魔女アリシアと秘密警察 (6)
分割しました。
ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18
6
大ロンデニオン特別区にあるエルデラン病院。
エギルはこの病院に運ばれてきたらしい。先ほどまで表に保安局の馬車が大挙して押し寄せていたが、今は警備の者だけを残して局へと戻っていった。
深夜の騒ぎを聞き付けた患者達が起き出して、それを看護婦が宥めて病室に押し込む光景もやっとおさまった。静かになったロビーで、病院に残されている警備の配置を何気なく観察する。
これから自分がする事を考えれば、邪魔者は少ない方が良い。
頃合いと見て、アリシアは静かに席を立った。必要最低限の電灯が点る廊下を進み、依然として救命措置の最中にあるであろう処置室に向う。
処置室の前には軽装の警備員が一人。警戒させないよう、親しげに声をかけた。
「エギル・ローエンの様子はどう?」
「捜査官? あ、いえ。大方の処置は終ったらしいのですが、まだ掛るようです」
「そう。入っても?」
「医者にドヤされますよ。ですが、必要であれば問題無いかと」
「わかった。あなたも、ご苦労様」
労いの言葉に加えて柔和な表情を浮かべると、まだ若い警備員の頬に赤みが差して笑顔を零した。こんな状況でも大概の男は御しやすいものだった。特に、己の価値を知る女にとっては、赤子の手を捻るようなものだ。
彼を知り、己を知らば――というのはセレス人たちの言葉だったか。
難なく病室へ入り込むと、五〇絡みの医師が椅子に腰掛けていた。エギルはと言えば、手術台に寝かされ、静かに胸を上下させている。看護婦は彼に付着した血を拭い、身形を整えているようだ。
「彼は?」
その問いかけに白髪交じりの医師が顔を上げた。
「お前さんも警察の人か? 随分と若いな」
「歳は関係ない。それで、エギルの様態は?」
白衣の名札にはガベールとある。彼は疲れた様子で立ち上がると、エギルに歩み寄った。
「残念だがもう助からんだろう。ポーションの副作用に耐えられる状態ではない。非魔導処置では限界がある。これ以上はもうやりようが無い。何をしたところで彼を苦しめるだけだ。悪いな、刑事さん」
ガベール医師は既に匙を投げてしまったようだ。
「彼と話しがしたいの。一時的にでも覚醒させて欲しい。抑制剤とポーションを上手く使えば出来なくないでしょ?」
その言葉に驚いたガベールは目を丸くして、次には睨み付けてきた。
「そんな事をすれば彼は今すぐ死ぬぞ。お断りだ、帰ってくれ」
「このロンデニオンでテロが起きようとしているの。エギルは実行犯に関する重要な情報を持っているかも知れない。手掛かりは彼だけなの」
「何と言われようが無理だ。患者の命を救う為に力を振るうのが我々医者の使命であって、その命を早める事ではない。お前さん、若い内からそんな事を言うようになっちゃいかん。組織に毒されたか? 少なくともこの院内で、人命を軽んじる発言は控え――」
ガベール医師は言葉を最後まで紡げず、口を噤む事になった。彼が驚愕を顕わにする先には、看護婦に銃を突きつけるアリシアが居た。
「この女を患者にしたくなければ言われた通りにしろ」
「な、何を……正気か!? こんな事をしてただで済むと思っているのか……表には他の警官も居るんだぞ。今すぐ銃を降ろしなさい」
「その男は誘拐犯たちに家族を全て殺された。仇を討つ術はもう持てない。その上彼は亡命者だ。生まれ育った祖国を裏切り、この国に命を救われた恩義がある。その恩人に牙を突き立てようとするテロリストに協力させられ、今まさに死の淵に立たされている。彼をこのまま逝かせるわけにはいかない。その無念をあたしが引き受ける。彼を何一つ為すことが出来なかった哀れな裏切り者のまま逝かせるな! やれ!」
ガベールはアリシアの本気を見て取り、恐れをなしたいた。そして、口を一文字に引き結ぶとエギルの覚醒処置を施し始める。看護婦の「先生……」という怯えた声に「黙っていろ。そうすれば助かる」とだけ告げて、黙々と点滴を用意して、ポーションと抑制剤の配合が始まった。
だが、先の怒鳴り合いから不審に思った警備員が顔を覗かせる。
「大丈夫ですか? 問題があるなら応援を要請しますが――」
咄嗟にアリシアは戸口へ迫ると、先ほど笑い掛けた青年の顎を掌底で打ち上げる。怯んだその隙に、彼の懐に入り込み首投げで床に投げ倒した。そのまま両袖口を使って首を締め上げ意識を刈り取る。だが事態はそれだけに留まらず、警備員の後ろには別の看護婦が居た。彼女はそれを見た瞬間に悲鳴を上げ、その場から逃げ去っていく。廊下の向こうでは、何事かと警備員たちが顔を上げていた。
「クソッ」
アリシアは気絶させた警備員に手錠を掛けると、処置室の鍵を閉めた。
「早く!」
「急かすな! 調節を誤れば、意識すら戻らならい」
見てみれば、エギルの身体からは湯気が立ち昇っていた。傷痕も徐々に癒え始め、頬に朱色が戻りつつある。
「ゴホッ――」という咳と共に、エギルは薄らと目を開いた。ガベールがその瞳孔の様子を確かめ、アリシアに頷いた。
「エギル、エギルしっかりして。ちゃんと目を開けるの。あたしよ先生、わかる?」
急く気持ちを抑えつつ、彼の意識を呼び覚そうと慎重に声を掛けた。エギルはうめき声を上げながらも、ぎこちなく視線を動かしてこちらを視た。
「覚えてる? アリシアよ。アリシア・ドナルドソン」
「ああ……アリシア。懐かしいな……何年ぶりだったかな」
「エギル、落ち着いて聞いて。あなたは麻薬組織に拉致されていたの。それを保安局が助け出した。連中はどうしてあなたを攫ったの。何をさせられていたか教えて」
その話に彼の視線が途端に遠くなった。こちらを見ているのに、何も見えていないようだ。そして動悸が激しくなる。辛い記憶が喚び戻された所為だろう。
「大丈夫、もう助かった。あなたはもう安全よ。あたし達が助けた」
「娘は……ケイは無事なのか?」
予想されていたその質問に、アリシアは戸惑うことなく答えた。
「無事よ。ちゃんと保護している」
嘘を吐いた。しかし彼の状態を考えれば、これ以上追い詰める訳にはいかない。エギルは一先ず落ち着きを取り戻し、安心したように息を吐き出した。
「すまない……奴らに命じられるまま装置を完成させてしまった……」
「何の装置を?」
「〈ゴルゴンⅡ〉の独立魔導端末だ。その独立性を活かした物に、私の並列召喚術式を組み込んだ。『モルボルの術式』だ」
「モルボル? ゴルゴンを使って、魔族を喚び出す装置を作ったのね?」
「そうだ。奴らはそれで何かを攻撃する計画を立てている。すまない……君たちに救われた命だというのに、とんだ恩知らずだ」
「気にしないで。後はあたしが受け持つ――」
突然、エギルが腕を掴んできた。弱々しい姿からは想像も出来ない程の力だ。
「アリシア、奴に気をつけろ」
「誰のこと?」
「君と一緒に私を亡命させた男……バルドゥ・グスタフ。奴が指揮を執っている」
「――」
考えないように。考えないように。これまでそうしてきたが、終ぞ限界に至った。
心臓の鼓動が早まり、手のひらに汗が滲む。
「わかった。仇はあたしが取る。安心して」
「……ありがとう、アリシア」
その感謝の言葉を最期に、エギルの意識は遠退いていった。その時、処置室の扉が吹き飛び、突入してきた武装隊員らがアリシアを確認するや否や術式棍を炸裂させた。
圧倒的な制圧力を誇る術式棍の一撃で、彼女は紙くずのように吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。糸の切れた操り人形よろしく膝を屈して、全身を弛緩させて倒れ伏す。
「対象を無力化。制圧完了」
頭の中で鐘が鳴り響いているみたいだった。視界がぼやける。たくさんの足が見えた。その内の一つが自分に歩み寄ってくる。
出来の悪い機械仕掛けの絡繰りになった気分だ。思うように動かない首を何とか持ち上げ、近くの人物を見上げた。
クリスだった。彼は憤慨を全身に漲らせ、怒気を孕んだ声音で静かに言った。
「考え違いをしていたようだ。ドナルドソン、君は異常者だ」
ガベール医師が慌ててエギルの様態を確かめ、点滴を止めて治療を始めていた。看護婦達も慌ただしく動き始め、エギルの救命をに全力を注ぐ。その端で、クリスは吐き捨てた。
「これで彼が死ねば君は殺人犯だ。クビでは済まない、刑務所行きだ」
言われた言葉も理解出来る。だが自分の事は二の次で構わない。上手く呂律が回らない舌で喘ぐように訴えた。
「エギルが、はなした。犯人は、ゴルゴンを使ったテロをけいかくしてる。指揮をとってるのは、元[王国の庭師]バルドゥ・グスタフ。早くひょうてきを絞って」
だがクリスはその懸命な訴えを鼻で笑った。
「パブのオーナーを先ほど逮捕して尋問中だ。君の出番はもう無い。彼女を連れて行け。勾留室に叩き込むんだ!」
隊員たちに両腕を抱えられたアリシアは、引き摺られながら病院から連れ出された。
格子付きの犯罪者を移送する馬車に放り込まれ、手錠を掛けられる。為す術も無く、床に顔を擦りつけながら保安局までの道中を馬車に揺られるのであった。