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魔女アリシアと秘密警察  作者: 虹江とんぼ
5/19

魔女アリシアと秘密警察 (4)

分割しました。

ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18

 何から何まで不審な人物が寂れた街の一角に立っていた。

 黒のトレンチコートに新調したばかりのぴかぴかの革靴、フェルト製の中折れ帽、そして輸入品のサングラスを掛けて、両手には花束を抱えている。

 その人物はとある住宅の裏手にある塀に身を寄せて、じっと時が来るのを待っていた。

 待っている……のだが、その出で立ちには不釣り合いな挙動をみせている。

 しきりに周囲を見回し「はわわわ」「どうして私が」「神様」「ぐすん」と嘆いている。

 たまに通りかかる街の住人たちもその人物を不審がるものの、面倒事はゴメンだとばかりに足早に去っていく。

 マフィア風のコーディネイトを施された彼女は空を見上げ、何事も起きませんようにと祈るのだった。


 三度のノック。暫く待っても返事は無い。

 住宅からは微かに人の声が聞こえるので、留守ではないようだが。

 もう一度ノック。いくら待っても返事はない。

 戸を叩くのを諦めたディンゴがアリシアを見上げて肩を竦めた。

 高級な釣り竿でも入っていそうな箱を小脇に抱えたアリシアはため息をつく。

 そして彼女は、ディンゴの時とは比べものにならない大きな音を立てて玄関を叩く。叩くだけでは飽きたらず足まで出る始末だ。この戸に恨みでもあるのかといった風情である。

 すると、屋内から重そうな足音が近づいてくるのがわかり、二人は玄関アプローチを一歩下がる。

 扉が勢いよく開かれると、太鼓のような腹をした厳つい巨漢が現れた。

「うるせぇんだよ! なんだてめぇら!」

 がなり立てる男を前にしても、アリシアは眉一つ動かさずに平静を保った。

「国家保安局の者だ。家主に話しがあるからここを通しなさい」

「国家ほあんだぁ? なんだそりゃ」

 アリシアは肩すかしを食らった気分だった。てっきり、もっと警戒されるものだと思っていたのだが、この男は保安局の名すらしらないらしい。

「ディンゴ、どういうことよ?」

「いや、これはしょうがない。大して世に出るような活躍も無いし、人も少ないからな。ウチは地味なの。縁の下の力持ちって言うだろ?」

 目を泳がせながらばつが悪そうにディンゴが答えた。

 公権の威光を振りかざし、ビシッと決めてみたかったアリシアは出鼻を挫かれて少し残念だった。気を取り直し、立ち塞がる肉ダルマに再び向き直る。

「秘密警察だ。そこを通せ。カウス・ボランニに話しがある」

 アリシアの高圧的な態度と、警察という単語に男は反応して、一瞬だけ窮するように表情を強ばらせるが、すぐに取り繕って不敵な笑みを貼り付けた。

「残念だったな、お巡りさん。生憎ボスは留守だよ。ここを通すわけにはいかねぇ。それに、令状はあるのかい? それが無くちゃダメなんだろ? ルールは守らないとナァ?」

 こういった事は度々あるのだろう。贅肉だけではなく、余計な知識まで身につけている。

 アリシアはポケットから小さな紙袋を取り出して、家の中へと放り込んでやる。すると、紙袋からは白い粉がまき散らされて床へと広がった。その行為に男だけではなく、ディンゴまで呆気にとられる。いったい何をしているんだ、と。

「何その白い粉は。あんたのポケットから落ちたわ。調べさせてもらう」

 そう言うや否や、アリシアは男と扉の隙間に身体を滑り込ませ、中へと入り込む。

「おい、何を言って――待て、勝手に入るんじゃねえよ! それでも警察か!」

 男が慌てて引き留めようとしてアリシアの肩を掴んだ。その手に対し、落ちてきた毛虫でも見るような嫌悪感を露わにする。

 彼女は抱えていた箱を落とすと、男の正面に身体を寄せて手を引きはがす。今度は逆に男の腕を取ると、身体を密着させ、体幹の軸を意識しながら腰を落とし――彼を背負い上げて正面に投げ落としたのだった。

「公務執行妨害だ。逮捕する」

 男を拘束しながらポケットから折りたたまれた紙を取り出す。その紙には独特の文様が描かれている。術式陣――広義には魔法陣とも呼ばれるそれは、魔術を行使する際の詠唱の代替や、力を増す為に用いられる代物だ。そして彼女の物はそれを更に簡略化させた自作の一品――〈簡易術式陣〉である。

 アリシアはそれを床に置き、男の両手を術式陣の紙切れに押しつけた。

 効果のほどは瞬時に現れる。仰向けに倒れた男は起き上がろうと必死に藻掻くのだが、術式陣の魔術によって床に腕が張り付き、振りほどく事が出来ないでいた。

 そこへ、一番近い部屋から黒髪の若者が現れた。酒瓶を片手に酷く眠たそうにしている。

「うるせえぞ、誰か来たのか?」

「サツだ! ボスに報せろ!」

 拘束されていた男の叫びと、アリシア達に気づくのはほぼ同時だった。

 ギョッとした若者は酒瓶を取り落とすと、葛折りの階段を駆上がりながら銃で発砲してきた。

「銃火器規制法違反および殺人未遂」

 アリシアは伏せながら巨漢の男を盾にして、持参してきた箱の蓋を外した。そこには銃身を切り詰め、銃床を短く取り回しを改善したソードオフモデルのレバー式ショットガン収められていた。

 玄関口で身を隠していたディンゴは、それを見て嘆くように叫んだ。

「こういう荒事は俺の仕事じゃないんだけどなぁッ!」

「気分転換は必要でしょ! アゲていくわ!」

 階段の欄干から身を乗り出して銃撃を加えてくる若者にアリシアも反撃する。

 爆音と共に大粒の散弾が飛び散り、若者の上半身をズタズタに引き裂く。悲鳴を上げる間も無く、血をまき散らしながら欄干から落ちてしまった。

 この時点で、既に家中の者たちが招かれざる客の存在に気づいたことだろう。

「刺激しないで慎重に行くってのはもう無理ね」

「思ってもないこと言わない方がいいぜ、ほんと。変に期待して落胆するだけだ」

「情報通りならカウスの私室は二階のはず。下の制圧は任せる」

 そう言うや否や、アリシアは階段を駆上がり、途中で出くわした男に至近距離で発砲。崩れ落ちる身体を掴み、欄干から投げ落として先へと進んだ。

 

 再び血まみれの人間が降ってきて、ディンゴは顔を顰めた。

「俺の仕事はデスクワークなの! 簡単に言うんじゃねえよイノシシ女!」

 悪態をつきながらも、退くに退けないと状況だ。ディンゴは〈簡易術式杖〉を構えると、リビングへ侵入した。

 そこは意外と奥行きがあり、隣室とも繋がっていた。誰もいない事を確認して、奥へ進もうとした矢先、扉からぬっと拳銃が突き出されて火を噴いた。

 ディンゴは慌ててソファーの陰に飛び込んだ。次々と銃声が鳴り響き、窓ガラスや調度品が破壊されていく。さすがに肝を冷やしたディンゴだったが、やられてばかりではない。

 術式杖をソファーの上から出して、先端を相手に向ける。

「くらいやがれ!」

 マナのエネルギーが術式杖の先から、青白い閃光を伴い噴出し、まるで粉雪のような射線が描かれた。エネルギーの塊となったマナは相手が隠れる壁際ごと貫いて、短い悲鳴が上がった。

「やったか!?」と思わず声を上げて、様子を確認しに行くと、男がキッチンの収納に頭から突っ込んでいるのを見つけた。

「やってた! ははは! 俺もやれば出来るじゃねえか!」

 普段から現場とは縁遠い役割を担っている為、実戦はこれが初めてだ。その成果を見たディンゴは感情が高ぶり、興奮を隠せなかった。

 しかし、本格的な戦闘訓練など受けていない分析官である身。死角にもう一人の男がいるという事に彼は気づけなかった。静かに拳銃の銃口を小さなゴブリンに合わせる男は、凶悪な笑みを浮かべて引き金を絞り込む。

 だが、銃声は外からやって来た。

 台所の勝手口に穴が開いたかと思えば、凄まじい銃声と共に土砂降りのように攻め寄せる銃弾。勝手口を巻き込んで男が挽肉にされていく。不思議な踊りを踊らされながら壊れてく人間を目の当たりにして呆然とするディンゴ。男が膝を突いて倒れ伏すかという所へ、また銃弾が襲いかかる。

 結果、もはや人間とは呼べない肉の塊が散らかっているという凄惨な光景が残された。

 どんな精神構造をしていれば、これほど残忍な行いが出来るというのか。

 その張本人が、バラバラに砕け散った勝手口を踏みしめながら入ってきた。

 手にはドラムマガジンが取り付けられた短機関銃が握られており、今も銃口から硝煙が立ち昇っている。その行為を相まって持ち主も凶悪そのもの。マフィアと寸分違わない――と思ったが、よく見ればガクガクと全身を震わせているではないか。

 そして、その人物は格好に似合わないふにゃふにゃした声で挨拶をしてくる。

「はわわわわ……ご、ごめんくださぁい……」

 

 階段はこの家には一つしかない。ここを封鎖すれば、カウス・ボランニは袋の鼠だ。

 事前情報が確かであれば、この先に目標である彼の私室があるはず。三階は狭く、物置であることから今は除外する。

 カウスを殺してしまっては意味が無いので、写真で確かめた生意気な顔を思い浮かべていると、前方の扉の表面が弾けた。

 同時に銃弾がアリシアの顔を掠って通り過ぎ、肝を冷やす間も無く床に飛び伏せる。立て続けに襲い来る銃弾をやり過ごすと、穴の開いた扉から何者かが正面に立っているのが見て取れた。拳銃弾である事を察し、攻撃が止んだ瞬間に扉へと走る。

 銃撃は八発。現在流通している拳銃の最大装填数は八発。つまり今は再装填中だ。

 扉を蹴破ると、前に立っていた人物ごと押し倒した。

「ぶはっ――」

 金髪の青年ではあるものの、カウスではなかった。痛みと恐怖に歪むその顔が命乞いをする前に、散弾をぶちまけて手早く処理してしまう。

「この糞ヤロウ!」という怒声と共に、男が廊下から走り込んできた。振りかぶるその手には角材が握られている。それでもアリシアは焦る事無く、取り回しの良い小型のショットガンを手中で回転させ、片手で薬室にショットシェルを送り込んだ。

 発砲。

 自ら接近した男の胸部には、密集した大粒のペレットが押し寄せ人体に大穴を穿った。文字通り、魂の抜けた顔を最期に男は床に倒れ伏す。

 階下でも銃声が止み、ボランニ邸は静かになった。

 アリシアが次の部屋を調べようとして、ドアノブに手を掛けた瞬間に声が聞こえた。

「ま、待て待て待て! 待ってくれ! 殺すな! 抵抗しない! だから殺すな!」

 抵抗の意思は無いらしいが、用心してゆっくりと戸を少しだけ開き、残りを足で押し開ける。それと同時にショットガンを構えて室内のクリアリングを行なった。

 そこには、顔面蒼白の金髪男が居た。

 上半身裸の状態で両手を挙げ、ソファーに身を隠している。カウス・ボランニだ。

 その両脇には、半獣人の女が二人。どちらもウサギを紀元に持つらしい長い耳が確認できる。彼女達はあられもない姿でカウスに侍り、怯えている様子だった。

「カウス・ボランニでいいのね」

「ああ、ああそうだよ。あんた誰だ……どこの組織だ? いったい何の用だよ?」

「国家保安局だ。ボランニ、あなたに聞きたいことがある。出てきて床に伏せなさい。そこの娼婦、部外者ならとっとと出て行きなさい。仕事は終わりよ」

 有無言わさぬアリシアの命令に彼らは恐る恐る従った。

 カウスを床に這いつくばらせるると、両手を後頭部に、そして足を組ませた。完全なホールドアップ状態にすると、女達も手早く身支度を調えてそそくさと部屋を出て行く。

 そしてアリシアの横を一人が通り過ぎようとした時であった。

 カウスの視線が一瞬持ち上がり、彼女に目配せをした。

 それを合図に、娼婦の一人が腕に抱えた外套からナイフを取り出し、アリシアの背中へと振り下ろした。これを見たカウスの表情が邪悪な笑みに歪む。

 凶刃に突かれ、苦痛に歪んだところを体当たりしてこの女を殺し窮地を脱する。

 カウスはそう目論むのだが、卓越した魔術師という異質な人間が如何に用心深いのか、彼は知らなかったし、見通すことも出来なかった。

 ナイフがアリシアの肉を引き裂く寸前、彼女の影が揺れる。

 黒い影の中から、まるで間欠泉のように噴出する黒の濁流。それは狼だった。人間の胸元にまで迫る身丈を持った巨狼である。

 ナイフを突き刺そうとした女は、その大きすぎる凶悪な顎によって腕ごと食い千切られて押し倒された。

「えッ――、ぁあ――」

 血しぶきをまき散らしながら、悲痛な叫び声を上げる女。

 喘ぎ、苦しみながらのたうち回る女に対し、巨浪は一切の慈悲など持ち合わせてはない。獲物を横取りされないように女の肩に食らい付くと、猛然と彼女を引き摺りながら部屋から出て行った。じきに、助けを求める悲鳴も聞こえなくなった。

 居合わせたもう一人の娼婦はあまりの恐怖に気絶し、カウスも唖然とするばかり。

 アリシアはといえば、身動き一つしていなかった。

「今のはお前の使い魔か?」

 ディンゴとヘイリーが部屋に駆け込んできて訊ねてくる。

「ハティよ。人見知りすることもあるけど、新聞を持ってこれる可愛い子なの」

「そうかい。確かに憎めない顔をしてた。次からは鎖に繋いでおいてくれ」

 事ここに至り、ディンゴもある程度のことでは動じなくなっていたが、マフィアと見紛う姿のヘイリーは、廊下に顔を出して様子を覗ったりと少し怯えている。

「さて、これで静かに話しが出来るわね」


 カウスはソファーに腰を掛け、両手を組んで項垂れていた。

 彼は刑の執行を待つ諦めの悪い死刑囚のように落ち着きが無く、貧乏揺すりを繰り返す。「カウス・ボランニ。あなたは最近密入国の手助けをしたわね。積荷を教えて欲しいの」

「隠すと為にならねえからな。生きて商売を続けたきゃ、嘘なんざつかないこった」

 情報が転がっていないかと、家捜しする片手間にアリシアとディンゴが問いかける。

 遠慮無く物色する彼らは、棚の本を床にぶちまけたり、机の引き出しを丸ごと引き抜いてはひっくり返して放置する。どこか真剣味に欠ける彼らの態度を補う役を担っているのがヘイリーだった。

「そうです! 嘘は許しません! 蜂の巣ですよ!」

 調子づいていたヘイリーはカウスに短機関銃を向けていた。彼の挙動に一々ビクつきながら監視している。クシャミひとつでもしてみせば、驚きのあまり引き金を引きかねない危うさが彼女はにはあり、色々な意味で脅威だった。

 観念するしかないカウスは重い口をようやく開いた。

「やったよ、二週間くらい前に。ガリアの港から十六人ばかし客を運んでロンデニオンに降ろした。でもそれだけだぜ? 後の事は知らないし、そいつ等が何者かなんて知らない。こっちも知りたくない。当たり前だろ? やっかい事を抱え込まないようにする為さ。

でもあんたらが来た。良い迷惑だよ……」

 ウンザリだ、とこぼしてカウスは自棄な態度でソファーに仰け反る。

 俺は何も悪くないといった風情で、太々しい余裕を見せつけてくれた。だが、身体全体の力を抜いているように見えて、両手はガッシリと組まれたままだ。その手が何かを押しとどめる栓であるかのように感じた。揺さぶりを掛ける必要があるようだ。

「[血盟旅団]を知っているわね。あんた達をコキ使っていた麻薬組織よ。その客がどう[血盟旅団]と関係しているのか白状しなさい」

「だから、客の事は何もしらないって言ってんだろ!」

「[血盟旅団]を知らないの?」

「いや、それは、知ってる」

「今も組織としての交流は? 敵対していたり」

「ねーよ」

「あんた達[イグラド]も麻薬を捌いているそうじゃない。本家の旅団は何も言ってこないわけ? 交流が無いなら上納金を納めているわけじゃないんでしょ。商売敵になったあんた達に、あの麻薬組織がお目こぼしをしてくれているの?」

「知らねえよ。連中の考えていることなんざ知ったこっちゃないね」

「良いものを見つけた」

 アリシアは棚に置かれていた葉巻のケースから、注射器と三本のアンプルを発見した。

 透明な容器のアンプルに満たされていたのは淡い緑の液体――霊薬ポーションだ。

「わ、わわ! それって凄く高いやつでは?」

 思わずサングラスをズラしたヘイリーは、しげしげと幻想的に揺らめく霊薬を物珍しげに観察した。

「そりゃオズワルド製薬の軍用ポーションだ。アンプル一本で、新世主義国の自動車が買えるぜ。ただ、傷の治癒と引き替えに相当体力を奪われる。疲労時に使うと、怪我が治ったのにご臨終なんてことがあるからな。しっかし、悪いことすると相当儲かるみたないだな、えぇ? 大将」

 注釈を加えつつ、ディンゴはカウスが腰掛けるソファーを小突いた。

「なぁお巡りさん? それくれてやるから帰ってくれないか? そこの棚にも金が入ってるからよ。そいつも持って行ってくれて良い。もう勘弁してくれよ」

 背もたれに腕をかけてカウスは慣れ慣れしく吐き捨てる。これが交渉材料になるとでも思ったのだろうか。だとしたら心外だ。でもくれるというなら貰っておく。

 そしてアリシアは閃いた。

 カウスの正面に移動するや否や、彼の右膝をショットガンで撃ち抜いた。

 何の脈絡もない唐突過ぎる出来事に、その場の誰もが思考停止に陥る。撃たれたカウスも、皮一枚で辛うじて繋がる膝から吹き出した血を見るまで、自覚出来なかった。

「ひ、あ、ああ……あし、脚がぁあああ――ッ!」

 絶叫が屋内に響き渡る。血をまき散らしながら暴れ、そのたびに宙ぶらりんの膝は振り乱れる。

「カウス・ボランニ。お前達はまだ[血盟旅団]と交流を持っている。麻薬売買のお目こぼしを受ける対価はなに? 旅団構成員の入出国に手を貸しているんじゃないの? 武器の受け渡しは? 連中の潜伏先は? 知っている名前の奴は居た?」

 淡々と質問だけを続けるアリシアだが、カウスはそれどころではない。床に転がり落ちて、痛みに泣き喚いている。

「あ、脚ィッ! 俺の、おれの、あしがぁ……あぁ」

 昔、羽虫の翅を毟って飛べなくしたことがある。自由に空を飛び回っていた虫から空を奪い、地面を這いずり回る姿を見て何を感じていただろう。その脚を千切り、小刻みに震えるように動く姿を見て、何を思っていただろうか。

 征服感を感じたいのか。嗜虐心を満たしたかったのか。違う。これは一つの工程だ。

 『こうするようにと教わり、そうするようになった』だけの、作業工程でしかない。

 弾切れになったショットガンの銃身を持つと、銃床でカウスの顔を殴り付けた。

「質問に答えろ! [血盟旅団]とまだ繋がっているな? 何をこの国に招き入れた! 

いま連中はどこに居る。知っている事を全て話せ。ポーションならまだ助かる可能性がある。完全治癒が見込めるのは負傷から十五分。お前の命の時間だ!」

 アリシアは暴れるカウスの頭を掴んで床に押しつけながら馬乗りになる。それから泣く子をあやすように、彼の耳元で優しく声をかけた。

「カウス。あたしは、あなたを殺しに来たわけじゃない。仕事をしなければならないの。仕事が終らないと帰れないの。あなたがここで意地を張っても、苦しむのはあなただけ。カウス話して。あなたがここで命を落としても、匿ってる連中が感謝することはないわ」

 脂汗を浮かべながら怯えるカウスは、震える唇をゆっくりと動かした。

「はなす、話すから、脚を元通りにしてくれ……」

「あなたに交渉する権利は無い。いま、話すの」

 涙と血で顔をぐしゃぐしゃにしたカウスは、震える声で答えた。

「旅団の幹部と、仲間を入国させた。連中、国の出入りと、隠れ家の確保と、武器の調達で役に立てば、麻薬の売買をさせてやっても良いって、金もくれるって、そう言うから。いい話だと思った。だから……」

「連中はどうしてこの国に来たの?」

「質問は、するなって言われてる」

「その隠れ家は?」

「ケンジット地区。レイサムとの境目にあるローグ広場の近くに、テリーって商社がある。その裏にあるボロアパート……」

「ディンゴ」

 急に呼ばれてディンゴはハッとした。今まで目の前で行なわれている事の迫力に圧倒されて息を呑んで見守っていたのだ。そして名を呼ばれた意味を瞬時に解し、〈灰の書〉を取り出した。保安局が使用している次元書庫へと繋がると、前もって自分たちが目をつけていた[血盟旅団]のアジトと相違ないかを確認した。

「ああ、合ってる。その場所だ」

「あなたの言っている事は正しい。信用する。最後の質問よ。入国させた幹部に関して教えなさい。幹部だってわかるんだから、何か知っているんでしょ? 顔とか名前、その他の特徴を教えて」

 カウスの目は虚になっていた。下半身の付近は血溜まりが出来て、いよいよ危険な域に達し始めている。

「右目に傷のある男。名前は――わからない。でもそいつは、バルドゥと呼ばれてた」

「――」

 気が遠くなっていく。周囲の音が掻き消え、深層心理から語りかけてくる声――。


『それでいい。人間はそうやって扱うのさ。気に病むなよ。人生は放り投げるものだ。

 自分以外のことなんて気にするな。みんな敵だ。気にするなよ、ブランカ――』


 臓腑からこみ上げてくる吐き気に、アリシアは立ち上がって口元を押さえた。

 彼女の急変にディンゴとヘイリーも当惑する。

「アリシアさん? 大丈夫ですか?」

「問題無い。問題無いわ」

 どうにか自身の変調を取り繕いながら、アリシアは霊薬のアンプルを手にした。アンプルの頭を折ってから、淡い緑の液体をカウスの負傷した膝にかけてやる。

 変化は直ぐに起こった。出血した血液がまるで生き物のようにうねり、カウスの膝へと集まり体内へ戻っていく。それだけではなく、千切れかかった膝の筋繊維や細胞の一つ一つが生を受けたように蠢いて、元の状態に戻ろうと復元されていく。

 そして、その治癒の対価として、凄まじい痛みがカウスを襲った。

「うぐっ、あ、アァアアア――ッ!」

 修復された膝一帯からからは蒸気が立ち昇り、神経が繋がると脳が焼けるような痛みにカウスは絶叫し、気絶した。


 夕暮れに染まるロンデニオンの一画を、馬車で揺られていた。

 この時間帯も通りは賑わいをみせていた。仕事終わりの労働者や会社員たちが行き交い、露天商などはかき入れ時だとばかりに声を張り上げる。所帯持ちで帰路に着く者もあれば、行きつけのパブやクラブで一杯やっていこうとする者たちも居る。ガス灯に火が入ると、ピクシーたちが灯りを囲んで手を繋ぎ、楽しげに舞踊る様子がそこかしこで見られた。

 結局のところ、半日をかけた命令違反の捜査で得られたものは、海の物とも山の物ともわからない情報と、ポーションだけである。

 これでは見ようによってはただの強盗であった。

 不毛に終った嫌いのある捜査結果に、車内の空気も重い。

 強引に連れ出されたディンゴとヘイリーが暗鬱な気分なのはもっともであるし、アリシア自身も大口を叩いて連れ出した手前、ばつが悪い。責任を追及したりしない彼らの寛容さには素直に感謝していた。だがそれゆえに、無言という重圧を感じていた。

 この空気をどうしたものかと焦る思いとは反対に、カウス・ボランニから得られた情報にある『バルドゥ』という人物が気がかりであった。

 端的に言えば、その名を自分は知っていた。しかし、存在しているはずの無い男だ。

 流石に死人がテロの片棒を担ぐことなんて出来ない。

 でも、もしかすると……。

「何かやってますね」

 車窓から外を眺めていたヘイリーが呟いた。

 反射的に視線を外へ向けると、大広場に多くの種族が入り乱れて作業を行なっていた。

 そこは目抜き通りの終点であり、始点でもある『大ロンデニオン特別区』のど真ん中。

 聖オルゴン広場だ。

 都会の中心部に、嫌がらせのように敷地を占領している石畳の広場である。正方形にくり貫かれた敷地には、高名な芸術家の作品であるモニュメントや一つの石から削りだしたベンチが設けられ、市民の憩いの場でもある。この広場には〈ゴルゴンⅡ〉も設置されており、街の伝統行事や重要な式典もこの場で執り行なわれていた。

 日も沈みかけているというのに、聖オルゴン広場には未だ多くの人だかりがあるのはどういうことだろう。よく見れば、力持ちのドワーフを筆頭に、多くの者たちが演壇の骨組み作業に従事していた。天幕には灯りがともり、野外炊飯も始まっている。

「何かあるの? お祭り?」

 というアリシアの問いかけに、ディンゴは眉間に皺を寄せて記憶を手繰る。

「ええと、なんだったかなぁ。ああ、そうだそうだ。アルビオンとフェアリランドの民間交流二百周年記念式典が明日ここであるらしい。何でも、フェアリランドからはエルフを含めた使節団が来るってんで、この国の妖精連中は意気込んでるんだろう。エルフは代々フェアリランドの『妖精会議』で意思決定を担ってきた部族だが、国外に出る事は稀だ。明日の式典の後には、ブレイコット首相と会談。そして一緒に王都に向うらしい。明後日には、記者連中を集めて何やら協同声明を発表するって話しだ」

 そう、と気が抜けるような生返事でアリシアは返した。

 誘拐事件とは連想できそうにない。それに、そろそろ命令違反の言い訳を考えなければならない頃合いだ。何かしら明確な成果があれば御の字だったが、今の手札はブタである。

 着任初日にクビになるのは本望ではないし、出来れば減給も避けたいところだ。なにか大事なことを考えていた途中だった気もするが、気づけば馬車は保安局に着いていた。

 

 馬車を降りてからの三人は、保安局を前に二の足を踏んでいる。

 各自、言い訳考案中の思案顔である。その様子に警備員が困惑していることなど気にも留めなかったが、アリシアは別の視線に気づいていた。局前の建物に挟まれた路地に、こちらの様子を覗うように視線を向けてくる男が居た。

 男はこちらの視線に気づいたのか、何気なく取り出したタバコに火をつけて、人気の無い路地の奥へと去っていく。

「今日はもう帰っちゃいましょうか」とヘイリー。

「バカ言ってんじゃねえ。なるようにしかならねぇよ。行くぞ」

 ディンゴの言葉に押されて彼女は渋々足を進めた。アリシアも、見えなくなった男の存在に後ろ髪を引かれる思いで彼らに続く。

 六課の大部屋に帰ってくると、奇妙な雰囲気が充満していた。

 慌ただしく意見を重ねる分析官たちを余所に、これが仕事だと言わんばかりにタバコやコーヒーを口にする不機嫌そうな捜査官たち。

 いったい何があったのか。温度差の激しい室内に戸惑い入室を躊躇っていると、背後からクリスがやってきた。

 一番会いたくないのに会っちまった、とディンゴは顔を背ける。ヘイリーはあわあわと胸の前で手を組み命乞いでもしているみたいだ。アリシアはこの期に及んでもまだ言い訳を考えていた。

 クリスはそんな珍奇な三人組を一瞥すると「ご苦労、定時だ」とだけ言い残し部屋に入っていった。

 叱責させるとばかり思っていた為、彼の反応には肩すかしを食らった気分だ。

 しかしその意味をよくよく考えて見ると、それは自分たちに全く注目していなかったということの裏返しで、彼の様子からして命令違反にも気づいていない。

 これに対して憤りを隠せなかったのはディンゴである。

「なんだよ! 居ても居なくても同じだってのかよ!」

 これほどまでに屈辱的な戦力外通知はあるまい。怒りにまかせてディンゴは壁を蹴りつけていた。自分としては、注目されていない方が動きやすいので歓迎する所であるが、鈍くさいヘイリーまでもが視線を落としている姿を見て、少し心が痛む。二人がこれまで受けてきた扱いを、少しは知ることができた。

「ようお前ら。帰ってたのか」

 続いてやって来たのは、トト・フーゴ・トロン捜査官だった。

「何を探ってるのか知らないけどよ、あんまり下手なことやらない方がいいぜ、ディンゴ。そっちの新入りもな。いま連中、気が立ってるからよ」

 彼の言葉にディンゴは一瞥をくれてやるだけだったが、幾分表情が和らいでいた。トトは自分たちが無断外出していたことに気づいていたのだろう。それでいて、クリスに報告することも無かったようだ。友好的な笑顔を見せるトトは、見た目通りの大雑把で気の良い人物なのかもしれない。だが彼の口ぶりが気になる。

「捜査に進展があったの?」

「ああ。[血盟旅団]のアジトを強制捜査したのさ。課長の指示でな」

 その一言にディンゴは驚く。

「課長が? 今の今までクリスの野郎に投げっぱなしだったのに、よくそんな判断が下せたもんだな」

「何か思うところがあったのか、上から突かれてめぼしいネタに飛びついたのか。クリスは不満そうだったな。とにかく、旅団のアジトに突入チームを連れて向ったんだ。そうしたら奴ら、爆弾で自爆しやがった。それで構成員三人が死んで、外に居た一人を確保した」

 死にかけたぜ、と戯けるトト。

 話しを聞いて、一人確保出来たなら及第点と思えた。だが、それでは六課のあの様子は何だろう。誘拐事件に関わりがあれば、更に捜査を展開できるだろうし、無関係であれば振り出しに戻るが、地道な捜査を始めているはずである。

 なぜ、六課は動いていないのか。

「取り調べの結果は?」

 トトは頭を掻いてから、苦々しく口を開く。

「旅団の仲間だってのは、状況からして見張り番をしていたし、奴らが組織に入る際に彫る『髑髏と蛇』のタトゥーが腕にあるからほぼ確定なんだ。儀式みたないもんさ。だが、そっから先が進まない。旅団のガキを連行したは良いが、その後すぐに弁護士が来やがったんだよ」

「弁護士だぁ?」

 ディンゴの素っ頓狂な声が廊下に響き渡る。

「そうなるだろ? タイミングが良すぎるんだよ。奴らの仲間がどこからか見ていて、弁護士を寄越したのかもしれない。お陰様で、こっちが何か質問する度に口を挟みやがって人権だ尊い権利だとのと喚き立てやがる。それに、状況証拠だけでは組織の仲間であるという証拠にはならないし、組織に関わっていたとしても、犯罪を犯した証拠はないってんで、不当逮捕だと言って来やがった。現行犯じゃないもんだから何も言い返せない。だから仕方なく、爆発が起きた際に現場に居合わせたそいつから事情聴取するって流れに切り替えた。だがガキはガキで「黙秘します」としか口を開きやがらない。弁護士も梃子でも動かないつもりらしくてな、こっちはお手上げってわけ」

 腸が煮えくり返るような憤りを通り越し、トトを含めた捜査官たちは途方に暮れていたのだ。元々、誘拐事件に関するヒントが少なかっただけに、手探りの捜査が求められている。それをこんな所で躓いてしまっては、士気も落ち込んでしまうのだろう。

「ところで、構成員の中に顔に傷ある男はいなかった?」

「顔に傷? どうだろうな。連行した奴は違うし、死んだ三人は焼けちまってわかるかどうか。それが、どうかしたのか?」

「気にすんな。俺たちも闇雲に探ってるだけだよ」

「そうか。まあ、こんなところじゃアレだ。中入ろうぜ」

 そう言って六課へに入っていくトトたちだが、アリシアは別方向へと足を進めていた。

それに気付いたヘイリーが「アリシアさん?」と声を掛ける。

「お花を摘みに行ってくるわ」

 朗らかな笑顔でそれだけ告げると、廊下の奥へと向った。

 角を曲り、奥へと進むにつれて人気が減って静かになる。トイレはとっくに過ぎていた。廊下の先にある取り調べ室の前には警備員が一人。中には[血盟旅団]構成員の一人と、弁護士が居るのだろう。

 弁護士が来るまでに至るトトの話しを思い起こす。

 組織の仲間が襲撃から様子を見ていて、一人が捕えられたことを知り、弁護士を寄越したのではないかと。だが疑問がある。

 普通、武装集団を率いた強制捜査があったとしたら、それはロンデニオン市警と考えないだろうか。ディンゴが[イグラド]のアジトで言っていたように、保安局は若い組織だ。

 捜査機関に対して敏感な犯罪組織にすら認知されていない公権力。しかも装備や備品などには保安局を示す物は無く、市警の物を流用している。しかし弁護士は構成員を連行した直後、この保安局へと現れたという。

 これは保安局が強制捜査を行ない、犯人を確保することを事前に察知していたと考えられないか。であれば、それを知りうるのは、保安局内部に居る者ということになる。

 局内のスパイが行動を起こしているのかもしれない。だとしたらこれは好機だ。敵は尻尾を出した。自らの思惑通りに事が運ぶ様子を見てほくそ笑んでいるに違いない。

 現実感が希薄なるのを感じた。

 自分という個人が遠退いていき、音を立てて別の何かに切り替わる。

 巨大な意志の歯車の一つとして駆動し、自己の保身が消失する。

 役割を完遂する為の行動に制限は無く、イレギュラーはここで作用しなければならない。


∴ ∴

 六課の現場指揮官に割り当てられた個室で、クリスは先の捜査で行なわれた作戦の報告書をまとめていた。タイプライターを打ち込む音だけが響く中、戸を叩く音が混じる。

「どうぞ」返事をすると、レインが中に入ってきた。

「例の調査が終りました」

「ああ、ありがとう。手間を掛けさせた」

 レインはクリスの傍へと歩み寄り、持ってきた魔法紙を差し出す。それと同時に、少し申し訳なさそうな困り顔をしてみせる。男に媚びを売る女の態度に近い物だが、これは純粋な好意からくるものだった。

 渡された魔法紙を見ることもなく、クリスは立ち上がると彼女の腰を抱いて引き寄せた。

「忙しいところをすまないね。君にはその、頼り切りだ」

「気にしないでください。『他の女』のことでも、命令にはちゃんと従いますから」

「手厳しいな。埋め合わせはちゃんとするよ」

 二人の唇が軽く触れ合うくらいのキスを交わすと、レインは微笑んだ。まだこうしていたいという名残惜しさを引き摺るように、クリスは視線を魔法紙に移す。

 そこには、アリシアの写真が載っており、彼女に関する詳細な情報が羅列されている。

「アリシア・ドナルドソンについて様々な角度から情報を洗ってみたのですが、元陸軍付の魔術アドバイザーという経歴に矛盾はありません。知り得ていた物と異なるのは、陸軍で軍務に就き、一度辞めた後に再び着任していたことくらいです。ただ、課長の方に降りていたプロフィールには無い記録を民間のデータベースから発見しました」

「王立ホーガス精神病院?」

 記載されている情報を読み進めていくごとに、クリスの眉間の皺が深くなっていく。

「そうです。彼女は一度目の陸軍任官から退役後、半年近くホーガス精神病院に強制入院。鉄格子付きの『保護室』で拘束されていました。そこで彼女は精神疾患と麻薬依存症の治療を受けていたようです。症状が軽くなったあとは閉鎖病棟に移され、投薬治療と牧師による心のケアを続けていましたが、他の患者への暴力行為や自傷行為、自殺未遂が後を絶たなかった為に再び保護室へ。四ヶ月ほど閉鎖病棟と保護室を行き来した後、開放病棟へ移されました。その後病状は安定し、一度の自殺未遂を取り押さえられた事を除けば、回復向ったようです。しかし、担当医の診断ではもう一年様子を見る予定が、政府関係者の来訪に伴い、一ヵ月後に退院しています。多少の空白期間がありますが、自主的に休養していたのかと」

「それで、その状態で陸軍に戻ったと?」

 その事実を知ったクリスは口元を歪め、笑うに笑えないという表情になる。

「素人の意見ですが、このような過去の人物を保安局に置くのは非常に危険ではないかと」

「詳しい話しを聞かなければならないようだ。本人の口から」

 二人は個室から出ると、オフィスの面々を見渡した。

 アリシアがこの場に居ない事を確認して、彼女とチームを組ませているディンゴに目を止めた。トトと雑談中の間に割っては入り、クリスは険しい表情でディンゴに訊ねる。

「ディンゴ、ドナルドソンはどこに居る?」

 話しの途中に割って入られたことに対する不満と、クリスに話しかけられたことに対する煩わしさも相まって、ディンゴはあからさまにそっぽを向いた。

「何よその態度は。仕事どころかコミュニケーションすら出来ないの? これだからゴブリンは嫌なのよ。この国の文化に適応出来ないなら〝祖国〟へ帰ったらどうなの」

 棘が有るというだけでは収まりそうにない種族差別を含んだ挑発に「この女ッ」と食って掛かろうとするディンゴ。そんな彼の肩を掴んで、トトが宥めた。

「まあまあ、二人とも落ち着けよ。あの新入りを捜してんのか? だったらトイレに行ったとか聞いたぜ。そういや行ってから結構経つな……」

「そうか。戻ってきたら話しがあると伝えておいてくれ」

 その時だった。取調室で少年と一緒に居る筈の弁護士が慌てた様子で飛び込んできた。

「捜査官! 捜査官は何処にいる!」

 その場に居合わせた全員が彼に注目し、嘲笑的な苦笑を浮かべていた。何しろこの場の大半は捜査官なのだ。それに、自分たちの捜査を妨害している弁護士が慌てふためいている様子は見ていて滑稽だった。

 弁護士は息せき切らせて、睨み付けるように面々を見渡すと、クリスを見るや肩で風を切って迫ってきた。

「オーブ捜査官! あの少年が消えた! 警備員も倒れていて……少しトイレに立ったその隙に――」

 話しの途中でクリスは既に走り出していた。

「手の空いている者は来い!」

 飛ばされた檄に、手持ちぶさたにしていた捜査官達が一斉に席を立って彼に続く。

 ただ事ではないと、職員達の間に緊張が走る。

 駆けつけた取調室の前には、気を失っている警備員と、彼を介抱していた職員が居た。

 職員はクリスがやって来た事に気付き「気絶しているだけです」と報告する。

 取調室の中は特に荒らされた形跡もなく整然としていた。少年自身が犯行に及んだが、彼に敵意を抱かせずに接触することが出来た人物による犯行だ。

 この状況を目の当たりにしたトトが苛立たしげに壁を殴りつけた。

「クソッ! 今日はなんて日だ。アホどもの自爆に巻き込まれるわ弁護士はくるわ。おまけに重要参考人には逃げられただぁ? 最悪の気分だぜ」

「いや」

 渋面を浮かべ、静かな怒りを湛えたクリスの脳内では、レインの報告書の内容が駆け巡っていた。

「全館封鎖! 出入り口は限られている。重要参考人の少年はまだ館内に居る筈だ。セキュリティ班を叩き起こして探し出せ!」

 クリスの号令に捜査官たちが一斉に散っていった。その光景を端から見ていたディンゴは言い知れぬ不安に苛まれる。

「嫌な予感しかない」

「アリシアさんトイレ遅いですねぇ。便秘なのかなぁ」

 ヘイリーは何処までも暢気だった。


 局内の一室。誰にも使われなくなり、物置と化している会議室があった。

 埃塗れでろくに整理もされていない雑然とした小部屋。外から入り込む外灯の明りだけが頼りの部屋で、アリシアは最後の仕上げに取り掛かっていた。

 彼女の右手には、鈍い光で照り返るナックルダスターがあった。鋼鉄の凶器には血がこびり付き、アリシアの手にも血が付着していた。

「騒がしくなってきた。痛いのが嫌なら終わりにしましょう。あなた達の仲間はどこ? まだ居るでしょう。こんな目にあってまで隠すこと?」

 見下ろす先には、床でぐったりと倒れ伏している少年の姿。血の飛沫が辺りにも飛び散っており、過酷な取調べ(・・・)があった事を物語っていた。頬骨は破壊されてブクブク膨れあがり、その上から打ち込まれた鋼鉄による裂傷で血にまみれている。歯は欠けて、目尻も裂かれ、鼻が陥没した所為で息苦しそうに喘いでいた。

 虫の息の少年を蹴り上げて仰向けにすると、その上に跨って腰を降ろした。

 腫れ上がった瞼から涙をこぼして唇を震わせた少年は「もう止めて」と懇願する。

 数時間前も同じ光景を見た気がしたな、とアリシアは遠い過去の事のようにカウスの件を思い出した。

 あれも作業、これも作業。まるでルーチンワークだ。

 彼の腕を取って、腕に刻まれた『骸骨と蛇』のタトゥーを優しく撫でる。

 全身を殴打され、顔面を潰された少年にもやは抵抗する力は無かった。

「さあ、話しなさい。二週間前、この国にお前達の仲間が密入国した。これは既に[イグラド]が吐いた情報よ。あんた達は売られたの。不法入国を働いた連中はどこに居る」

「ロジェークにあるパブだよ。大鷲亭ってところ……」

「そこで何をしている?」

「それは……」

 突如、会議室のドアが誰かに開けられそうになった。

 部屋の外に居たのは少年を捜索中の警備員と捜査官だ。

『鍵が掛かっているぞ』

『そんな、今は物置部屋だった筈ですよ。鍵を取ってきます』

 そのやり取りを聞いた少年は天の助けだとばかりに声を張り上げた。

「助けて! 殺される! 助けて!」

 アリシアは戸を振り返って舌打ちをした。

『今の聞いたか? お前はクリスを呼んでこい! 誰が中にいる、鍵を開けろ!』

 この少年はまだ何か隠している。それが事件をどう左右するか、それはわからない。この状況だけでも組織として大問題だ。自分は捜査から外されるかもしれない。

 しかしここで誘拐との繋がりが少しでも見出せたなら、保安局に潜むスパイの計画に亀裂を入れる事が出来るかもしれない。

 自分は最善(・・)を尽くさなければならない。

 床に転がる鉛筆を見つけるとそれを手に取った。少年の髪を掴んで頭を押さえつけると、鎖骨と首の間にさして鋭くもない鉛筆を強引に突き刺す。

「ガッ、ァ、ァアァアア――」

「早く答えろ! ここで殺すぞ! 連中はそこで何をしている!」

「ぁぁあ……ひぬ……たすけ、て」

「答えろ!」

 突き刺した鉛筆は半ばで砕け、アリシアは狼の如く牙を剥く。このまま喉笛に食らい付こうかという形相だった。鉛筆が突き刺さる首筋からは血がどくどく溢れ出し、鎖骨の窪みに血が溜まっていく。

 部屋の外が騒がしくなり、もう時間が無かった。

「お前は何を知っている! 知っていることを全て話せ!」

 アリシアが指で傷口を押し広げ始めると、少年は悲鳴を上げるように喋り出した。

「手紙だよ! 何度か手紙を持って行って使いをした!」

 少年の本能がこのままでは殺されると悟ったのだ。弁護士の横やりがあり、きっとどうにかなるだろうと考えていたが、この狂った女が法に対する罪悪感を犯罪者ほども持ち合わせていないということがヒシヒシと伝わってくる。これはヤクザの手口だ。

「そこで何をしていた」

「わからないよ! でも、店に誰かを閉じ込めてて、何かの仕事をさせてるってルッツの奴が迷惑がってた。ルッツってのはパブのオーナーだ。あと、近づいたら子供の泣き声が聞こえた。だから借金の形にどこからか連れてきたんだと思って――」

 少年がそこまで話したところで、ドアが吹き飛ばされた。続々と入り口から警備員達が雪崩れ込み、彼らは瞬時に状況を把握すると術式棍をアリシアに振り向けた。

「ドナルドソン捜査官、彼から離れて! ゆっくり壁際に移動して跪くんだ。手は頭の後ろに!」

 アリシアは抵抗の意思は見せず、言われた通りにした。警備員は暴行を受けた少年に衝撃を受けながらも、アリシアのボディチェックを行い、拳銃を没収する。

「オーブ捜査官を呼んで。伝えなければならないことがあるわ」

 アリシアは振り向き、自分に術式棍を突きつけている警備員にそう伝えると、戸口に立っていたクリスが冷ややかな視線で告げてきた。

「それには及ばない。ドナルドソン捜査官。君を捜査から外す。処分が決まるまで自宅で待機していろ」

「情報を手に入れた! 話しを聞いて――」

 立ち上がって訴えようとするが、すぐに警備員に押さえつけられてしまう。

「彼を早く医務室へ。ポーションを使っても構わない。形を整えておくんだ。弁護士にはまだ伝えるなよ、待合室で待たせておけ」

「ですが、ポーションの使用は緊急時でなければ認められていません」

「今が緊急時でなくてなんだというんだ!」

 その一喝に数人の捜査官と警備員たちが、朦朧とした様子の少年を抱きかかえて足早に部屋を出て行く。床に伝っていく血を一瞥して、クリスは蔑みの目で、跪くアリシアを見下ろした。

「君は自分が何をしたのかわかっているのか?」

「良いから聞いて。エギルの居場所を掴んだかもしれないの。ロジェークのパブ大鷲亭。そこに二週間前アルビオンに密入国した[血盟旅団]の一味が匿われている。そのパブでは誰かが監禁されていて、何か作業をさせられている。子供の泣き声も聞こえたと彼は証言した。ローエン親子の可能性が高い。今すぐ向うべきよ」

 呆れたようにクリスは頭を手で撫でつけ、眉間に皺を寄せる。

「我が国では、拷問による自白で得た情報には証拠能力は無いとしている。当然ながら拷問それ自体も禁止されている。それは理解しているな?」

「今はそんな事を言っている場合じゃない!」

「そんな事では済まないから言っている! 君はこの組織全体を危険に晒しているんだ!」「この組織は犯罪者やテロの脅威から国民を護る為にあるはずよ!」

「法を犯す為に我々は組織されたわけではない。法の番人である我々が、秩序を乱していては話しにならん。無法者に法の裁きが用意されているように、君にも当然の罰が下る」 そこへ、トトやディンゴと言った顔なじみとなった同僚達が駆付けてくる。

 彼らはアリシアが取り押さえられている状況や、血まみれとなった会議室の様子を見て目を剥いていた。しかし彼らならば自分の意思を汲み取ってくれるかもしれない。彼女は再びクリスに訴えかける振りをして、ディンゴ達に聞こえるようもう一度、得られた情報を口にした。

「ロジェークのパブ大鷲亭に密入国した[血盟旅団]の一味が居る! そこにエギルたちが監禁されている可能性が高い! 早く突入チームを招集して!」

 だが、アリシアの意図をクリスも少なからず把握していた。視界の端に彼らを捉える。

「ドナルドソン捜査官、問題はこれだけではない。君は薬物依存症と精神疾患で精神病院に入院していたな? さほど昔の話ではない。これは捜査官としての資質が問われる問題だ。経歴を詐称していた自覚はあるか? これが考慮されていれば、君が保安局に配属されるのは不適切だと判断されていただろう」

「――ッ」

 まさかそんな資料が閲覧可能な状態にあった事自体に愕然としてしまう。

 反抗的な態度が鳴りを潜め、悔しさから口をきつく引き結んでしまった。

 この上級捜査官の勝ち誇る涼しい表情がこの上なく憎たらしいが、恨めしく睨み上げることしか出来ない。しかし、何よりも腹立たしいことが、世界一と謳われる諜報機関がそんな基本的な情報操作すら出来ていない事に奥歯を噛み砕いてしまいそうだ。

「それは……もう治ってる」

「とても――とてもそうは思えないな。閉鎖病棟の保護室へ戻れとは言わない。しかしカウンセリングを受けることを勧めるよ。懲戒免職は免れないと思うが、魔術師というバックグラウンドがあれば、公務員い拘る必要もないだろう」

「まあそう言ってやるな、クリス」

 見知った面子には無いしゃがれ声が舞い込み、それに吊られて戸口に目をやった。

 会議室の前に集まった野次馬たちに道を空けられて現れたのは、猫だ。

 正確には、ゴブリンと同程度の背丈で直立二足歩行をする猫――妖精のケットシーだ。そして彼こそ、国家保安局第六課の長である課長のアロゥズである。

 ディンゴと同じく異種族でありながらアルビオン国民となり、人間社会の中から這い上がった古強者。彼は人間のようにスーツを着こなし、小さな革靴を履いて、これまた小さな山高帽を尖り耳の間にちょこんと載せていた。

「お前の言うことはもっともだが、せっかく転がり込んできた貴重な手掛かりだ。使わせて貰おうじゃないか」

 予想してなかったであろう上司の登場にクリスは動揺していた。

「なにをッ、何を言っているんです? これは我々にとってアキレス腱となりかねない問題だ。課長、言動には気をつけてください」

「だから保留だ。判断を遅らせる。その間に、ドナルドソンが手に入れた情報を元に捜査を再開しろ。処分はその後で問題無い。もう放してやれ」

 彼に促された警備員から解放されて、一先ず服装を正してからクリスを一瞥した。怒髪天を突く直前といったところだろう。表情こそ変化は無いがが、なまじ優等生なだけに、正しいはずの意見をはね除けられて屈辱を噛み締めているに違いない。

「ドナルドソン、不問にするわけじゃない。チャンスはやった、結果を出せ」

 戒めのように響くアロゥズの言葉に重苦しい重圧を感じ、緊張感を持って頷いた。

 如何に六課の長と言えども、傍若無人な無法を働く手駒を手元に置いておくことは、クリスの言うように危険で、困難だ。首の皮一枚で繋がっている事を自覚した。

「課長、少しお話しがあります」

 短く言ってその場を後にするクリスにアロゥズは嘆息する。そして、今度はアリシアを見上げて肩を竦めた。

「あいつは頭が固くてな」

 やれやれ、と呟く小さなボスは老猫のようにえっちらおっちら部屋を出て、野次馬を解散させた。

 最後まで残っていたのは凸凹コンビだ。どんな顔をすれば良いのかわからず、アリシアは立ち尽くしたまま沈黙し、気まずい空気が流れていた。

 せっかく打ち解け始めたというのに、過去の恥部を知られて幻滅されたかもしれない。

 その考えを裏付けるように、彼らは戸惑うように口を開くも、何も言うことなく伏し目がちに立ち去っていった。

 もとより人目を気にする気質ではないが、無闇矢鱈に周囲を遠ざける意図を自ら発することはない。でもいつもそうだった。良かれと思って行なった結果に対し、周囲の者から一線を引かれ敬遠される。別に独りを望んでいるわけじゃない。仕事だからしているに過ぎない。命令だから。任務だから。使命だから。そうやって胸の内で暴れる感情のうねりを押さえつけてきたんだ。でももしかすると、本当はやっちゃダメだということに気付いていたこともあったかもしれない。だから自分には、何も残っていないのかもしれない。そうだからこそ、自分には、自分が無いのかもしれない。

 かぶりを振って天井を見上げた。

 仲間が欲しかったわけじゃない。任務を円滑に進めるための駒が必要だっただけだ。

 寂しいわけじゃない。孤独にも、孤立にも、自分は慣れている。

 だから良いんだ。任務さえ遂げれば、後の事は考える必要は無い。それが命令だ。

 だから今は、何も考えたくない。


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