魔女アリシアと秘密警察 余幕
分割しました。
ご不便ご迷惑おかけいたします。2016/10/18
余幕
落ち着いた雰囲気の店だ。
照明を極力落とし、各テーブルと壁際にある燭台の蝋燭によって厳かな空気が作り出されていた。店内に設置してある小さなステージでは、楽団がローテンポな曲を奏で、客を視覚、聴覚、味覚で愉しませようとしている。
ここはケットシーが経営するホテル[ボーカーズ]一階のレストランだ。凝った店の趣向や、セレス地方の料理を出すことで有名となり、価格も中流階級が手を出しやすいということから、ロンデニオンで一躍有名になった人気の店だ。
テーブルに点る蝋燭の明かりに照らさる中、二人の男女が向かい合っていた。
スカートスーツ姿の彼女は自分の前に出された香辛料たっぷりの肉料理に手もつけず、対面する男を見据えていた。男と言うと、多少差し支えがあるかもしれない。この場合はオスと表現するべきだろうか。
視線の先には、皿の上に山と積まれた牧草を噛む一頭のヒツジがいる。
シルクハットを被り、蝶ネクタイを巻いて、紺の燕尾服を羽織る奇怪な動物。彼はヒツジの分際で椅子の上に座り、両の前足をテーブルに載せ、汚れた蹄をこちらに投げ出していた。家畜臭い空間この上ないが、誰も咎めようとしない。いくら大衆化を進める人気レストランであっても、それなりのドレスコードが必要とされるのは当然で、毛玉と糞尿を好き勝手まき散らす家畜なんて論外だ。
「おや、食べないのかい?」
声はするがヒツジの口は依然草をかみ続けている。口と声が同期しない事に違和感を覚えながらも、首を横に振った。
「もう夕飯は済ませましたので」
端的に断るも、相手は気分を害した素振りもない。それどころか、今度はグラスに注がれた赤ワインに口をつけようという腹らしく、右の前脚でグラスを引き寄せると、彼は細長い顔から舌を伸ばす。犬猫がやるようにワインを舐め取り、満足して顔を離せばグラスを倒して中身をぶちまけてしまう。転がるグラスは床に落ちて盛大に音を立てるが、やはり誰も気にしなかった。
頭がおかしくなりそうな空間に辟易としたが、一応このヒツジ――マスタングは取引先の上役ということもあるので口を出すことは憚られた。
「そろそろ本題に移ろうか、ヘイリー」
「なんでしょう」
ヘイリーはクリーム色の髪を直し、居住いを正す。
この家畜に説明を求めるまでも無く、理由はわかっていたが敢えて尋ねる。
「最初に、君の仕事の邪魔をしたかった訳ではないんだ。そのことをわかってくれ。色眼鏡無く、生の評価を知りたかったのさ。誤解は人を殺すからね」
そこにヒツジの屠殺は含まれるだろうか。
「それで、君の目から見た、アリシアの評価を聞きたい」
「そうですね……まず、捜査官としての能力は判断しかねます。今回はバルドゥという彼女にとって因縁のある相手ということもあり、正しい評価はできません。目立ちすぎて目に余る物もありました。ですが、そこもやはりバルドゥというフィルターが原因であると考えます」
「ふむ。では、スパイのあぶり出しという点では?」
「それこそ正確性を欠きます。クリス・オーブというイレギュラーが発生し、そこに目をつけ掘り下げた事を評価して及第点を与えるべきでしょう」
「君という〝ミッドガーズのスパイ〟のに気づけなかったのに?」
「同じ部署に異なるスパイが同時に存在すること事態、極めて稀です。それに、アステルスの手がこの国に及んでいる事を気づかせた。これは重要な契機となるのでは?」
「そうか。ではまず、試験は合格といったところだな。これで枢密院と賢天選考委員会の心証は改善されたはずだ」
「今回の事件は禊ぎですか?」
「もちろんだとも。アリシアは元々、賢天の魔術師となるべき存在だった。それが薬物の所為でふいになってしまった。だがどうだ? 彼女は見事に国家への忠節を尽くしてみせた。我々が用意したトラブルにもめげず、多くの困難と理不尽を乗り越え、自らの命すら擲って国家への献身を示した。間違い無く彼らの心を打つだろう。この滅私奉公を手土産にすれば、『賢天』の称号が彼女に贈られる」
饒舌に語るマスタングは、自らがヒツジであることすら忘れてしまったのように身振り手振りが大きい。彼は自分がストーリーテラーになった気で居るのだ。思い描いたシナリオ通りに事が運び、ヒツジの皮の下でほくそ笑んでいる。一見アリシアを褒め称えているようで、その実自分に陶酔している。
「ところで、なぜドナルドソンに『賢天』の称号を与えたいんです?」
「私の出世の為に決まっているだろう?」
「私利私欲の為ですか」
「彼女は私の商品だからね。それに、彼女には才能がある。類い希なるものだ。彼女の魔術が報告資料として賢天選考委員に提出されたのが、一二歳の頃。この時すでに枢密院が動き出し、好き勝手に使えないようこの魔術を封印していたんだ。実力の証明はとっくに済んでいた。あとは国家への〝忠〟だけが鍵だった。人の心や気質は判断し辛いからね。それを私が後押しする。まあ、私の目に狂いは無かったわけだ。これでようやく、賢天のメンバーに我々庭師の影響力を持つ駒をねじ込むことが出来るよ」
権謀術数を旨とする彼ら営為にあっては、アリシアの私心が介在する余地は無さそうだ。
それを不憫に思う。この国を牛耳る怪物共に目をつけられたがばかりに、彼女はこれからも歩きたくない道を歩かされるハメになるだろう。心と体をボロボロにしながらも、青空の下で垣間見えた希望に顔を綻ばせるアリシアを思い出し、心が痛む。
「はは、何にせよ、これでやっと報告に行ける。彼女も自分の生き方に気付く。国に飼われることでしか生き方を知らない女だ。幸せになって欲しいんだよ」
「喜ぶとは思えませんが」
「賢天の魔術師となればあらゆる権利が手に入る。恐らく彼女は一軍の将へと推薦されるだろう。軍隊であれば気質も合うだろうな。これは幸せなことだ。国の狗であることが、彼女の幸福――」
もうだめだ。聞くに堪えないと、ヘイリーは小さく息を吐いて徐に席を立つ。
「帰るのかい?」
「アリシアさんにウイスキーを頼まれてるんです。『点滴は飽きたって』」
鳶色の紙袋を掲げてみせる。中にはウイスキーボトルと、酒の肴になりそうなつまみが入っていた。
「そうか。あまり無茶をさせないようにね。あと、これは君にだな。ミッドガーズに流す内部情報の選別が今週中に終る。週末に、所定の場所で受け取り給え」
それに返事をすることもなく帰り支度を済ませると、去り際に彼の傍らで立ち止まる。
「マスタングさん、一つだけ宜しいですか」
「なにかな」
お互い視線を合わせる事無く、双方は異なる未来を見据えながら淡泊に言葉を交わす。
「わたしは次のクライアントと契約を交わしましたので、もうに会うことも無いでしょう。後任となるミッドガーズの工作員はまた庭師の皆さんで捜してくださいね」
「唐突だな。では、私の記憶も改ざんしていくのかい? 保安局に入り込んだ時のように」
「それはどうでしょうね。知ったところで意味も無い。ですが庭師とやり合うのは骨が折れるので、穏便に済ませたいものです」
「前から気になっていたんだが、君はいったい誰の味方なんだろうな。我らがアルビオンか、宿敵ミッドガーズか、新興のアステルスなのか。君は誰に忠節を尽くしている」
「第四勢力と言う事もありますが、まあご想像にお任せします。ああ、それからもう一つだけ。これは予感ですが、彼女を狗だと思っているといずれ痛い目に遭いますよ」
「どういう意味だい」
「そのままの意味です。世界は動き続けている。それが良きにつけ悪しきにつけ、時代と共に新たな勢力は勃興する。アルビオンがいつまで隆盛を誇ることが出来るかは見物ですけれど、時流を読み間違えないようにお気をつけ下さい。聞くところによると、〈ウロボロスの指輪〉が奪われたそうじゃありませんか。あなた方と同じく、この世の汚濁は世界中に存在している。覇権闘争は、もう始まっている。それでは――」
蠱惑的な笑みを振り向けると、ヘイリーはレストランを後にした。
「ふん、小娘が知った口をきくようになったな。何が起ころうと我々の優位は揺るがないよヘイリー。ヘイリー? ふむ……誰の事だったか――」
その数分後、ホテルボーカーズの一階で大爆発が起きた。炎と衝撃波が吹き荒れ、爆発の轟音が夜のロンデニオンに響き渡る。もうもうと膨れあがる黒煙にホテルは包み込まれてしまい、そこかしこで悲鳴が上がる。周辺の住民達は家から飛び出し目を剥いて、野次馬達は路上で立ち止まり燃えさかるホテルを指さしながら眺めていた。警察や消防馬車のサイレンがかき鳴らされ、辺り一帯は混乱に包まれていく。
それら全てを背景に、懐から取り出したいつもの丸めがねを掛けると、病院へ向う足取りも軽くなる。友人が心待ちにしている手土産を揺らしながら、ヘイリー・グレンは夜の街路に鼻歌交じりで消えていった。
おわり
ありがとうございました。