ロックの恩恵
この物語はフィクションです。
自分は自閉傾向が少し強いらしい。
最近知ったことだが普通の人よりはかなり高く、完全なアスペルガーの人の一歩手前のラインらしい。
今更驚かないけれど、そういうことってはっきりしてた方がすっきりする。
そんなことわかってどうするのって人もいるけれど知ることで受け入れることもできる状態もあるということ。
ああ、自分はこういう人間なのだと楽になる部分もあるのである。
とにかく自分でも振り返ってみれば今の病気にかかる前から既におかしな子供だったと思う。
幼少期は朝起きて一日生活するのがしんどくてしんどくて。
小さいながら元々足りないコミュニケーション能力や社交性を目いっぱい使ってきたから毎日相当疲れていた。
できなくていつも強い不安とストレスを感じる日々を送っていたのである。
勿論他人になれるわけではないので誰もがこういう頭の状態で日々を過ごしているのだろうと思っていた。
だから、なんて皆努力家で凄い人たちなのだろうと感じていた。
当時の私の様子を見て親達はとても心配したらしい。
それで児童相談所らしきとことろに行ったがその頃はそういうグレーゾーンの子供に対してどうやって対処していったらいいか、どんな方法や訓練があるのかそういうことがまだあまり広まっていなかった。
いつも泣いている、理由もなく泣いて不安で教室にいるのが辛くて本当に監獄のようで頭の中が張り裂けそうになっていた。
性格はまじめだから必死で周りに合わせようとするわけだが、それでもいつも悪い意味で浮いていた。
どんくさいというか、からかわれたら余裕もなく言葉通りの解釈しかできず思いっきり反抗し真剣に誤解を解こうとする。
そういう私の姿を見て周りは面白がったんじゃないだろうか。
それで、からかわれているうちに。
いじめられるようになった。
不吉な事、事件が起こる度に私のせいにされたのは今でも忘れられない、生徒の意見に流され先生まで私を疑うようになった。
どんくさくて、なんだか汚い奴、みたいな菌扱いとでも言おうかそういう扱いもされたり、肉体的にというより精神的ないじめが多かった。
弱い自分にはかなり効いた。
それまでの私は結構自尊心があったが、その頃から次第にそれも薄れていく。
洗脳されていくような感覚だろうか。
「お前はいじめられるくらい弱く醜く無力で生きるに値しない。」
そう刷り込まれているようだった。
どんな事されたか、沢山あったけどあまり書きたくもない。
それから中学生になった。
もう小学校で完全に自信を失った私は無気力人間になっていた。
それでも中学では私の事を知らない奴が大半で、いじられたりはしなかった。
それだけでも救いだ。
それと学校がすぐそこだったのでとても通いやすかった。
ただ、周りに順応できないのは相変わらずでこの頃から数学と体育の成績が飛びぬけて悪くなる。その代わりに家庭科と音楽はいつも5段階評価で5か4。
小学生の頃から算数、特に数字、時計、時間の感覚や休み時間と授業の時間割の切り替えがとても苦手でストレスだったが。
中学になると段々と数学の授業についていけなくなっていく。
体育もそうで平均より圧倒的に運動能力が劣ってきていった。
収集癖も顕著だった。
今もその収集癖というかそういう自分なりのルールがあって。
まず自分はディスカウントストアで売っている石鹸、ボディーソープやシャンプー、歯磨き粉とかをやたらと買って並べるのが好きでずらっといつも並べたがった。
もう石鹸は同じのそんな買わなくていいとよく親に言われた。
並べる作業、それをやり遂げた時はとても気分が良いが、いったん崩れると今度はイライラした。
だから今もギターもいつもラックに全部同じ場所に置いてないと嫌だし、昔集めた香水も全部ガラスの棚にずら―と並べるのが大好きだ。
でも興味がないものは一切やりたくない。
だから部屋の中でも興味外のところは当然散らかっている。
中学に入ってからこれはかなり出てきた。
文章を書くのは好きで、そればかりよくやった。先生におもろいと言われることも度々あってもっと書きたいと思った。
が、決して国語の成績が良いわけではなく、興味がない文芸作品の文章問題は大嫌いだし、そもそも自分は本を読むことが大嫌いだったのだ。
私が本をよく読むようになったのは二十歳以降、自分が執筆を度々するようになってからだ。
普通の人はどうなのだろう。
本が好きな人が次第にモノを書くようになる、その方が私としても自然だと思うが、私の場合は完全に逆だった。
それから中三の時もクラスで浮いてしまい、私をいじめたりしなかった二人を除いて、一年間ずっとクラスの男子全員と全く話しをしてもらえなかった。
これもかなり効いた。
学校に行きたくなくなった。
ある時、
「なんで最近話してくれないの?無視してるよね?」
とクラスメイトに訊いたことがある。
そうしたら
「クラスのボスにあいつと話すなと言われたから話せない」
そういわれた。
右向け右もいいとこだ。
高校は算数の点が悪かったが総合点で何とか中の下のところに入ることができた。
そう立派でもない普通の高校。
そこで私はギターと出会う。
どういう訳か、ある日親父が急にギターをやると言い出しモーリスの一万円のアコースティックギターを楽器店から買ってきた、音楽には疎い父がどうして、という思いもあった。
そして案の定飽きられたギターはすぐに埃をかぶることになる。
それでなんとなくそのモーリスを手に取ってみた。
何も感じなかった。
自分のやるべきことはこれだ、なんて少しも思わなかったが不思議なもので私にも弾けるんじゃないかと思った。
それで父に、「弾いてないなら私が使ってもいい?」と訊くと好きにすればというのでそうさせてもらうことにした。
それを手にした日から特に意識もしないうちに毎日ギターに触る自分がいた。
もっと知りたくなって、教則本を見たりして手探りで弾き方弦の張り方チューニングの仕方を覚えた。
そのうちにゆずやら19の曲が弾きたくなってコードを一通り覚えて三か月でポップスの伴奏が弾けるようになってきたのだ。
さらにそれから一か月経ってトンボ製のメジャーボーイというブルースハープのCキーを一つ買った。
19の曲のイントロやユズのサヨナラバスという曲が吹きたかったからだ。
それで一人で教則本を見ながらあれこれやっているうちにテクニックが自然とついていき吹けるようになっていた。
たぶん今でも吹ける。
今まで本気で何かをするということがなかった自分がギターに出会ってから初期衝動なんてものではなかったが、確実に変わった。
自分の拘りの対象がギターになっていったのだ。
それからエレキギターを手に入れてからはもう、学校でも家でもロックの事しか頭にないようになった。
私にもどうしてこんなに夢中になっているのか分からないまま、ただただ毎日時間が空けばギターを弾いていた。
好きこそものの・・・とはいうもので当然どんどんうまくなった。
できないものができるようになった瞬間、最高の達成感を感じたものである。
それでここからが本題なのだが。
それから学校でも一日中音楽仲間と朝から放課後まで音楽の話をしたり、勉強そっちのけでアコースティックギターやらエレキを弾いたりしていると、あいつはギターをやるらしいとクラスに広まるわけだ。
高校生にもなると自己主張も激しくなるものだから私は学校でいい子ちゃんでいるのに放課後になると、ロックバカに豹変し友人と歌ったり演奏したりしだす。そうするとどこぞの先生に「うるさいから、他所でやれ」といわれるようになるわけだ。
そのギャップが一つ私の魅力になったのだと思う。
ギターとロックによって、今までいじめの原因となった私のマイナス要因が全ていい方向に変わった。
例えば高校では自分から話しかけて友達を作る必要がなかった。
こちらから話さなくても相手から寄ってきてくれた。
普段はいい子ちゃんでギャップのあるような不思議な奴に興味本位で話してみたいと思う奴が沢山いたようだった。
自分から中に入っていけない私からしたら本当に好都合だった。
とにかく校内では知らない奴からも話しかけられた。
さらに文化祭以後はかなり目立つバンドに入っていたので相当数の友達ができ自分の自尊心も少しばかり戻りつつあった。
それからというもの私は自分本位に自由な学校生活を送った。
食いたいときに食い、寝たいときに寝て(授業中でも)話したいときに話、したいときにロックした。
教師に怒られた時など、全くもって反省していないのに丁寧に謝罪して頭を下げたりして、そうか分かればいいと教師の方からさっさといなくなった。
例え体育の授業でどんくさくても、自分だけラジオ体操何回もやり直しさせられても皆、しょうがねーなお前は、といって楽しそうにバカうけしてくれた。
「まあ体育できなくてもギター弾けるからいいじゃん」
とか
「おもしれーからいいじゃん」
とか。
そんな感じだったと思う。
どんくさくて必死になって生きていたあの頃は何だったのか。
「あの人はロックに取りつかれてる、そういう人は少し変で怠惰で、まあそういうもんだろ、でもそこが面白い。」
みたいな空気が確実にあって、だから私は誰にもいじめられなかった。
寝てても、ああいつもの事な。
ダラダラしてても、なよなよしてるのがあいつらしいよギター弾いてる時もあんな感じだもん。
頭がボサボサでも、我が道を行くって感じだなと言われ。
コミュニケーションがうまくできてなかったり、急にミステリアスな事や幼稚な事を言っても、
「あいつだから許す、むしろ可愛らしい、今までいなかったタイプ、変わったやつ。」
それで全てが上手くいった。
たった一本のギターが私の生きる道を変えた事実。
ロックは私に人間関係のきっかけを与え、誇りを呼び戻し、弱点を魅力に変え、自分らしくいられる自由を与えてくれた。
そしていじめられっ子は、人気者になったのだ。
それからは自分の内向的な部分が少し溶けてきた。
まず、挨拶をするようになった。
とにかく朝ついたら皆におはようさん。
帰る時はあばよとかまたなとか。
あとは大体いつも笑ってたね、失敗しても笑ってたね。
だから俺が大事だと思うのは、挨拶と笑顔。
それから失敗してもどんくさくても、ネガティブにならずにわざとらしくカッコつけることかな。
それを高校で学んだ。
とにもかくにもグレーゾーンなりに私は行動することを覚えたのだ。
これは訓練によってある程度変わっていくものでもある。
髪を染めていっても私だけなぜか咎められない。
「なんでお前だけなんも言われないの?」
とみんな驚いていたけど。
それは私がいつもはいい子ちゃんの仮面をしっかり被っていたからなのかもしれない。
教師も、どうもあいつは叱るに叱れないといった感じで面白かった。
これがまたド不良な子だったら教師も思いっきり叱れるのだと思う。
デカいバイクを無理やり駐輪場に止めて、派手な刺繍入りのジャンバーか何かでタバコ吸いながら校庭を闊歩していたら。シカトを決め込む教師もいれば激怒する教師もいるかもしれない。
「おい、お前ら謹慎期間中なのにいい加減にしろよ、そんなことして退学だぞ」
「うるせえな、お前にはかんけーねーんだよ。ウゼえんだよ、ハゲ!」
「その口の利き方はなんだ、生活指導室に今すぐ来い!今すぐだ!」
こんな風に。
今の学校の様子を見ていれば分かる、きっとそうなるだろう。
けれども私も同じようにピアスを空け、髪を染めて学校に行き、免許もないのにバイクに乗ったり、実はそれで危うく警察に捕まりそうになったりもしていた。授業では寝てたり、あるいは屋上でタバコを吸ってよくさぼっていたりもしていた。
やっていることは彼らとそう変わらないにも関わらず私は全く咎められなかった。
それは私があまり教師に対して反抗的な態度をとらないで、目上のあなたを尊敬していますし逆らいませんというオーラを出していたからに他ならない。
いつも何かで注意されても。
「すみません、以後気負付けますぅ~。」
と笑顔で頭を下げると先生たちはそれ以上何も言わない。
なんだよ、意外と素直な奴で毎朝挨拶もしてくるしな、今のも叱るほどでもなかったかもな・・・。よくわからんが、なかなか面白い雰囲気の奴だな。
と思われていた確率がかなり高い。
そんな感じで注意してる側が途中から半笑いになり、叱っているぞという威圧感が私にはまるで感じられなかった。
あとは先生によく自分から話しかける、ヤバい奴らというのは話しかけるのではなく喧嘩を売るがそうではなく私は先生にも積極的にコミュニケーションをとろうとしていた。2年にもなると私はよく先生と話したものだ。
英語の授業でも
「先生あの。問題解いてきたんですけど、ここはこんな訳でいいんですか?あ・・そうだ、それと先生この間のエリック・クラプトンの特集見ました?もう最高でしたよね、やっぱ私はクリーム時代やそれよりちょっと後の映像が見てて凄く興奮しました」
と、共通の話題を作りコミュニケーションに付加価値をつけるのだ。
そうすると不思議なものでお互いの警戒心は和らぎ時にはちょっとした連帯感や信頼関係のようなものを生む時がある。
だから学生時代に真に派手なことをやらかしたかったら、それ以外の普通の場所では努めて慎んでいることだ。
本当に派手にやっている時、それが普段の素行の良いという面にマスキングされ目立たなくなり連帯感や安心感がある生徒に対して教師たちは随分と寛容になるもので、これだけでも裏で随分と好き勝手できるものだ。
まあ教師に逆らったり世間に反抗たりして叱られるのが趣味な奴は仕方がないが。
本当に自由で快適で実はやりたい放題な環境を求めるならば規則や大人たちに無駄に抗わないことだ。
私の場合、お互いの緊張を解く話題が大抵ロックだった。先生にもかつてロックを聴いていた人が多く、私は昔のロックにも凄く詳しかったのでそれで話が合った。
先生には勿論敬語だが人懐っこい感じで接していたので硬すぎた関係がちょうどいいくらいにほぐれたりもした。
だから、この厳しい先生は実はヴァン・ヘイレンが好き、パソコンの先生はビーズが好き、英語の先生はビートルズとストーンズフリーク。
なんだかんだで先生も自分の好きだったロックバンドの話を私がすると、「なにお前凄い詳しいな。あのアルバム聴いた?」とか、どの先生も顔がほころぶのが印象的だった。
みんな平等に扱うのが鉄則だが、教師も人間だからどうしても話しやすい生徒と苦手な生徒ができてしまう。
そして自分と共感する部分を持っている生徒には、例え不良と同じような事をやらかしてもなかなかきつく叱れないものだ。
ある意味これもロックの恩恵だ。
よく
「俺にとってのロックとは人生そのものだよ。」
とインタビューに答えるアーティストを目にする。
でも私はロックはただの音楽でしかないと思っている。
確かにロックは私に様々なことを与え教えてくれた。
でもそれはただのきっかけでしかない。
そのきっかけを活かせたから、行動したから私は変われた。
その後、これからをどう進んでいくか。
自分が得たものを生かし、自分の進むべき道を選んで生きていくのは私やあなた自身。
だから、もし大きなきっかけを感じたとしたならばそれは本当に幸運な事、その幸運を自分の原動力に変えて、迷わず自分の信じる道をただ進めばいいと私は感じている。
何度でも言いたい。
ロックに出会えて、それがきっかけとなり、私は自身の力で己を変わることができたのだ。
それを誇らしく思える時もある。
読んでいただき誠にありがとうございます。
またお会いできる日を楽しみにしております。