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魔女アリシアと秘密警察  作者: 虹江とんぼ
4/19

魔女アリシアと秘密警察 (3)

分割しました。

ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18

 国家保安局への配属は滞り無く済んだ。

 与えられた身分は表向き、陸軍付の魔術アドバイザー。それ以外は特に用意されず、やる気が感じられない設定だった。世界に冠たる諜報機関[王国の庭師]が聞いて呆れる。何処かに歪みがありそうで、正体がバレないように気をつけなければならない。

 保安局はまだ組織されて日が浅いとはいえ、選りすぐりの人材が集められているに違いない。特にあのクリスとかいう隊長は厄介だ。課長室で初めて会った時から、自分の事を訝しんでいた。信用はされていない。

 捜査機関でもエリート集団である筈の組織に、自分のような若輩者が上からの推薦で配属されたのだ。しかもこれから事件の捜査に乗り出すという時なのだから尚のこと。

 こちら側の目的は事件の解決および、保安局内の除染――つまりはスパイを炙り出すことだが、後者は手掛かりが無い以上は無闇に手を出すわけにはいかない。

 マスタングは二つの課題を出した。すなわち、この事件の裏ではスパイが暗躍していると、彼は言外に告げている――。


 そして目の前には仏頂面のゴブリンと、ふやけた笑顔の女が居るわけだが。

「本当にビックリですよぉ。まさか私たちのチームに新しい人が来てくれるなんて!

私はヘイリー・グレンって言います。ヘイリーって、気軽に呼んでくださいね」

 目を輝かせながらヘイリーの差し出してきた手を握り握手をする。

「ええ、よろしく。そちらは」

「ディンゴ」

 むくれっ面のゴブリンはそう吐き捨てた。

 ずいぶんと無愛想なゴブリンだ、とアリシアは自分を棚上げしながらそう思う。

 捜査にはこのチームで臨まなければならない。ふにゃふにゃした女に、ふて腐れているゴブリン。大丈夫か? と疑問が頭をもたげてくる。。

「ヘイリー、あなたは捜査官でいいのよね?」

「あ、そうですよ! あんまり得意じゃないんですけね。えへへ」

 頬を赤く染めて何故か照れるヘイリー。捜査があまり得意じゃない捜査官とは難題を突きつけてきたものだ。呆れる以前に何故ここに居るんだろう。

 冷めたアリシアとは打って変わり、その発言に憤慨する者がいた。ディンゴである。

 鬼の形相をして彼は椅子から飛び上がると、ヘイリーに跳び蹴りをかました。

 彼女は椅子から転げ落ち、背後に二回転すると、床にぺたんと座り込む。

 「いたたた」と目尻に涙を溜めて頭をさすった。

「アホか! 何を照れてやがるんだ。そんなだから俺たちは他の連中に舐められるんだ! 悔しくないのか? ええ? 大手柄を立てて見返してやりたいとは思わないのかよ!」

 凄まじい剣幕で怒鳴り散らすディンゴを前に、ヘイリーは今にも泣きそうな顔で肩を落とす。長々と続く説教を眺めながら、アリシアは机に腰掛けた。

「みんなを見返したいわけね」

 落ち着いた口調とで訊ねると、彼の怒りの矛先がこちらに向いた。

「ああそうだ。どいつもこいつも気に入らねぇが、特にあの糞ったれの上司と糞生意気な上級分析官殿をな! でももう終わりだ。ろくに捜査もできないアホ眼鏡一人でこの様だってのに、お次はガキのお守りか? トドメはなんだって? 本部待機だぁ? 資料室でどうやって手柄を立てろってんだよ!? 辞めてやらあこんな仕事!」

 不平不満を一気に爆発させると、彼は肩を怒らせてこの場を立ち去ろうとした。

 子供のような動機だと思ったが、この感情的な部分に信用が置ける気がした。ディンゴはスパイではないだろう。直感がそう囁く。

 そして、協力者を増やす事は諜報活動の基本である。

「大手柄を立てれば良いんでしょう?」

 ディンゴの歩みが止まったのを見てから、泣きっ面のヘイリーに手を貸してやる。

 ゴブリンの小さな半身が振り返り、その大きく尖った耳が「続きを言え」と催促する。

「あたしは他の連中が持ってない情報源を持ってる。それを提供できるわ。あたしだってバカじゃない。歳の所為か女の所為か、信頼されていない空気は伝わってきてる。だから手柄を立てて認めて貰いたいっていうのは、あなたと同じ。それに資料を見たけど、あなた、分析官兼、魔導技術士だそうね。それもロンデニオン大学魔導工学部を首席で卒業している。誰にでも出来ることじゃない」

 まず彼には自分が仲間であることを認識させ、打ち解ける必要がある。

 ヘイリーは押しに弱そうだから後に回すとして、ディンゴは懐柔の必要性が認められる。

 価値観を共有し、考えに共感し、成果を評価し、結果を期待する。

「いえ、違うわね。おべんちゃらは止める。あたしが評価される為にも、あなたが必要。戦略的パートナーシップってやつ」

 一度持ち上げた上で、こちらの本心を明かし、裏も表もさらけ出す。共に利用し合えるという利点を売り込むのだ。

 効果の程はと言えば、獲物は釣り針をうっかり呑み込んだ魚のような顔をしている。目をまん丸にして、表情が和らぐ事を頑なに拒むように口を窄めていた。

 ディンゴは徐々に目を泳がせ始め、気難しい頑固親父みたいな表情で口を開いた。

「だけど俺たちは本部で待機だ。他の連中には邪魔者扱いされる。無能と厄介者はいらないんだ。出勤して、資料室の整理をして、五時に帰る。ジジイが死んでからは……」

 すると、後ろでやり取りを見守って居たヘイリーもおずおず口を出す。

「そ、そうですよ。私たちだけじゃあ……ドルトンさんが居てくれたら口利きをしてくれたかもですけど」

 二人の反応を見てアリシアは意外に思った。ヘイリーは兎も角、ディンゴはもっと反骨精神の塊だという印象を抱いていた。だが、上司の命令には絶対服従する組織人のようだ。 ならば、と懐柔工作を早々に切り上げる。

「今更なにを弱気になってるの? セクハラで死んだ捜査官を偲んでいる暇はない。人の命が懸ってる。不平不満があるなら全部蹴飛ばして結果を突きつけてやればいいのよ。憤怒している暇があるなら奮起しろってね」

 テーブルクロスを乱雑に引き抜き、食器を床にぶちまける強引さで吐き捨てると、アリシアは彼らの背中を押して歩き出す。

「おい、なんだよっ、どこに行く気だ」

「ど、どうしたんですか? アリシアさん? 資料室は反対の扉から――」

 それぞれの戸惑いを口に出すも、気にする事無く戸口へ押しやっていく。

「陰でしみったれながら泣き寝入りなんて冗談じゃない。高給取りの秘密警察さまが、毎日資料室で時間を潰しているだけだなんて国民対する裏切り行為だわ! そんなことで仕事をした気になってるから、魔術師手当が廃止になるのよ!」


 通勤ラッシュの時間帯は過ぎたが、それでも首都の中心地は依然として賑やかだ。

 背格好も異なれば種族もバラバラな雑踏を尻目に、アリシアたちは揺れる箱馬車の車内に居た。

 四人乗りの箱で、アリシアが馬車の後方に陣取り、凸凹コンビを前に見据える格好だ。

だが当の二人は顔色が悪く、苦々しい表情を浮かべていた。

「あーあ……終った。厄介払いの口実にされる」

「そうですよぉ。外出許可も無しに単独捜査するなんて、絶対大目玉です……」

 口々に後悔の念を吐露している。二人がこう言うのも、国家保安局は国の安全保障に携わる重要な情報を取り扱う権限を有しており、機密保持が厳格であるが故だ。それを退け、二人の現状に対する不満を利用して、甘言と強引さで押し切った。保安局本館の裏手にあるゴミ置き場から、脚立を使って塀を乗り越えてきたのである。

 機密云々という点に関しては、アリシアからすれば笑い種だ。既に内通者に浸透され、自分のような内偵までも潜伏した時点で笑止千万なのだから。

 まだ組織されて三年だが、もう三年ともとれる。岐路に立たされる年になるだろう。

 来年には解体されているかもしれない。だから二人の憂慮にはあまり関心が無かった。

 面と向って「お前らの生活なんて知らん」とは言えないが、慰めになる大義ならばある。

「手柄を立てれば、免罪符くらいにはなる」

 凸凹コンビは互いに顔を見合わせると、諦念混じりのため息をついた。その様子にアリシアは心の中で首肯する。人生諦めが肝心だ。

「しかしお前、尖っているとは思ってたけどよ、ここまでとは思わなかった」

 悔しそうに顔をひん曲げたディンゴが、非難がましく言ってきた。

「あんな飼育小屋みたいな場所で餌だけ与えられて生かされるの、嫌でしょう」

 アリシアの言葉を良く噛んで呑み込むような間の後に「それもそうか」と彼は諦めた。

「お前はどうするよ、丸めがね。ここまで来たら俺はやるぞ」

 隣に座るヘイリーに目をやってディンゴは訊ねた。

 身長差があるので必然的に彼が見上げる形になるが、まるで大型犬を前にした子犬の様に気弱な女捜査官は身を竦ませる。

 ここまで来ても意思が固まらず「そのぉ」「でもぉ」と言い淀む彼女は、助けを求めるように視線を彷徨わせるが、甘い言葉を掛けてくれる者はここには居ない。

 ぐずぐずと煮え切らない態度のヘイリーを無感情な目でに見つめていたアリシアは、何を思ったか唐突に彼女の胸を両手で鷲掴みにして揉みしだき始めた。

「えっ――や、ちょっと、何するんですかぁ!?」

「気にしないで。好きでやってることだから」

「尚のこと気にしますよぉっ!」

 突然目の前で始まった乱痴気な光景にディンゴも狼狽を隠せない。

「意外と有るわ。着痩せするタイプなのね」

 という報告を受けたディンゴは唖然としながらも、気を取り戻した。

「そいつは上から90―58―84だ」

「なんで知ってるんですか!? ていうか放してくださいっ! ヒィッ、痛い、痛いです! もうっ、やりますよ! やりますからもう止めて――ッ!」

 散々弄ばれたヘイリーが悲痛な叫び声を上げて、アリシアはようやく手を放した。

 ディンゴの「お前やるじゃないか」とでも言いたげに口の端を吊り上げて意味深な笑みを向けてくる。懐柔に向け計算された突飛な行動、というように受け取られたらしい。

 実際には、単に未練がましいヘイリーの態度にむしゃくしゃしてやっただけなのだが、結果オーライだ。

「さあ、心が一つにまとまったところで仕事の話しをしましょう」

「まとまった? まあ良いけどよ。ところで、この馬車はどこへ向ってるんだ」

 彼らの乗る馬車は、ロンデニオンの中心であるゼベートフ街の目抜き通りを北へ進み、十字路を右折して、東部にあるレイサム地区へと入っていた。

 ここまで来ると、流行に敏感でカラフルな町並みのゼベートフとは趣が異なり、落ち着いた雰囲気に包まれている。この辺りはアルビオンに古くから伝わる伝統工芸や特産品、個人経営の食品店などが軒を連ねており、昔ながらの木造建築なども残るロンデニオンの下町だ。

「蛇の道は蛇」

 活気があるレイサムの通りを車窓から眺めながめつつアリシアは答えた。

「それがお前の情報源ってやつか。なるほどね、お利口さんの多い六課じゃなかなか取れない方法だ。トトならわからんが」

「今回の事件ではわかっている事が少なすぎる。犯人、目的、勢力、そのどれもが不明瞭。住宅街のど真ん中でありながら犯人の目撃情報もない。ロンデニオン市警なら強盗殺人で未解決事件として処理されたはずよ。だから情報を集めるためには同業者に聞くのが手っ取り早い」

「なんの話しです?」

 ケロッとそんな事を口走るヘイリーに、別の疑問符が頭に浮かんでくる。

「ディンゴ、ヘイリーはなんで保安局に入れたの? 分析官としての能力を駆使して納得のいく説明をしてちょうだい」

「正直、本気でわからん。気づいたら当たり前のように居座ってやがった。あえて理由を付けるとしたら、官民一体となって女性の社会的な地位向上のための広告塔だろう。ちゃんとやってますよアピールなんじゃないだろうか。こいつもアホみたいな眼鏡を外せば、ちっとは見られるからな。でなきゃとっくにクビさ」

 二人の辛辣なコメントにも関わらず、当の本人は暢気にふんふん頷く。

「本末転倒ってやつですね?」

 愚弄されたことに気づいていないのか、はたまた自虐的になっているのか。朗らかな笑顔で答えるヘイリーは恐らく前者に違いない。

 言い知れない不安に襲われ、二人は閉口するしかなかった。


 商店街の中ほどへ差し掛かったあたりで、アリシアは馬車の天井をノックした。

 合図に気づいた御者は馬車を路肩に寄せ、馬を嘶かせながら停車させる。

 御者にアルビオンの通貨である一万カーク紙幣を握らせて、少し待っているようにと頼んだあと、凸凹コンビを引き連れて雑踏に乗り出した。

 道なりに少し進むと、帽子の専門店と貸本屋の間にある屋根付の掲示板を見つける。

 掲示板にはレイサムの簡単な地図と、魔法紙が貼り付けてあった。

 この魔法紙は警察が管理している物で、指名手配犯の人相や罪状が記されている。

 そして一定の間隔を経て、別の指名手配犯の顔と罪状に切り替わっていく。

「便利になったものね。少し前は魔術師の専売特許だったのに、もう広まってる」

 魔法紙を触りながら呟いていると、ディンゴが地図で現在地を確かめながら何の気無しに答えた。

「そういう魔法紙だったり、外灯に混じって監視用の水晶を設置したりってな。長期的に見てコストと手間がかからず一元管理できるのが画期的だったんだ。技術ってのは一つ壁を乗り越えると、一気に社会が様変わりしちまう。だがこういうのは、宝石をぶら下げておくようなもんさ。悪いことを考える奴からすりゃ、リンゴか何かをもぎ取るような感覚で盗むんだ。技術に社会が追いつかねぇのよ。つーかお前さん、どこの田舎から出てきたんだ? 二、三年前からあっただろうが」

「魔術師には、色々あんのよ」

 魔術師手当に縋って自堕落に暮らしていた、なんて堂々と言えるほど面の皮は厚くない。それに、この時点でどうしようもない人間だと思われてしまうのは捜査の弊害になる。

 決して自尊心を守りたいわけではなく、チームには信頼が大事だからだ。

 嘘も方便なんだ。

「色々ねぇ。色々。お、そろそろ昼か……腹減ってきたな」

 話題が逸れたことを喜ばしく思っていると、手持ちぶさたに辺りを見回していたヘイリーがディンゴのぼやきを拾い上げた。

「じゃあちょっとお昼にしましょっか! ほら、あそこの露店でピクシーの揚物が売ってますよ。田舎から出てきた頃は、あんなもの食べられるか! って思ってたんですけど、結構癖になっちゃうんですよね」

 えへへ、と笑みを絶やさないヘイリーが言った通り、禿げ上がった頭と黒髭を生やした恰幅の良い店主が露店で調理を行なっていた。

 店頭には人形らしき物体が幾つも束ねられて吊されているが、言うまでも無くピクシーだ。頭部と羽を切り落とし、血抜きをして内蔵を抜いてある。処理したピクシーは、卵と小麦粉を混ぜた衣に付けたあと、熱々のラード油でギトギトになるまで揚げる。

 それにフライドポテトを添えれば、ロンデニオン名物『ピクシー揚げ』の完成だ。

 調理前は食指が動く物ではないが、油で揚げた後であれば何の肉かはわからない。

 人型をしながらピクシーたちが何故こんな目に遭っているのか。それは、人と妖精の双方に害をもたらす害獣だからだ。いくら駆除しても、どこからともなく現れては悪さを働く。おまけに脳みそが無く、どうやって行動しているのかも謎だった。

 昔、人権団体がピクシーの保護を訴えて活動していた事もあるが、その団体の集会場がピクシーの火遊びで火事になり、半数以上が焼死する事件があった。それ以来、ピクシーを人や妖精と同列に扱う者は少なくなり、彼らは悪事の権化と化している。

 そのような世間の逆風が吹き荒れる中、アリシアは少数派の一人だ。

 同棲相手に逃げらると同時に、金品や家具まで盗まれて落ち込んでいた時期があった。そんな折、窓の隙間から現れたピクシーだけが話しを聞いてくれたのだ。

 彼ないし彼女は、ある日どこからか持ってきた水タバコ一式をプレゼントしてくれて、辛い記憶を紛らわせる手伝いをしてくれた。それがアヘンであると知ったのは、街中で発狂し、銃を乱射して逮捕された後のことだ。

 だからアリシアはピクシーを口にしないようにしている。もしかしたらその友達かもしれないから。

「あたしはパス。早く用事を済ませたいわ」

「そういうこった。飯は後回し」

「あぅ」

 ヘイリーが残念そうに肩を落とすも、三人は再び移動を開始した。

 木箱やゴミが散乱する小路を抜けて、商店街の裏手へと回る。古びた建物に挟まれ蛇行する路地が北へと伸びていた。これより先は貧困街となっているのだ。

 閑散とした狭く埃っぽい街角に、とある工芸品店があった。

 ドルシェ工芸と書かれた看板が掲げられている。塗装は剥げ、文字が擦れている様子を見る限り、随分と長い間そこにあったことが窺える。

 ここか? と視線を送るディンゴにアリシアは首肯した。

 店頭の陳列窓の中には埃が積もり、ガラクタが放置されていた。アリシアを除く二人が、本当に人が住んでいるのかと疑問を浮かべる程の静けさ。周囲の町並みも相まって、退廃的な雰囲気にヘイリーは怯えている様子だった。

 ともあれ、先に進む。


 ノックも無しに店内へと踏み入ると、入店を報せる鈴が小さく鳴った。

 店の中は外観とは裏腹に、隅々まで掃除が行き届いており、テーブルや棚には商品の小物類が陳列されていた。精巧に作られたアルビオンの伝統的な家屋のミニチュアが幾つも置かれ、その他にはガラスの人形だったり、巧妙な装飾が施された食器類が上品に並べてあった。

 内と外の圧倒的な差に、ヘイリーは目を輝かせて歓喜の声を上げる。

「すごい! なんです? なんですかここ? すっごい可愛い! こんな寂れた街外れにこんな素敵なお店があるなんて知りませんでしたよ!」

 あははうふふと、今にも踊り出しかねないテンションで物色を始めた。

 だが彼女は唐突に「ぶほッ」という色気のない声で身体をくの字に曲げた。何かと思って目をやれば、ヘイリーは背丈の半分ほどにある物体にもたれ掛かっている。

「あいたたた……なんですこれ? マネキン?」

 と、よくよく見ると、彼女がぶつかったそれは成人の鳩尾ほどの背丈しかない人形らしきもので、独特の形をしていた。小さい背丈に、威容に広い肩幅。全体的に正方形のようなガッシリした身体つきで、厳つい面構えには黒髪と、豊かな口ひげが生えていた。

 そして、その手が「にゅうっ」とヘイリーの胸を掴んで彼女を押しのけ、しゃがれた声を発しだ。

「気に入って貰えたようで嬉しいね。お嬢さん」

「しゃ、しゃべった! というかまた胸を!? ヒィッ、痴漢! 痴漢ですぅう! だれか警察をーッ!」

 彼女がぶつかった物。

 それは置物でもマネキンでもなく、歴とした人型妖精のドワーフであった。

「失礼なことを言いなさんな。あんたが押しつけてきたんだろう」

 両手をバタつかせて動揺するヘイリーとは対照的に、ドワーフはどっしりと構え落ち着いた態度でじっくり彼女の乳房を両手で吟味していた。

「ドルシュ、そこまでにしなさい。彼女は警察よ。お縄につきたくなければ離れなさい」

 ドルシュと呼ばれたドワーフは、その声を聞いた途端に胸への興味が吹き飛んだ。慌てて彼女を押しのけると、アリシアを視界に捉える。

「お前……病院にぶち込まれたんじゃなかったのか?」

 自分の眉間に一瞬だけ皺が寄ったことを自覚する。用意されている経歴に精神病院で軟禁されていた事実は記載されていない。情報のスペシャリストである分析官のディンゴは、案の定そこに疑問を抱く。

「病院?」

 下手な弁解は却って高くつく。敢えてディンゴを無視して、早々に目的を遂行する。

「お陰様で今は警察をやってるわ。そのあたしがここへ来た理由、わかるわね? 仕事を長く続けたいなら協力しなさい」

 あからさまな脅し文句で、無駄話をする空気を一掃した。

 ドルシュは状況を呑み込もうと珍客達をじっくりと観察していく。胸を守るように両腕を掻き抱くヘイリーと、思案顔のディンゴ。視線が再びアリシアへと戻ってきた時には、瞳孔に不安の色が付加されいた。

「今日は店じまいだな」


 ドルシュが店を閉めた後、彼は紅茶を淹れて一息ついていた。

 毛深く大きなその手が、小さなカップをつまんでいる光景はなんともミスマッチだった。彼の手にする白亜のカップに、流麗な花の絵柄が描かれているのだから尚更だ。

 背は低いが筋骨隆々で、手先が器用なのがドワーフという種族の特徴だ。物作りに関して彼らの右に出る種族は居ない。それこそ、巧妙な陶器から大聖堂までこなす職人集団だ。

 これらのティーセットや店内の小物類も、彼が手ずから生み出したものだ。

 しかしドルシュの仕事はこの寂れた街角で、誰も来そうにない工芸品店を営む事ではなかった。

「で、何が欲しいんだ?」

 先ほど見せた不安の色はもう見られない。

「まずは情報が欲しい。ここ数週間の間に主立った動きのあった犯罪者、組織。あとは、国際麻薬組織[血盟旅団]の情報と、それに関係のある連中の情報を――深浅を問わず」

「そうさなぁ、少し待て」

 豊かな顎髭を撫でながら唸ったドルシェは席を外し、店の奥へと消えていく。

 彼の足音が遠ざかるのを待つように、ディンゴが口を開く。

「[血盟旅団]っていやあトトが拾って来たネタだろ? 誘拐された先生との接点に心当たりでもあるのか?」

「別に。特にないわ。ただ、今日の報告で疑わしいとして名前が挙がったからよ。あたしだって保安局をバカにしちゃいない。優秀な連中が揃っているというところも、折り込んで動いてる」

「ふむ。まあ『優秀な』ってところは、お前の目に狂いはないぜ」

 スカした笑みせるディンゴ。相当な自信があるらしい。ただ、ヘイリーまでもが誇らしげに丸めがねのブリッヂを押し上げ、澄ました顔をしている事には合点がいかない。

「それはそうと、あの親父は本当に信用できるのか? 今頃おれたちがここへ来たことを誰かに密告したりしてないだろうな」

「心配性ね。ドルシェはお上に逆らった同業者がどうなったか知っている。警察であればお縄につくだけで済むでしょうけど、王室機関群みたいな連中を手玉に取ろうとすれば、自分の腸で首を巻かれて橋から吊されるわ」

「庭師の連中がやることだ。ぞっとしないね」

 ややあって、ドルシュが開封済みの封書を手に戻ってきた。それを受け取り、中身を検めてみる。書かれてある内容は食器の発注リストで、数字の羅列が記載されていた。

「そいつは今月[イグラド]から届いた発注書だ。元は街のチンピラで、麻薬売買の下請けをしていたギャングさ。それが最近は、大陸からの独自ルートを開拓して独立。それに伴って密航事業も始めたようでな。今じゃ手下に新世主義国の武器を配ってマフィアを気取ってる」

 アリシアは手紙をディンゴに渡し、検分させる。

 分析官の本領発揮といった所だ。

「こりゃあ、武器の発注を暗号化してるわけだな。クスリの取引に使う暗号と大して変らいみたいだ。ティーカップにソーサー、ケーキスタンドねぇ。茶葉に茶漉し……知ってる言葉使えば良い訳じゃないんだがね。ま、随分とお上品な連中らしい」

 ディンゴの推測をドルシェは肯定する。

「その通り。お前さんも、ゴブリンの割には頭が切れるようだな」

「こんな仕事してるドワーフに言われたかないね」

 二人とも人間界に在って特異な仕事に就いている妖精同士、何か共感するものがあるのかもしれない。

 アリシアは「それで」と続きを促す。

「俺が把握している限りじゃ、この数週間で目立った動きを見せたのはこの[イグラド]だけだ。二週間前に密入国の手助けをして、ローム河で客を降ろした。奴らのたまり場はリンドン地区の港にある廃れた倉庫街。それと[血盟旅団]だが、連中が顎で使っていたところが、まさに[イグラド]ってわけだ。関連性はあるが、旅団の連中からすりゃあ今は商売敵のはずだ。まだ付き合いがあるという話しも聞かない。俺がわかるのはこのくらいだな。中の事情まではそうそう踏み込めん」

 これでおしまい、と言いたげに野太い腕を広げるドルシェ。

 [血盟旅団]に近づくことは出来たかもしれない。だが、これがあくまで既存情報を補足するものに過ぎず、有益な情報になるのかは加工を待たなければならない。本筋であるエギルの消息を辿れているのかは、わからなかった。

「地下室を開けて」

 そのアリシアの一言だけで、ドルシェは貴族に使える下男のように、何も言わず三人を地下室へと案内した。真っ暗な地下にランプが点されると、赤煉瓦で覆われた室内が明らかとなる。

 壁際の棚には、新世主義国の大小さまざまな銃火器所狭しと並べられ、床に積み上げられている木箱からは、銃弾が溢れていた。

 アリシアは真っ先に棚へと歩み寄り、銃火器を漁り始めた。

 それら無認可の山を見たディンゴは上機嫌な口笛を吹き鳴らす。

「はは、こりゃあ凄い。こいつは見たお巡りさんはどうしたらいいのかね」

 仮にも警察組織に属している時分、大物を釣り上げる為とは言え、これを見逃さなくてはならない事に対し、良心の呵責に苛まれる。そんな気持ちも意に介さず、黙々と小銃を弄り回すアリシア。彼女を眺めながら、ディンゴはドルシェの小脇を肘で突いた。

「あんた、なんだってあんな嬢ちゃんに良いように使われてるんだ? 警察だってのはわかるが、まだ二十歳のぺーぺーだろ? おまるでお姫様の従者かなんかだぜ」

「お前、あいつとは日が浅いのか?」

「今日会ったばかりだよ」

 顎髭を揉んで「なるほど」と呟くドルシェ。彼は眉を下げて苦々しい笑みを向けてきた。

「あれは狼の血筋だ。恩恵に与るには、序列を守らなければならない」

「どういうこったい?」

「そのうちわかるさ。終ったら声を掛けてくれ」

 ドルシェはそう言い残すと地下室から出て行った。

 意味深な言葉が後を引き、ディンゴは首を傾げるしかなかった。


「ところで……どうして私たちはこんな所に居るんです?」

 銃の取り回し具合を確かめていたアリシアが、あっけらかんと答える。

「カチコミに行くの――ううん[イグラド]に話しを聞きに行くのよ。裏社会といってもそれほど広くない。関わりが無くとも、何か情報を持っているかも知れないから。でも心配しないでいいわ。あなたが危惧していることにはならないから」

 アリシアは二脚付きの軽機関銃をテーブルの上に設置して、仮想敵に照準を合わせながらそう言うのだから、ヘイリーの顔は青ざめていく。

「あの、アリシアさんって、魔術師さんなんですよね? 一般的にその種の方々って、ガチガチの神秘主義者で、銃とか毛嫌いしそうなのに。抵抗はないんですか?」

「俺も知りたいね。特にその背広の内側から浮き出てる得物のこととか」

 ディンゴの指摘に「えっ」と驚きの声を上げるヘイリー。

 アリシアはうっすらと笑みを浮かべると、軽機関銃を銃架へ戻した。

「目聡いわね」

 隠している意味も感じられない。

 アリシアはスーツのボタンを外すと、その中を開いてみせた。鳶色のスーツと同系色のベストと白いシャツが晒され、それらを締め付けるようにショルダーホルスターが顕わとなった。左脇のホルスターにはアステルス産の自動拳銃、右脇には二つの予備弾倉が収められ、さらにズボンのベルトにも弾倉が留めてあった。

「アルビオンの捜査機関に支給されている携行武器は基本的に〈簡易術式杖〉だ。魔術師であろうがなかろうが。何だか異質過ぎて不安になるね。お前、本当に魔術師なのか?」

 指揮棒ほどの術式杖を腰から引き抜いたディンゴは、手中でクルクルと器用に回してみせながらアリシアにそれを向けてみせる。だが――それを上回る速さでアリシアは拳銃を引き抜き、照準をゴブリンの小さな身体に合わせた。

 その時の彼女の視線に気圧され、ディンゴの矮躯に怖気が走る。

 見つめてくる赤黒いの双眸からは一切の温もりが消え失せ、洗練された兵士の如く銃を構える姿からは一分の隙も窺えない。機械化された無機質な殺気だけだが、彼を見据え、『捕捉』していた。

 唐突に訪れた緊張にヘイリーがあたふたして両者の間で揺れ動く。

「銃は術式杖よりも即応性、連続性、コストパフォーマンスで優れている。制圧力こそ劣っているものの、これらの利点で優位に立てる。だからアルビオンに於いても、軍隊で採用されているのは銃なの。間抜けにも目の前で呪文を唱える阿呆が居たなら、こいつで眉間をぶち抜いてやれば良い。魔術師も紋切り型のままじゃ生きていけない。今の世界に適応する為の進化が求められている時代なの。歓迎はされていないけど」

 おわかりいただけた? とアリシアは安全装置を上げて銃を仕舞った。

 とんだやぶ蛇に冷や汗をかく羽目になったディンゴは、のどに詰った物を嚥下して、ぎこちなく術式杖をベルトに差し込んだ。

「なるほど……良く、わかった。頼りにさせてもらう」

「光栄だわ」

 緊張状態から解放されたディンゴとヘイリーはほっと安堵した。そんな二人の心情を汲み取ることもなく、アリシアは「それはそうと」と、ディンゴが肩に掛けている鞄に目をやった。

「[イグラド]に関する詳細を知りたい。[王国の庭師]が使っている固定魔術のことは知ってるわね? 《千年図書館》から情報を抜いて貰いたいの。出来る?」

 その要請とは裏腹に、微笑みを貼り付けたアリシアの表情は「お前に出来るのかな?」という含意が込められているかのようで、ディンゴはそのように受け取った。

「バカにすんな」

 彼は徐に鞄から百科事典や法典を彷彿とさせる、分厚い書物を取り出した。

 つや消しが施された黒く上品な装丁の本。

 それは〈灰の書〉と呼ばれる量産型の魔導書だった。

 〈灰の書〉をテーブルの上に置いてディンゴは椅子の上に立ち、付属している羽ペンの羽で表紙を撫でる。

 すると〈灰の書〉の留め具が外れて表紙が開き、強風に煽られたかのようにページが捲られていく。ばたつく紙面からは、アルビノ文字がこちら側の三次元世界へと飛び出し、ディンゴの周囲を取り囲んでいく。

「情報を抜き出せ。なんて簡単に言ってくれたが、《千年図書館》は最高機密の次元書庫だ。アクセス権限を持たない奴が閲覧出来るような書庫じゃない。強引に押し入れば、反射結界が不法侵入者に対して呪術を送り返して排除する」

「本来であれば」

 もったいぶるディンゴに、腕組みをしながら見つめるアリシアが付け足した。

「そう、本来であれば。こいつに架空の身分を突っ込んでから、『生け贄』を用意して『眠り羊』を十匹ほど走らせる」

 ディンゴは羽で宙空をかき回し、空間を漂う文字を巻き込むように一所へと集めた。

 文字が地球儀のような球体になるまでそれを続けると、その球体を弾いてみせる。

 すると球体から剥がれた文字が、手のひら程の大きさをした山羊に変化した。その山羊は〈灰の書〉の上で膝を折って座り込む。次に同様の作業を繰り返して、今度は羊を作りだし、最終的に十匹の小さな羊が創出された。

 一匹の山羊を中心にして、十匹の羊が回り出す。

 怪しげな光を放つ〈灰の書〉が作り出す不思議空間に、アリシアは感心しながらその作業を見つめていた。

 やがて、白紙のページに文字が浮かび上がる。下部にある氏名の記入欄に、ディンゴが偽名を書き込むと、次第にページが歪み始める。文字が混濁していき、紙面全体が黒に染まった。重油溜まりのように黒い水面がそこに生まれ、波紋を生じさせていた。

 次の瞬間、その黒い水面下から歪で禍々しい悪魔の腕が突き上がった。

 その腕によって、中心に据えられていた生け贄の山羊が呆気なく握り潰されてしまった。

 腕がインク壺のようなページの中へと戻っていくと、瞼を開くように、二つの眼球が浮かび上がる。外に居る者を見定めようとするように、ギョロリと眼が蠢き、宙を駆け回る小さな羊を捉えた。

 眼球は羊たちを追い始めて視線を忙しなく動かしていき、終いには目を回してしまう。

「ほい、仕上げだ」

 ディンゴは羽ペンで羊を本の中へと追いやると、羊たちは黒い水面の中へと次々飛び込んでいく。全ての羊を投入し終えると、彼は両面の黒いページを破りとって丸めてしまう。ゴミのように宙へと放った途端、破り取ったページは瞬時に燃焼して灰となった。

「なかなか面白いだろ?〈千年図書館〉を護る結界の悪魔をおちょくったのさ」

 長い鼻を更に伸ばして自慢気に語るが、アリシアはそれに釘を刺す。

「それは良いから。どうなの、入れた?」

「せっかちなやつだ。出来たよ、ほれこの通り」

 ディンゴが白紙のページに触れると、《千年図書館》と銘打った文字が出現した。

「資料を閲覧。検索対象――[イグラド]」

 音声による指示を受け、〈灰の書〉は再び自動で捲られていく。そして該当項目を発見すると、タグにイグラドが含まれる調査報告書の詳細の数々が現れ、白紙のページを埋めていく。五〇ページほどの報告書が〈灰の書〉に転写されたのだった。

「ええと、観察開始は三六一五年からの五年間。リーダーはカウス・ボランニ。男性。

二七歳。思ったより若いな。ドルシュが言っていた通り、リンドンにある古い倉庫街が連中のたまり場になってるようだ。少し離れて、隣接するシーラ街にカウスの寝床がある。倉庫街に溜ってるのは雑魚ばかりで、こいつは専ら自宅で過ごしてるらしい」

 該当のページを破り、手渡されたアリシアもその内容を吟味していく。

「しかしなんだ、ここまで詳細がわかっていながら、逮捕に踏み切らない庭師の連中はなんなのかね」

「悪党は悪党で固まってもらった方が捜すの楽なんでしょ。とりわけ、国内の諜報活動に従事している部署『王の耳』は、捜査はするけど逮捕はしない。犯罪者たちの情報を新聞のスクラップみたいに切り取って仕舞っておくの。いつでもどこでも『聞き耳』を立ててる気味の悪い集団よ」

「呆れるね。本当に公機関かよ」

 資料に目を通し、シーラ街の様子が映った写真に目を止める。

 全体的にバラック街のようだが、補修されずに放置されている古びたアパートやタウンハウスが見て取れる。そのスラム化した街の中に、真新しい白の建物が一軒だけあった。

 そこがカウス・ボランニの住居らしい。

 本人のご尊顔も確認出来た。短く刈り込んだ金髪に、悪童らしくやんちゃな顔立ちをしている。第三者の協力に応じるタイプとは思えないが、人を見た目で判断してはいけない。

 それに、喋る口があれば事足りるのだ。


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