みたいで気持ち悪い顔だとお!?」
「……いや、そんなこと言ってないけど」
……しまった。本音が出てしまった。葉月が弱冠頬を引きつらせた気がした。引いているのだろうな。はあ。
「と、とにかく!これは違うから!ああもう、最悪だ」
そう言って、薄い橙色の和紙でできているのか、一つの封筒を握りしめ、足早に教室を去った。興味はない、おれはそう言ったが、少しその封筒はなんだったのか。少し気になった。
「ふう……」
一息ついたと思い、自身の席に座る。夕暮れのグラウンドから、三階の校舎のカーテンを揺らす涼風が貫く。机に肘をつき、グラウンドを見ながら、散々だな。と独りごちる。そんな時、後ろに気配を感じ、後ろを向くと、風切音と同時に葉月がトイレのモップを俺の脳天めがけ振り下ろしていた。
「きおくふきとべえええええ!」
俺は頭に酷い衝撃を受け、意識は、深い黒に沈んだ。その前に、一つだけ思った。
……頭を殴って記憶喪失とかこいつ単細胞すぎんだろ。
読了大々感謝です。自分のペースで更新して行きます。